有能な好敵手「フルカワ アヤノ」
四時限目の終焉を告げるチャイムが鳴り、喧騒が広がる。
早々に弁当を食べ始める者、机に突っ伏す者、教室から颯爽と出て行く者。
普段通りの雰囲気の昼休み開始直後、普段通りではない精神状態の男が居た。
そいつは激しくビートを刻む胸のポンプを深呼吸で宥めながら立ち上がり、両拳を岩石のように固くして教室を出て行く。
――いや、まあ俺のことなんだけど。
だって、これからあの古川彩乃に頼みごとをしに行くんですよ?
俺が思い出す彩乃の表情には、必ず背後にでかでかと明朝体で『恐怖』という文字が出現している。
神出鬼没、奇奇怪怪、阿鼻叫喚、この辺の四字熟語が似合う恐ろしい長身の女だ。
……阿鼻叫喚しているのは俺だけど。
俺の家の前で待ち伏せていたり、俺を掌の上で動かしていた疑惑があったりと、彩乃が動く際のその手口と言えばどこかフィクサー染みているというか、どのように情報を得ているのか、どこまで予測して動いているのか全くわからない。
まるでそう……俺の下僕である陽太に似た雰囲気がある。
俺にとって天敵のようなそんな彩乃だが、裏返して一つ言えることがあるとするなら、非常に有能な人間であるという事だ。
ルーズサイドテールを揺らして「いつも見張ってます」と不敵に笑む彩乃に頼みごとをするのはひどく気が進まないが、これも俺が望む青春の為の一歩だから仕方がない。
ある程度優秀である助手を出し抜く為には、それを超越する程有能な人物の助けが必要だからな。
◆ ◆ ◆
階段を一往復下り、二年の教室が立ち並ぶ廊下を歩く。
俺だけタイの色が違うのでどうしても注目を集めてしまい、早々に帰りたい気分になったが、歯を食いしばってなんとか彩乃の所属するクラスまで辿り着いた。
こんなことで力を使っていては先が思いやられる。これからがボス戦だっていうのに。
「ちょっと、古川さん呼んでもらえる?」
俺はたまたま教室の後方から出ようとしていた気の弱そうなメガネ男子君に声を掛けた。
俺の引きつっているであろう笑顔とタイの色を見て、裏返り気味に返事をして教室に再び戻っていった。ごめんね、メガネ君。
窓際、数人の女子に囲まれるようにして座っている彩乃が、メガネ君のジェスチャー付きの声掛けで俺の方を向いた。
シューッと電池切れのランプのように笑顔を消し、ゆっくりと立ち上がる彩乃。
囲いの女子に何か言ってから、こちらに向かってきた。
さながらケンシロウのような歩き方だった。怖ッ。
「何の用ですか」
予想通りの嫌そうな表情と威圧的な声に俺は萎縮しそうになった。パワハラ、ダメ、ゼッタイ。
「まあ、ちょっとな。ここじゃなんだし、ちょっといいか?」
「え、嫌です」
彩乃は眉根をぴくっと動かし、即座に拒んできた。
ま、負けるな俺!
「とりあえず、話だけでも聞いてくれよ」
「……しょうがないですね。手短なら」
「ありがとう、じゃ、行こうか」
「嫌です」
おーい。
「話なら、ここでもできますよね? 冬根さんと一緒に歩いて、友達に噂とかされるの恥ずかしいし……」
己はどこの藤崎さんだよ。
表情は本家とは違ってどう見てもゴミを見る目だけど。
「いや、まあそれがちょっとデリケートな話っていうか、あまり人に聞かれたくなくてさ。そんな時間取らないからついて来てくれないか?」
「えー……」
彩乃は本当に嫌そうな顔で、腕を組んでくいっと顎を上げる。
角度的に、俺を見下ろすような視線になっている。いやもういっそ見下しているんだろうな。
「たまには先輩の言うことも聞いておくもんだぞ」
「……そうですね。しょうがないから聞くだけ聞きます。でも、話す場所は私に選ばせてください」
彩乃はそう言うと、足早に教室を飛び出して歩き始めた。
俺は必死に彩乃の後を追う。コイツ足早い、競歩かよ。
軽く汗が滲むくらいには運動になった追いかけっこは、一階廊下の突き当たりで終焉を迎えた。
見上げた表札には『放送室』の文字。
彩乃は「どうぞ」と言うと扉を開け、執事のように手で室内を指した。
お化け屋敷にでも入るような気分だ。
入ってすぐ靴を脱いで上がる高めの段差があり、器用に踵を絡めて上履きを脱いでから上がった。グレーのマットの床が妙に足に馴染む。
「こちらです」
すぐさま扉に鍵をかけた彩乃は、俺を通り過ぎて夥しい数のツマミがついている機械の前に座る。
俺はその隣、スポンジの付いているマイクが目の前にある席に座った。
「なあ彩乃、ここ勝手に入って大丈夫なのか?」
「…………」
「……無視?」
「いえ……冬根さんに名前を呼ばれるの、不愉快だったものですから」
ああ、そうかよ。
じゃ変な名前で呼ぶぞ? ゴズメズさんとかどうだ?
「私は放送部員です。だから、勝手ではないんですよ」
「そうなのか」
彩乃は機械のツマミを弄りながら、鋭い横目を向けながら「それで、なんですか?」と訊いてきた。
「ああ」
手早く切り出さないと何をされるか分からないが、どうにもここは雰囲気的に話しづらいな。
そんな俺の居心地の悪さを見抜いてか、彩乃はニヤリと笑った。
「自分のテリトリーに引き込むのは、交渉を優位に進めるうえでの基本中の基本ですよ?」
やはり見抜いたかのような発言だった。
「交渉って」
「ええ。どうせ私への用なんて、交渉とか依頼の類でしょう? それともなんですか、告白ですか? ごめんなさい」
「いやちげーよ! というか告白する前にフるなよ!」
生まれてからまだ一度も告白をしたことがないのにフラれるのが先とか、もう俺の青春バグってるよう。
「ふふ。冗談です。でもテリトリーに関しては、思い当たる節があるんじゃないですか?」
彩乃は子どもを責める親のような口調で言ってきた。
……確かにあるな。
交渉と呼べるかは微妙なラインだが、凛堂が俺をマスターに仕立てようとした際の音楽準備室、霜平が俺に頼みごとをした際の車内。
そして無意識だが、俺が四ノ宮を引き込む際に使った喫茶店。
確かに有利に進める為に自分の得意な範囲に引き込むのは交渉ごとの基本なのかもしれない。
……ってことは俺ピンチなのでは? これから頼みごとするのに、まんまと彩乃のテリトリーなんだけど。
「……ここがお前のテリトリーなのか」
「そうですね。少なくとも、この高校では一番私に都合のいい場所です。放送部員ですし」
「そうか……まあいい。お察しの通り、彩乃に頼みたいことがあるんだが」
「何ですか? 破廉恥な頼みなら即刻全校放送で校内の全員に報知しますよ?」
「なんでだよ! ちげえよ!」
怖いってば!
下手な事を言った瞬間、全校生徒の晒し者かよ。やることが悪魔のそれだ。
「では、どうぞ」
「あの……彩乃さん? これ、マイク入ってたりしないよね?」
「ええ。大丈夫ですよ、まだ」
「まだ!?」
もう帰りたい。コイツに頼むの諦めようかな。
でも他に思いつかないしな、有能な人。仕方ない、腹をくくるしかない。
俺は咳払いをしてしまってから、背もたれ付の椅子を九十度回し、彩乃に正面を向けた。
「……頼む。一度きりでいい、俺の為に動いてくれないか?」
「嫌です」
即答だった。
ちょっと涙が滲んでしまうくらいには悲しくなった。
「だろうなとは思ったけどさ……じゃ、それこそ交渉といかないか?」
「何ですか? 私に利のある交渉なら聞くだけは聞きますけど」
片眉を吊り上げる彩乃。本当に年下かよってくらい怖い。
ますます年下嫌いになりそうだ。
「俺から具体的には提案できるものは無い。だから、彩乃が決めてくれ」
「……どういうことですか?」
「彩乃の望みを一つ聞くってことだ。その代わり、俺の為に一度動いて欲しい。どうだ?」
「つまり、私が欲しいってことですか?」
「ちげーよ!」
……いやまあ結果的にはそんなニュアンスの頼みごとなんだけど。
如実に言葉にされると否定したくなるな。
「ふーん」
彩乃はまたしてもツマミとボタンを弄り始めた。
今度は、機械のいたる所のランプが点灯し始めた。
「では、そのマイクに宣言してください。『古川彩乃が欲しい』と、大きな声で」
「なんで!?」
てかその右手人差し指を置いて押す寸前のボタン! 『一斉放送』って書いてあるんですけど!
俺は全校放送で愛の告白をさせられようとしているのか?
「私の力が欲しいんですよね?」
「いやそうだけど!」
「要するに私が欲しいんですよね?」
「そう……なのか?」
「では、どうぞ」
「いやいやどうぞじゃなくて! 言えるかよ! んなこと!」
「そうですか」
彩乃は左手を顔に当て、肘をぶっきらぼうに機械についた。
そしてわかりやすい溜息を吐いてから目を閉じて、
「では、交渉不成立です。お帰りください」
まるで小うるさい虫でも払うかのように右手を振った。
いや、まあ最初から分かってましたけどね。コイツが俺の為に動くはずない事くらい。
それでも他に方法が思いつかなかったのだからしょうがない。寧ろナイストライだ、俺。
「わかったよ、時間を取らせてすまなかった」
俺は立ち上がり、出口付近の段差を下りて片方ひっくり返った上履きを履いていると、
「そうですね」
すぐ背後から彩乃の声がして驚いた。
振り返るとすぐ近くに彩乃が立っていた。音もなく近づくのやめて、怖い。
「もし、冬根さんが本当に恋愛マスターであることを証明してくれたら、協力してあげてもいいですよ」
彩乃は何故か沈んだ表情でそう言った。
なんだって? 恋愛マスターの証明?
「どういう意味だ? 俺はずっと恋愛マスターだぞ?」
「それ本気で言ってます?」
「だ、だって、俺は何度も色恋沙汰のある相談者にアドバイスを――」
「嫉妬に狂った酷いアドバイスを、ですよね?」
「なっ……」
バ、バレてる!
嫉妬というところまでしっかりバレていらっしゃる。やっぱり有能だった。
「そんなことはない! だって、現に何人もの一年が上手くいってるんだぞ? 俺のアドバイスで!」
「冬根さんの力で、ではないですよね?」
「……」
言い返せるわけがなかった。
というよりも、過去に一度その辺については彩乃に直々に指摘されている。
本当に優秀なのは助手で、俺自身は無能だ――そう言われて、俺は躍起になって自らの能力を示そうとしたっけか。
その結果、四ノ宮を引き込むことになってしまったんだけど。
「冬根さんは、やる気になれば多少はできる人であるということは分かっています。お姉さまを引き込んだように、そしてあのピアニストの情事を手助けしたように」
情事って言うなよ。指で輪っかを作って指を入れるんじゃありません!
「それじゃ俺が恋愛マスターって証明にはならないのか?」
「なりませんね」
彩乃は小首をゆさゆさと傾げ、ルーズサイドテールを揺らす。
「だって冬根さん、本当の意味で他人の恋愛を応援したことないでしょう?」
俺は声を失ったように何も言えなくなった。
全くその通りだ。恋愛マスターとして行動してきた中で、俺はただの一度も心から応援するつもりで起こした行動などない。
一ノ瀬の時も、他の一年の相談者全員に関しても、一度もそいつらの恋愛が上手くいって欲しいと心から思ったことなどなかった。
「常にルサンチマンを抱き続けるあなたは恋愛マスターなんかじゃありません。名ばかりの、肩書だけの、中身のないただの僻み捻くれた寂しい男子生徒です」
「そこまでいうなよ……」
図星も図星、反論のハの字も出ない。
だが、罵倒混じりにも彩乃は俺にチャンスを与えてくれている。
「じゃ、どうしたら俺が本当の恋愛マスターだと証明できるんだ?」
本当の恋愛マスターって単語、口にした瞬間ちょっと蒸発したくなった。
恥ずかしさに耐えている俺に構わずに彩乃は言葉を継いだ。
「冬根さんが、誰にも頼らずにあなた一人の力で、相談者を幸せな結末に導けたら、ですかね」
それは勿論、凛堂や陽太にも頼らずにという意味だよな。
「や……」
やりたくねえぇ……。
しかしながら、凛堂を出し抜く為には、彩乃の力が必要なのは否めない。
「わかった、やるよ」
俺は彩乃の猫のような眼から視線をそらさずに、精一杯低い声で言った。
直後、彩乃は目を閉じ、小さく息を吐いてから、
「冬根さんには無理だとは思いますけどね」
と小声で言いやがった。
どこまでも、本当に腹の立つ女だ。煽りと挑発の腕に関しては筋金入りだ。
「まあ、せいぜい頑張ってみてください。本当に冬根さんが恋愛マスターとして相談者を幸せにできたら、あなたの為に動いてあげてもいいですよ」
「釈然とはしないけどやるしかないな。どうしてもお前に力を貸して欲しいからな」
「そんなに私が欲しいんですか?」
「だから違うって!」
俺のいるタイル張りの場所とは段差のある高い所から、彩乃はふふふと不敵に笑っている。
――とは言ってもだ。
「でもそうなると、相談者を待つ必要があるのと、凛堂のいない所で相談を受けなければいけないな……その時点でかなり難易度高いんだけど」
「それに関しては、大丈夫ですよ」
そう言うと、彩乃はその場にしゃがみ始めた。
短いスカートが弛み、絶妙に見えそうで見えない感じになっており視線が落ち着かない。
「相談者は、既にいますから」
「いるって……誰だ? 手配してくれるのか?」
やけに協力的でちょっと怖い。
彩乃の白く綺麗な膝小僧が俺の視線を吸引してきてもっと怖い。
「手配というのもちょっと違いますね」
彩乃は両膝に顔を埋めながら、上目遣いの視線を俺に寄こして、こう言った。
「相談者は、私です」
お読みいただき誠にありがとうございます。
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居ますよね、年下なのにやたら怖い子。彩乃はただ怖いだけではなく、敵に回したくない程できる子……。
そんな彩乃に協力を仰ぐと、またしても変な条件を提示されました。
しかも相談者が彩乃本人? 彩乃の恋愛相談? 次回をお楽しみにです。




