偽オブザーバー「タナカ ショウ」
「ねぇ、氷花くん。こんなことしていいのかな……」
「ああ、大丈夫だ、さくら。ここは基本使用禁止の教室。誰も来ないから」
「で、でも、僕たち……その」
「大丈夫。声を出すなよ?」
基本は誰も現れない使用禁止の教室で、俺と棗二人きり。
身を寄せて、声も出さないようにする事といえば――
「で、でもやっぱり、まずいよ。盗み聞きなんて」
――そうですね、盗み聞きですね。
そりゃそうだよね、どんなに可愛くても棗は男だしね。
誰も来ない教室で二人きりになって身を寄せても、何も起こるはずがないよね。
でもさすがにこの近さはドキッとするぞ。足元に気を付けろよ、俺の理性。
今現在俺達は、隠れ音楽室ならぬ一ノ瀬専用音楽室の黒板近く、教卓の中に二人で隠れている。
以前一ノ瀬の母親の一ノ瀬陽子も隠れたことのある小さめの教卓の中は二人入るにはかなり狭く、こうして身を寄せてキャリーケースの中のようにギュッとならないと隠れる事が出来ない。
前回一ノ瀬に宣言を約束させてから数日経ち、今日は週明けの月曜日。
予定では本日の昼休み、一ノ瀬は田中に宣言をすることになっている。
「でもでも、やっぱりこういうのは勝手に聞いちゃまずいよ、氷花くん」
「シッ! そろそろ来る!」
俺の言葉の直後にドアノブが回る音がした。
足音が二つ。ここが普通の人が入れない教室な以上、間違いなく一ノ瀬と田中だろう。
ちなみに俺は普通の人ではない。ただ普通じゃない下僕が居るというだけだが。
「翔君、わざわざ呼び出してごめんね」
「いや、別に大丈夫だぜ。沙織、髪切ったんだな」
後半のあのチャラそうな声は田中で間違いない。
前半のお淑やかな乙女の声は誰だ!? 一ノ瀬の声か!?
俺に話すときはもっと真空波みたいな鋭い声だったぞ……恋する乙女は声まで変化するんですね。
両手で口を押さえるすぐ傍の棗から爽やかな良い匂いがして俺は意識を飛ばしかけたが、首を振って改めて息を殺して耳を澄ます。
「うん。ちょっと、ね」
「短いのも新鮮だな」
「ありがとう……それでね、今日は、翔君に言いたいことがあって」
「なんだ?」
「あのね……」
俺がこの場に棗を連れてきたのは、このやりとりを棗にしっかり見せておきたかったからである。
棗は一番の被害者でもあるからな。同時に、一ノ瀬の友人でもある。
「アタシ、次の全日本学生音楽コンクールの予選に出ることにしたの。それでね……」
暫しの沈黙。姿は見えないが、きっと一ノ瀬はもじもじと、そして田中は真剣に一ノ瀬を見つめているんだろうな。けっ。
「もし、私が無事に予選を突破したら、私ともう一度付き合ってください!」
言った。
よくもまあこんな野郎の言いつけを守ってくれた。ちょっと涙が出そうだ。
そしてあとは、田中の反応で完成する。
「予選っていつだ?」
「……うんと、今月の三十日」
「そっか。そうしたら俺、予選見に行くよ」
「えっ」
これでチェックメイトである。
「沙織のピアノ、見たいし聴きたいしさ。期待してんぜ!」
「う、うん! 頑張る……」
「おう。頑張ってな! 俺の為にも! へへ。じゃ、俺は行くな」
「うん、ありがとう……」
金属の軋む音が響き、一つの足音が出て行った。
……何だよこれ。どう聞いても相思相愛じゃねえか。妬ましく腹立たしい、もうその場ですぐ復縁しろよ。
なんでこんな奴らの為に俺は動かなきゃならなかったんだよ。こちとら恋愛経験ゼロなんだぞ。
ともあれこれで全てが終わったはずである。
あとは一ノ瀬が『好きな人の為なら何でもできる』人種であれば、すべて上手くいくはずだ。
想い人に応援されて、見に行くとまで言われて、本気で取り組まない一ノ瀬ではないだろう。コイツは見たまんまそういう奴だ。
予選に落ちたとしても策がある、などと大見得を切って言ったのも、予選に受かること自体が必要ないからだ。
あとは一ノ瀬がピアノを本気で練習し始め、講師である母親にそれが伝われば、『本気になるまで』などという制約で離れていた田中と復縁することができる。
は。
何だこれ。最初からデキレースみたいなものじゃないか。他人の夏休みの宿題を無償でやらされた気分だ。
いい加減、人様の恋愛を手助けしている場合ではない。俺だって青春したい。
な? 棗よ――――っていない!?
「一ノ瀬さん! 良かったね!」
「え!? 棗? いつの間にここに!?」
出て行っちゃったのかよ! それはちょっとまずいっす。
「うん、ごめんね、最初からいたんだ。氷花くんと一緒にそこに!」
「氷花?」
おうふ。純粋無垢な棗を連れてきたのは失敗だった。
仕方なく俺も教卓から出て、ちょっぴり驚いた顔の一ノ瀬に声を掛けた。
「おっす」
「…………聞いてたのね」
みるみる頬に朱を差す一ノ瀬は、次第に両眉が瞳に近づいていく。
「盗み聞きとか最ッ低。変態。死ね」
「顔、真っ赤だぞ」
「うるっさい!!」
「あはは、一ノ瀬さんと氷花くん、相変わらず仲イイね」
「良くない!!」
プンスカ湯気を出す一ノ瀬の隣でニッコリしている棗。
なんか、この画だけ切り取ると青春っぽいよね。……恋愛経験ゼロなのに他人の恋愛を援助している間抜けな状況の俺以外。
「まあ、あれだ。予選、頑張れよ」
「アンタに言われなくてもやるわよ。それに……翔君、見に来てくれるって言ってたし」
「僕も見に行くね! 三十日は確か日曜日だよね!」
「棗も? あ、ありがとう」
ちょっと前まで、スパナが飛び交ったとは思えない二人をみて、俺は小さく息を吐いて、
「じゃ、そういうことで」
お邪魔虫よろしく、隠れ音楽室を出ようとした。
しかしそうすんなりとはいかず、
「待って」
背後から一ノ瀬の声がかかった。
振り返ると、ツンとした表情を斜め上に向ける一ノ瀬が居た。
「なんだ? 別にお礼なんていらないぞ」
「は? 誰がお礼言うのよ。それにまだアンタが天才だかマスターってのも、証明できてないでしょ?」
「いやまあ、そうだけど」
もういいだろ、ほぼ決定してるんだし。
「本当に復縁できた時に、あなたを認めるわ」
「そうかい。精々予選通るように頑張ってくれ」
「ふん。私を誰だと思ってるのよ。あの一ノ瀬陽子の娘よ? 絶対、今からでも何とかしてみせるわ! ……翔君の為にも」
それだけの気合があれば大丈夫そうですね。なんなら本当に予選も通っちゃうかもしれないな。
◆ ◆ ◆
今度こそ俺は音楽室から出て、残りの昼休みをなんとなく中庭で過ごすことにした。
校舎内との境目の階段に腰を下ろす。ちょうどこの中庭は校舎の構造上、撫でるようなビル風が入ってくるので気持ちが良い。
俺は目を閉じて雑草の香りと風に心を寄せた。
「よう冬根」
俺のメランコリックアンニュイを邪魔したのは聞いたことのあるチャラい声だった。
「んだよ」
「お前、やっぱり恋愛マスターだったんだな」
田中は俺の隣にドカリと腰を下ろす。血管の浮く腕が男らしくて妬ましい。
「何がだよ」
「だって……あれもお前の差し金だろ? まさか、俺らまでお前に助けられるとは思わなかったけどな!」
ブッと吹き出して笑う田中。お前絶対馬鹿にしているよな。
「それに、俺にも今朝、助言したろ」
「……俺はただ一ノ瀬が頑張るのを応援してやれとしか言ってないぞ。それに俺が言わなくたって、お前は一ノ瀬の応援をしただろ?」
「まあな! だってさ」
田中は立ち上がり、有りもしないバスケットボールをシュートする素振りをしてから俺を見下ろしてこう言った。
「俺、沙織のことマジで好きだしな」
爽やかな笑顔だった。妬ましい気持ちが無いといえば嘘になるが、その笑顔を見ると何となく一ノ瀬が田中の事を好きになった理由が分かった気がした。
青春かな。青春だね。
「そうかい」
「冬根、よく沙織を動かせたな」
「なんのことやら」
「どうだ? 沙織、良い女だろ?」
「はぁ?」
唐突に挑発的な顔をしてくる田中。優しい風で自慢の襟足が戦ぐ。
「だって冬根、沙織をあの髪の長さにしたの、お前の趣味だろ?」
「……なんのことやら」
確かに、別に田中の好みを聞いていたから髪を切らせたわけではない。
口調も、田中の好みに則って直させたわけではない。
「やらねえからな」
「……なんのことやら」
最初からそんなつもりはさらさらないさ。
でも……いいじゃん、ちょっとくらい、役得があったって。
だがまあ口調は元の辛辣気味のほうが良かったな。ひょっとして俺マ……いや、ないか。
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というわけで、冬根君以外はめでたし〜。
ちゃっかり田中もただの馬鹿ではないようでしたね。
次回は後日談?みたいなものと、新しい何かを思い始めます。




