規定への準備「イチノセ サオリ」
一ノ瀬との喫茶店で野口英世を二枚失った翌日のことである。
残暑厳しい長月初旬、俺は昼休みに呼び出しを受けた生徒会室で滝のような汗をかいていた。
しかしその原因は暑さではなく、目の前の縁メガネの切迫によるものだった。
「それで冬根君? 私は凛堂さんに一時間近くG線上のアリアについて熱弁をされたのだけど、それが真の恋愛成就の為にどう繋がってくるのかしら? 分かるように説明して!」
四ノ宮の疑いの眼が俺を襲う。
追い払うためのテキトーなお願いでしたー、なんて言ったらさすがの四ノ宮も怒るよな、きっと。ていうかもう怒っていらっしゃる。
「それは、だな……」
かといって素晴らしい言い訳も思いつかない。
万事休す……いや、待てよ?
「四ノ宮は、凛堂の熱弁を聞いてどう思った?」
「どうって……普段の寡黙さとのギャップに少し驚いたけど」
「そう! それだよ!」
どれだよ。
「そのギャップ! ギャップこそが真実の愛への近道なんだ」
「……どういうこと?」
相変わらず怪訝な顔の四ノ宮。
そして何言ってるの俺マジで。他に人いなくて本当に良かった。
「だってそうだろ? タイタニックのローズだって、堅苦しい貴族界流の習わしと大きなギャップのあるジャックの自由奔放さに惹かれていっただろ?」
「……ま、まあそうね」
「つまり。真の恋愛の為にはギャップがいかに大切かってこと、それを四ノ宮に知ってほしかったんだ。その為に凛堂のギャップを手始めに四ノ宮に見せたのさ」
「……」
あら? ダメ? 流石に苦しい?
「そうだったのね……冬根君」
「はい」
「あなた……本当に崇高な考えを持っているのね。一生ついて行っていいかしら!?」
「一生!?」
何そのプロポーズ紛いの発言! というかこんなんで丸め込まれるなよ、マジでチョロ宮だな。
「はあ。私の勘違いだったのね! てっきり、私が邪魔で追い払うためにテキトーな嘘を吐いたのかと思ったわ!」
うーん、ご明察。
四ノ宮は窓から外を眺めながら、両手を胸の前でぎゅっと握りしめてから、
「冬根君が居れば、この学校の恋愛に困る生徒たちも安心ね!」
「……おう」
「ところで」
四ノ宮は俺の座る椅子の方にくるっと振り返る。ゆさっとポニーテールが揺れた。
「昨日の、一ノ瀬さん? はあの後どうしたのかしら?」
「ああ、ちゃんとアドバイスできたよ」
「そうなのね! 冬根君がするアドバイスなら、きっと一ノ瀬さんも安心ね」
そう無条件に盲信されても困るが……。
今回に関しては絶対的な自信はある。
努力の方向を示す、などと高尚染みた俺のアドバイスに乗ってくれたのも、一ノ瀬が乙女であり、本気で田中が好きだからである。
そういう種族 (種族言うな)が、本気で努力できるに至る為に必要な存在なのが『想い人』である。
つまり、『好きな人の為なら何でもできる』だ。あー、嫌だ嫌だ。
それを利用して上手く誘導し、一ノ瀬にはピアノの練習に本気で取組んでもらう必要があった。
それが結果的に、復縁に繋がるのである。
根拠も理由も、全て下僕である陽太からの情報と田中から直接話してくれたことそのままであった。
つまり、俺は最初から大したアドバイスをしていないってことだ。
ただちょっとしたきっかけになったに過ぎない。
……ってこれさ、なんか四ノ宮を引き込むために言った言葉まんまになってきてない?
俺、こんなの嫌なんだけど。誰か助けてぇ。
◆ ◆ ◆
放課後。
音楽準備室を訪れる時、昨日放置した凛堂が少し怖かったが、いつもと何ら変わりない状態で頷く様子を見て俺は少しホッとした。
その凛堂と、既に来て座っていた棗との間の俺の定位置に座って間もなく、ノックが鳴った。
「どうぞ」
俺の掠れた声の後、ゆっくりと開かれた扉から一ノ瀬沙織が入ってきた。
長かった髪を、バッサリと肩までの長さのナチュラルボブにしてきた一ノ瀬に、棗は目を見開いていた。
一ノ瀬は真っ直ぐに歩き、棗の前で止まり、
「棗」
真剣な顔で棗を数秒見つめてから、小さな風が起こるくらい激しく頭を下げた。
「今まで、ひどいことをしてごめんなさい。棗は何も悪くないのに、全部棗のせいにして……アタシが間違ってた。本当にごめんなさい」
表情が見えない程深々と頭を下げる一ノ瀬の行動に困惑した棗が、俺をちらちら見てくる。
これが、昨日の喫茶店で俺が一ノ瀬に約束させた事だ。
必ず、棗に謝ってほしい――この約束に一ノ瀬は少し考えてから了承してくれた。
「ち、違うよ、一ノ瀬さん、元はと言えば僕が悪いから……」
「いや、棗は悪くない。勝手に人のせいにして八つ当たりしていたのはアタシ」
「頭を上げてよ。でも、やっぱり僕も悪いから」
「棗は悪くない! 悪いのはアタシ! 本当にごめん!」
一ノ瀬と棗の謝り合いの最中、我関せず読書を続ける凛堂。この雰囲気でその度胸は凄いな。
「……やっぱり、僕にも悪いところあるから――」
「だからぁ!」
一ノ瀬は一向に謝罪を受け入れてくれない棗の胸ぐらを掴み始めた。おいおい。
「アンタは悪くないって言ってるでしょ! 悪いのはアタシ! 全部アタシ! 良い!?」
「おい! 謝ってるの相手の胸ぐら掴んでどうすんだよ!」
思わずツッコんじまったが、俺の言葉に一ノ瀬は素直に手を離して、改めて棗に向かって頭を下げた。
「許してくれなくてもしょうがないと思ってる。でも、本当に申し訳ないって思ってる。これだけは言わせ――」
「許すよ」
棗は一ノ瀬の謝辞を遮ってそう言った。
それに一ノ瀬はふと顔を上げて棗を見る。
「えっ」
「許すし、僕もごめん。やっぱり僕も悪いところいっぱいあったと思うから」
「アンタは、悪くないよ」
「ううん。我慢ばっかりじゃなくて、僕ももっとちゃんと一ノ瀬さんに思ってること言わなきゃダメだったと思う。だって僕たち、友達だもんね」
「……棗」
ニカリと笑う棗。お前良い奴過ぎるだろ。俺なら元親友だろうがボコられたら絶縁できる自信あるぞ。いや、親友なんていた事ないけど。
棗の言葉に、若干眼を潤ませているように見える一ノ瀬だったが、ふんと顔を逸らしてから、
「ま、まあアンタがそう言うならそれでもいいけどね」
頬まで染めて、まさにツンデレのテンプレだった。なんか俺一ノ瀬さんちょっと好きかもしれん。……観察対象として。
「ありがとう、一ノ瀬さん」
幸せそうな笑顔で棗はそう言った。
……ああ、友情とはどうしてこう尊く輝いているのでしょう。
それはきっと、星のように手の届かない場所にあるからですね。分かってます。ぴえん。
「んで、アンタ」
一ノ瀬はくるっと俺の方を向き、鋭い顔付きに変わった。
お、俺?
「おう?」
「アンタの言う通り、先ずは髪を切ったわよ」
「ああ、すごく似合ってると思います」
「アンタの感想はどうでもいいの! んで? 次はどうすればいいの?」
ほんの少し顔が赤くなった、ツンデレポイントゲット。
「次は喋り方だな。もっと綺麗な言葉を使うようにしようか」
「はぁ!? 何言ってんのアンタ」
「ほら、そういう言葉! それをやめろって言ってるの」
「アンタ何様よ!」
「恋愛マスター様だけど?」
自分で言ってて超絶恥ずかしいこの言葉に、一ノ瀬は汚いものを見る目を向けてきたが、やがて溜息をついた後に、
「はぁ。本当にこんなことで上手くいくのかしら」
「大丈夫、次の方向は追って伝えるから。とりあえず、口調を綺麗に、な」
「ふん、まあ期待してや……期待しています、マスター様」
苦笑いを浮かべた一ノ瀬はそう言うと、踵を返して音楽準備室を出て行った。
「氷花くん、随分一ノ瀬さんと仲良くなったんだね!」
左隣の棗が驚嘆顔で俺にそう言った。
「そういうわけじゃないんだけど……」
言いながら、右方向から紫色の重圧がかかっている事に気付いた。
ゆっくりと右を向くとそこには見た事のない引きつった笑顔の凛堂が居た。ひぃ。
「マスター?」
「ひゃ、はい!」
「今のヒトは? マスターのこと『マスター』って呼んでたけど?」
「はい」
「マスターに既にアドバイスを受けていたようだけど?」
「……はい」
凛堂さん怖い。スーパーサ〇ヤ人になりそうなくらい静かに怒ってらっしゃる。
「前、私に約束したこと、覚えてる?」
「…………はい」
次からちゃんと話すよ、助手だもんな――のことですよね?
「あ! 僕、今日は炊事当番だからもう帰らなきゃ! 氷花くん、凛堂部長さん、また明日!」
「え、ま」
待ってくれ棗ぇ! 俺をコイツと二人にしないでぇ!
その炊事は俺より大事ですか? このままだと俺が料理されちまう!
俺の心の声など届くはずもなく、音楽準備室を出て行ってしまった棗。
数秒の沈黙があってから開かれた凛堂の口からは、俺の予想とは違う言葉が発せられた。
「マスターが本気になっていて、私は嬉しい」
「え?」
凛堂は前回もこんなことを言っていたな。
でもその時とは意味が違って聞こえる。何故なら、凛堂の過去――俺との過去でもあるが――を今の俺は知っているからだ。
「やっぱり、マスターは私の全て。マスターがマスターとしていてくれて、私は本当に感謝してる」
「あ、はは。そうか」
嫌々やっている恋愛マスターだが、そうまで言われると少し嬉しくなってしまうな。単純だな俺。
凛堂は前髪を分ける為に付けている三日月のヘアピンを一瞬弄って目を細めたが、すぐにデフォルトの表情に戻った。
「でも」
「え」
「マスターの助手は誰?」
「……凛堂です」
「恋愛マスターとして何かあったら、相談してって言った」
「はい」
「なのに今回も秘密に動いてる。次からはちゃんと話すって言ったのに」
「…………すいません」
「もうこれで三回目の忠告。マスターは――」
最終的には結局説教になってしまったが、これはこれで何となく貴重な経験な気がして悪い気はしなかった。
年下の女の子に説教されるって、なんか青春っぽいじゃん?(?)
そんなこんなは置いておいて、ともかくだ。
棗と一ノ瀬が違えた仲を取り戻すことができたようで、一安心だ。
あと残るは、恋愛マスターとしての仕事だけだ。
一ノ瀬の復縁の為の助言という名目で、俺は一ノ瀬にやってもらわなければならないことがある。
俺が一ノ瀬に差し当たり示した、髪型を変えたり、言葉遣いを正す、などというものは正直あまり意味はない。
しいて言うなら前向きに、積極的になる為のプラシーボ、かな。
本当に必要な事は、次にあった時に言うことにする。
それを聞いた一ノ瀬はきっと困惑するだろう。もしかしたら怒るかもしれない。
しかし、それは全てに繋がっていることなのだ。
田中が一ノ瀬と別れた理由、母親との意思疎通の弱さ、そしてピアノへの向きあい方。
随分引っ張ってしまって申し訳ないが、要するに一言で纏めるならこうだ。
コミュニケーション不足――――なんで俺がこんなことせにゃならんのだろうか。
「――マスター? 聞いてる!?」
「えっ! あ、はい、すいません!」
ここにもコミュニケーション不足で問題が起きている。ごめんなさいってば。
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普通、工具で殴ってきたヒト許せませんよね。
というか嫉妬だろうが劣等感や鬱憤やら、何があろうが暴力はいけません。
そんな訳で一ノ瀬は棗と和解ができましたが、ここからが本番です。
髪の変化や口調の修正は、復縁“には”直接関係のない指摘でした。
次回、復縁の為に真の指令が言い渡されるようです。




