助手の誕生(強制)
妬ましい珍事から一週間。
あれからは恋愛マスターなどという陳腐な呼び名で呼ばれるような事も、見知らぬ生徒に相談されるようなこともなかった。
やはりあの背の低い一年女子の痛々しい妄想が作り上げた設定だった。そうに違いない。
これで安心して味の薄い半透明な高校生活に舞い戻ることができると、俺は心の大部分で安堵していた。
しかしながら心の奥の奥の、そのまた奥の片隅で、先週の珍事と対比して今までどおりの高校生活に戻り大して何も起こらないこの現状を「つまんない」などと微かに思ってしまった自分も否定はできなかった。
きっとそのせいだ。
微かな想いは意図せずに物事を動かす力になる。本人の意図せぬ形として。
◆ ◆ ◆
四月最後の登校日の放課後。
部活動に属していない俺はそそくさと昇降口に向かう。
来たるこのゴールデンウィークで俺はやらねばならぬ使命があった。
自然豊かな異世界での魔物狩りと、緊張感に支配され殺伐とした現場での命のやりとりだ。
……まあ要するにライトノベルの読破とFPSなんだけど。
定期的に踏みつけて柔らかくなった上履きの踵と踵を上手く摩擦し手を使わずに脱ぎながら、自分の下駄箱からスニーカーを摘まんで敷き詰められた深緑色のブラシマットの上に落とす。
息を吸いながら屈んでまだ温もりの残る上履きを自分の下駄箱に戻す。
数百回は繰り返したであろういつもの靴の履きかえが、今日は違って感じた。
違和感の正体は、俺のスニーカーの中に入っていた。
「なんだこれ」
一度落としたスニーカーの中から本の栞くらいのサイズの紙切れが顔を出していた。
また新手の悪戯か、それともどっかの怠惰な野郎がゴミでも捨てて行ったのか。
俺は片眉を吊り上げながらそれを拾い上げて、トクンと心臓が一跳ねした。
その紙切れには『音楽準備室で待ってます』と書かれていた。
慌てて上履きを履き直し、階段を一段飛ばしで駆け上がる。
音楽準備室は三階だ。
――もしかするとこれはまたとない青春チャンスなのではないか。
そんな期待を胸に紙切れを改めて見つめる。どう見ても女の子の字だ。
また靴箱に呼び出しの手紙だなんて今時古風な女の子も居るもんだな。
一体どこの誰だろうという思考が頭を独占して、判断力が欠如していた。
後になって冷静になれば分かったはずだった。
クラスの女子ですら関わりの無い俺が、俺が望むような青春の一ページ的展開などが待っている訳などないと。
無駄に逸る気持ちを何とか押し殺して音楽準備室に辿り着いた俺は、確認するように再度紙切れを見つめて、一つ深呼吸をしてからノックをしようと右手を構える。
その瞬間、中から音が聴こえてきた。
聞いた事のある音楽。G線上のアリア、だったかな。
まるで時間の進むスピードが緩やかになったのではと錯覚させるような抑揚のある音色が、ドア越しでも確実に俺の耳に届く。
バイオリンのシングル音しか鳴っていない筈なのに、脳が勝手に他の高低音を補完してしまうような、そんな美しい音色だった。
とか言ってるけど音楽の知識は俺には皆無だ。
それでも、一曲奏で終わるまでノックを忘れてしまうくらいには聴き入ってしまった。
ハッと我に返ると同時に緊張も舞い戻り、情けなくも震えた右手でドアをノックした。
返事はなかった。
しかしながら中から美しい音楽が聴こえたのだ、無人なはずがない。
できるだけ音が鳴らないように丸ノブをゆっくりと回し、重たい金属製のドアを引くと、ドアは抵抗なくそれに応えた。蝶番が控えめに軋む。
「失礼しまーす……」
何をビクついているんだろうね、俺。
俺は呼び出されただけで、いわば被害者だってのに。
それよりも、もしかしたら青春チャンスが待っているかもしれないとなればもっとウキウキで侵入してもいいものだろうに。
いや、結論から言うとそんなチャンスは待ってなかったんだけども。
音楽準備室は楽器を羅列する棚が両脇にズラリと並び、狭い通路のような部屋になっていた。
奥の窓の傍に、パイプ椅子が二つ。
そのそばに、とても長い髪を二つおさげに纏める背の低い女子が立っていた。後姿だった。
右手に弓、左手にバイオリンを持つ女子の髪に窓から差し込む日光が当たり艶やかに光っていて、なんとなく神聖な雰囲気を感じた。
音楽準備室にはこの女子しかいなかった。
という事はやはり俺を呼び出したのはこの子、だよな。
「あの、この紙を見て来たんだけど」
俺は何かに縋るように紙を突き出しながら、控えめな声でおさげ女子に話しかける。
俺の声が、無機質気味なこの部屋に僅かに反響した後、おさげ女子はゆっくりとこちらに振り返った。
が、無言のままだった。
それどころか、両目も閉じられたままだった。え?
「あのー……」
案の定、見た事のない女子だった。
リボンの色からするに一年生だ。
閉じられたことで際立つ長い睫毛や、綺麗な形の顔のパーツに、透き通るような白い肌。
クールビューティー――そんな印象だった。
そんなクールビューティーおさげが、目を閉じたまま棚にあるバイオリンケースに楽器をしまいながら、
「助手にして」
突拍子もなくそう口にした。
この辺りで俺も漸く気づいた。
これは青春イベントでもなんでもない、あの妬ましい事件の延長なのだと。
「この紙で俺を呼び出したのって、君なの?」
「そう」
「助手……って?」
「助手」
「何の?」
「恋愛マスター」
でたよ。
……どうやら、此間のあの忌わしきモジモジ女子の言っていたことはあながち嘘ではなかったようだ。
現にこうして、他の一年生にまで俺が恋愛マスターだと知られているからだ。
いやだから違うけども。
頭の中でバラバラと「青春チャンス」の文字が砕け散った後、無性に切なさだけが残った。
そりゃそうだ、恋愛経験ゼロなのに、恋愛マスターなんて呼ばれたら空しくもなる。
「あのさ、君には悪いんだけど俺そんなんじゃないんだよね。なんでそんな噂が広まってるかよく分からないんだけど」
「助手にして」
俺の弁明が耳に入らなかったのか、おさげ女子は目を閉じたまま同じセリフを吐いた。
「だからさぁ。俺のことよく知りもしないのに、噂に踊らされたら駄目だよ。ほら、よく言うじゃん、人のうわさも何とやらって」
「知ってる」
よく見ると小さな三日月のヘアピンを付けているおさげ女子は、表情を変えぬまま、
「冬根 氷花。四月十二日生まれ、A型。十八歳。恋愛マスター」
俺のプロフィールを正しく羅列した。最後のだけ違うけど。
氷花って名前、女々しくてあんまり好きじゃないんだけどな。
「そんなに俺って詳しく噂になってるの? 怖……怖いな」
「助手にして」
俺がちょっぴり引き気味でもお構いなしに、助手を志願するおさげ女子は、
「お願い、何でもする、何でも言うことをきくから」
無感情な喋り方のまま、そう続けた。
ん? いま君なんでもするって……。
ここで俺は一つ思いついた。
無理難題を提示すれば、助手志願を取り下げてくれるだろうか。
その為に、俺はこのおさげ女子に無理な要求をすることにした。
これは勿論、頓珍漢な事になるのを防ぐためであり、この子の為だ。決して邪な考えのもとではない。
「そうしたら、おっ……胸を触らせてよ。そうしたら助手にしてあげてもいい」
繰り返す。決して邪な考えのもとではない。この子の為だ。
自分に言い訳するように脳内で繰り返して、流石にこれで諦めてくれると思いながら靴に入っていた紙を乱雑にポケットに突っ込んだ。
諦めるも何も、俺そもそも恋愛マスターじゃないんだけど。
俺の言葉に流石にドン引きか、暫く動かなくなったおさげ女子。
依然両目は閉じられたままだ。そんなに俺の顔見るのが嫌とか?
とか考えていると、不意におさげ女子は無言でスタスタと俺に近づいてきた。
距離が一メートルくらいのところで止まり、両手を後ろに組んで
「どうぞ」
と顔色一つ変えずに言った。
どうぞ? 何が?
「え、と?」
微動だにしないおさげ女子を前に、俺は小パニックに陥った。
どうぞって、もしかして胸? 胸を触っていいと?
心なしか胸を突き出しているように見える! え! マジ!? なんで!?
そうまでして助手になりたいの? なんでだよ!
動かせてはいないものの、両腕に力が入っている俺は、リビドーと混乱に挟まれてどうしていいか分からず、気づけば銃口を向けられたように両手をあげていた。
「じょじょじょじょ冗談だよ! ささっきのは冗談!」
動揺MAXで撤回する俺をみて、おさげ女子は小さく鼻から息を吐き、数歩後退した。
……もしかして俺、凄く惜しい事をしたかな。
「助手にして」
壊れたおもちゃのように同じ事を繰り返す閉眼女子に、俺は根負けした。
「わかった! わかったけど、俺本当に恋愛マスターじゃないんだって」
「いえ、あなたは恋愛マスター」
あーもう否定するのも面倒だ。それでいいや。
「んで、助手になってどうするの?」
「貴方を助ける」
「助ける、ねえ」
助けるも何も、別に助けが必要な事なんてない。
そもそも恋愛マスターじゃないんだし。
というか俺自身の灰色の恋愛事情について助けて欲しいくらいなんだけど。
「よく分からないけど、助手? としてよろしく?」
と終始首を傾げながら言うと、おさげ女子はほんの少しだけ口角が上がったように見えた。
「凛堂。よろしく、マスター」
…………サーヴァントかよ。
という訳で凛堂と名乗るおさげ閉眼女子が、俺の助手になったのだった。
まあ、そうは言っても、俺は三年。凛堂は一年。
接触自体も少ないし、更に言えば帰宅部の俺は極力学校に滞在しないようにしている。
そもそもで助手ができようとも、恋愛マスターなる変な噂が立とうとも、大した弊害もダメージもないのだ。
それらを飄々と受け流していつも通りの日常が待っているんだろうな、とやんわりと安堵の感情で満たされていると、それを悟ってか悟らずしてか、凛堂はこう言いだした。
「これから、放課後、毎日、ここに来て」
ぽつぽつと単語を並べるようにそれだけ言うと、凛堂はおさげを揺らして音楽準備室から出て行った。
取り残された俺だけが居るこの部屋で、俺は誰にも聞こえないようにツッコミを入れた。
――助手、権限強くね?
マスターに命令とか、それはもう実質裏で牛耳る真の支配者なのでは?
それとも、これは助手の反乱で、マスターとして正すべき事案か?
……。
まあ、ちょっと可愛かった気がするからいいか。
でもこれだけは断固宣言しておこう。
俺は恋愛マスターではないし、なるつもりもない!
とか何とか言いながら、ゴールデンウィーク明けの五月最初の登校日の放課後には、ちゃっかりしっかり音楽準備室に向かう俺なのであった。
まあまあ期間も空いてるし、忘れたふりをしたり無視する手段もあるというのに、なんというか律儀だよね、俺。
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