加害者「イチノセ サオリ」
まさかこの拓嶺高校に、音楽室が二つもあるとは知らなかった。
ある程度何でもかんでも調べる俺でも、流石に使用禁止や立ち入り禁止の張り紙がある教室に突入したりはしないからな。
表札がブランクになっているその使用禁止教室に入ると、中にはグランドピアノが一台。
五線譜の書いてある黒板のそばには大きな教卓。
「一体、こんなところに連れてきて、どういうことなの? 説明してくれる?」
「すいません、説明よりも実際に見てもらったほうがいいかなって」
本日は始業式の翌日、初っ端から六時限までのフル授業日である。
現在昼休みに入ったばかり。陽太からの情報によれば、一番良くことが起こるのはこのお昼時らしい。
ちなみに、今朝のうちに保健室に立ち寄り、陽太からこの教室の鍵をこっそりと受け取っていた。
「いい加減に教えてもらえるかしら? 私は大切な公演を一つ台無しにしてここに来たのよ? あなた、この意味が分かる?」
「分かります。ですが一つ、お願いです。僕が声を掛けるまで、そこの教卓に隠れてくれませんか?」
俺は連れてきたふんわりギブソンタックの女性にそう言った。
「なんで私がここに屈んでいなきゃいけないのよ!」
「お願いです、僕はこの掃除用具入れに入りますから」
本当はこんな陰湿なやり方は嫌だ。
だけど相手はもっともっと陰湿な奴だ。それこそ、一番響く方法でもとらなければ、解決に導けそうにない。
「いいですか、合図するまで出ないでくださいね?」
「……もう。後でちゃんと訳を話してもらいますからね! ったく、なんで私が……」
憤慨を堪えている女性が教卓に隠れるのを見遣った後、俺はモップとバケツと仲良く掃除用具入れに隠れた。
陽太の情報によれば、よっぽど一ノ瀬は用心深い。
ことを起こすとするなら、きっとこのタイミングで間違いないはずだ。
二分くらい経った。
防音がしっかりしている部屋らしく、この音楽室内は周りの音を受け付けないような無音だった。
掃除用具入れの中は自分の呼吸音だけが響く。扉の上部に細いスリットがあり、一応そこから音楽室を見渡すことができる。まるでホラーゲームの演出みたいだ。
なんてことを考えていると、突然入口の扉が開いた。
入ってきた人物は合計四人。その中には棗もいる。
予想していた事ではあるが、三対一とはなんとまあ卑怯で反吐が出る。
「んじゃ、始めますか? 沙織」
「……そうね」
一ノ瀬の取り巻きの一人と思われるやたらと背の高い女が棗の両肩を後ろから掴み、椅子に座らせているのが見える。
もう少しだけ我慢してくださいね。
「ほら、棗! 早く謝りなさいよ!」
「……ごめんなさい」
「聞こえなーい! もっと大きな声で言え!」
背の小さいセミロングヘアの女が、棗に対しきつい口調で迫っている。
ということは、棗の正面に立って腕を組み、棗を見下ろしているロングヘアの奴が、一ノ瀬で間違いなさそうだ。
「一ノ瀬さん、ごめんね」
「……」
一ノ瀬は手に何かを持っている。
銀色の……あれは、スパナか?
「僕が一ノ瀬さんの、大切な人を……その……」
「……私の努力も知らないで……。ア、アンタなんか……」
俯く棗のそばで、一ノ瀬がスパナを持つ手に力が入っているのが見える。
「そうよ! 全部お前が悪いんだよ! 棗!」
「沙織、ほらやっちゃいなよ! こんな奴同情する必要なんてないって!」
まわりの取り巻き二人が一ノ瀬を囃し立て焚きつけているように見える。
もう、これで十分だろう。これ以上待つと良くない。これ以上棗の痣を増やしたくない――。
「沙織!?」
俺が掃除用具入れから出る前に、俺が連れてきた女性が教卓から飛び出してしまった。
「沙織! あなた何して……」
「え……どうしてママがここに」
一ノ瀬陽子さん、少しフライング気味です……がこれはこれでいいタイミングだな。
俺も固まる一ノ瀬親子をスリット越しに見てから、掃除用具入れを出た。
◆ ◆ ◆
陽太がどのようにして世界的ピアニスト一ノ瀬陽子をこの学校に連れてきたのかは分からない。
というより考えたくない……俺の知らない所で尋常じゃない犠牲や被害が出ていそうで怖い。
というわけで保健室に召喚されていた一ノ瀬沙織の母親、一ノ瀬陽子を連れ出し、娘の実態を見せることにした。
俺が考え得る中で、これほど一ノ瀬沙織にダメージを与えられる手段はないと考えたからである。
俗にいう、『母さんに言いつけてやる!』作戦だ。
どこぞの法典をリスペクトしているわけではないが、小学生的行為には小学生的解決法を、だ。
それにはもちろん理由がある。
これも下僕から聞いた情報だが、どうやら一ノ瀬陽子のピアノ公演があるその日に、棗はこうして隠れ音楽室に連れ込まれ、暴行を受けていたらしい。
安易な結び付けかもしれないが、要するにそれだけ母親にばれる事を嫌っているということだろう。
学校に母親が来ることなど普通はない。
ただそれが、音楽大学への推薦が決まっている生徒の、さらにその生徒の講師も兼ねている人間ならば例外だ。
事実、この隠れ音楽室は一ノ瀬沙織専用の教室らしい。定期的に講師である母親の陽子がこの拓嶺高校に自分の娘の実技指導をしに来ていたらしい。
まあ、全部陽太からの情報だけどな。
俺が飛び出した時、取り巻き (?)と思わしき女二人が俺に噛みついてきたが、「いい。アンタたちはとりあえず教室に戻ってて」と言ったのは加害の主犯、一ノ瀬沙織だった。
座り俯いて動かない棗が居る中、俺と一ノ瀬親子で話し合いを始めた。
顔色がみるみる青白くなっていく母親陽子に俺は事の顛末や状況を説明した。
悔しそうに、恨めしそうに眉間に皺を寄せて唇を噛む一ノ瀬沙織を見ると、少しスカッとするところはあるが……しかしこの場でするのは形式上の話のみだ。
この場の全員が、棗が一ノ瀬に暴行を受けていたという事実を表沙汰にしたいと考えてはいない。
それは被害者である棗も同じだった。
俺としてはこういう卑怯で卑屈な奴には正規の制裁を受けて欲しいものだが、
「お願い。誰にも言わなくていい。僕も悪いから……」
泣きながらこう言った棗の意志を汲んで、この場だけで話を収めるに至ったというわけだった。
陽太から得たある情報を知っているだけに俺は何も言えなかった。棗よ、キミは優しすぎる。
一ノ瀬が棗に暴行していた事実を、誰にも公言しない。
その代わりに、もう二度と棗には手を出さない。
そう約束をさせて、示談となった。
これで親子に亀裂が入ろうが、こっ酷い叱責が一ノ瀬沙織に振りかかろうが知ったことか。
お前はそれだけのことをしたという事を、身を持って痛感して頂きたい。
ただ。
『一ノ瀬沙織はどうやら、母親に凄まじい劣等感を抱いているようです。棗さくら様を暴行するに至った経緯自体は別にありますが、その根源はもしかしたらその劣等感に由来するかもしれません。何故なら――』
――母親のピアノ公演の度にことを起こしているから。
劣等感? 確執?
知るか、そんな事。俺の(数少ない)友人を傷めつけた奴に情状酌量の予知はない。
無いのだが……。
どうやらこのまま終わらせる訳にはいかないらしい。本当、全く面倒な顧問を持ったよね。
アイツの言いたいことは陽太からの情報を繋いでいくと分かってしまった。何が「ィヨッ! 恋愛マスター!」だよ。
ともあれまあ、ここまででもう俺は棗を救ったはずだよな。
だってもう棗が暴行を受けることは無くなった。親まで交えて約束させたのだから。
かといって、これで全て丸く収まるには至らなかった。
まあ、そうですよね。なんとなく分かってはいましたよ?
ぽっと出の俺みたいな根暗チックな野郎にいきなりしたり顔で出てこられていじめを暴かれ、一ノ瀬が「はい納得」ってなる筈がない。
もちろんのこと、棗が危惧した通りのことがこれから起こるのだ。
要するに、矛先が俺に向くのだった。
ああ楽しみだ、とはならないからどうやら俺もマゾヒストではないらしい。
しかしながらそれすら利用してしまう手立ては考えてある。
つまり、俺のターンだ。
俺というか、恋愛マスターのターンだ。けっ。
そう強気で言い切れるのは下僕である陽太のお陰なんだけれども。
後は、そうだな……情報は熱いうちに打つしかないな。
お読みいただき誠にありがとうございます。
もしも、「続きが気になる!」「面白い!」と感じて頂けましたら、
ブックマークや評価を是非お願い致します!
評価は【★★★★★】ボタンをタップしますとできます。
~・~・~・~・~・~
まさかの母さんに言いつけるならぬ見せつける作戦。子供かよ!
しかし、これには理由があるようです。
それにしても今どきスパナって……。
これから冬根君に向く暴行の矛先を、恋愛マスターとしてどういなすのか……は次回!




