専門家「フユネ リョウカ」
寝られるわけがなかった。
こんな状況で、眠りにつけるほうがどうかしている。
……だって、同じ部屋のすぐそばで無防備にめちゃくちゃ可愛い子が寝てるんだよ!?(そっちかよ)
しかもその寝顔ときたら……。(鼻血)
前回棗が俺の家に泊まった時は何とも情けないことに俺が先に気絶してしまったので見ることはできなかったが、今日は遊び疲れたのか、棗は部屋に帰るなり着替えも風呂にも入らずにすぐに寝てしまった。
しかも定期的に寝言で「氷花くん……」だなんていうもんだから、俺は正常でいられる筈がなかった。
新世界への入口を丁重に閉すために大浴場で汗を流し、冷静さを取り戻すために途中の売店で定番のコーヒー牛乳を購入してから部屋に戻ると、棗は何故か俺のベッドで寝ていた。え。
寝相が最強に悪いのか、それともこれは罠なのか……。
元々棗が寝ていたほうのベッドで寝てもいいのだが、起きた時に変な誤解を生んでも困る。
それにしてもいつまで俺はコイツに狼狽せにゃならんのだ……男のコなのに。
ここで「コ」を敢えてカタカナ表記にしたのには深い意味はない。いやあるけど。
というわけで部屋に戻ってから数時間、俺は窓際の小洒落た椅子に腰を下ろして、コーヒー牛乳を片手に物思いに耽っていた。
しかしそれもそろそろ終わる事にしようと思う。
知識のない奴がどれだけ考えてもどうしようもない。
こういう時は専門家に訊くに限る。
俺は静かに立ち上がり、カード型のルームキーを握りしめてから六〇八号室を出た。
そろそろ日付が変わるが、霜平に言われた明日のロビーへの集合時間は朝十時なので、少しくらいの夜更かしなら大丈夫だろう。
きっとアルコールにやられるであろう翌朝の自分を考慮しての時間設定だろうけどもな。ホテルに帰る際の霜平の千鳥足は見ていてMPが減りそうな動きだったし。
俺が向かった先は自動販売機のあるコーナー。
別に飲み物を買い足したかった訳ではない。ここなら通話をしても部屋に響かないと思ったからだ。
◆ ◆ ◆
姉との通話を終えた俺はホテルを出た。
潮風のせいか大浴場に備え付けのシャンプーのせいかは分からない髪の毛のキシキシ具合に気分が悪いが、夜中にもなれば風が適度に温くて心地良いのでプラマイゼロだ。
俺が向かったのは徒歩一分の場所。
つまり浜辺だった。そこには既に約束した人物が居た。
「おっす、凛堂。悪いな、夜中に」
「……問題ない。マスターの指示だから」
先に海を眺めていた助手は、淡い黄色のマキシ丈のワンピースを着こなしていた。
対して俺はジャージの短パンに無地の赤いTシャツ一枚。なんだか申し訳ないね、センスも趣きもなくて。
だがこれでいい。別に逢引の為に呼び出したつもりはない。
「とりあえず、座ろうか」
俺は砂浜に優に二人は座れるであろうレジャーシートを広げた。
勿論姉の私物で姉が勝手に鞄にぶち込んでいた代物だ。花柄なのは俺の趣味では断じてないぞ。
俺が先にその上に体育座りをすると、凛堂も隣に倣った。
いつもの、同じ並び。音楽準備室の時と同じ、俺の右隣りに。
「先生は?」
「大丈夫。寝てる」
「そうか」
近づいては自分に帰っていく海を眺めながら、入り易そうな会話の切れ目を探していたが、それももうやめることにする。
こういうのは単刀直入に訊くしか術はなさそうだ。
訊きたいことがある――そう言って呼び出したのは俺だ。
ならば俺から訊かなければならないだろう。例えそれが繊細で触れにくい事だとしても。
「なあ凛堂、俺達、幼稚園の頃会ってるんだよな」
凛堂はピクリと動いた。無反応と無表情を突き出してはいるが、定位置にいる俺ならその僅かな動きも見逃さない。
「正直に言う。俺は思い出せない。幼稚園の記憶が全くないわけではないんだけど、今の凛堂みたいに、目を閉じている子とあった記憶は無いんだ」
「……そう」
凛堂は安堵のような返事をすると、両方のおさげを両手でクロスする様に握った。
そして音もなく深呼吸をした後に、口を開いた。
「あの時私は、普通の目だったから」
「普通っていうのは……どういう意味だ」
凛堂は無表情のままこちらを向き、目を閉じたまま、
「命令? ……なら話す」
と言った。
知的好奇心か、助けたい症候群か、それとも顧問の言いつけを守る優等生だからか。
どれなのか自分でも分からないが、きっとそのどれでもないのだろうとも思いながら、俺は助手に初めて命令らしい命令をすることにした。
「教えてくれ。幼稚園の事も。凛堂のその目のことも」
「……わかった」
初めての命令がこれで良かったと、俺は心底思った。
初めて凛堂に会ったあの時、もしも突き出した胸部を触っていたとしたら、男として一生を恥じて生きていく事になったかもしれないからな。
……いや、後悔なんてしてませんよ? 本当ですよ? これは悔し涙じゃなくて汗ですよ?
とはいえ、凛堂が口にした第一声からするに、楽しい思い出を振り返るというわけにはいかなそうだった。
「私は、幼稚園の頃、みんなにいじめられていた」
可能なら使うことにならずに済めばいいと思っていた専門的知識も、どうやら使わない訳にはいかなそうだった。
お読みいただき誠にありがとうございます。
もしも、「続きが気になる!」「面白い!」と感じて頂けましたら、
ブックマークや評価を是非お願い致します!
評価は【★★★★★】ボタンをタップしますとできます。
~・~・~・~・~・~
専門家…というのも、冬根君の姉『冬根 涼花』は精神科医なのでした。
四ノ宮を引き込む際に、姉から得た情報、甘いもの摂取によるトリプトファン比率上昇での多幸感を冬根君は利用していましたね。
さて、凛堂の素性等、次回をお楽しみに。
ちょっぴり暗い話だったらすみません!




