実行結果?「ナツメ サクラ」
普通、こういうのって順序があるんじゃないの?
まずは何かしらきっかけがあって知り合って、何かしらで仲良くなって、何かしら遊んだりすることが増えて、いつの間にか恋に……みたいな。
その『何かしら』が皆無だったからこそ恋愛経験ゼロだったのだが、そんな俺にその過程を全てすっ飛ばした恐るべき自体が迫っているのである。
――俺の部屋に、棗さくらが存在している。
相当な信頼や信用がないと、普通は異性の自宅なんかに上がったりしないんじゃないの?
ましてや二人きりだよ? ……厳密に言えば姉がいるけども。
ちなみに両親は本日どちらも宿直で、夜通し不在だ。
というわけで、突然「一緒に居たい」などと言い出したすっきりショートカットで大人しくて可愛い棗さくらが、現在俺の部屋に居るのだ。
なんで? マジでなんで?
ご褒美だというなら、俺は甘んじて受け入れるぞ。
◆ ◆ ◆
そんな訳がなかった。
いや、分かってはいたよ? 美味い話には裏があるって。
結果から言うと、棗さくらに裏があった、というわけではない。
強いて言うなら、表だと錯覚していたのが裏だった、というだけだった。
ドッキリ大成功! のプラカードでも出てきてくれれば、若手芸人のようにのたうち回りながらも俺は笑顔になれていたと思う。
しかし残念なことに、今まで感じたことのない程の絶望感に浸ることになるのだった。
そして俺は、最初の想いに舞い戻る。
――妬ましい、青春を謳歌せし人間どもなど、滅びてしまえ!
前置きはさておき。
何があったかというと、まずは自室での出来事。
ジャージ姿の棗が、両手を玩びながら俺の部屋をくるくる眺めているところから始まる。
「氷花くん、あのね」
「ん?」
「一つ訊いてもいいかな?」
俺は緊張を必死に隠しながらベッドに腰掛けて、聞こえないように深呼吸をしてから「どうぞ」と答えた。
「その、氷花くんって、そ、そういう本とか隠してたりするのかなって」
えっ。
「そういう本……」
無意識に鸚鵡返してしまった俺を誰が責められようか。それでなくても異常なほどの緊張でどうにかなりそうだというのに。
対して棗は、少しだけ紅潮しながら相変わらずの上目遣いを俺に向けて、
「その、え、えっちぃ本、とか」
えええええええええええええ!(落雷)
ちょちょちょっとどういうつもりなんですの? どういうつもりで我がマイルーム部屋についてきたんですの? そういうつもりですの? ここここころの準備ががが。
「ああ、俺そういうの持ってなくてさ」
はい嘘つきましたー。しっかりと持ってますー。
それも、ベッド下とか引き出しの二重底みたいな隠し方ではなく、普通に本棚に入ってますー。
だからお願い、あまりきょろきょろしないでください、棗さん。ひやひやする。
「そっか……どういうところに隠すのか、知りたかったんだけども」
「あははは……」
乾いた笑いを出した後、俺は居間に行き飲み物を持って自室に戻った。
普通のパックで作る麦茶だというのに、棗はそれの入ったグラスをまじまじと見つめてから慎重に飲んでいた。変な薬なんか入れてませんよ。
何とも落ち着かない時間が過ぎ往く中、気づけば外は真っ暗になっていた。
訊けば棗の家は電車で二駅先が最寄駅らしく、あまり帰りが遅くなって家族に心配させるのも気が引けた俺が、「そろそろ帰る時間かな? なんなら駅まで送るよ」などというリア充御用達のセリフを胸の内で準備していた時のことである。
ノックもせずにグイと俺の部屋の扉が開かれ、
「氷ちゃん、私出掛けてくるから! 風呂掃除だけよろしくねー」
姉が中途半端にお洒落な格好で登場し、俺の方を見向きもせずにスマホを弄りながらそれだけ言って、すぐさまスタスタと立ち去っていった。
数秒後、玄関が開かれる音が聴こえ、どうやら外出したようだ。
部屋に居る棗に気付かないで行ってくれたのは助かったが、姉よ、風呂掃除は今日はお前の当番のはずだろ。
「氷花くんのお姉さん? あまり似てないね」
言いながら、ニコッと笑う棗。ケアルラかベホイミに相当する癒し効果だ。
そして非常にまずいことになった。
これで完全に二人きりになってしまった。
名残惜しいが、俺が俺じゃなくなる前に、棗にはご帰宅いただこう。
……まあそれは杞憂というか、そもそも俺はそんな勇気なんか持ち合わせてないですけどね。
「氷花くん、もしよかったらなんだけど、今日泊まっていいかな?」
緊急事態発生。
「泊まるって、どういうこと?」
「え? えーとね、少しでも一緒に居たいから、泊まろうかなって」
「……誰が?」
「僕、だけど」
「……何が?」
「やっぱり迷惑、かな?」
脳内で爆音でアラートが鳴り響いている俺に、アイドル顔負けの上目遣いをしてくる棗。
迷惑なわけあるか! ただ、俺の精神が持つ気がせん。はじめてがいっぱい。
「い、いいけどさ! 俺んち、布団とかなくてさ……」
「氷花くんが嫌じゃないなら、僕は別に一緒のベッドでも構わないよ」
「いや、それは流石に、ちょっとさ」
「嫌、かな?」
神様、ご褒美はもう少し小出しにしてくださいませんか?
あとから払えないような多額の請求がきたり、変な宗教団体に加盟させられたりしないですよね?
「も、もちろんいいけど」
「ほ、本当? ありがとう氷花くん。嬉しい」
さらっとした短めの前髪を揺らして笑顔を向ける棗。可愛すぎる。
俺に訪れた青春は小田和正もビックリの突然具合で、あんなにも妬ましく思っていた色恋沙汰というものは、実は誰にでも平等に訪れるのだと、この時の俺はまだ信じて疑っていなかった。
羽ばたきそうなテンションを必死に押えつけながら、俺は夕食を作った。
居間で二人、パスタを食した後、
「僕、実は部活帰りで汗かいちゃってて……シャワー借りてもいいかな?」
などと言いだした棗に、俺はいよいよ正気じゃいられなくなってきた。
着る物を貸してくれたら嬉しいと言った棗の為に姉の長袖ティーシャツとスウェットを勝手に貸して(後で怒られそう)、脱衣所に消えていくのを見送った後、自室のベッドの上で俺は座禅を組んでいた。
もしかすると俺は試されているのだろうか。
実は凛堂と棗はグルで、俺を嵌めようとしているとか――。
もしくは俺の事を良く思っていない彩乃が仕向けた手先だとか――。
ただ、どちらのセンも薄い気がしてならない。
凛堂が俺を嵌める理由も根拠も全く思いつかないし、彩乃に関しては俺を陥れる行動をとる筈がない。
それはイコールで四ノ宮の理想を砕きかねない行為であるからだ。
では、なんだ? この状況は?
棗は、一体何の為に俺に近づいている? まさか本当に恋愛マスターとしての俺にホの字ってか?
んな、まさか。
「ん、氷花くん、ありがとう、お借りしました」
「――ッ!!」
風呂上がりの棗は凄まじかった。
適度に湿った髪に、紅潮した顔、家着のギャップによる破壊力。
それを見てしまった俺の頭の中のゴチャゴチャしたものは、『そーんなことはもうどうでもいいや!』という大きな文字で全て吹っ飛んでいった。
これは、「馬子にも衣装」の対義語に「棗にも家着」ってのを辞書登録しなければなるまい。広辞苑先輩、検討よろしくです。
その後、俺もシャワーを浴びて、なんやかんやの寝る用意を済ませて、時間は二十二時半。
少し早い気もするが、特にすることもなくなった俺達は寝ることになった。
「ほ、本当にいいのかな?」
「俺は良いけども。さ、さくらが嫌じゃないなら」
なんだよこのやりとり。付き合う寸前の駆け引き中のカップルかよ。
と自分で突っ込んでいては世話もなく、俺は強めに息を吐いてからベッドイン。
俺の枕の隣には、姉の部屋から拝借した猫型の固めのクッションを先ほど置いた。
「じゃ、じゃあ、失礼します……」
既に俺を包んでいる掛布団を控えめに引っ張りながら、棗もベッドイン。
……。
……あったけえぇ。ぬくいよぅ。
胸の高鳴りも最高潮で、並んで仰向けのまま微動だにできていない。
いや、特に微動も激動もするつもりも今のところないんだけど。
あまりの緊張に、饒舌スイッチがONになった俺が口を開く。
「さ、さくらは、何部なの?」
「うん、僕はバドミントン部だよ」
「へえ。意外だね」
「そう? でも、僕あまり上手くはないけどね。えへへ」
……。
「狭くない? 俺のベッド、幅狭いからさ」
「ううん、大丈夫だよ。氷花くんこそ、無理してない?」
「俺は全然大丈夫だけど」
「そっか」
……。
今、俺は棗と一緒のベッドで寝ている。
少し手を動かせば、棗に触れてしまえる。
顔を傾ければ、目の前に棗の顔がある。
さて。俺は青春の入口をくぐった。後は中に続く煌びやかで豪華な階段を上るだけだ。
それは今なのか? それともまだ時期ではないのか?
誰か、教えてくれ! 恋愛のマスターよ、教えてくれ!
「氷花くん、僕の我が儘で、泊めてくれてありがとう」
「いや、お礼だなんて」
俺がお礼を言いたいくらいさ。
でも――
「でもどうして、俺と一緒に居たいの? その理由がよく分からなくてさ」
「うん。実は僕ね、ずっと、氷花くんが気になってたんだ」
「え」
「僕の憧れに最も近い人は、きっと氷花くんなの」
……?
なんだ、この引っかかる言い方は。
「憧れって、別に俺には特に何もないよ」
「ううん、そんなことないよ。だって、氷花くんは恋愛マスターさんなんだから」
瞬間、青春の扉の先の階段に豪華さが消えた。
「恋愛マスター、ね。一応そんなことやってはいるけども……」
「うん。ということはね、氷花くんは男の中の男ってことでしょ?」
「男の中の男……」
「うん。だってね、男らしい人って、やっぱりモテるでしょ?」
そうかもね。じゃ、モテてない俺はやっぱり男らしくはないってことだね。
「モテるってことは、恋愛が上手になっていくでしょ? 経験とかもいっぱい積んで」
そうかもね。じゃ、経験がゼロの俺はやっぱり寂しい人間ってことだね。
「ということは、恋愛を極めた恋愛マスターさんは、男の中の男ってことだよね」
「は、はあ」
瞬間、青春の扉の先の階段が見えなくなった。
「だから、僕は氷花くんとできるだけ一緒に居て、たくさん見つめて、男の中の男の何たるかを学びたいんだ」
「は、はあ……?」
「僕はもっともっと、男らしくなりたい」
「え、なんで? さくらは今のままでいいよ。すごく、その、か、かか可愛いと思うし」
勇気を出して閊えながら言った俺の言葉には、棗の反駁が返ってきた。
「それじゃ駄目なの。僕は、男らしくならなきゃ」
「どうして? 今のままでいいのに」
「どうしてって、だって――」
そして、開いていた青春の扉は根こそぎ外れて、傍で意気揚々と佇む俺を押し潰すのだった。
「だって僕、男の子だし」
「…………は?」
知っているかい?
本当に受け入れがたい程の驚愕があった時、人は混乱や恐怖を通り越して、気を失うんだぜ。
「あれ、氷花くん? 氷花くん? もう寝ちゃったのかな?」
恐らく顔をこちらに向けて問いかけているであろう棗の声だけが、失いかけの朦朧とした俺の意識の中に残っていた。
そして、失う寸前に聖母のような声で「おやすみ」と聞こえた気がする。
そのまま、俺は翌朝まで意識を失っていた。
目が覚めると既に棗はおらず、一枚のメモだけが机の上に置いてあった。
まるで無人島に漂着した遭難者のようにメモを読んだ後、俺はベッドを見つめながら昨日の棗とのやり取りを思い出す。
そして綺麗に納得のいく事が増えていく。
男らしくなりたい、ね――。
やはりである。
こうして俺は、一番最初の想いを思い出すのである。
妬ましい!! 青春を謳歌せし人間どもなど、滅びてしまえ!
決めた。もう知らん。
俺は恋愛マスターという立場を利用して、妬ましき存在どもをこれからも奈落の底へと突き落としてやる! 崩壊じゃ! 破滅じゃ!
四ノ宮が何だ! 知るか! 彩乃の監視がなんだ! 何かするならしてみやがれ!
というわけで、やっぱりというかでしょうねというか、俺に青春などが訪れる訳もなく、俺一人勝手に緊張して、浮かれて、終わってみれば俺一人で恥をかいた出来事であった。
凛堂はもしや、気づいていたのだろうか? だとしたら、嫉妬などではなかったという事か。
――教えろよ! 助手だろ!
……そしてその名前はマジでズルいですって、さくらさん。
お読みいただき誠にありがとうございます。
もしも、「続きが気になる!」「面白い!」と感じて頂けましたら、
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棗さくらちゃんは、棗さくらくんでした。
もうね、「可愛い」に性別は関係ないのだよ、うん。頑張れ、冬根。
というわけである意味青春を味わった冬根君は、反動で初期の頃のスタンスに戻るのでした。
しかし、タイトル通り、他の妬ましい人々を崩壊させることはできないようです。