実行結果「キムラ エリ」
拓嶺高校にある購買は、一風変わった品揃えが多い。
特に変わっているのは横に設置してある自動販売機のラインナップである。
マリモサイダー、ピーナッツコーヒー、ブルーコーラ……。
どれもなんとも言えないものばかりだ。
昼休み現在、なんとなく校舎内をふらついていた俺は、購買に辿り着いた。
そして自動販売機の最下段右端にある『洋梨ココア』を購入する。
俺はそのまま、傍の広いスペースにある丸テーブルを囲むように並べられたプラスチック製の椅子に腰かけてから黄緑色の缶のプルダブをひく。
匂いは……洋梨とココアの匂いだ。
なんとなく、などと誤魔化したが、その実俺は凛堂を探しながら校舎を歩いていた。
昨日、完全下校時刻まで現れなかったアイツが、今日は学校に来ているのかの確認だった。何か嫌な予感がしたからでもある。
昨日の出来事を振り返りながら、俺は缶を傾けて内容物を口に含む。
妨害相手――ポニテ貧乳チビメガネ三年の四ノ宮と、アヤノと呼ばれた長身の女。
昨日凛堂が音楽準備室に現れなかったのも、そいつらにひどい目に遭わされて……。
ってそんなわけないよな、ベタなアニメじゃあるまいし。
とは思いつつも少し心配ではあった。
この心配がどういった類の心配なのか、今の俺にはよく分からないけどな。
結局食事の時間を削ってさ迷い歩いたが、凛堂は見つけられなかった。
今日こそ放課後の音楽準備室に居てくれればいいんだが、と思いながらごくりと洋梨ココアを飲み込んだ。
――まっず!!!!
◆ ◆ ◆
掃除当番をサボろうとしたのを腕まくりの田中に見つかり、「おいサボるなよ恋愛マスター」と言われながら背中を叩かれた。
三年でそのことを知っているのは、初めての相談者の訪問をたまたま二度も仲介した田中と、妨害相手の四ノ宮くらいだろう。というかそれ以上広まらないでほしい。
不登校になりかねないから大きな声でそういうこと言うなよ! という思いを込めて俺は田中の肩を強めに叩こうとしたが、スルリと躱され、勢いで俺はよろけてゴミ箱に上半身から突っ込んでしまった。
主に男子の笑い声が教室内に響く。はは、生ごみが無くてよかったぜ。
掃除を終え、逃げ去るように教室を後にした俺は、真っ直ぐ音楽準備室に向かう。
居てくれよ? 凛堂。報告すべき変わったことがいくつかあるんだ。
そうだな、まず最初にゴミ箱ダイブの話からすることにしようか。
逸る気持ちに突き指気味にノブに手を伸ばし、力いっぱい音楽準備室の扉を開く。
――居た。
いつものように、殆ど開いていない目を手元の本に向ける、三日月ヘアピンの女の子が定位置に座っていた。俺の入室にも、視線は変えなかった。
謎の安堵感と高揚感が綱渡りのようにバランスをとって立ち尽くす俺に、凛堂はこれまたいつものように俺の定位置のパイプ椅子を左手でポンポンと叩いた。
その仕草で魔法が解けたように、俺は足が動きだす。
「おっす、凛堂」
小さく頷く凛堂。
どうして昨日来なかったのかすぐにでも訊きたいところだったが、先ずは落ち着いて読書の姿勢に移ろう。
そして変わったことを報告しないとな。
軋むパイプ椅子の音を聞いてから、鞄のライトノベルを取り出す。
栞を摘まんでページを開き、左手を固定する。
それから凛堂の方を向いた。
「凛堂――」
俺の声掛けに凛堂は顔だけを俺に向ける。
さて、先ずは昨日の相談者の話か? それとも本当にゴミ箱ダイブでも話してやろうか?
「――会いたかった」
思考を全く無視して口からついて出たのは、まさかのセリフだった。
えと、え? え、俺今なんていった?
凛堂は微動だにせず、しかし徐々に頬を赤くしていった。
違う違う、そういうことじゃなくて! 報告すべきことがあったからで……。
耐えられる気概や経験があるはずもなく、俺は目を逸らして読書の姿勢に戻る。
何言ってんだ、俺!
「あー、えーその、昨日はどうしたの? 来なかったけど」
「ごめん、少し急ぎの用事があった」
「そ、そっか。でも良かったよ、俺はてっきりあの妨害してきた二人に何かされたのかなとか思っちゃったよ」
あははぁー、……。
……。
気まずい。沈黙が久々に針の筵だ。
それもこれも俺が口にした恥ずかしめのセリフのせいだけど。
「そ、そうだ! 報告!」
「報告?」
「うん、変わったことあったらって言ってただろ?」
「何かあった?」
凛堂は本をパンと閉じて、今度は身体ごとこちらを向いた。
「おう、なんと、今日俺はゴミ箱に上半身ごとダイブしてしまいました! ははははー!」
「……」
「は、はは……」
「……」
「…………」
俺の乾いた笑いは、凛堂の冷ややかな目線にかき消された。目は開いてないけど。
正面に向き直り読書を再開する凛堂を横目で見てから、俺も無言で読書に戻る。
五分程経過し、さっきとページ数が変わっていない本の栞の模様を見ながら、俺は昨日の事を思い出した。
報告しなきゃだな。
「凛堂、そういえば昨日、相談者が来たぞ」
「えっ」
予想以上の大きな驚嘆声を出した凛堂。
目がいつもより開き、少しだけ青色が覗いている。
「いつもの、恋愛相談。まあ、いつものようにテキトーにアドバイスしてやったんだけど」
「誰!? 名前は!?」
凛堂の叩き付けるような声に俺は驚いた。
目に見えて焦っている凛堂なんて珍しい。
「キムラ……エリだったかな」
「相談内容は? 相手は?」
「どうしたの?」
「いいから! 早く!」
前のめりで俺に顔を近づける凛堂に若干俺は狼狽えてしまいながらも、可能な限り素早く昨日の記憶を掘り起して答える。
「坂見って子に、告白するチャンスが欲しいって。いつも通り俺はテキトーなアドバイスを――」
「どんなアドバイス!?」
「えと、放課後にでもそいつの足を踏んでやれって……」
「そう。…………マスター、私は今日はこれで」
唐突に凛堂は立ち上がり、小走りで音楽準備室から飛び出していった。
呆気にとられて返事もできずにその様を見ていることしかできなかった。
「……なんなんだよ」
独り言をつぶやいてから、俺は先程まで凛堂が座っていた椅子に目を落とす。
お尻の後だろうか、座る部分が少し凹んでいる。
手を伸ばそうとして、自分の変態具合に反吐が出そうになったところで、パイプ椅子の傍に凛堂の鞄が置いてあるのに気付いた。
今日はこれで、と言っていたけど、戻ってくるということだろうか?
それともこの鞄は俺が明日にでも届けたほうがいいのか?
クラスも知らない一年女子の鞄届けなんていう高等コミュニケーション技術を持ち合わせているはずもない俺は、どうするか悩んだ挙句、そのままにしておくことにした。
きっと忘れたと気付いた凛堂が授業の前にここに立ち寄るだろうと思ったからだ。
決して非情などではない。寧ろ下手に手を出したほうが面倒になりそうだ。
そう言い訳をしながら鞄を見つめていると、鞄のチャックの隙間から黄緑色の何かが見えた。
顔を近づけると、見えた文字は『――梨ココア』だった。
うぇ……。
◆ ◆ ◆
結局その日も凛堂が戻ってくることはなく、またしても俺は寂しい時を過ごしてしまった。
こんな日が続くなら、いっそもう来ないほうがいいんじゃないだろうか。
完全下校時刻を知らせるチャイムを最後まで聞いた後に、凛堂の鞄を見遣りながら音楽準備室を後にする。
帰路中、俺はずっと心の中に靄がかかったような状態のままだった。
妨害相手の出現。
相談者のその後。
凛堂の不透明な行動。
助手なら、その辺は隠さず濁さずに詳らかに話して欲しいものだね。
俺だけ目隠し状態で吊り橋でも歩かされているような気分だ。
そんな鬱憤を晴らそうと、帰宅後にソファでごろつきながらアイスを頬張る姉に「んなだらしない格好してっから恋人できねえんだぞ」と厭味を呟くと、ビキリと姉のこめかみに血管が寄るSEが聞こえてきた気がしたので、逃げるように自室に戻った。
女性って怒らせると本当に怖いよね。
ぐちゃぐちゃと頭の中で思考を巡らせている内に、俺はいつの間にか夢の世界にいた。
現実に戻ってきたのは翌日の早朝だった。どんな夢かはよく覚えていないが、きっと悪夢だったに違いない。
季節外れの寝汗でグッチョリだったからである。まあ、五月も半ば、そろそろ暑くなってくるころではあるんだけどね。
居間に行くとソファの下で肌着にパンツで蹲るようにして寝ている姉を発見した。
テーブルの上の空いたビール缶数本から察するに、ソファの上で寝落ちをして、そのまま床に落下したのだろう。
そんな姉も、黙って寝ている表情は素直な女性の顔である。
眠っていて、喋らず動かずいればそれなりに綺麗寄りの顔だし悪くはない。いっそずっと寝ていてくれ。
取り急ぎ近くのブランケットをかけてやった後、支度をしながら昨日の凛堂の焦りっぷりを思い出す。
二日前は放課後はずっと不在で、昨日は途中退室、マスターに隠れて何をしているのだね、助手君。
登校してからも、授業には全く身が入らなかった。
そして定期的に昨日の自分の無意識の発言を思い出す。
――会いたかった。
うぐぐ、マジで何言ってるんだよ俺。恥ずかしい奴だ、四ノ宮の事をバカにできない。
っと、そうだ、四ノ宮だ。
俺をペテン師呼ばわりしてきたあの妨害相手。同学年のようだが一体どこのクラスのやつだろうか。
昼休み、俺は急ぎ食事を済ませた後にふらふらと廊下を歩いて三年の各教室を覗いて回った。
しかしながら四ノ宮の姿は発見できなかった。
どこかに行ったのだろうかと雑に考えていると不意に背後から「冬根先輩」と声がかかった。
振り返ると、そこには一昨日の相談者の三つ編み一年生が立っていた。確か、キムラ エリだったっけ。
「あの、ありがとうございました!」
花が咲き乱れている笑顔からするに、そういうことですか?
「おかげで、わたし坂見君と付き合うことになりました。嬉しいです」
そういうことなんですね。
だからマジでどうしてそんな上手くいくの?
俺本気でテキトーに、というか寧ろ嫌われそうなことをアドバイスとしてやらせているのに。
「お礼に、私の周りのみんなに先輩の有能さを説いておきます! それでは、本当にありがとうございました!」
素敵な笑顔を向けてくれるのは純粋に嬉しいけど、決して俺に対する好意ではないってのが辛いね。
辛いってか、妬ましいね。あーあ、この学校の男子、俺一人にならないかな。
◆ ◆ ◆
というわけで誠に遺憾ながら今回も無事に恋愛マスターとしての実力が遺憾なく発揮されてしまったことが分かったところで、今日も今日とて放課後に音楽準備室に向かった。
なーにが恋愛マスターだよ。じゃあせめて俺にも恋愛の一つや二つさせてくれよ。
相手は、そうだな……凛堂とかどうだろうか。
……いや、ずっと目を閉じている子ってのはちょっとどうなのよ。
などと己自身と会話をしながら音楽準備室の前に着いたが、ドアの前を塞ぐように見た顔が立っていた。
背の高い、妨害相手四ノ宮の助手 (?)的存在――アヤノと呼ばれる女子だ。
アヤノは俺を見つけるなり、大きな欠伸をした。
「えっと、入りたいんだけど、どいてくれるかな」
「冬根さん、今回はあなた方の思惑通りになりましたが、次は覚えておいてください」
アヤノは背中側で両手を組み、欠伸で出たであろう涙を溜めた目をしっかと俺に向けてきた。
「覚えておいてって、何を?」
「次に勝つのは、お姉さまです」
「勝つって……別に勝負とかじゃないだろう」
「お姉さまは必ず貴方の悪行を止めてみせるはずです」
悪行ってかい。
まあ、純粋な相談者達に崩壊狙いで助言をしている手前、あながち間違ってはいないけども。
「それは、そうだな、頑張ってね」
「あら、余裕をみせているんですか? 冬根さん、性格がよろしくないんですね」
「いやいや、俺は頑張る人は応援する派だから」
そうそう、四ノ宮やキミに頑張ってもらって、早く恋愛マスターから解放されたいし。
「強気なのも今のうちです。お姉さまを甘く見ないでほしいです。それでは」
アヤノは再び大きな欠伸をしてから、ひょうひょうとした歩みで去っていった。
後姿を見つめながら、凛堂がコイツの事を危険人物扱いしていた事を思い出す。
それほど、優秀な奴ってことなのだろうか? ……まあなんでもいいか。
後頭部をカリカリと掻いてから音楽準備室に入ると、そこには凛堂ともう一人、見た事のない男が居た。
入室した俺と目が合い、背が高めのその男は愛想笑いを浮かべたので、なんとなく俺も愛想笑いを返してみた。誰だ?
格好からして生徒ではない。白シャツの上に紺のカーディガン、グレーのパンツ姿で、見た目も顔も二十代半ばといった感じか。
「それではルナ、僕はこれで」
「名前で呼ばないでって言ったでしょ」
「いやー、でも苗字はその……僕も……」
「いいから。とりあえずまた連絡する。帰って」
「わ、わかりました……それではまた、凛堂さん」
気の弱そうな男は、凛堂の圧に完全に押され、意気消沈といった感じで踵を返す。
入口付近の俺に、苦笑いのまま小さく会釈をして音楽準備室を出て行った。
マジで誰だ。
まさか、凛堂の、男、とか?
「お、おっす凛堂」
ワンテンポ遅れて声を掛けるが、凛堂は何事も無かったかのように相変わらず無反応で読書をしていた。
微妙に気まずい空気のまま俺も定位置のパイプ椅子につき、読書を始める姿勢になった。
そのまま本を見つめながら、俺は右の凛堂に声を掛ける。
「さっきの男の人、誰? 生徒じゃなさそうだったけど」
保護者とか? 凛堂の父親……にしては若すぎる。
「ヨウタ」
「ようた?」
「そう。太陽の陽に太いで陽太」
「陽太」
名前呼びするほどの関係、ただ者じゃなさそうだ。
どうしてか先程から眉毛が自然に寄ろうとしてくる。
「どういう関係?」
「……」
だんまりだった。
言えない関係? 言わない関係?
ますます怪しさ満点で気になる。
ここはマスターの権限で追及を――
「待ってて」
――しようとしたが、その前に凛堂はスッとスマホを取り出した。
そのまま何度か画面をタップし、通話の体勢になった。
「……陽太。戻ってきて。今すぐ。三十秒以内」
凛堂はそれだけ言うと一方的に通話を切り、
「マスターの為にも紹介する。好きに扱き使って」
いつものポーカーフェイスでそう言い放った。
「扱き使ってって……」
まさか使用人的な? もしかして凛堂ってすごく金持ちの家の子?
という問いを目線に込めて凛堂を見つめていると、
「お、お待たせッ」
ガチャリと勢いよく入口の扉が開き、先程の男が息を切らして戻ってきた。
本当に三十秒以内で来たぞ……。
しばらく膝に手をついて肩で呼吸をした後、陽太と呼ばれた男はまたしても愛想笑いを浮かべて、
「なんでしょう」
と凛堂に向けて言った。
俺も改めて凛堂の方を向いた。
「マスター、この人は陽太、この高校の教師で私の下僕」
「ゲボ……ッ!?」
「好きにつかって。私の下僕は、マスターのそれでもある。陽太は便利」
成人男性、ましてや教師に向かってなんてことを言うんだと思ったが、陽太と呼ばれた男は頬に汗を垂らしながら俺の方を向き、
「何なりとお申し付けください、マスター」
そう言いながら跪いた。
意味不明な状況に俺はゾッと寒気がして、口を開ける事しかできなかった。
……もしかして凛堂って教師を手玉に取るような相当の悪女?
それとも何かの茶番? 遅れてきたエイプリルフール?
「陽太に用がある時は電話して。これ、番号」
凛堂はそう言いながらブランクの単語帳を一枚千切り取り、素早く十一桁の数字を書いて俺に寄こした。
番号を覚えているほどの仲……やっぱり男?
「陽太は下僕だけど優秀で便利。マスターの好きに使って」
それだけ言うと凛堂は読書に戻った。
陽太と呼ばれた男に目線を戻したが、まだ跪いたままだった。
いやマジでどういう状況だよこれ。
そんな訳で、俺に下僕ができた。は?
助手の次は下僕。なんだこれ。
謎すぎる展開に、俺は相談者キムラ エリの成功報告があったことや、入口でアヤノと呼ばれる妨害相手の一人に出くわしたことなどを凛堂に伝えるのもすっかり忘れてしまい、それを思い出したのは帰宅してからだった。
自室で着替え、制服をハンガーにかけた後、ポケットに入っている十一桁記載の紙を取り出す。
「好きに使ってって言われてもなぁ」
機械で印字したように正確な形の数字を見つめながら、とりあえずスマホの連絡帳に登録だけはしておくことにした。
登録名は『陽太』だ。字面だけなら友達っぽいな。
さして使うことにはならないだろうと思ったが、この日からそう日も経たずに俺はこの番号にかけることになるのだった。
そして凛堂の言っていた『優秀』の意味を如実に知る事になる。
凛堂と陽太教諭はどういう関係なんだろう、といった疑問もその時に判明することになった。
お読みいただき誠にありがとうございます。
もしも、「続きが気になる!」「面白い!」と感じて頂けましたら、
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またしても恋愛マスターとして成功する冬根君。
更に、どういうわけか謎の男「陽太」という下僕を得ました。どういうこと?
次回、誰なのか、どういう関係なのか、どうして下僕なのかと、さらに凛堂ちゃんとちょっぴりドキッとすることが起こります。