7. 幼馴染と従兄の間(sideエリアス)
「セシリア、皇宮での暮らしはどうだい?」
居所を探して顔を出すと、従妹の前には紅茶が運ばれていた。
セシリアの好きなレディ・グレイ。
セシリアの好きなガトーショコラ。
レオンの采配だろうが、恐らくこのド天然の従妹殿は気づいていない。
「エリアス……」
セシリアは目の前の茶器や菓子に手をつけることなく、両手を膝に置いて項垂れた。
「心苦しくて、できれば今すぐにでも来てもいいと仰ってくださった伯父様に甘えたい。でも婚約を破棄する以上、伯父様にお頼りするのも申し訳なくて……」
「どうしてそんなふうに思うんだい?」
「結婚するまでの一時預かるのと、結婚できる見込みがない娘を、期限が分からないまま預かるのとでは話が違うでしょう?」
「僕の代になろうと、君一人増えて困るほど、うちは貧しくはないよ? 僕一代で頑張っても、放蕩で持ち崩すには三代はかかる」
レオンの前では「私」だが、セシリアの前では親しみの持てる従兄モードの「僕」に切りかえている。
「あなたはそんなことしないでしょう?」
「そう、だから僕や君が死ぬまでの間くらいは、セントクレアは余裕で安泰だってことを言いたくてね」
僕は肩をすくめた。
「ーーでもまあ、うちに来ると母がいるから。母の顔を見るたびに、君が叔母上のことを思い出して悲しい思いをするくらいなら、皇宮に置くという殿下の配慮は正しかったと思うよ」
幼馴染として持ち上げることを忘れない。
「勿論、君が本気で嫌なら、家に連れて帰るようお願いするけれど……セシリアーー今の君にこんなことを聞くのは心苦しいけれど、婚約破棄ともなると君と殿下だけの問題ではなく、家にも関わってくる問題にもなるから教えてほしい。勿論僕は君の味方だ。君の意にそぐわないことにはならないよう努力するために知っておきたいんだ。教えてくれるね?」
セシリアはコクンと頷いた。真面目で義務感の強いセシリアは、こういう言い方をすれば抵抗できない。
時々嫌になるが、どう相手の真意を掴み話しやすく導くか、どうイエスと言わせるか、父から受け継いだ嗜みだ。
「どうして殿下と婚約を破棄したいと思ったのかな? 理由が分かれば、破談に向けて力になれることもあると思うんだ。ことによっては父の力を借りることもーーもう顔も見たくないくらい、殿下のことが嫌いになった?」
「いいえ」
セシリアは力なく首を横に振った。「殿下のことは嫌いじゃないわ」
「見るのも触るのも嫌い、というわけじゃないんだね」
セシリアは頷いた。幼馴染のために、僕は心のなかで快哉を叫んだ。
「嫌いになれたらよかったのに……優しくしてくださるから混乱するの」
風向きが怪しくなってきた。
僕の脳裏に疑問符が浮かぶ。
「だって、殿下は私のことなんて好きじゃないのに」
ーー何がどうしてこうなった!!??
確かにセシリアは生まれ育った環境から自己肯定感は低いし、父親があんな男で早くから皇太子妃として世間から隔離されてきたため、親しい友人はいない。人との関係性を築くのが苦手で、思い込みは激しい方だ。
だからといって、どこをどうやったらこんな誤解が生まれるんだ。
公爵家譲りの権謀術数が及ばない領域に踏み込んでいるのを感じ、僕の背筋に冷や汗が伝った。
いやいやいや、殿下、あなたの恋心微塵も伝わってないですよ!!!
ここで事実でもそんなことはありえない、と否定すればセシリアは心を閉ざしてしまうだろう。とりあえず僕は話に乗ってみることにした。
「殿下が心変わりしたから、君は身を引こうとしているのかい?」
「心変わりなんてしていないわーーだって殿下は最初から私のことなんてお好きじゃないもの。だから……私よりもっとふさわしい方がいるから……」
セシリアは涙を浮かべていた。
これは今まで内に秘めて言わないでくれてよかったし、本人がここにいなくてよかった、と僕は天を仰いだ。
溺愛する婚約者からこんな言葉を聞かされて目の前で泣かれてみろ。
レオンでなくても、しばらく再起不能になる。
「でも、貴族の結婚は感情だけでは決められないだろう。仮に殿下に他に好きな女性がいたからといって、君が身を引くことはないんじゃないかな?」
「だから私では、殿下の婚約者にふさわしくないのよ。私……殿下にお父様と同じことをされるのは嫌なの。それが受け入れられないなら資格がないのよ」
いいぞ、まったく脈なしとも言い切れない。
「それに私……お母様のために殿下を利用していたの。私が未来の皇太子妃で有る限り、お母様はないがしろにされないって。でももうお母様もいないのに……周りに嫌味を言われながらも、ふさわしい婚約者であろうと努力してきたけれど、お母様がいたから耐えられた……でも、もう辛いだけなの。私は、愛されてもいないのに婚約者でいるのは辛い。それに、他に好きな方がいらっしゃるのに、私の個人的な事情のために利用してきた殿下にも申し訳なくて……殿下には好きな方と一緒になっていただきたいの……」
うん、別にレオンもそれ、知ってる。
けれど、どうしよう……。
その後セシリアが語った、叔母上の葬儀の際の話を聞いて、僕は張り付いた笑顔を浮かべたままフリーズした。
「君の意に沿わないことはしないと約束する。ただこれはーーレオン殿下の幼馴染兼側近としてお願いなんだけれど、今殿下はものすごーく大変な時期で忙しくてね。あまり事を荒立てたりせず、少しだけ優しくしてあげることはできるかな? つまり婚約破棄の兼をあまり口外せず、今まで通りの態度をとってほしいという意味なんだけれど」
「……エリアスも、これは私の我儘で我慢すべきだと思っているの?」
心細そうに見上げるセシリアの目は潤んでいた。
「そうじゃない。セシリアの希望を助けるし、決して嫌がることようなことはさせたりしないと誓うよ。ただ今は時期が悪いし、不要な波風を立てて殿下のご機嫌を損ねるより、円満・円滑に話を持っていく方がまとまる話もあるだろう? 機嫌がいい時の方が聞き入れてくれやすいこともあるだろうし。だからーー」
「今まで通り……」
「そう、あえて優しくしてとは言わないけれど、不用意に刺激したり、婚約破棄を言い立てたりしないで、心安らかにすごさせてあげてくれないかな? 勿論可能な限りでいいんだけれどーー。機嫌を損ねたり、強引に婚約破棄を進めたたら、いくらセントクレアも無傷では済まないという事を理解してほしい」
「そう……そうよね……私ばかりごめんなさい」