6.皇太子殿下のご乱心(side レオン)
「へっ、ザマァ」
私の話を聞いた忠実なる側近・エリアスの第一声はそれだった。
父親が宰相で幼馴染だからと言って、不敬罪で処罰してやろうかという思いが私の頭をよぎる。
「言いましたよね。私の従妹殿は父親に虐げられて育ち、ほぼ誰にも褒められずに育てられたためーーまして未来の皇太子妃になんか選ばれたために、外でもクサしたり厳しい目を向ける人間はいても褒める人間は皆無のためーー恐ろしーーーく自己肯定感が低いって」
「それは知っている……」
「権力も財産もあって頼れる伯父夫婦だって、賢明なる従兄ーーつまり俺ーーだっているけれど、その遠慮深さから一線を置いていて、母親だけが心の支えって言いましたよね?」
「ああ……」
「じゃあなんであなたは、その一番大事な時に下手こいて、婚約破棄を言い渡されるような事態に陥っているんですか? そういうのを『知っている』とは言わないんです!!」
「それについては自己嫌悪中なんだ……」
「地の底まで沈んで反省してください」
「仮にも皇太子に、当たりが強くないか?」
「不甲斐ない皇太子の側近である前に、私はセシリアの従兄です」
不敬罪だぞ、と言う言葉を私はのみ込んだ。
「これに関しては両親の許可を得ています。いいですか、貴方は生まれながらの皇族でチヤホヤされてきたし、私じゃなくても助けになる人間はたくさんいるでしょう。しかしセシリアは違います。あの娘をかばってやれるのはこの世に、私と両親しかいないのです。いざとなれば、セントクレアは皇家に優先して、セシリアを守ると決めています」
エリアスは冷たく言い放った。
「だから貴方に婚約破棄をされた後、行き場と自分の存在意義がないと思い込んでいるのだとしたら、養女ではなく未来のセントクレア公爵夫人とすることもやぶさかではありません」
「お前はーーそんな目でセシリアを見ていたのか!?」
「万が一捨てられた時の仮定ですよ。別に捨てるつもりはないんでしょう?」
「そんなことになるなら、未来の公爵夫人になる前にセントクレアを潰してやる!」
「本末転倒な上、公私混同甚だしいな……」
「婚約破棄はしていないし、私は望んでいない! むしろ捨てられたのは私の方だ!!」
「セシリアはそう思ってないようですけどね」
エリアスは辛辣に言った。「まあまあしかし、叔父上の愚かさのに便乗して、ちゃっかり同居をー。うちでもよかったでしょうにねー」
「目の届く範囲でないと今のセシリアは何をするかわからないからな。婚約を解消するために『では皇太子妃にふさわしくない振る舞いをすればーー?』などと言い出したんだぞ!? お前のような狼がいる場所に置けるか!」
「落ち着いてください、多分既成事実を作ろうなんてところまでは、あいつは絶対考えてません。第一、私のことを男として見ていませんよ。全然進展がなかったのに、便乗してお姫様抱っこをするような人に言われる筋合いはありません」
「……うっ……!!」
私は胸を押さえた。「エリアス……人の弱みを抉るのは、楽しいか……?」
「ええ、大いに楽しいですね。焦って取り戻すのに、手近に置いたはいいですが、策はおありで?」
「……ない」
「……ヘタレ王子」
今のは聞かなかったことにしよう。
「だが、近くにいれば私の魅力に気づくと思う」
「いや、今までのそれでダメだったんだから、通じないんじゃないですか?」
エリアスの冷静さが、ほとほと嫌になる時がある。「まあ、セシリアが来てこんなに真面目になるなら、もっと早くに皇宮に運び込んでおくんだった、とうちの親父殿が申しておりましたよ」
「……なんだその言い草は。セシリアは物ではない」
私は眉を顰めた。
「悶々として眠れないからって、早朝から起きて、一緒の朝食時間を確保した上、少しでも早く切り上げるために未だかつてない集中を見せている涙ぐましい努力なんて、誰が知りましょう」
エリアスは涙を拭うふりをした。「そんなことセシリアは知るはずもないんですから、単に暇な人と思われる可能性もなきにしもあらずだと言うのに」
「……え……?」
「きちんと食事を摂っているか、見張ることを口実に一緒に食事を摂ろうだなんて、役得だとか思ったんでしょうけれど。甘いんですよ。まぁ、セシリアくらいの世間知らずだったら通用するかもしれませんがね」
続けざまにエリアスは爆弾を投下した。
「だいたい、皇太子妃であり続けることが目標だっただけで、そもそも殿下自身にそれほど興味はないんじゃないですか?」
「……そんなことは……ない……。私のことは好きだと言っていた」
「本当に?」
疑わしげにエリアスは片方の眉を上げた。「皇太子妃になるために好きだと思い込んでいるとか、親戚レベルの好きじゃなくてですか? ちなみに私も親父殿もセシリアの『好き』カテゴリに入ってますからね」
「お前は本当に私の幼馴染みか? 容赦無くえぐりすぎじゃないか!?」
私は頭を抱えた。「その可能性は考えたさ。大いにある。だってセシリアに私のどこが好きか聞いたのに、返ってきた答えが顔だよ顔!? 生まれ持ったもので、中身も何も関係ないじゃないか! いや、でもセシリアは私の顔が好きなんだそうだ。母上ありがとう!!」
「……だいぶ混乱してますね……」
「その後すぐ、嫌いと言われたからな! そちらの方が真実味がこもっていた……」
「……あなた何したんですか?」
「だから、私の方が知りたい!! 急に嘘つき呼ばわりされてなじられる理由が分からない!!」
「無理やりキスでも迫ったんですか?」
「そんなことは無理に迫る必要がない。セシリアが世間を知らないのをいいことに、キスとハグまでは婚約者の間では当り前なのだと言い聞かせてある」
馬車でも本来未婚の男女は向かい合って座るのが適切とされているが、隣に座るのが当たり前という嘘を、セシリアは何も疑っていない。矛盾することを教え込まないように教育係には手を回しているが、そもそも結婚後の生活の振る舞い方を教えるのであって、婚約期間の振る舞い方は妃教育の範囲外ということもあって誤魔化せている。
「嘘……ついてますよね?」
「ついて……いる……な」
「そういうところなんじゃないですかー? ついに溺愛が過ぎる変態だとバレたとか」
私の視線を受けて、エリアスは言い直した。
「…もう殿下の言い分に騙されていたことに気が付いたんじゃないですかね?」
「その点については、まだ気づかれていないはずだ。まだ抵抗されたことがない」
「無知をいいことにそんな嘘をつくような人間、信じられなくなって当然じゃないですか? まぁ、あなたのいいところはそれだけ好きで、婚約者の隙をついて乗じようとしても、キスどまりのヘタレというところですが」
「十中八九そうだとしても、そんなことで婚約破棄を言い出すか!?」
「あなたの婚約者の座なんて、特に理由がなくても十分重たいと思いますけど。むしろ打たれ弱いセシリアが、今までよく持ったと思いますよ」
私は頭を抱えた。その点については、私の自覚しうる限り最大の欠点だと認識している。
相手が皇太子なんて、重たいに決まっている。特にセシリアのような控えめな女の子にとっては。
「エリアス……命令だ。理由を聞き出してこい。私が聞いても泣き出すだけで、埒が明かない」
「公私混同ですか?」
「セシリアに嫌いと言われた以上、もう何もする気がしない。執務に差し障りが出るぞ。聞き出してくれるまで、私は呆けた無能だからな」
「さっきまでやってたでしょう。やらないとは言っていないし、普通の命令で十分なので、甘えながら脅すのをやめてください」
「後できたら、私のいいところを売り込んでほしい」
「偉い偉い。口ではそうやって甘えたことを言っていても、きちんと仕事とは分離して全うしているところを褒めてあげますよ」
エリアスは立ち去りかけて、ふと思い出したかのように振り返って言った。
「あのですね……皇太子殿下。もしかしてセシリアの前で格好つけすぎたのが仇になったんじゃないですか? そもそもセシリアは、中身を知るだの、好きになるも何も、猫を被った状態の殿下しか知らないわけで……」
「わかった。お互いをもっとよく知る機会を増やして、好きにさせればいいんだな」
「……あなた方は、いざという時の、そういう針の振り切れ具合がお似合いですよ……」
エリアスはため息をついて言った。
「ふと思ったんですが、婚約破棄はセシリアにとって、初めての甘えた脅しかもしれないですね」
エリアスは独り言のように呟いた。「あの子は、ほとんど人に甘えたことがない」
「そんなーーいくらでも私が甘やかすのに!!」
「自力で、婚約者を取り戻してから言ってください」
エリアスは手をヒラヒラとさせて出て行った。
誤字報告ありがとうございました