4.皇宮に連れ去られました
馬車が止まり、私は気を落ち着かせようと努力しました。
「殿下、御前で取り乱してしまい、申し訳ございません……」
そっと体を離そうと、殿下との体の間にあるの腕に力を込めましたが、ビクともしません。
「取り乱した範囲が婚約破棄を言い出したことも含まれるなら許す」
ニコリともせず殿下は言いました。
「いえ、それは……」
私は力なくうなだれて首を横に振りました。
「ーー殿下? もう降りなくては……このままでは降りられません」
「レオンと呼んだら放してやる」
耳元で囁かれました。レオン殿下はとてもいい声なので心臓に悪いです。
どうやら、婚約破棄を言い出し名前を呼ばなくなった私への意趣返しだったようです。
名前も呼べずに固まっていた私は、あることに気づきました。
「私ーーこんな顔で、皇宮には入れません……」
「別に、泣きはらしていてもセシリアは美しいが。母親を亡くしたばかりの娘が泣いていたからといって、誰が批判する? だが人に見られるのが嫌なら、そのまま顔を埋めていろ」
慰めるための甘言なのでしょうが、どこまで本気か分かりません。
しかし殿下はそう言うなり、私の体を横抱きにしたのです。
いわゆるお姫様抱っこというやつです。
私の体を抱えたまま、殿下は馬車を降り、歩みを進められました。
「殿下……!!」
こちらの方が人に見られて恥ずかしいのでは。
私は硬直しました。羞恥で、胸に顔を埋め固く目をつむったまま、顔は上げられません。
「……重たくありませんか?」
私は小さく囁きました。
「別に。そう思うのであれば、君は男の力を過小評価しすぎだ。無防備に、敵うとか対抗できると思わないように」
「はい……」
誰に見られたか分からないまま、しばらく羞恥に耐えました。
しばらくして、そっと柔らかいベッドの上に降ろされました。
私の荷物も、後から運び込まれました。
その間も殿下はベッドサイドに腰掛けたまま、どこかへ行く素振りを見せられません。
「殿下……ここは?」
半身を起こすと、そこは調度品が整えられた狭すぎず広すぎもしない部屋でした。
私の部屋の何倍も立派です。
「賓客などを迎える客室だ。しばらくここを使うといい。不満なら、私の部屋に連れて行くが?」
「ここがどこなのか知りたかっただけで、不満はありません! 十分です!!」
私は急いで答えました。
「大変な一日だったな」
殿下は再び、私の頰に手を伸ばして言いました。
「殿下ーー」
大事な話が終わっていない、と紡ぎかけた私の唇を、レオン殿下の人差し指が塞ぐように静止しました。
「その話はまたにしよう。今日はもう休みなさい。すぐに湯などの手配をさせるから」
「ですがーー」
「おやすみセシリア」
レオン殿下は、言うなり唇にキスをしてきました。
婚約者として何度も経験はあります。
ですが破棄をお願いしたのに、殿下はどういうおつもりでキスをされるのでしょう?
「……殿……下……?」
それは深く激しいもので、抗議しようにも、今まで自分の口から出たことのない吐息が漏れました。
そのままベッドに押し倒され、目を見開くと至近距離で心臓に悪い顔がありました。
「いい加減にレオンと呼ばないと、これ以上のことをするよ」
「ーー卑怯です!!」
「突然、理由も告げずに婚約破棄を言い渡すのとどっちが卑怯だろうね?」
私は言葉に詰まりました。
「ーーセシリア、私のことが嫌いになった?」
「いいえ」
私は即答しました。弱々しく繰り返します。嫌いになれたらどんなによかったでしょう。「いいえ……」
「では好きなんだね?」
「意地悪をする殿下は嫌いです」
腕の下で、私は顔を背けました。
「嫌いじゃないなら、私の好きなところを言ってみて」
美しいお顔が至近距離にあって、とてもとても心臓に悪いです。
「ーーお、お顔です!」
咄嗟には思いつかなくて、私は目前にあったものを答えました。
「顔……」
期待していた答えと何か違うのか、レオン殿下は不本意そうに繰り返しておられました。
ですが、他に大事な女性ができたのは殿下のはずなのです。
今更どうしてこんなことを聞かれるのでしょう。
「正直言ってね、セシリア。私は君にも君の父親にもまだ怒っているーー冷静に君の話を聞くどころか、もっとお仕置きしたいくらいだ」
ということは、どうやら先ほどの言葉は、恥ずかしいことを言わせる罰だったのでしょうか。
「そんな……でしたらどうかーー」
呆れ果てて怒っていらっしゃるなら、どうして私の申し出を受け入れてくださらないのでしょう。
「婚約破棄はしない」
しかし私の考えを見透かしたように、バッサリとレオン殿下は仰いました。
どうしてこんなに優しくして、思わせぶりで、酷いことを言うのでしょう。
他に好きな女性ができたのに、どうして手放してくださらず、私の苦しみを長引かせるのでしょうか。
思い出すとまた悲しくなってきました。
寂しくて心細くて、こうして近くにいていただきたいときに、殿下は他の女性と一緒にいらっしゃったのです。
私の願いよりも優先したい女性ができたのに……。
そこまで考えて、私はある考えに思い至りました。
私は、べサニー嬢がどこのご令嬢か分かりません。それほど交友関係はありませんが、私が知らない以上、それほど高位帰属ではないのでしょう。
愛人の身分が低すぎて家に入れることはできないから、形ばかりの妻を確保しておきたいのではないかーー。
私のお父様がそうだったように。
父の暴力からは庇ってくれましたが、結局殿下も父と同じことをしようとしているのではないか。
私の背筋に冷たいものが走りました。
「離してください! 殿下なんて嫌いです! 大嫌い!!」
強く胸を押し返すと、殿下は呆然として半身を離されました。
どうしてか分かりませんが、部屋を出て行くその背中はとても傷ついているかのように見えました。
それ以上に傷ついているのは、私の心なのに。
そのまま枕に顔を埋めると、私はまた涙にくれたのです。