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1.セシリアは婚約破棄したい

「レオン殿下、どうか婚約を破棄していただきたいのです」


 私は意を決して、その言葉をレオン殿下に告げました。


 殿下は、驚きの表情を浮かべてらっしゃいました。ただし、皇族としてあるべきとされる抑制された感情表現の範囲内で。なぜ驚くのだろう、と私は訝しみました。


 私はドレイク侯爵家の娘、セシリア。

 優しかったお母様の葬儀を終えたばかりで、私もレオン殿下も喪服でした。


 不謹慎ですが、麗しの皇太子殿下は一時悲しみを忘れさせ麻痺させるほど、整った容姿をしています。

 豪奢な黄金色の髪とサファイア色の目。

 私の重たい黒の髪とくすんだ緑の目では所詮、釣り合いの取れない方だったのです。


 棺の埋葬を終えても、居間にはたくさんの弔問客が詰めかけていました。

 遠い親族、近い親族、母の友人から知らない方まで。


 私がご挨拶すべき方もいらっしゃいましたが、皇太子殿下は特別なお客様です。殿下がいらっしゃる以上、殿下を優先しなくてはならないことは、お客様も分かってくださるでしょう。第一の客間にお通しし、人払いされたこの部屋だけが、もしかしたら屋敷の中で一番静かだったかもしれません。


 未婚の男女を部屋に二人きりにして大丈夫か?

 この家では私がどうなろうと、気にかける者はいません。

 メイドたちは、母の存命中から家に入れられた父の愛人・クレシダ夫人の言いなりだったからです。


 我が家の特殊な事情には気づいていたかもしれませんが、それでも殿下は紳士でした。ですから4年の婚約期間中、ハグとキス以上のことは起こらなかったのです。恐らく、男性同士の友人でもされる程度の間柄です。

 それも無関心ゆえだったのです。


 もう、私の唯一の味方は、この館の中にはいないのです。

 そのことを思い出し、また熱いものが目頭にこみ上げてくるのを感じました。


 俯くいたままでは涙がこぼれてしまいそうで、私は顔を上げました。何か言ってくれないか、とレオン殿下の表情を伺うと、硬い表情を浮かべてらっしゃいます。


 これは私の予想に反するものでした。

 自分が言わなければ、殿下の口から告げられるはずのセリフだったからです。諸手を上げて同意いただけるものと信じていました。


 もしかして、おとなしいだけと思っていた婚約者の反逆が意外で、機嫌を損ねられたのでしょうか?


 私もまた貴族の娘として、また未来の皇太子妃として、感情を表に出してはいけないと教わってきました。それは手の内を悟られ、乗ぜられることがあってはならないという意味だと。


 だから感情が赴くままに、人前で泣いたりわめいたりすることは許されない、と。


 しかし今日だけは、人目もかまわず私は泣き濡れていました。

 みっともない、とお父様に散々なじられながら。

 しかし、この思いを利用する人などいるはずがありません。私自身は何の価値もない小娘で、今日の日以上に悲しいことなど、ないのですから。


 そもそも、ベールの下で涙を流し続けていても、私の感情になど興味のある人間などいるはずがないのです。

 

 沈黙が重く、私は膝に置いたハンカチを握りしめていました。今日一日拭い続けた涙で、冷たく濡れていました。


 お父様とお母様は政略結婚で、仲のいい夫婦とは言えませんでした。

 実の娘である私に対してすら、お父様は情を示してくださった記憶がありません。


 お父様の関心は、政治・権力と、愛人である夫人、その子供達にあったからです。

 殿下の婚約者の座も、本当は異母妹に与えたかったはず。

 ですが、お母様と離婚するにも、クレシダ夫人との間に生まれた子を皇太子妃候補に推挙するにも、夫人の家格が低すぎたのです。


 ですから、私が多くの候補者の中から選ばれたのは、偶然でも運でもありませんでした。


 これ以上、お母様が軽んじられ馬鹿にされることのないよう、皇太子妃に選ばれるよう、私は努力したのです。レオン殿下の婚約者を目指したのも、婚約したのも、お母様の立場を守るためでした。


 幸いにも駒としての利用価値が出た途端、私もお母様もないがしろにされることが減りました。表向きは。

 それだけでも、以前よりはマシだったのです。


 お父様が悪態以外で私に声をかけるのはごく稀で、皇太子妃に選ばれたときの「お前でも役に立つことがあるのだな」という発言が、私に与えられた最も好意的な発言でした。


 それでいて何か気に入らないことがあれば、お母様が「お前の教育が悪い」と責められたのです。私は優等生になるしかありませんでした。


 ですから私は、選ばれた後も、殿下にふさわしい婚約者であり続けられるよう、必死にお后教育に勤しみました。淑女としての立ち居振る舞い。他国の言語や歴史も含めたお勉強。


 ですが、私がそうしている間にも、レオン殿下は別の女性に心を奪われていたのです。


 許されない甘えかもしれませんが、私はお母様が闘病中の心細い日々、ほんの少しだけでいいから殿下にお会いしたかったのです。僅かな時間だけでもいいから、側にいていただきたかったのです。だから自分としては珍しく、手紙を書きました。


 『すまないが公務がある』ーー皇族としての義務の重さは理解できました。そこを押して、あえて無理は言えませんでした。


 しかし母の葬儀に、殿下はあの女性を伴ってこられました。

 現在執心と評判のべサニー嬢。


 棺を埋葬した後、参列者同士が馬車を待っている間、そこかしこで交わされる会話の中、私は決定的な一言を聞いてしまったのです。


「レオン様、昨日お会いした時ーー」


 頭が真っ白になりました。

 そうして私は、母だけではなく、かろうじて残っていた大切なものを失っていたことを知らされたのです。


 自分は、公務が無くても嘘をついて顧みられることのない、取るにたらない存在でしかないのだと思い知らされました。


 今までは、これも未来の皇太子妃の義務だからと、自分の器以上のものを背負ってきました。

 

 しかし殿下は、そこまでお仕えしても、情を返してくださらない。


 婚約者の母親の大事には駆けつけず、その葬儀に公然と愛人を同伴する。


 同伴せず未来の妃の立場を守るという配慮もない。

 それはまさに、父が私たち母子にしてきた仕打ちと同じものでした。


 立場に固執してきたのも、お母様を守りたい一心からでした。しかしそのお母様はもういません。私一人であれば、もうどうなろうと構わないのです。

 

 容姿も知性も、いくらでも私と同程度の女性はいます。ましてや現在の殿下には意中の方がいらっしゃるのですから、これ以上、私が婚約者の座に居座る理由は見つかりませんでした。


 最終的には、あの言葉が私の背中を押したのです。


 しかしレオン殿下は、沈黙を守っていた口を開くと、私の望む答えとは違う言葉を口にしました。


「ありえない」


「……しかし……」


「どうしてもと言うなら、納得に足るだけの理由を説明をしてもらおう。話はそれからだ」

 

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