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天界からのエージェントⅡ  作者: 君島 明人
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<理不尽に泣く人々を救う事業が本格営業しました編>

天界からのエージェントⅡ <理不尽に泣く人々を救う事業が本格営業を始めました編>


1 天界図書館会議室

 

久しぶりの仕事の依頼をうけて、沖田は天界図書館にやってきた。

前回の仕事の報酬が莫大なものだったので、天界の南の島に別荘を建ててのんびりバカンスを楽しんでいたところ、再び依頼メールがきたのである。

緊張とともに室内に入ると二人の老人がいた。一人は見慣れた東條英機であった。もう一人は高身長のいかついガタイで、芸能人でいえば小林旭似のナイスガイである。余談だが、小林旭は映画俳優で正確にはマイトガイと呼ばれていた。どういう意味かはわからないけど高齢者であれば誰でもが知っている超有名人である。恐らく映画の中でダイナマイトに火をつけてポンポン投げる物騒な人だったのでは・・・

「やあ~ 沖田君 遠路はるばるご足労をおかけしましたな~」東條は今日もご機嫌らしい。最近ではこのオッチャンがにこにこしているときは無理難題を言ってくるパターンだと沖田は承知している。

「ご無沙汰しています 閣下もお元気そうでなによりです」沖田が“閣下”と言ったのを聞いて隣の旭風の老人がピクッとした後、まじまじと東條の顔を眺めている。思い出したように東條は「あ、申し訳ありません この方は滝川殿と申して、今回の仕事の依頼をされてきた方じゃよ」「滝川一益にござる 此度は拙者の我がままを聞いていただけるとうかがって楽しみにしておりました」「沖田です 宜しくお願いします」と言いつつ、滝川一益が誰なのかまだわかっていない。まだこの二人だけでは話がぎこちないと心配した東條は「織田家中に鬼二人と恐れられた鬼の一人じゃよ 知らんかなぁ~」「いえ 勿論わかります・・・ でもう一人の鬼はだれですか?」「柴田勝家殿でしょ!」 ここで沖田ははっと気が付いた。「織田信長さんとこの家臣さんですか? 他には犬と猿がいたような気がしますが、まるで桃太郎のお話みたいですね?」沖田の能天気な話を聞いた一益は急に相好を崩して笑い出した。「その犬はともかくとして、猿のほうがかなり厄介なのですよ」一益は苦々しい表情に戻った。

 一益の話によると、信長が明智光秀の謀反にあって本能寺で討ち死にした当時、一益は信長の命で関東にいたのである。信長の威光を最大限に活かして、関東お取次役(足利政権時代の関東管領であり、以前は越後の上杉謙信公が担っていた)として北条や上杉などの有力大名に睨みを効かせていた。

が、しかし 信長討ち死にの報が届くやいなや、それまで従順な飼い犬顔をしていた周囲の大名・豪族達がとたんに手のひら返しをして一益に牙を剥いてきた。一益は急遽領地の北伊勢に戻ろうとしたが、前は小田原の北条に、後ろは上杉や信濃の諸勢力に襲われ、更には武田の残党も報復に加わり北伊勢に戻ったときには、兵の60%を失っていた。しかも信長の後継者選びと家臣団の領地再配分を決める清洲会議にも間に合わなかった。親友の柴田勝家は一益にも加増せよと言ってくれたのだが秀吉の反対に会い、とりあえずであるが旧領安堵に終わった。

その後、柴田勝家は賤ヶ岳の戦いで敗れて越前北の庄城で討ち死にし、前田利家は秀吉に寝返った。信長の実子達も次々に秀吉の毒牙にかかって死んでいき、もはや一益の味方は誰もいなくなった。そこを見計らったかのように、秀吉によって領地から追放されて故郷の甲賀村の小さい寺で寂しく一生を終えたそうである。ここまで黙って聞いていた東條は「う~ん ひどい話じゃの! 沖田君、歴史資料の改ざんはわしに任せてここはひとつ滝川殿の願いを聞いてやってくれんかね?」「本能寺の変を事前に信長さんにチクったら解決するんじゃないですか?」沖田は一益に確認するように尋ねた。「そうしてもらえれば拙者も関東御取次役として安泰でいられるでしょう 是非よしなに願います」

東條は一瞬何事かを考えていたが、「ところで今回のミッションは歴史的有名人を殺してしまうのはNGですよ」「と言いますと?」「つまりだ、元々死ぬ運命にあった者は仕方がないが、そうではない者を殺したら書き変えが大変になってしまうのだよ 逆に死ぬはずの有名人を助けるのは人道上許されるから良いけれど、なるべく図書館の職員達の手数を増やすような事がないように頼むよ」

「もし万一の事態が起きて泥沼化したらどうしますか?」「その場合は仕方ないけど、それでもなるべく有名人は避けてほしい」「ですが小者や無名の兵は戦の中で確実に戦死するでしょう? まあそれは仕方ないとして、福島正則や加藤清正クラスはどうです?」「絶対ダメ! 特に清正公は銅像も撤去しなきゃならんからな ・・・ とは言ってもついはずみで間違えたということもあるだろうからその場合の責任はわしがとるから心配せんでいいよ もし戦場であいまみえた時には敵陣の後方か中央に馬印を立てて立派な兜を被った奴がいるから見分けはつくと思う」「私の印象では武将が馬にまたがって先頭を走って来るイメージなんですけど?」「わしの時代には佐官クラスや将官クラスが戦場に出ることはなかったけど、滝川殿はどうおもいますかな?」「兜を被った武将が雑兵の先頭に立って突撃するときは玉砕目的です 通常は先陣を任された武将でも、自分が先頭に立つことはまずないでしょう」

沖田は最悪の責任は自分がとるから心配しなくても良いとの東條の言葉を胸に噛み締めていた。

それに今回のミッションは光秀の陰謀を信長に知らせるだけで済みそうだし、

厩橋城にいる滝川一益にしっかり連絡をとってもらえれば何の心配もいらない楽な商売だなとタカをくくっていた。しかしその考えに誤算が生じるという、よくありがちな悪夢が沖田を待ち受けているとも知らずに物見遊山気分で出かけたのである。


2 風雲厩橋城

 

沖田は死神の鎌の先にぶらさがって城近くの物陰に下ろしてもらった。

「ツヨ、無事に場内に入るまで護衛しようか?」死神は心配そうにそう尋ねた。「この城の主にしっかり連絡は入っているはずだから心配しなくていいよ それにカミの姿を誰かに見られたらとんでもない騒ぎになるからね」この死神は死神寮のトイレで夜中に何度も出くわしていて、今ではすっかり仲良くなっていてお互いあだ名で“ツヨ” “カミ”とよびあっている。

「もし何かあったらカミ~!! って叫ぶから、そのときは頼むよ」「寮のトイレで紙がないときによくよばれたよねー♡ じゃ、グッドラック ツヨ!」


厩橋城は現在の群馬県前橋にある平城である。これに対し、一益の甥が守る沼田城と家臣の津田秀政が守る松井田城は小さな城ではあるが、天然の要害に建てられた山城である。このほか道家正栄が守る小諸城があるが、いずれの城も大群に襲われたらあっさり落城しそうな頼りなさがあるが、信長の威光があれば誰も攻めようなどとする者はいない。

連絡が徹底していたらしく、城門近くに一益の側近の天徳寺なんちゃらとかいうお坊さん風の人が待機していた。この坊さんの案内で石段を上がり天守閣を備えた一ノ丸に入り、更に天守の間まで上ってきた。西に榛名山が見える。その反対側には間近に赤城山が見える。「山は全く同じ形ですね!」と天徳寺和尚に感想を述べたところ、和尚は全てを了解していたらしく「未来の前橋はどのような町になっておりますか?」と返してきた。沖田は競艇場や高崎観音の話をすると和尚のリアクションがいいので更にあれこれと話していると一益が現れた。

「これはこれは沖田殿 遠くまでようおいでなされた お疲れではありませんかな?」沖田は死神の鎌に乗ってほんの数秒で到着したのだから疲れている訳はない。昨日天界で会った滝川一益より遥かに若い。40代位であろうか。

身長は180センチ以上あるように見える。「滝川殿はもしかして風魔の小太郎さんですか?」一益が甲賀の出であることからつい興味に負けてくだらない事を尋ねてしまった。「風魔? あぁ 風間殿のことか 小太郎殿は伊賀の忍者で、今は小田原の北条に仕えていると聞いております しかし何故沖田殿がご存知なんですか?」沖田はまさかアニメのキャラクターで有名だと言っても理解されそうにもないのでそこは適当に「未来では滝川殿同様に忍者の人気は高く、服部半蔵とか霧隠才蔵とかも超人気者ですよ」「服部半蔵家はあるが霧隠才蔵家というのは知らんなぁ~ あっ!わしは忍者ではないぞ武家の出じゃ しかも鉄砲家なので忍術は必要ないのだ」「鉄砲家ですか? つまり火縄銃ですか?」

ここで沖田の脳裏にすごいことが浮かんだ。「滝川殿 近くに鉄砲鍛冶はありますか?」「勿論だとも 城下に大掛かりな鍛冶工房がありますぞ!」「それで現在火縄銃、いや銃身は何本ありますか?」「銃身だけのも入れると千丁位はあるだろうか?」「立て続けに質問して申し訳ありません 火薬は勿論あるでしょうけど、銅はありますか?」「銅は多少はあると思うが、必要なら近くの足尾に行けばいくらでも手に入るが・・・ それを何に使うのですかな?」

この時代の武将達は100メートルも飛ばないし命中率も悪い火縄銃に頼っているのが実情である。飛距離と命中率は弓矢と変わりはないが、実際に接近戦で火縄銃をぶっ放されたら弓矢よりは怖い程度の代物である。しかも銃口から火薬を挿入して裸の鉛玉を入れて、棒で突いて安定させて火薬をのせた火皿に火縄を押し当てて撃つのである。何発か撃ったらお掃除棒で掃除してまた繰り返す。こんな代物でもこの時代には武器として使っているから、戦いは数が勝負となる。

一益は幼少期から織田家に仕えるまでの間、堺で火縄銃造りに精を出していて、現在の武将達の間ではその知識も技術も超一流の職人であった。

沖田から教えられた新式の銃の製造方法も、弾丸の作り方も完全に理解したのである。まずは弾丸であるが既存の火縄銃の口径(内径)に合わせて作るから何口径かはわからないが、足尾で精錬された銅と安中からとれた亜鉛を混ぜて真鍮の薄板に加工して、先端を少し絞った筒状の被甲(弾頭のメタルジャケット)に溶かした鉛を注いで弾頭部が出来上がる。普通の弾丸とは違っていて、弾頭先端が鉛むき出しの凶悪殺傷弾(フォローポイント弾)になる。

このような弾頭にしたのは、第一に鋼鉄などを貫通させる能力はいらないし、第二にフルメタルジャケットの弾頭を作る技術が足りなかった為である。

 続いて薬莢であるが、弾頭より太い筒の三分の二位から絞って弾頭後部の径より僅かに大きくする。反対側は塞がっているので、中央をやや凹ませて中心に小さな穴をあけ、外周は薬莢が銃身バレル内に落ちていかないように突起リムを形成する。そして薄く柔らかくした銅で作った雷管プライマーを予め凹ませていたところに圧着して出来上がりである。薬莢内に火薬を80パーセント位入れて弾頭を圧入すれば実包となる。

 続いて銃本体の方であるが、火縄式銃の銃身を取り出して赤くなるまで熱し、ライフリング(銃身内の螺旋状の溝)用の心棒をねじ入れて外側から満遍なく叩いて再鍛造したら回しながら慎重に心棒を抜き取って、再び真っ赤に熱して焼き入れをする。そして新しく用意した銃後部の部品を取り付ける。

こうして出来上がった銃は、中折れ式水平二連小銃である。コッキングしたときに発砲済の空薬莢が排出されて、ハンマーも同時に起こされる。次弾を装填して再発砲まで極短時間で行えるようになったのである。但し、火縄銃の銃身を二本取り付けたのだからかなり重たいのが欠点であった。

一益の試射では100間(180メートル位)では百発百中に近かったらしい。

 しかしヘタレな沖田はこれだけでは心配で夜も寝られなかった。なにしろ世の中は戦国時代なのである。数万の敵がこの城に押し寄せてくるなんて考えたら無理もない話しであろう。幸い火薬には困らない。硫黄は草津からいくらでも取れるし、炭の粉はそこら中から調達できる。問題は硝石だが、一益は甲賀流の自家製硝石製造法を心得ていて、城下にはあちこちに藁に尿を撒いて軽く土を被せた小屋がある。尿は村人が無限に撒いてくれるので産出量は豊富であった。そこで次の秘密兵器は手りゅう弾である。破片が飛びやすいようにパイナップル模様に加工した金属容器に火薬と松根油を入れて、撃針と信管のついたパーツで塞いで木製の棒の先に取り付けて敵に投げれば即席ナパーム弾になる。因みに松根油とは、城を建てるために切り倒した針葉樹の木の根を金属の窯で蒸し焼きにしたときに取れる可燃性の油の事である。第二次大戦末期、航空機の燃料に窮した日本軍がこれを燃料替わりにしようとしたらしい。


 そして時は1582年の5月に入った。

「一益殿 そろそろ例の件準備して貰えますか?」 「例の件? はて何の事じゃ?」 一益は新兵器の用法を最大限効率よく使用する為の軍事訓練に没頭していた。「本能寺の変ですよ」 「あ~ 忘れておったわ では早速御館様に密書を書くとしよう」 「でも届ける日について考えておかなければなりませんよ」 「うん? なんでじゃ そんなのは早いにこしたことはないであろう」

「もしも早めに一益殿の情報が光秀側に漏れたら全力で情報攻撃を受けるかもしれません 反対に光秀が謀反を躊躇えば、逆に一益殿の立場が悪くなりはしないでしょうか?」 「なるほどのう ではどうすれば良いかの?」 「不可抗力を念頭にいれて、複数の熟練の甲賀忍者に密書を持たせて早めに安土城下に待機させておいて、5月31日に届けるのがいいでしょう」 「よっしゃ 承知!」


 信長に密書を送ったことで、これで結果を確認してから天界に戻って報酬をゲットできると確信した沖田は新型武器の製造状況を見てまわった。

「沖田殿 少しよろしいですか?」 声をかけてきたのは技術監督の倉賀野秀影であった。倉賀野は現在は一益の側近であるが、名前からして近在の豪族であろうと思う。一益がこの倉賀野を側近に召抱えた理由は機械仕掛けと鉱物や金属について卓越した技術と知識を持っていたからである。作品と言えるかどうかは微妙だが、彼の代表作品は磁石である。作り方は鉱山から磁鉄鉱を採ってきて粉末状にしてから鉄板で磁力のある物質だけを集め、それを焼き固めてやや強力な磁石を作ったのである。実用例としては川筋にある砂から砂鉄を採取して、それで槍や刀を作ったりしている。「やぁ 倉賀野殿、どうかしましたか?」

「皆は駄作じゃとバカにするんですが、沖田殿ならこいつの凄さをわかってもらえるんじゃないかとおもいましてね」 倉賀野が示したところには小さな機械のような物があって、そこから線に繋がった大きな手回し装置があった。

「おい そこの若い衆、ちょっと来い!」 近くにいた屈強な若者数人が駆け足で倉賀野の前に整列した。そして倉賀野の指示のもと、若者達は手回し装置を回し始めたとたん、その小さな機械がブルブルと震えながら回りだしたのである。「あ!!」と沖田は目玉が飛び出そうなほど驚いた。「なにこれ~! モーターなの? モーターだよね? で、こっちのでかい奴は発電機ですか? や~驚いたっつうか~ こんなものどうやって作ったんですか? っていうか、エナメル線はどうやって手に入れたの?」 「さすがは沖田殿 これが何かを一瞬で見抜きましたな! で、エナメル線っていうのはこの銅線のことですか?」 「うん そうそう ちょっと色が汚いけど、これって何ですか?」 「これはにかわを湯で溶かして、そこに銅線を通したものです」 「いや~あ それにしてもあなたは紛れもない天才です!」 「天才なんてとんでもないですよ でも褒められてうれしいです」 「ではそんな天才倉賀野博士に未来知識という贈り物を差し上げましょう」 「ではあばら家で申し訳ないのですが、わたくしめの家で一杯やりながら伺いましょう」 あばら家と聞いて沖田は少々不安に思ったが、この時代では仕方がないだろうと覚悟を決めて案内されるがままついていった。群馬の景色は見慣れているので、この辺りは高崎であろう。更に右と正面奥から流れてくる川を見て、恐らく新町と倉賀野の中間くらいだと検討がついた。見渡す限り水田と畑が広がっていて水平線の先まで真平らである。そんな中、ぽつぽつとした集落があって、中央には石垣で高くなった城のような建物がある。 最初は近くに見えたが歩けど歩けどなかなか近づいてこない。そしてやっと到着したところで全体を見ようとしたら一辺がとんでもない長さの石垣と、その割には遠慮がちな正門しか見えない。

「沖田殿 着きましたぞ むさくるしいところじゃがどうぞお通りください」

石段を上がった先は大きな瓦屋根の屋敷があって、更に三層の天守のような楼閣もある。大きな玄関前は広い庭になっていて、前橋→赤城山→玉村方面→熊谷方面→藤岡方面→安中方面の山等が一望できる。ここは長野や新潟から延びている道が混じあう交通の要衝であった。倉賀野は文字通りこの辺り一体を管理する大豪族であることは明らかだ。

 大広間では倉賀野の愛弟子と思える若い衆と近所の有力者であろう者達で一杯になっている。案内されるままに正面の席に座った。隣は倉賀野である。

「では~皆の衆静かにしてくれ こちらにおわす方は沖田つよし殿と申されて、本日は未来的思考について講演してくださるそうじゃ その前にまずは沖田殿から乾杯の音頭をとっていただきましょう では沖田先生、どうぞ!」

沖田はまじかよ~ と思いつつ悪い気はしなかった。

「皆様、本日は私の話を聞いてくださる為にわざわざお越しいただいてありがとうございます ここで私がお話させて頂く内容は、未来の国の状況についてであります そしてその事柄で少しでも皆様のお仕事のお役にたてれば光栄であります では皆様、杯をお手に持ってください 倉賀野家と皆様の益々の発展を祈りまして、カンパ~イ」

沖田はこの時代の宴会料理に興味深々であった。川魚の干物 山菜と高野豆腐の煮物 昆布と身欠きにしんの煮しめ かぼちゃの甘煮 鯉のあらい下仁田ネギ添え 酒は甘めの濁り酒である。一通り飲み食いした後は、折角来ている皆の期待に答える為、真面目に講義を始めた。


第一部

 電気の性質とその効用 水力発電の方法 動力として利用されるモーター

 電球を作れば照明になる パルス電波を利用した通信方法 

 電気の周波数に音声をのせる方法 塩水を使った電気分解法

・・・とここまで話が進むと真剣に聞いているのは倉賀野一人になってしまい、

あとの者は半分眠りかけている。これでは自分の人気が落ちてしまうことを心配して、次は週刊誌のゴシップ風にこれから起きる豊臣政権のことや、徳川幕府の成り立ちについて話はじめた。


第二部

 本能寺の変は羽柴秀吉の陰謀か!? 織田家の世継ぎを次々謀殺する悪魔 秀吉 サル顔でも金があれば女にもてる? 呆けて朝鮮出兵して失敗!

秀頼は大野治長の子だった 自業自得!世継ぎを家康に殺された秀吉

 徳川初代将軍秀忠は偏差値30?

これには皆うけまくった。勿論誰も本気になんてしていない。これらの話は全て沖田のネタだとおもっている。しかし、この話がネタではなかったことがこの後すぐにわかることになるのだ。


 5月28日 安土城下(現在の近江八幡市近くで甲賀の里からも近い)

甲賀忍軍の大御所で一益の父である滝川一勝の元に届けられた密書は、配下の忍びの者により信長に届けられようとしていた。「おや? なんだか慌しそうだの」リーダーの源蔵は部下の三介に話しかけた。「信長様はもう出かけちゃうんじゃないですかい? 早く渡してしまったほうがいいかもしれませんよ」 「しかし一益様からは31日にお渡しするようにと厳命されておるから、そうもいくまいよ」そうこうするうちに信長は200人位の供回り衆を引き連れて出かけてしまった。慌てた源蔵達は気配を消しながら信長一行を尾行し、31日に無事密書を渡すことが出来た。「直ちに兵を集めよ!」 怒り心頭の信長は大阪から四国攻めの準備をしていた織田信孝と丹羽長秀を京に呼び戻して警戒にあたらせるよう指示した。信長の怒りは主に滝川一益に向いたものであった。信長自身も知らない畿内情報が遥か関東にいる一益にわかるはずがない。信長は一益の職を解いて更迭するよう命じた。その後、大阪から参集するように命じた信孝・長秀軍が中々到着しない事で、更に信長は勘気を刺激されて冷静さを失っている。

よく考えれば明智軍13,000人 信長・信忠・信孝・長秀軍合わせても僅か6,000

人程度で、明智の勢力の半分にも満たない。しかも舞台は京ということで明智の庭である。信長の性格では無理かもしれないが、ここはなにをおいても安土に逃げ帰るべきであった。更に悪いことに、信長から届いた緊急指令を信孝が部隊に告知したところ、配下の津田信澄(光秀の娘婿)2,000人の部隊が反旗を翻して内乱状態に陥ったあと、さっさと光秀軍に合流してしまった。信孝は残った3,000余りの兵を引き連れて本能寺に到着したのは6月1日の深夜であった。かくして本能寺の変は翌6月2日の早朝に予定通り始まった。織田軍4,000に対し、明智軍は津田信澄を加えて15,000である。戦いの地が桶狭間だったら信長に勝機はあったかもしれないが、ここは光秀の庭のようなものである。

信長は「是非もなし!!」と寺に火を放ち自害してしまった。一方取り残された信孝と長秀は降伏し、最後まで抵抗を続けていた長男信忠は打ち死した。

その後信孝は岐阜城に戻り、長秀は坂本城で蟄居謹慎処分となった。


 その頃上野こうずけの厩橋城では一益と倉賀野秀景は最新兵器の開発の話で盛り上がっていた。新式銃の生産は進んでいるのだが、数を揃えるまでには至っていない。そこで倉賀野は銃身を6本束ねてハンドルでグルグル回して弾丸を発射するガトリング銃を製作した。小銃の製作工程がじれったくおもったのか、倉賀野は 「沖田殿 なにか良い方法はありませんか」 と泣きついてきた。 「確かに一本々作るのはめんどうくさいよなぁ~ それじゃ6本束ねて箱詰めした多数の弾丸を薬室に落とし込んで、それを手回しで回して次々発射させるってのはどうでしょう?」 「なるほど、そりゃいいですね でも雷管を叩くのはどうしましょう?」 「それは倉賀野殿の方が詳しいでしょう!」 「そうだなぁ・・・ 束ねた銃身に芯棒を通して薬室の後方にばねとハンマーを取り付けて、発射する回転角度に落とし込みをつけたらいけそうですな・・・」 「よくできました♡ 但し、撃針がプライマーを突いた後に素早く少しだけ戻るようにバネを調節してください」 こうして出来上がった試作品が一益の目の前にある。6銃身のガトリング銃は大八車にセットされていて、射手用の椅子と取り外し式のハンドルがある。この武器を小物達に押させて、弾丸を詰め込んだマガジンは別働隊が補給すれば、野戦では無敵である。

一益はこの頼もしい新兵器を見つめてとてもご満悦であったが、そこへ甲賀から届いた書状を持って道家正栄がすっとんできた。一益は書状を受け取ると書面を見つめたまま足がガクガクと震えている。 「殿 いかがなされました?」

心配そうに見つめる道家に一益は書状を手渡した。それを読んだ道家も固まってしまったが、更にそれを読んだ倉賀野は平然としている。 「殿 我らが兵力は例え相手が信長様でも問題ありませんぞ!」 「バカを申すな! 主人に逆らうは逆賊の汚名ぞ」 甲賀からの知らせには、一益は偽情報を流して織田家中を乱す行いをとったから、直ちに職を解き信濃の森長可の元で謹慎を命ずると書いてあった。

 その頃沖田は宿舎にしている城内二の丸で鼻歌混じりに帰り支度の真っ最中であった。それを手伝っている年増の女はお清というのであるが、沖田が赴任してからずっと沖田の身の回りの世話をしている。お清にはおのぶという娘がいるが、早くに亭主に死なれたことから、一益は気の毒に思って子連れで雇い入れたのであった。この間、沖田はお清とおのぶを本当の家族のように接していたので、天界に帰ることが少し寂しくなっていた。 感傷に浸っている沖田のもとに足音激しく憤慨した一益がやってきて 「沖田殿 話が違うではありませんか!? この責任どうとってくれるんですか?」 沖田はガラスのハートの持ち主である。心臓が早鐘のようになりながら 「え~!! 何ですか? どういうことですか!?」 「どうもこうもないよ! わしはもう終わった!!」 一益から手渡された書状を見る 勿論筆で書いてある。 「・・・・?」

「どうじゃ 確実に詰んだであろう!?」 「・・・・?」 「何故黙っておる!!」 「なんて書いてあるんですか? 全然読めません」 一益は全身の力が抜けた思いがした。 「つまりだな・・・・ 。」 「確認ですが、先に信長殿に宛てた書状は間違いなく5月31日に届けましたか?」 「信頼できる甲賀の忍に託したのだから間違いなどあろうはずもないわ」 「であればその書状の内容が明智方に漏れたとは考えにくいですねェ」 そんな時に信長の命によって信濃の森長可が一益の身柄を引取りに来たとの知らせが入った。

一益は力なく立ち上がり謁見の間に行こうとしたとき 「お待ちを! 私に任せてもらえませんか?」 沖田は毅然と立ち上がった。謁見の間に入るとその人物がいた。 居丈高に、しかも主人が座る壇上に床机をおいてずで~んと構えている。まだ20代の若者で派手な陣羽織に天狗の面を頭の上に載せていた。

これが今時のかぶき者というやつだろうか? 「おぬしは誰だ! 一益はどこだ」 沖田は急に腹がたってきた。 「小僧、主座に床机を置くとは無礼であろう! 下がりおろう!!」 「なにお~ このくそじじい たたっ切るぞ」

小僧の周りの近習たちは立ち上がって刀の柄に手をかけた。同時にはじかれたように警備の侍達が白刃を抜いてバタバタと乱入してきた。このままでは無勢に多勢で森長可には抵抗する手段がないので、長可はしぶしぶ下座に座った。

沖田は当然のように主座に座り 「森長可とやら、何事であるか?」 長可はこの初老の人物が何者であるか判断がつかないまま 「滝川殿の身柄をお渡しいただきたい」 「滝川殿の身柄を引き渡せとな? はて面妖な 第一なぜおぬしのような小僧に日ノ本一の武将を渡さねばならないのだ?」 「右府様のご命令でござる!」 「右府様? うっふっふ~ ではその右府様はどちらにおわすのかな?」 ここはもう賭けである。光秀が信長暗殺に失敗していれば、こんな小僧が一益の身柄を受け取りに来れる訳はない。6月2日に全てが露呈した訳だから、直ちに信長から感謝状が届いてもいいはずである。それがまだ無しのつぶてであるということは、畿内で何か異変が起きているか、或いは信長がもうこの世にいないのである。 「ふざけるな! 拙者を愚弄する気か? そもそも貴様は誰なのだ? 事と次第によってはただではおかぬぞ!」 「おい! このくそヤンキー 俺を怒らせたら貴様はもう生きていけなくなるぞ! それでもよいのか?」 警備の侍達に守られているかと思うと、沖田はだんだん大胆になってきた。これを襖の陰で様子を見ていた一益は開き直って 「もうどうにでもなれ」 とつぶやいた。 そこへ甲賀からの使いが到着し、一益

の元に書状が届けられた。 一益はそれを一読すると直ぐに謁見の間に入り、沖田と席を並べ、森長可に 「長可! これを見よ」 と持っていた書状を投げつけた。顔を真っ赤にして怒り狂っていた長可はその書状を読むにつれ、徐々に白くなり、更には青くなった。 「おい長可、俺が怒っているかそうではないかあててみよ」 ヘタレの沖田にしてはよく出来たほうである。 「お怒りはごもっともでございます 平にお許しいただくと同時にこの長可、この場をお借りして腹を切りまする」 「まてまて長可、ここで腹を切られたら新品の畳が汚れるわ この後領内の中から反乱がおきるであろう それに越後の上杉も攻めてこよう お主に腹なんぞ切っている暇はない ただちに国に帰って備えよ!」 一益もこれで腹の虫が収まったようである。 「さてこうしてはおれんぞ、皆の者戦の支度をせよ!」 今度は力強く立ち上がった。 「あいやー 少しお待ち下さい」 「なんですかな? 止めても聞きませんぞ」 「どこで戦をするのですか?」 「決まっているではないか、(あるじ)の敵討ちでござる!」

「今日は6月12日、光秀が謀反を起こしてから10日が過ぎています 今頃は羽柴軍本隊は姫路か播磨まで戻ってきているはずですよ 今から向かっても間に合わないだけでなく、南の北条と北の上杉の挟撃にあって無事に北伊勢に入ることは困難です」 「しかし、例え遅れたにせよ主の敵討ちに参戦しなかったとなると諸将に顔向けができないだろう」 「追っ手に次々と討たれて少数の兵しか残っていなければ、逆に秀吉に侮られることになりましょう そして一益殿の親友の柴田勝家殿は来年の春には秀吉に敗れて命を落とすことになります 友達を守る為にも、ここ上野を守り抜いて東日本連合を目指してください」 「なんと! 鬼の柴田が猿ごときに敗れるというのか?」 「サルサルいってますけど、秀吉はただものではありませんよ いつまでも昔の百姓の小僧の印象のままでいると、一夜にして状況をひっくり返されるので考えを改めてください それに秀吉には黒田官兵衛というサイコパスがついているから油断なりません」 「サイコ・・・?」 「悪知恵に長けた悪魔です」 「わかりもうした 納得さえいけば沖田軍師殿の言いつけを守りましょう」 「う~ん 軍師はチョットねぇ・・・ 参謀長位でいいですよ」 「参謀長? あまり聞きなれない役職だがどのような働きをするんですかな?」 「滝川一益殿に、信長殿に代わって“天下布武”を宣言させる役目です」


 今頃は明智光秀を成敗した羽柴秀吉が清洲会議で柴田勝家を押さえ込んでいることだろう。北条も不気味な動きをしている。そこで急いで近隣豪族や北条、上杉、徳川、佐竹、芦名、最上、伊達各大名に書状を発布して牽制した。

牽制内容を要約すれば次のような趣旨である。

1 滝川一益は邪悪な戦国の世を終わらせる為に国家の基本法の制定作業を行う  

2 諸侯においては滝川に協力を惜しむことなく精励さるる事


3 国家基本法発令までの暫定期間は 滝川一益が国の最高意思決定機関である


4 もしも3に異議がある者はいつでもお相手いたす所存である


5 近隣との領地争い等の武力衝突は特例を除きこれを認めない


6 係争関係に関する訴えは滝川一益が全て取り仕切りこれを決定する


7 上記の命令に反した藩主又は国主、その他の勢力はその頭領を排除されるものとす


こんな書状はどこの大名や武将も見たことがない。これを受け取った諸将達は

、或るものは鼻で笑い、また或る者は激怒した。

激怒しているツートップは北条と上杉である。この書状を発布する前から北条

の大軍勢は熊谷まで進出をしていたが、今は高崎山に本陣を置いている。

対する滝川軍は松井田と小諸は守る意味がないので、全ての城兵を沼田城入れて北からの上杉軍の足止めをする。長野口から来た上杉軍はやがて高崎の北条軍と一体になるであろうから、鳥川を渡って進軍してきたら小銃やガトリング銃とナパーム手投げ弾の洗礼をうけてもらう。鳥川沿いに長さ二里に渡って土塁を積んで待ち構えている滝川軍に向かって上杉・北条連合軍が渡河してきた。

季節は夏で川の水かさはそれほどでもないが、それでも渡れるところと渡れないところがあるのは当然である。数万の軍勢が幾筋かに分かれて渡河するには、それだけでも半日近くはかかる規模である。北条は何故玉村方面から攻めてこなかったかと言うと、恐らく長期戦に備えて平地に本陣を敷きたくなかったのであろう。哀れ、北条・上杉連合軍は鳥川を渡りきる前に銃弾の嵐にあってバタバタ倒れていく。ここでは手投げ弾の出番はなさそうである。どんどん渡ってきてはバタバタ倒れる。川の水は真っ赤に染まって大量の死体とともに下流へと流れていくが、それでも次々に死体と重傷者を生産し続けている。向こう岸まで辿り着いた兵は一人もいないという惨状を目の当たりにした北条・上杉連合軍はようやく事態の異常さや重要さを悟り、進軍をやめさせた。さてここからであるが、北条氏直と上杉景勝首脳は話し合い、どうしたものかと相談を始めた。「下流まで下がって渡河してから攻め込むのはどうだろうか?」 景勝はそう提案した。「この鳥川を下っていってもやがて利根川に合流するから、結局どこまで下がっても同じ状況が繰り返されるだけです それに敵の鉄砲は異常に遠くまで飛んで、しかも正確に兵を打ち抜いているようです」 「つまり戦いにならんということか?」 「御意!」 「いやいや、御意ではすまないでしょう 我々はもう既に滝川殿に楯突いたんですぞ!」 「仕方がないですよ これ以上無理押ししたら一兵もいなくなりましょう ここは双方頭を丸めて詫びましょう」 「そんな事で許してもらえるかのうぅ~」 「もし許してくれなくとも、拙者が腹を切って上杉殿だけは許してもらえるように頼んでみます」 「いやそれはまずい 氏直殿こそ許してもらえるよう、この景勝が腹を切ろう」 「いやいやそれはできません 拙者が腹を切ります」 「いや拙者が・・・」 「いや拙者が・・・」 「じゃどうぞ!」 「・・・・。」


 こうして上杉景勝と北条氏直は頭を丸めて滝川一益の許しを請う為に厩橋城に赴いた。というか、城の近くまでやってきたところを城兵にとらえられたのである。 「双方の者 面をあげよ!」 頭を上げた景勝と氏直の目に飛び込んできたのは、一益ではなく見知らぬ若い坊主であった。罪人に天下の司令長官が目どおりを許すわけはない・・・と沖田に諭されたのである。 言われた一益も悪い気はしないので道家をやったのである。

「右の者 姓名 住所 職業を名乗れ」 「はっ うえすぎ・・」 「たわけ! お主はひだりじゃ左 どこに罪人の分際で自分から左右を見る奴がおる」

「じゃあ改めて左の者 生命 住所 職業を名乗れ」 「ほうじょ・・・」

「たわけ! その方は右も左も分からぬのか! 茶碗を持つ手が左 箸を持つ手が右だろう 親の顔がみてみたいわ!」 自分より一回り以上若い茶坊主のような奴に天下の大々名が散々いじられまくった挙句に、純金100貫(375kg)の支払いを命ぜられた。上杉は佐渡金山から採ってくれば済むが、北条には伊豆の土肥にある金山が徳川と領土争いになっていて思うように産出出来ない為、上杉に借りて支払った。それでもこの二人は所領安堵と命が助かった事は奇跡だと感じている。滝川軍には只の一人も犠牲者が出ていないのだから、当然に思えるかもしれないが、信長や秀吉だったらこうはいかなかっただろう。

滝川一益の領地はこの日ノ本全てなのである。いずれ全国の大名が自分にひれ伏した時には当然各々の領地を経営させて上納金を納めさせるつもりである。

もし上納金では人聞きが悪いというなら税金と言い換える事もできる。

  

3 東日本の夜明けぜよ!


 厩橋城では重臣達を集めて昼食会を兼ねて、今回の防衛戦の評価と今後の課題について話し合われた。「わしは経済力が必要と思う 民を養うにも、敵対勢力と戦うにもカネが必要じゃ しかし我が城下では主な産業は田や畑から産出される米や野菜程度しかない しかも大量消費地は上方に集中しているので、百姓達は自給自足状態となっておる」 一益の指摘は適切である。前橋の地では交通の要衝である事は確かだが、商業も産業もなにもない巨大な関所となっているのである。 沼田城主で一益の甥の滝川益重は 「信長様がやったようにこの地に楽市・楽座を設けたらいかがでしょう?」 「わしが今申したようにこの広大な関東平野には人が少なすぎる 中仙道や越後道からやってくる者といえば敵の兵くらいなものだぞ」 「いずれ海に面した江戸の地に巨大な城を築かせて賑やかな城下町が出来た折に天皇をお迎えしましょう」 お~~~と坐がざわめいた。 「今、“巨大な城を築かせて”と申されたがまさかわしにか?」 一益の目は不安を訴えていた。 「いえ、徳川家康にやらせます そうしなければならない大人の事情があるのです でも家康の屋敷は他の大名同様に大手門周り(水戸藩屋敷跡あたり)に建ててもらって住まわせます」 「では我が国はいずれ立憲君主制を目指すのですね?」 いままで茫洋としてよくわからない人物に見えた天徳寺宝行の知識に驚いた沖田は 「天徳寺殿は立憲君主制をご存知なんですか?」 「存じておるという程ではありませんが、以前に何かの書物で読んだ気がします」 「一益殿 いやあ~良い御家来衆をもちましたね これで滝川東日本は磐石です 僭越ながら初期的な組織編制のご提案をさせて頂いてよろしいでしょうか?」 「沖田殿 何の遠慮がありましょうや 構わぬからどんどん指図してくだされ」 「まずは通貨発行と国の財政をつかさどる為の財務処を新設してください それと版画職人と彫金師も上方から探してきてください」 「つーか?」 「これまでは米を通貨代わりに流通させて、補助的に銭をお金としています これでは域内の小さな経済圏では通用しても、全国となればそうはいきません」 「金や銀も流通していますが、それではだめですか?」と天徳寺が応じた。 「では天徳寺殿が大金持ちだったとして、京に屋敷を買おうとしたならどうしますか?」 「う~ん・・・ 成る程、わかりました 重くて持ち歩けませんね」 「しかし我らが通貨を発行したとして、そのような得体の知れない物を誰が信用するのじゃ?」 「滝川殿、いい質問です! 通貨とは具体的に紙に肖像が入った複雑な模様を版画で印刷します そして数種類の紙幣にそれぞれ金や銀の目方を入れておきます つまりこの紙幣は金銀の預かり証なので信用されると思います」 「しかし我が方には先日北条と上杉に支払わせた金くらいしかありませんが、それだけでは足りないでしょう?」と天徳寺。 「 そうです なので当座は近在の民百姓に利息を取って貸し付けます もっと貧しい農家には利息免除でもいいかもしれません あと希望があればですが、大名や有力者に貸し付けてもいいでしょう 当面は銭との混用になるかも知れませんが、為替基準をしっかり管理することで混乱を防ぐ事が可能です」 「銭以外に流通している金や銀はどうしますか?」 天徳寺の発想と想像はさすがである。 「紙幣と簡単に交換できるようにしたら良いでしょう 金属の塊と紙幣ではどちらが使い勝手がいいかやがて理解します 但し、それには一にも二にも信用第一ですけど」 「新政府、いや暫定政権の財源はどこにありますか?」 大した人物である。この時代にこれほどの見識を持ち合わせた人物がいたとは驚きである。沖田は天徳寺には財務と経済を担当してもらおうと決めた。 「財源は武田の旧領にある金山と法律違反した大名からの懲罰金、それから手持ちの金より少しだけ多く刷った分で賄いましょう いずれ広く薄く徴税します」 沖田は続けた。 「時の経過と共に政権内部は必ず腐敗と不正が蔓延しがちとなります いや!皆さんがそうだと言っているのではありません あくまで後世の話です 多くの権利・権力を統括する目付けや大目付といった権威を置かずに、各分野の与力衆で議論して決めさせます 与力の選任と解任、議題の最終決定は滝川殿にお願いします」 「あいわかった!」


4 賤ヶ岳の戦い


 清洲会議での柴田勝家の抵抗も虚しく、秀吉に就いた旧織田家の武将や京、大阪の武将達には領地を大判振る舞いで分け与え、勝家には長浜城だけを認め、滝川一益は上野の国から戻ってこない事を理由に信長の長男の信忠(本能寺の変で戦死)の嫡子でまだ幼い三法師を北伊勢に主として送り込んだ。名目は織田家の世継ぎになっている。 甲賀の忍衆は連日のように京や大阪、更には播磨まで行商人に扮して探っていた。そしてちょっとした事件が起きた。甲賀からの密書によると、一度は勝家に譲った長浜城を奪い返したらしい。 「沖田殿は我らが力で長浜城を取り返すと言ったら反対されるであろうのう?」 「お気持ちは分かりますが、出城状態の長浜城はとても守れませんよ 取るなら北近江、若狭、丹後、京くらいは最低抑えなければなりません そうすれば甲賀の里も安全になります」 一益は長浜城をあっさりと奪われてしまった勝家にそんなことが出来るはずがないと思っているのだろう。 「任せてください、秘策があります」 「秘策とな?」 「来年の早春には、勝家殿が2万の兵を挙げて賤ヶ岳あたりで秀吉軍5~6万と対峙します その時を狙って秀吉の勢力を大阪まで追い返しましょう」 「追い返すだけなの? 捕らえて打ち首にしてはいかんの?」 「秀吉にはやってもらわなきゃならない仕事が残っているし、以前にお話したように名のある武将を殺したらあるお方に迷惑がかかるのです」 「そうだったのう ところで秀吉に残っている仕事とはなんですかな?」 「四国征伐と九州の平定 大阪城と聚楽第の建設です 聚楽第は京の二条城の隣に建設させますが、これは勝家殿と一益殿の会見場として使ってください」 「聚楽第とはいかなるものじゃ?」 「本来は秀吉が妻の目を逃れる為に大阪から離れた京に建てる予定の愛人用の建築物です 因みにその愛人というのは今は勝家殿に嫁がれているお市様の長女です」 「お市様の娘と言えば浅井長政公の忘れ形見じゃな まさか柴田殿ともあろうお方がサルごときの側室にする訳がなかろうに・・・ え? もしかして柴田殿の身に何か起こるとか?」 「大丈夫です、絶対そんな事にはさせません でも・・・」 「でもなんじゃ?」 「茶々姫を秀吉の側室にしなければ秀頼は生まれてこないよな? ま、考えていてもしょうがない 必要ならその辺のそっくりさんを探して茶々で~すと言わせて送ろう」


 年が明けて1583年2月

厩橋城から選りすぐりの鉄砲忍者隊34名が甲賀の里に入った。荷駄隊も目立たぬ様に百姓姿である。司令官は松井田城主の津田秀政である。津田は元々は槍の名人であったが、一益と共に鉄砲の訓練をしていて才能を認められたのである。津田の得意技は一度狙った獲物は絶対逃がさないことである。常に獲物の動きを読んで先回りし、確実に仕留めるのだ。しかし今回の指令は柴田軍と対峙した羽柴軍が勝家を賤ヶ岳の奥から引っ張り出す為の罠として、秀吉自ら二万の兵を引き連れて岐阜城の織田信孝を攻撃に行くから、柴田軍が残存する羽柴軍を掃討するまで秀吉を大垣方面から戻れないようにせよというものである。一番隊から三番隊までの各隊長は本来自分の名はあるが、沖田が景気付けにと立派な戦士名を与えた。一番隊隊長霧隠才蔵 二番隊隊長風魔小太郎(小田原にいる本物は風間だから問題ない)三番隊隊長猿飛佐助 因みにこの三人の本名は茂助、平次、孫太郎なので、新しい名前を気に入っている。

3月に入って柴田軍に動きが出てきた。それに呼応するかのように羽柴軍の大軍勢が北近江ににやってきて陣を敷きだした。本来は北伊勢の滝川勢を攻めるはずだったが、今は滝川ではなく織田信忠の嫡男の三法師が入っているので予定が変わってきた。その代わりと言ってはなんだが、未だに秀吉になびく気配のない甲賀衆に対する圧力が強くなってきた。津田は三人の隊長達と地図を見ながら最終打ち合わせをしていた。「秀吉軍が大垣に入ったら直ちに伊吹側と養老側の道路に地雷を埋めよう」 地雷とは手投げナパーム弾の棒を取り除いて信管を蝕発式に取り替えて、それを上にして土中に隠すのである。これを踏んだ先頭の兵は足を吹き飛ばされた上に火達磨になる。それを見た後続隊は何が起こったのか分からずビクビクしながら前に進む。そしてまた先頭を歩く者が地雷を踏む。やがてなにが起きているのか理解した者が地雷を探しながら道路に這いつくばるように進む。そこで地雷原の先から狙い済ました水平に連式小銃の的になる。たまらず左右の荒地に逃げ込んで前に進もうとしたら塹壕に隠れている忍者の餌食となる。 一方で厩橋から一益の長男の滝川一忠が密かに柴田の陣中に送られた。一忠は津田秀政部隊と呼応して柴田軍を動かすようにとの一益の密命を持ってきたのだ。 「(いち)よ、お主は永遠(とわ)にわしの親友じゃ 皆のもの、一益殿の助太刀を無にするではないぞ」 一益のおかげで宿敵上杉は尻尾をまいて親不知(おやしらず)(地名)の向こうに逃げ帰った。残る領内の懸案は、いまだに(くすぶ)り続けている一向一揆衆の反乱だけである。留守役である富山の佐々成政に兵一万を預け、当初は二万しか用意できなかった柴田軍は三万八千人に膨れ上がった。予定通り柴田軍三万八千の軍勢は柳ヶ瀬の山中に陣地を構築した。

「御館様、これでは信長殿に敗れた朝倉軍の戦法と同じではありませぬか?」 猛将で知られる佐久間盛政は敵の備えが整っていない状況を見てひと暴れしたいようだ。 「わしも当初はそうおもうておったが、或る事情で控えねばならなくなったのだよ」 「或る事情と申されますと?」 「今はまだ言えぬ! フッフフ~ 猿め! 楽しみにしておれ」 勝家は不気味な笑いを見せながらその時を待った。両軍の睨み合いが続く事二ヶ月、五万とも六万とも言われた北近江を覆いつくすほどの羽柴軍は痺れを切らしていた。 「柴田権六はわしの力に恐れ入って山から出て来れぬと見える 皆の者、しょんべんちびりの権六に今なら許してやらぬでもないから、わしの前に出てきて膝まずくように言ってやれ!」 いかに戦巧者の勝家といえども、兵力差から考えても万が一にも秀吉が負けるわけが無いと自信を持っている。しかしこのままだらだらと北近江の地に兵力を展開していては、四国の長宗我部や九州の平定は勿論、毛利が反旗を翻す恐れもある。秀吉が天下を取って太閤殿下に成り上がる為には、こんなところで勝家相手にグズグズしている暇はない。策略と謀略と調略に長けた黒田官兵衛は秀吉に耳打ちをして「殿、岐阜の織田信孝殿が謀反を企てたとの噂を流してはいかがですか?」 「それをさせない為に尾張に雄勝を置いているではないか」 「ではその雄勝殿も信孝殿と計っているとかなんとか適当に話を持っていきましょう」 「うん、成る程 それで・・・?」 「柴田軍を北近江に引っ張り出す事が目的ですから気取られてはなりませぬ こちらの精鋭軍を直ちに大垣まで進軍させます」 「数はどの程度じゃ?」 「そうですなあぁ・・ 少なすぎても信憑性に欠けるし、多すぎては守りの陣に影響が出るし・・・ 二万でどうでしょう?」 これで秀吉は自ら罠にかかった。

滝川の知らせがなければ、この官兵衛の作戦は実に見事なものであったろう。

秀吉得意の大返しで明智光秀が体勢を固める前に山崎の戦で勝利を得たのである。本来であればいかに秀吉であっても、織田家中トップクラスの智将の明智光秀に完全勝利することはできなかったはずである。今回も秀吉はその成功体験を胸に秘めて、二万の軍勢を引き連れて信孝討伐に向かった。


 後の関が原の戦いで家康が本陣を構えることになる桃配山で、津田秀政は秀吉の軍勢が大垣方面に向かっている様子を見ていた。桃配山から関が原方面を見て、右が伊吹山側道で左が養老側道である。秀吉軍は途中で二隊に分けて両側の道を更新している。人数が多すぎて一度に隘路を進めば必ず渋滞をおこしてしまう。左右を行進する大軍勢をみて、津田は身震いがした。まさに軍隊蟻の大行進である。へたをしたらこちらが全滅するかもしれない。そこで先々の事態を想定して、この場を持ちこたえらそうになくなったら迷わず全員が養老渓谷から鈴鹿方面に逃れるように周知徹底してから、両道の最も狭くなっているところに地雷を仕掛けた。時々付近の村人が通ろうとするのを通行止めにしてその時を待った。その日の夜、関が原口を守っていた霧隠才蔵隊は長浜方面からやってきたと思われる早馬二騎ほど駆けて来るのを発見して迷わず射殺した。その後何度か早馬がやってきたが、それらも全て射殺してしまった。自分達が苦労して仕掛けた地雷を、反対側から来た馬に踏まれては元も子もなくなると必死に地雷源を守ったのである。夜があけて翌日の午前中に大垣方面の伊吹川道に馬に(またが)った武将と数人の小物がのんびりとやってきた。ここを守る猿飛佐助は才蔵同様、まだ本隊が見えないので地雷を守る為に全員射殺した。実はこの馬の上の人物は秀吉に 「木ノ本の様子を見てまいれ」 と言われてやってきた石田佐吉(三成)であった。佐助には仕方が無いことであるが、これで関が原の戦いはなくなったであろう。そして時々やってくる村人を追い返しているうちに夜になっていた。一向に木ノ本からの知らせが届かないので、秀吉は不安を覚えた。何度か偵察隊を出したが一向に連絡が来ないまま、また夜が明けた。そして午後、秀吉の命令で長浜城に戻る命令がくだされた。元々岐阜城の信孝なんぞを攻める気はないのである。長良川を渡ってびしょぬれになる価値もない。全隊の準備が整った頃には夕日が近づいていた。夜の闇を突いて二隊に分かれた軍勢は例の場所にやってきたときには、もう既に津田鉄砲忍者隊は引き上げた後であった。今日の昼すぎには柴田方優勢で長浜城を取り返したとの報告を受けてのことであった。先頭集団が地雷原に入ったとき、突然最前列で爆発がおこり、数名の足軽が火達磨になって転げまわっている。「どうした!?」 と駆け寄る者達も地雷を踏んで悶絶する。爆発現場は炎で明るく照らされて大体の様子が判った。後方では先頭集団が何かの攻撃を受けたと見て行軍を止めた。指揮官から指令がとび、先頭の部隊は前と左右に槍を向け、無駄かも知れないが鉄砲隊が前列に構えた。じりじりと時間だけが過ぎていくなか、辺りはし~んと静まり返っていて人の気配も何もしない。火がついた着物を脱がされてスッポンポンになった足軽達の着物だけが虚しく燃えている。

そしてまた鉄砲隊を先頭に恐る恐る先に進みだしたところ、再び鉄砲兵が地雷を踏んだ。飛び散った松根油が周りの槍隊に燃え移る。そして片足を吹き飛ばされた鉄砲兵以外は周りの兵の力添えでスッポンポンにされる。それを見ていた無事な兵たちはパニックになって怒涛の逆流を始めた為に、後方の部隊と正面衝突となって大混乱に落ちいった。一方、伊吹側を進んでいた秀吉本体も同様な事態となり、軍勢を一旦引き下げた。 「何者の仕業じゃ!? 誰かわかる者はおらぬか?」 傍にいた池田恒興はなんとなく滝川一益の仕業ではないかと感じたが、幼少の折の乳母兄弟の名を口にできなかった。それに恒興は元々織田の家臣で秀吉の家来ではないのだ。秀吉の力の前に屈した情けない自分を、一益と比べていた。暗い中での行軍は危険と判断して翌朝改めて関が原方面に向かう軍勢の前半の兵は小物ばかりで、お世辞にも武将と言われる者たちはいない。先頭でどんなに犠牲者が出ようとも 「進め! 進まぬと撃ち殺すぞ!!」 と、情け容赦も無い怒号が飛び交うなか、多数の犠牲者を出してようやく関が原が見えてきた。が、しかしそこには猛将佐久間盛政の大群が待ち構えていた。細長く伸びきった秀吉の軍はどう考えても戦う事はできず、再び地雷の残る今来た道を引き返すしかない。盛政は絶好の機会と捉え、追撃を始めようとした時、 「お待ち下さい、盛政殿!」 と声がかかった。盛政が振り向くと厩橋から使わされた一益の長男一忠であった。 「一忠殿、邪魔立ては無用にござる 下がっておられよ!」 「邪魔立てをするつもりはありませせんが、よーく耳を済ませてあの音を聞いてくだされ」 「あの音?」 時々遠くから爆発音が聞こえる。 「あれは?」 盛政は不思議そうにしていた。

「まさか別働隊がいるのですかな?」 「誰もいませんよ あれは我らの甲賀忍軍が仕掛けた地雷です」 「地雷だと? お~くわばらくわばら 全く忍者のやることは怖いのう」

ほうほうの体でやっと大垣口まで戻ってきた秀吉は疲労困憊(こんぱい)に陥っていた。戦死したり重傷を負った兵は然程(さほど)多くは無いが、皆一様にへとへとである。

そしてまた夜が近づいてきたので大垣城に戻り、翌朝北伊勢を通り鈴鹿峠を越えて甲賀の村人達の冷たい視線を浴びながら何日もかけてようやく近江八幡に到着した。大垣城には二万の兵の食料なんてある訳もないし、圧力をかけていた甲賀や伊賀では食料を分けてくれるはずもない。さりとて腹いせに略奪や放火などしようものなら、何日も水しか口にしていない兵達は餓死寸前なので村人の反撃に抗しきれない。彦根まで追いやられていた羽柴秀長達の軍勢も秀吉と合流を果たした時には四万の兵が五千まで減っていた。戦死したのではない。秀吉譜代の武将以外の多くの者達が逃げ出したのである。


 時は少々戻って柳ヶ瀬の柴田勝家本陣ではじっと動かず敵勢を見張っていた。

本陣からはよく見えないが一里(約4キロメートル)先の北国街道には馬防柵を設置してあるらしい。左右の山には堀秀政と木村隼人正が睨みを利かせており、正面は敵方に落ちた勝家の子の勝豊の家臣、小川・木下部隊が構えていた。

彼らは柴田軍とは戦いたくないであろうが、なにしろ左右の山から鉄砲で狙われているから逆らうことも出来ない。「御館様、ここは我らが敵の横を迂回して攻撃をかけまするのでご許可をくだされ」 猛将佐久間はやりたくてやりたくてしょうがないようである。 「まもなく伊吹山に登って様子を見ている物見からの知らせが入るであろう そうすれば勝政は五千の兵を連れて左の山、前田殿は同じく五千の兵で右の山を攻められよ 目的は正面の勝豊の兵達を開放するだけだから無理攻めはしないように よいな!」 「正面突破でござりますか?」 利家の問いに勝家の心は複雑な思いであった。一益からの知らせによると、前田利家が裏切るというのだ。勝家も利家が藤吉郎と竹馬の友であった事は承知している。しかし戦国の世に生きる武士(もののふ)としては、勝つか負けるかが大事である。勝家が秀吉に負けるようなことがあれば“是非もなし”である。そんな(あるじ)だった信長の口癖を思い出しながら知らせを待っているところに“その一報”が入ってきた。 「申し上げます 伊吹山の物見からの知らせによりますと、羽柴秀吉軍約二万の軍勢が関が原を通り、大垣方面に向かった由にございます」 そして再び歴史が動いた。

 その日の深夜、空は曇りで星明り一つない漆黒の闇である。前田利家と柴田勝政の各五千の兵達は予め見当をつけておいた道程を、右の堀秀正 左の木村隼人正が立てこもる山に忍び寄った。やがて夜明けを迎えたとき、木村と堀の兵たちは息をのんだ。火縄銃が届くほどの距離ではないが、自分達の足元に大群が押し寄せているのである。そして柴田の本陣から優に二万を超える兵が四隊に分かれて粛々と北国街道を進んできた。羽柴軍が築いた馬防柵の五町(約500メートル)手前で止まった。突然の信じられない光景に木村と堀の両将は身動きも出来ないまま見つめるだけである。双方の兵を合わせても六千程度であり、それ以上の兵力を山の上には上げられない。他方、眼下に広がる柴田軍は三万を大きく超える数である。堀秀正らは直ちに前戦隊の後方支援隊に伝令を走らせた。羽柴軍は木ノ本の本体とは別に、最前戦の後方にも第二前戦隊を配置した従深陣地を構築していた。 「わしが戻るまで絶対に動かぬように!」 と釘を刺されていた秀長は、守りさえ固めておけば問題ないだろうと楽観していたのだが、やがてそれが後悔に変ることになる。秀長は柴田軍の動きを察知してから直ちに大垣に早馬を走らせた。更には途中でなにかあるかも知れないと、念入りに第二弾第三弾と走らせた。しかしそれらは全て秀吉の元に届かなかった事は先に書いた通りである。

柴田軍の最前列の五千の隊がサーと左右に分かれ、中央から白馬に跨り悠々と一人の騎馬武者が進んでくる。手には“天下布武”と書かれた軍配を持ち。般若の面と大きな水牛のような角の兜を被っていた。この軍配は一益が勝家に貸与したものであった。そして柵から一町のところでピタリと止まり、正面を睨んでいる。慌てた鉄砲足軽達はこの騎馬武者を討ち取ろうとして柵の内側から鉄砲を構えようとしたとき 「待て!」 と小川祐忠が止めた。

その騎馬武者の面が取り払われて素顔が見えた瞬間 「あ~ 御館様じゃ!! オヤカタサマー オヤカタサマー」 と歓喜の叫びが木霊のようにとびかった」

勝豊の兵達は槍も鉄砲も投げ捨てて柵を取り壊そうとした瞬間、天下布武の軍配が大きく振られた。左右の山の手前で待機していた勝政と利家の隊が一斉に堀と木村の陣に襲い掛かった。勝家は人質同然だった勝豊の部隊二千を旗下に取り込み一気に木ノ本本陣に走らせ、途中の山から駆け下ってきた敵には支隊を振り分けて対峙させ、一気に北近江の平地に出た。そこで一万の兵を木ノ本方面に向けて陣を敷き、残り一万の兵を秀吉宜しく大返しを行って元来た道を駆け戻っていった。後方は敵味方双方の乱戦状態であったが、新たに勝家一万の突撃を受けて敵方は総崩れとなった。或る者は打ち死にし、またある者は逃亡して勝敗は勝家圧勝であった。しかしまだこれでは勝利を掴んだとは言えない。後顧の憂いがなくなった柴田全軍四万は一気に木ノ本の羽柴秀長が守る本陣を包囲した。織田の旧臣達は算を乱して逃走し、秀長に残された兵は僅か五千になっていた。勝家は長浜城で人質にされている勝豊の無事を確認してから、

秀吉への書状を持たせて 「最低でも彦根の先にさがられよ」 と命じた。そして佐久間盛政は勝家の指示で二万の兵を連れて関が原に向かっているところであった。その後勝家は若狭と近江の太守に就き、前田利家は越前加賀 息子の勝豊には甲賀と伊賀と北伊勢を与え、勝政には筒井順慶を追放して大和と和歌山を与えた。そして留守居役で腐っていた佐々成政は富山一国を与えた。これは力で領地を奪い合う最後の戦いとなった。ここに最大の功労者である佐久間盛政は京都守護職となる。その後の和平協定で秀吉の支配地域は山崎までとしたのだが、堺が残っているのでこれからの一益から課せられる使役には耐えられるであろう。


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