痴漢という十字架
「初犯だし、中学生か……仕方ないわね許すわ」
僕を駅員室へ引きづっていったお姉さんは、そう言って僕を許してくれた。
「ほんの出来心だったんですぅ、あまりにも美人でそれで、それで……グスッ」と、お姉さんをヨイショしつつ、魔が差してしまった可哀そうな少年を演じるという、高度な合わせ技で僕は巧みに危機を回避した。
断っておくが、初犯でもなければ、魔が差したわけでもない。
――確信犯だ。ここは譲れない。
僕は幼少の頃から剣道を続けることで、性という感覚の鋭さを洗練してきた誇りがある。
決して出来心などではない。
痴漢をすることに誇りを持ち、剣の道を修めることで昇華した技を披露したに過ぎない。
僕は1ミリも反省の気持ちを持たずに、学校へと向かった。
学校に着くと、丁度、昼休みの時間だった。
流石に痴漢を弁解するには5分や10分で終わらず、長丁場になってしまったが許してもらえたので結果オーライだろう。
僕が自分のクラスの扉を開けるとそこに待っていたのは悲鳴の嵐だった。
「キャアア、痴漢が来たキモーイ」
「妊娠しちゃうからこっち見ないでッ」
「飯がまずくなるから帰れよクズッ」
心無い罵声の数々。女子中学生の罵声……悪くはない。
この状態で更なる気持ちの悪さを出してしまうと、僕は学校へ来れなくなる危険性があるため、冷静を装いつつ、教室の端で一人で給食を食べているキモオタ眼鏡に声を掛けた。
……こんな奴うちのクラスにいたっけ?
「なんで僕が罵声を浴びせられているか答えを知ってる?」
キモオタ眼鏡はモゴモゴしながら僕の問いに答える。
黒いロン毛が給食のスープに浸かっているのに気づいていないようだ。
……口に物を入れながら話そうとするなッ、気持ち悪いんだよぅ!
「モゴモゴッ、高西さんが今朝、痴漢をして駅員室に連れていかれる田中君を見たって言ってました」
……高西か。
高西千鶴。通称ちーちゃん。
僕の中学時代のクラスメートの一人だ。
彼女はひょうきんな性格で男子からも女子からも受けがいい。
見た目も愛くるしい小動物の様な見た目で保護欲を促進させる。
男子からモテるのに同性からも嫌われていない、いいポジションを築いている計算系女子だ。
僕の口ぶりからわかると思うけど、彼女の性格は計算によるものだと僕は思っている。
僕は一応、都の強化選手に入っていて、高段者の先生達と手合わせしてもらう機会が多くあるのだが、高段者の先生方が出す隙のない雰囲気を彼女から感じることがある。
――僕の目は誤魔化せない。高西は猛者だ。
そんな剣の達人と同等な雰囲気を持つ高西に近づき、僕は抗議の声をあげた。
「高西、一体どういうことだ? 冗談でも言ってはいけないことがあるだろう?」
僕は強い眼差しで高西を睨んだ。お前の性根は見抜いてるからなっ!
そんな僕を怯えたような目で見る高西。瞳の色がドス黒い。実にあざとい。
「チヅルは嘘なんかついてないもんッ! 田中君が綺麗なお姉さんに『魔が差したんですッ! すいません、すいませんッ』って言っている所を見たんだもんッ!」
……ほぅ。よ、よくできた作り話じゃないか。
僕はこの追い込まれた状況で先生の言葉を思い出した。
『剣道とは駆け引きだ』
剣道はただむやみに竹刀を振り回せばいいわけじゃない。
相手との話し合い、つまり『対話』が必要だ。
対話と言っても、実際に話し合う訳じゃない。剣でのやり取りを指す。
まず僕が相手の中心から竹刀を逸らすことで隙を見せる。
「僕は隙だらけだぞ?」そう相手に伝えるわけだ。
すると相手は距離を詰めてくる。
「お。サンキュー。打ちのめすわ」そんな感じだ。
そして相手が打ってきた所を、僕が返し技で逆に打ち返すというわけだ。
「馬鹿め! ハハハ」そういうことだ。
つまり、この状況は前述の状況と全く同じということだ。
僕が隙を晒し、高西が距離を詰めてきた。後は僕がきっちりと返すだけ。
簡単だ。剣の達人である僕を相手にするのは荷が重かったようだな高西。
――そして僕は返し技を放った。
「綺麗なお姉さんだったんだ。仕方ないだろ?」
教室が悲鳴に包まれた。わからない。何故だ?
今、思い出してみても全く意味が分からない。
僕の返し技が決まり、高西は地に伏す。
そうなるはずだ。おかしい。先生! 貴方の教えは間違っているのではないですか?
呆然と立ち尽くす僕をよそに悲鳴は強まる一方だった。
僕は視線をさまよわせると、一人の男と目が合う。
僕の親友、日高 優助だ。
日高優助
――通称ユウ。ユウはサッカー少年だ。
1にサッカー、2にサッカー、3、4が無くて5にサッカーボールだ。
それぐらいサッカーをこよなく愛していた男だった。
なぜ過去形なのかというと、僕との出会いで彼は変わった。
彼と出会ったのは小学4年のクラス替えで同じクラスになった時だ。
その時に僕は既に完成されつつある変態だった。
「体育の授業でいちいち体操着になるのってめんどくさいよな」と言うユウに対して、僕は体操着の意味――つまりはブルマの素晴らしさを全力で説いた。そして導いた。変態への道へ。
彼は変わった。今までは「体操着になるのめんどくせえ」なんて言っていたが、今では体操着にならない奴を全力でフルボッコにする。
体育の授業が終わると全力で教室に戻り、すぐに教室内の掃除用具入れに駆け込み、通気口から着替えを凝視する。
優しいスケベと書いて優助。そう胸を張って言える程の男に彼は成った。
――彼なら理解してくれる。僕はそう思い、口を開いた。
「ユウ! こいつらに何か言ってやってくれ!」
ユウは僕の目を見て、ニコリと微笑む。
透き通った目。
何も考えずに身をゆだねられるぐらい澄み切った瞳だった。
まるで邪気を感じない。
ユウはそんな瞳をしながら、高西、ひいてはクラス中の女子に言い放った。
「え? 俺も高西のブルマの匂いよく嗅いでるけど」
その日から中学を卒業するまで、僕とユウは女子から迫害された。