侵攻軍内部事情
エンリコ子爵家ベンハミンはある意味幸運であり、ある意味不幸だった。
彼は歴史ある子爵家の当主だが、元々予備の次男坊だったのが、父が隣国との戦いで戦死、元々病弱な兄が病死した事で家督を継いだ。
軍人貴族の家であった為に騎士団に入隊していた彼であったが、まだ跡継ぎのいない貴族家の当主となった為に後方に配置換えとなり、そこで後方での仕事いわゆる補給管理や経理などに抜群の手腕を発揮した事で急遽結婚相手を決めて、子を為した後も前線には戻らせてもらえなかった。
ここには不正を防ぐ為に、自分の部隊だけで決算を行う事が出来ないという規則も関係している。
例えば、ある中隊が一日で帰って来れる演習に十人で出向いたとする。その時、三日で二十人と誤魔化して書類を自分達だけで処理したらどうだろうか?本来なら、食事だけで三十食で済む所が百八十食も申請される事になるし、その余った食料を自分達のポケットに入れても消費された事になっている為ばれない、という事になる。
それは良くないので中隊なら大隊長が、というように処理する責任者が設けられている。
しかし、エンリコ子爵が前線に出ようとすると、当然、誰かが書類を処理せねばならない訳で……。
「だから私はずっと後方担当だったんだがなあ」
「何をぶつぶつ独り言言ってるんですか、副団長」
そんな私は現在、騎士団の三分の一余りを連れて、遠征にやって来ていた。
率いる部下は七千、内二千は工作兵だ。これは作戦終了後、森をある程度切り開く事も目的としている為だ。
「いやね?ろくに前線出てない私が次期団長ってやっぱりおかしいんじゃないかと思うんだよ」
「まだ言ってるんですか?」
呆れたように言わないでくれ。
まあ、副官である彼とも付き合いは長いからなあ。遠慮がない。
これ以上は口には出さないでおくが、騎士団の仕事というのは結局は戦う事だからなあ……。私が今回の勝ちが約束されている戦いの指揮官に任じられたのも「次期団長」として箔をつける為だというのは重々理解している。
まったく……世の中思うようにいかないもんだよ。私は裏方が気に入っているというのに。
大体、書類に追われての運動不足やらストレスやらで騎士らしからぬ体形なのも……。
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やれやれ、とエンリコ子爵様の様子を見て、私は内心で溜息をつきます。
まあ、この方が弱音を吐くのは私など気心の知れた方しかいない場所でだけですからね。そうやって溜まったものを吐き出してる訳で、信頼されている証と喜ぶべきでしょう。申し遅れました、私、エンリコ子爵の副官を務めております者です。
エンリコ子爵様の団長就任に関しては、所属する騎士団や近衛などからの評判は大変良いのです。
確かに、最前線に出る事はこれまでありませんでしたが、作戦立案には関係してこられましたし、長年縁の下の力持ちとして団を支えてきた功績も、王都における他との交渉による顔の広さも大変なものです。もちろん、団の内部にも反対する者もおりますが、いずれも大きな勢力ではありません。何せ反対してる連中で一番多いのが家柄自慢の連中ですから。
典型的な家の権力をバックに威張り散らす連中とその取り巻きですね。
彼らからすれば、子爵如きが!という事になる訳です。
確かに彼らの実家は伯爵家とか侯爵家とかですが、当主になれる訳でもないので実力で新たに家を立てない限りは単なる騎士なんですけどねえ……。おまけに家柄を自慢するような輩というのは基本傲慢なので人望もない上、家柄を誇るという連中、他に誇る物がないから家柄を誇っている訳でして。
もうお分かりかと思いますが、実績もないんですよね。
実績も家柄もあるような方はエンリコ子爵を支持していますからね。
かくいう私にも連中、声をかけてきたんですよね。私、実家は侯爵家ですし。
曰く『君のような侯爵家の出自を持つ者が、たかが子爵ごときの副官など云々。私が新たな団長になった暁には云々』
余計なお世話です。
どれだけエンリコ子爵がしてる仕事が大変か理解してるんですかね?理解してたら言える訳がありませんね。
少しでも頭の回る人達は次の次を狙ってるんですよ。
何故そういう行動を取っているか、それを知らない時点で実家の権力とやらが実はたいした事ないか、それとも実家から見放されているのかどちらかという事です。
実はエンリコ子爵自身もご存じない事ですが、彼の次の次は既に決まっているんですよね。王国の財務、その軍事関連を一手に担う財務尚書補佐の一人という地位への転属が。もちろん、将来的には財務尚書への就任の可能性もあります。
そういう職に就く為に、一時的にでも団長職を経験してもらう、という事なのだとこないだ実家に帰った時に知らされましたよ。
無論、実家としては私もそのままエンリコ子爵の補佐としてスライドさせる気で言ってるんでしょうね。……現在の財務関係は尚書ご本人も含め、補佐の方はご高齢の方が多いですからねえ。本来の候補が不正やら何やらやりすぎてまとめて失脚しましたから次の尚書候補の育成は急務でして。そんな中選ばれた訳ですから、まっとうに務めていれば将来、財務尚書となる可能性は結構高い訳ですよ。そんな時、尚書の信任厚い副官に家の縁戚がいるというのは大きなアドバンテージとなる訳で……。
将来の財務尚書を敵に回す可能性のあるような事、頭の回る連中ならする訳ありませんよね。そうでなくても、そういう決定がなされているという時点で陛下を含めた上層部には既に話が通っているという事なんですから。
まったく……国内でも数の限られる正規騎士団の団長職なんて次期団長の名前が挙がる時点で、既に上では話合いの上、内定済なのは分かりきっているでしょうに。
エンリコ子爵も表立っては言わない、もしくは信頼出来る者がいる場所でだけ愚痴ってるのはそこら辺の事を理解しているからだというのに……。
いいんですけどね。お陰で、現在の貴族の勢力状況やなんかが一目瞭然ですから。
さて、では出撃といきましょう。
ささ、副団長閣下、お仕事の時間ですよ。
次回、少々時間を進めて、対峙する場面にまで行く予定です