62話 研究所所長
大型の機械だらけの廊下をひたすらに走り続け、優也はひらけた空間へとたどり着く。
「ひなこ!」
そこに彼女がいるという確信もなく、優也はそう叫んでいた。
「来ましたか」
その声に応えるように返ってきたものは、ひなこのもの、ではなく、むしろ男のものであった。
空間の突き当たり、そこで壁になったそこに、声の主は立っていた。白衣を身にまとった中年の男。
「探しものは彼女ですか?」
その男の陰から、円柱の水槽に入れられたひなこが現れる。意識を失った彼女の隣には、別の水槽に入れられた七星があった。
「ひなこをどうするつもりだ」
「どうするもこうするも、彼女は私たち研究所の所有物です。貴方には関係ありません」
所有物だと……?
「ひなこを返せ」
「ですから、明元ひなこは、貴方の物ではありませんよ。研究所の物です」
「ひなこは物じゃねぇ! だいたい、ひなこは俺と契約してんだ。俺が契約者なんだからこっちの意見に従ってもらわなきゃ困る」
「でしたら、その契約、こちらで解除しましょうか」
「なに」
「私たちは『美少女レンタル』を統括しているのです。契約の解除なんて簡単。貴方が契約者権限で彼女の返却を申し出るのならば、こちらは契約解除の手続きを行うだけです」
「テメェ……」
どうやら話して理解してもらえるような相手ではない。そもそもそんなこと分かりきっていたことではあるが。
(ひなこ待ってろよ。今助けてやるからな)
水槽の中で眠る彼女に、優也はそう誓う。
それに、これはカメリアとの約束でもあるのだ。
「だったら力づくで取り返すまで」
腰を低くして、優也は戦闘態勢へと入る。
相手は人間。一人の力ではないにしろ、『美少女』に勝利した優也からすれば、そんな強大な敵ではない。
「先手必勝だ!」
地を蹴り、拳を振りかざす。
その拳は防がれる。だから脇腹を狙った左フックが本命。
…………のはずだった。
「ぐウッ!」
右拳が、所長の顔面に炸裂。
漏れ出るような声。右の拳に、骨の砕ける感触が伝わってくる。
「…………は?」
一瞬、優也には、何が起こったのか理解できなかった。
左フックは放っていない。そもそも、振り下ろした拳が防がれていない。
つまりは……。
下を見れば、床に座り込み、涙ながらに赤く腫れた頬を押さえる所長の姿が、そこにあった。
「…………」
正直優也は戸惑っていた。
過去に『美少女』を相手にしたからだろうか。普通の人間なんて、こんな程度だったのだろうか。それとも、所長が弱すぎるだけなのか。
どれにせよ、そこにいる敵は戦えない。これ以上は殴る必要はないだろう。
だが、
「これで俺に気が収まったなんて思うなよ。どんだけ殴ったって、俺の怒りは静まらねぇし、ひなこが味わった痛みから比べりゃ軽いもんだ。だからテメェには地獄を見せてやりたいが、そんなことすりゃ、テメェらと変わりねぇからな。そうなるくらいなら、殴るのを我慢する方が何倍もマシってもんだ」
それに、
「そういうのが嫌いなやつが、そこにいるんでな」
彼女なら、きっとこうしていただろう。
だから、自分もその道を選ぶ。
「ひなこは返してもらうぜ。あと、ここにある機械類は壊させてもらうからな」
所長からの返事はない。当然ではあるが。
(っていうか……)
本気で人を殴ると、こんなにも自分も痛むものなのか。
優也は未だにうずく右拳を片方の手で優しく撫でながら歩き出す。
目的は二つ。
一つは、水槽で眠る明元ひなこの救出。
もう一つは、『美少女』の意思を操作しているという機械の破壊。
まず優先すべきは、もちろん、ひなこの救出だ。
優也は水槽のそばに歩み寄り、その中で眠るひなこを見た。
薄い青色の検査服に身を包む彼女。見る限り、家で氷銀に負わされた傷は癒えているようだ。しかしその顔色に彼女特有の明るさはない。
「待ってろよ、今助けてやるからな」
しかしどう助けたものか。
悩んだ末に優也が考え出したのは、最も簡単な方法。水槽を割ってしまうことだ。
「ちょっと痛いだろうが、殴れば割れるだろ」
今すぐにでも彼女を取り戻したい。そんな気持ちから、優也は拳を構えた。
ゴオン、と低く鈍った音が鳴る。
「てえーー⁉︎」
ジン……、と骨に響く痛み。
水槽に、ヒビどころか傷一つ付いていない。
ガラスだと思っていたが、どうやらアクリル製だったらしい。
(手で割れねぇなら、なんか探すしかねぇか)
辺りを見てまわれば、ドライバーやらスパナやらが置かれた台を発見する。
さすがは研究所か。あえて、これが何に使われていたのか考えないが。きっと、機械の修理に必要なのだろう。
てか、最初から探していれば、こんなに手が痛むこともなかったのだが。
優也はその工具類からちょうどいい大きさの物を手に取り、ひなこがいる水槽の前に立つ。
(今度こそ出してやるからな)
工具を握る手を振り上げ、力を込めて水槽へと叩きつけた。




