51話 明元ひなこに協力するということ
「ぅぅ…………」
まぶたを開けば、そこには白い天井が見える。
「俺……」
我が身に何が起きたのか、優也は記憶をたどってゆく。
カメリアに勝利し、彼女を連れて家に帰り、リビングで楽しそうに話すひなこたちを見ていたら、急に視界が歪んで……。その後から思い出せない。
「気ぃ失ってたのか……」
その原因は、なんとなく予想がついていた。
「優也くん!」
「ひなこ……」
優也が寝ていたベッドの脇に置かれた椅子の上で、さぞ心配そうな表情を浮かべているのは、ひなこだ。その目尻には、かすかに涙が見えている。
「悪い、心配させたな……」
「ううん、気にしないで。でもびっくりしたよ。優也くん、きゅうに倒れるんだもん」
「まあ……。あれからどのくらい経った?」
「そんなには。二、三時間くらいかな」
「そうか」
上体を起こし、優也は周囲を確認。すべてが見慣れたものばかりだった。
「ここは、俺の部屋か」
「うん。カメリアちゃんと協力して運んだの」
「そうか。ありがとう」
リビングのソファにでも良かっただろうに。わざわざ二階へ上がって、ベッドに寝かせてくれたのは優しさ以外の何物でもない。
カメリアにも礼を言わなければいけないな。
「カメリアは?」
「もうすぐ上がってくると思うよ」
まさにそのタイミングで、部屋のドアが開かれ、カメリアが入ってきた。
「カメリアちゃん! 優也くん、起きたよ」
「そう……、よかったわ」
かすかに安堵の息をもらすカメリア。どうやら彼女にも心配をかけたようだ。
「悪いな、カメリア。それと、ここまで運んでくれてありがとう」
「べっ、別に! ひなこが運ぶっていうから手伝っただけよ! べ、別にアンタのためじゃないんだからっ」
本人がそう言うのならば、そういうことにしておいてやろう。
「それより」
優也のもとへ歩み寄るカメリア。その手に持たれたお盆を、彼の前へ突き出す。
「これは?」
「おなか、空いてるんじゃないかと思って……」
お皿に盛られているのは、一杯のおかゆ。
「えらくタイミングいいな」
「なんとなく起きるんじゃないかって思ったのよ」
そんな会話をする優也の前で、おかゆから湯気が立ちのぼり、お米のいい香りが食欲をそそる。
ぐぅぅ…………、と。腹の虫が鳴いたのは、優也、
「おかゆ……」
ーーではなく、ひなこだった。
「お前が鳴るんかい!」
「だってだって、おなかすいたんだもん……」
そういや、気を失う前、焼肉を作ってやると約束していたな。そのことに、ひなこは子供のように無邪気に喜んでいた。
「焼肉、悪いな、作ってやれなくて」
「焼肉よりも大切なものがあるからね」
「それってーー」
もしかして俺の、
「そんなことより、わたしのおかゆは?」
「………………」
“そんなことより”、わたしのおかゆは? …………か。
「アンタ、なかなかえげつないことするわね……」
「へ? なんのこと?」
ちらりと、カメリアは優也に視線を向けた。
「別に。それと、おかゆ、ひなこの分も用意してるわよ」
「やったあ!」
本当に食べることが大好きなやつだ。それでいて太っていないというのだから、きっと世の中ひなこへ物申したい人が数多いことだろう。
「ほら、アンタの分。食べなさいよ、せっかく作ったんだから」
「作ったって、カメリアがか?」
「な、なによ。不満でもあるの」
「いやねぇけどよ」
ただ意外だなと思って。味のほどは知らないけど。
「あたしとひなこの分も持ってくるわ」
「ああ、それまで待ってるよ」
せっかくだから三人揃って食べたい。
「あっ、そういえば、ひなこ。あれも持ってくるわよ」
「うん、おねがい」
去り際に、二人だけが分かる会話を交わすカメリアとひなこ。
「あれ?」
「アンタは持って来てからのお楽しみよ」
「なんだそりゃ」
そうして、カメリアは、部屋を出ていった。
彼女が戻ってきたのは、ほんの十数分が経過してからのことだ。
その手には、先ほどと同じようにお盆が持たれている。優也のものと同じ二枚の皿、カメリアとひなこの分であろう。それと、もう一枚、一回りほど小さい皿。
「その皿は?」
「これは、アンタによ」
そう言って、カメリアは優也の盆へ、その皿を置く。
「おかゆ?」
これまたおかゆーーのようなものだった。
より正確に、皿に盛られた料理を説明するのならば、おかゆだったもの、だろう。
そんな表現になってしまっているのも、きちんとした理由があるわけで。
「それは、ひなこからよ」
「ひなこから? ってことはひなこが作ったのか?」
「うん、そうだよ」
これまた意外。いや、むしろカメリアより意外だ。出会ってからほぼ毎日一緒にいるというのに、彼女が料理できるという事実を初めて知った。
「こっちはえらく冷えてるな」
「ちょっと前に作ったからね」
ちょっと前、というからには冷えすぎている気がするが。
「あと、なんか……、黒くないか?」
「き、気のせいだよ?」
「気のせい……」
とは思えない。
「もしかして焦がしたのか?」
「そそ、そんなことは……」
「別に隠すことはないだろ。誰だって料理作ってたら焦がすことはあるし」
「優也くんも?」
「そりゃもちろん」
人間だし。火を使っている以上当然の出来事だ。
「じ、実は……ね? ちょっと目をはなしてるあいだに、そんなことに……」
「そうだったんだな。まあ風味は変わるけど焦げたって食えねぇことはないんだ」
とくに、ひなこが作ってくれたおかゆは、そこまで焦げてしまっているわけではない。これだったら、味付けで誤魔化すことのできる範囲だ。
「さて、せっかく作ってくれたんだ。冷めねぇうちに食べるか」
「うん!」
「そうね」
優也はお盆を持ったまま、ベッドから足を下ろす。
「もう起きて大丈夫なの?」
「ああ。おかげさまでよくなった」
ほんとに。絶好調とは言えないが、気を失う以前に比べれば、幾分も良くなっている。
「そういえば、なんで優也くん、きゅうにたおれたの?」
「それは……」
この場で説明するには少しばかり気が引ける。
それ以上を口にしない優也に変わって、言葉を出しはじめたのは、なんとカメリアであった。
「簡単なことよ」
「なに?」
「外面じゃあ元気なふりしてるけど、身体の中身なんかぐっちゃぐちゃよ」
「ど、どどういうこと?」
「それは、」
「カメリア、その辺でやめとけって」
さすがの優也も聞いていられない。こんな話、他の誰でもないカメリアの口から聞くなんて。
「事実よ。あたしが説明するわ」
「どういうことなの?」
気絶した原因を作り出した状況を知らないひなこには、この会話の意味も理解できないのだろう。
「あたしとの戦いで、内臓のいくつかを壊されてるのよ。いくら結界の中だったといっても、そこまでの損傷を無かったことにはできないわ」
「こわされてるって……、優也くんの⁉︎」
「ええ。あたしが、壊しーー」
「はやく病院に連れていかないと!」
「へ?」
「え?」
その場から立ち上がるひなこ。その様子から慌てていること、そして次何をしたらいいのかわからなくなっていることが伺えた。
そして、ひなこのその反応は、優也とカメリアの予想から大きく外れたものであった。
「……責めないの? あたしを」
「せめる? なんで?」
「なんでって……。だから、こいつをこんな目に遭わせたのは、このあたしなのよ?」
「? じゃあ、ぎゃくに聞くけど、カメリアちゃんは、優也くんをこんな目にあわせたかったの?」
「それは……違うけど……」
「だからせめない。カメリアちゃんは悪くなんてないもん」
「…………」
そうだった。明元ひなこ、という人物は、こういう心の持ち主であった。
「それより、はやく救急車を呼ばないと!」
あたふたと、ひなこは、あっち行ったりこっち行ったり。
「優也くん、救急車って何番? 99番?」
「ちげーよ。119だ」
「そっか! はやくかけないと……」
さっきから落ち着きを見せないひなこに、優也は静かに呼びかける。
「ひなこ」
「なに?」
「少しは落ち着け。救急車は呼ばなくていいから」
「そんなわけにはいかないよ。優也くん、けがしてるんでしょ?」
「まあな」
外見なんて健全そのものだが、中身を見れば、それはもう酷いものだろうと思う。
「だけど、ここで救急車呼んで、俺を病院で診てもらってみろ。確実に入院させられるぞ」
手術だって必至だろう。
「そうなったら、逃げることはできねぇ。研究所からすりゃ、絶好のチャンスだぞ」
「それはそうかもだけど……」
「俺が捕まりゃ、カメリアが計画してたように、俺を囮にひなこを誘い出すだろうよ。そうなっても、ひなこが俺を見捨てるってんなら、話は変わってくるけどさ」
「それはできないよ!」
「だろ? だから、今俺が研究所に捕まるわけにはいかねぇんだ。そのためにも、入院して監視されるってのは避けたい」
「でも……」
「気持ちはわかる。逆の立場だったら、俺だって、その方がいいとは言いづらいよ。けど、俺は本気でひなこの夢を叶えてやりたいんだ。これも俺のためだと思って見逃してくれねぇか」
「…………わかったよ」
「助かる」
「けどけど、一つ約束」
「ん?」
「むりだと思ったら絶対に病院に行ってね。そのときは、わたしが優也くんを守るから」
「ああ、約束する」
しかし、正直なところ自分でも驚きである。
内臓の損傷はどれほどか分からないが、潰れていることは間違いない。それなのに、こうして意識を保っていられる。
それも結界の中にいたおかげなのだろう。無かったことにはできないといえど、多少ないしは治癒されているのだろうと思う。
もしも、あの時結界が張られていなかったら……。
そう考えると、優也は恐ろしくなった。
だがこれが、明元ひなこに協力する、ということなのだ。そしてその覚悟は、とうの前にできている。




