17話 大切な忘れ物
「………………」
ひなこの部屋は、なんというか、さっき見た部屋とは違い、いわゆる女の子の部屋だった。優也のような男が足を踏み入れていいのか、今からでも引き返そうかと迷うレベル。
それに、いい香りが漂っている。
「ちょっと、そこで待っててね?」
それだけ言うと、ひなこは、部屋に置かれていた学習机の前へと向かい、引き出しの中を漁り始めた。
「………………」
部屋に入ったところで、呆然と立ち尽くす優也。正直、緊張で踏み潰されそうになっていた。今も、ひなこに音が聞こえないかと心配になるほど、心臓が鼓動している。
女の子の部屋というものに入ったことがないわけではない。昔は、よく珠音の部屋に訪れていたことがあった。しかし、彼女とひなこでは、優也にとってわけが違う。
どこを見ていればいいのか、優也は視線を迷わせていた。緊張紛らわせに、優也は会話を持ち出す。
「そういや、昨日は急だったから、俺の家に泊まってもらったが、ひなこは、ここ以外に家とかないのか?」
「ないよ。わたしにとって、家はここだからね」
それじゃあ、研究所を抜け出してからはどうしていたのか。その質問をするのは野暮というものだろう。
「これからは、どうすんだ? どっか家を探すのか?」
「ううん。昨日みたいに、優也くんの家にお世話になろうかなって思ってるけど……。迷惑かな?」
「いや、そんなことはないが……」
優也は実家暮らしだが、両親が帰って来ることなどほとんど無いに等しいため、実質一人暮らしと変わらない。そこに、人が一人増えたところで、食費などの諸々の問題以外はないように思えるだろう。
しかし、よく考えてみよう。優也は男で、ひなこは女だ。それも、歳が近く、まだまだ若い。
昨日のように、同じ部屋に寝泊まりするのは、何もないと言い切れるが、保証があるわけでもない。
「そうか。んじゃあ、やっぱ、ひなこにも部屋を用意しねぇとな」
「ん? 優也くんの家に?」
「ああ。やっぱ、自分の部屋があったほうがいいだろ?」
「わたしは、べつに構わないよ?」
俺が構うんだよ。
そんな間にも、ひなこは、学習机の引き出しから何かを取り出すと、今度は、ピンクのタンスの上に置かれていた物を手に取っていた。
「ごめんね、待たせちゃって」
そうして、やっと、ひなこは優也のもとへと戻ってくる。
「何を取って…………」
それまで気になっていたことを優也が尋ねようとした瞬間、ひなこの手から、何かがひらりと優也の足元へと舞い降りた。
「なんか落ちた……ん?」
別に、そういうつもりがあったわけではなく、無意識に、拾い上げたそれを、優也は見た。
それは、一人の可愛らしい幼い女の子が写った一枚の写真であった。
「これは……、友だちの写真か?」
言って気がつくが、もしもそうだとして、おかしな点が二つある。
一つ目、そこにひなこが写っていないこと。写真を切り取られたとかではなく、一枚の写真の中に、ひなこの姿はどこにもない。
二つ目、被写体である少女が、こちらを向いていないこと。写真に写る女の子の目線は、カメラの方向にはなく、別の何かを見ている。まるで、どこかから少女を隠し撮りしたかのように。
「ううん。違うよ?」
はっきりと、ひなこは否定した。
ならば、少女の写った写真を、なぜひなこが持っているのか。また、それを、ここまで取りに来た理由はなんなのか。
疑問は多く優也の脳内に浮かんできたが、それを尋ねるよりも前に、まずはしなくてはならないことがある。
「……まあ、忘れもんは取ったみたいだし、さっさとこんなとこから出るか」
「そうだね」
そう言いながら、優也は、写真をひなこへと返す。
再三言うが、ここはひなこを追う奴らの住処。敵の本拠地に、今、優也たちはいるのである。
人が一人としていないことで忘れてしまいそうになるが、ここに長居することは自殺行為に等しいだろう。
優也にとって、一秒たりともここにはいたくない気分だ。
部屋に入った時とは逆に、優也からドアを開け、廊下へと出た。
あとは来た道を引き返すだけだ。数十分後には、まだしも安全な外の世界へと戻れていることだろう。
あまりにも早く家へ帰りたい気持ちが強かったのか、気がつけば、優也が先頭に、ひなこをうしろに連れて歩いていた。帰り道は、なんとなく記憶している。長らく歩いていたが、なにせ、ここに来るまで曲がった回数といえば、片手で数え切れてしまうのだから。
「…………?」
しばらく歩き、居住区の出口であるドアが、そこに見えてきた頃だった。そこの前に、人らしき影が見えたのは。
ずいぶんと久しぶりに、自分ら以外の存在を見た。しかし、優也の目には、まだ識別できるだけの力が残されていた。
「あれは、人……、なのか?」
それを人と呼ぶには、一つの、しかし、あまりにも大きな違和感があった。
シルエットは人の形だ。しかし、まるで石や岩を積み上げたように、体型はゴツゴツとしている。
「優也くん、さがったほうがいいかも……」
その存在を警戒するように、ひなこは、静かに優也の前へ出た。
「つうことは、やっぱ敵なのか……」
確信はなかったが、なんとなくそんな気がしていた。
「人造人間か?」
「ううん。あれは、ゴーレムだと思う」
「ゴーレム? っていうと、あの、ファンタジー世界に登場する、石とか土でできたモンスターのやつか?」
「そうだね、その解釈で間違いないよ。ゴーレムは、地属性の異能力を持つ『美少女』が作り出した生物なの」
ということは、つまり、それは最悪のパターンに遭遇してしまったという意味で。
「できることなら、おとなしく、そのゴーレムさんに捕まってください」
静かで、幼いながらも大人しそうな声がしたのは、ゴーレムと反対側、優也たちの後ろからだった。




