154話 入浴。からの……
「優也くん、お風呂あがったよー」
パジャマ姿でリビングに現れるひなこ。肩には頭を乾かせていたタオルをかけている。
「おう」
ソファに座ってスマホを触っていた優也は、画面に視線を向けたまま返事をする。
「なにしてるの優也くんっ」
すると、ひなこが興味津々といった様子で、横合いからスマホを覗き込んでくる。
ふわりと香る石けんの香りに、不覚にも優也はどきりとさせられてしまった。
「おん? 今まで黙って撮ってたひなこのだらしなーい写真を見てんだよ」
「えっ⁉︎ わたしのだらしない写真って⁉︎ ど、どどんなのっ⁉︎」
「冗談だ。そんなの一枚も撮ってねぇよ。そもそも俺に隠し撮りの趣味はねぇ」
どっかの誰かさんと違ってな。
「なんだぁ……、信じちゃったよ」
ほっと胸を撫で下ろし安心するひなこ。そりゃ、自分のだらしない瞬間なんて言われたら、身に覚えがなくても焦ってしまうだろうな。
「優也くんなら盗撮しかねないからね」
「オイ!」
今すぐにでもさっき胸の中で押し留めていた言葉を言ってやろうか。
結局そんな気持ちも押し留めて、そろそろひなこに本当のことを話すことにした。
「母さんからメッセージが来てたんだよ」
「お母さん? 優也くんの?」
「そうだ」
ひなこが風呂に入っている間に終わらせる予定だったのだが、案外話し込んでしまっていた。
「そういえば、優也くんのお母さんとお父さんって家にいないよね?」
「まあな。二人とも会社に泊まり込みで働いてるような仕事人間だから」
両親が共働きで、滅多に家に帰って来ることのない二人と最後に会ったのは年末年始の時だったか。本来ならば優也の入学式に来る予定だったのだが、タイミング悪く二人とも用事ができてしまい、参加することができなかった。だから、なんだかんだで半年近く会っていないし、メッセージも今日のが久しぶりだ。
「寂しくないの?」
「もう慣れたよ」
最初こそ孤独感というか喪失感というか。そんなものを感じていたが、今ではそのどちらも優也の中には無い感情となっていた。
「それで、お母さんはなんて?」
「大したことでもねぇよ。少し仕事に余裕ができたから、父さんと一緒に近々帰ってくるかもって言っててな」
またいつものごとく数日間家に泊まって、仕事に戻っていくのだろう。
「……? 本当にたいしたことないのかな?」
「どういう意味だ?」
「だって今度お母さんとお父さんが帰ってくるときは、家にわたしもいるんだよ?」
「………………」
…………あ、忘れてた。
「……ひなこ。もし二人が帰ってきたら、その間少女館に泊まっててくれ」
「なんで? やだよ」
「いやこっちこそなんでだよ⁉︎やだよ⁉︎」
あの二人に限ってひなこの存在が知れれば、絶対に面倒くさいことになること必至。それだけはなんとしても避けなければならない。
ひなこが断る理由は知らないが、これを言えば、むしろ彼女から少女館へ行きたがるはずだ。
「あっこには可愛い女の子がいっぱいいるんだぞ」
「くっ……」
「しかも幼い子ばっか」
「…………っ!」
勝利を確信し、立ち上がる。
(この勝負、もろた——)
「でもやっぱいや。わたしはこの家に残るもん」
「っ‼︎⁉︎⁉︎」
——なん、だと……っ⁉︎
orz
優也は膝から崩れ落ち、敗北した。
「……てか、なんでそんな残りたがるんだよ」
「優也くんのお母さんとお父さんに紹介してもらうんだ」
「なっ——⁉︎」
なんじゃその理由は。結婚の挨拶でもするつもりなのか⁉︎
「……ほんと、余計ややこしくなりそうだから勘弁してくれ」
「えー。だめ?」
「だめっつうか。なんでひなこは俺の親に紹介してほしいんだよ」
「なんとなく。しいていうなら、優也くんのお母さんとお父さんって、どんな人なのかなって気になったからかな」
やっぱり、彼女に淡い期待を抱いた優也が馬鹿だった。
「だめ?」
結局、彼女の上目遣いには敵わないのであった。これが狙ってやってないのだから恐ろしい。
「はあ……。わーった。紹介すっから」
「やったあ!」
「ただし、あくまでも俺の友達としてな。親元を離れて越してきて、家が見つかるまでの間俺の家で暮らしてるってことで話を合わせてくれ」
「わかったよ」
真実を話すわけにはいかない。自分たちのためにも、両親のためにも。
「わたしが優也くんに、らちかんきんされてて、あんなことやこんなことされてるって設定だね!」
「本当に話聞いてたか⁉︎」
あと、ボケるなら、『拉致監禁』は、ちゃんと言えろよ。
それと、あんなことやこんなことって何? あえて聞いてもいいですか?
「優也くん、目が野獣みたいだよ……?」
「うっせえわ」
誰のせいだと思ってんだ。
あと、その格好で身を引くのやめてもらえますか。無駄にリアルに見えるんで。
まあ、さっきの内容は、どうせひなこのことだから、よく知らずに耳にしたことがある単語を並べただけに過ぎないのだろう。聞いたところで、どんなことだろ、とか逆に質問が返ってきそうだし。
「さて、と。俺も風呂に入ってくっかな」
「うん、いってらっ——あ」
「? どした?」
突然言葉が止まったひなこを不審に思い、優也は立ち上がりかけていた腰を止めた。
「ううん、気にしないで。優也くんに聞こうと思ってたことを今思い出しただけだから」
「聞きたいこと?」
「お風呂から出てきてでいいよ。今すぐ聞かなきゃだめなことじゃないし」
「いや、今聞くよ」
「そう? じゃあ、ちょっとだけごめんね?」
優也は再びソファに腰を下ろし、その隣にひなこが座る。
「そんで。なんだ、聞きたいことって」
「前から気になってたことなんだけどね。優也くんの部屋の横って、なんの部屋なのかなぁって」
「——開けたのか、あの部屋」
「え?」
優也の態度が変わったことを感じ取ったのか、ひなこは言葉を一瞬つまらせた。
「……う、ううん。勝手に開けるのはよくないかなと思って……」
「……悪い。そんな怖がらせるつもりじゃなかったんだ」
優也は先に彼女との間に流れる緊張の空気を取り除くために、自身の態度を改めた。
「あと、今聞くとか言っといてなんだけど、あの部屋のことは気にしないでくれ」
「……うん、わかったよ」
確かに、ひなこが気にしていた部屋というのは存在する。
ここで石崎宅の間取りを少し述べておくと、一階にリビング、ダイニング、キッチンが一体型となった部屋、あと風呂とトイレ、両親の部屋がある。そして二階に、今はひなこの部屋となっている元客室、優也の部屋、その隣にひなこが言っていた部屋がある。
件の部屋には外から鍵が掛けられているが、その鍵はリビングの棚の中に入れられており、場所さえ見つければ誰だって解錠することはできる。
まあ、ひなこはその場所を知らないだろうし、開けられていないというのならば、あえて話すこともない。
せっかく急いで聞いておいてひなこには悪いが、この件については今話すべきことでもないだろう。可能であるならば、知られずにいたいものだ。
「………………」
「………………」
気まずい空気をどうしたものかと優也は頭を悩ませる。そんな時、優也のポケットの中で軽快な音と共にスマホが振動した。
一瞬、母親から連絡が来たのかと思ったが、先ほど会話は終わらせたし、同時にひなこのスマホにも通知が来ていることを考えれば、二人に共通する人物からの連絡に違いない。
となれば、協力者の誰か。
優也も、ひなこも、それぞれスマホを確認する。
着信の相手は寺都芽久実。協力者で組まれたグループのメッセージにはこう綴られていた。
『話したい事がある。今から少女館に来て欲しい』
「話したいこと?」
「なんだろね?」
「さあな」
またこんな時間に。今日収集をかけるということは、よほど急ぎの内容なのだろう。
優也はメッセージに対し「了解」と返信し、アプリを終了させた。
「まあ、行くか」
「優也くん……」
「ん? なんだ?」
「わたし、お風呂入ったよ?」
…………………………
「どんまい」