15話 研究所
「なあ、本当にこんなとこなのか?」
翌日、ひなこに研究所の場所を教えてもらうために、優也は彼女の後ろをついて行っていた。
現在地は、なんと、街の都心部。
この街にあることは昨日ひなこから聞いていたが、研究所というからには、街並外れた場所に建っているのを想像していた。
「この奥を行ったところだよ」
そう行って、ひなこが立ち止まったのは、ビルとビルの間にできた一本の路地の前。
「ここって……」
その路地に、優也は見覚えがあった。
それは一昨日、優也が学校からの帰り道に、全長一五〇センチほどのオレンジ色の何かを目撃した場所だ。その何かは優也から逃げるようにして路地の奥へ消えて行ってしまったが、のちにひなこであることが判明した。
この奥に研究所があるのだとすれば、あの日、ひなこがここにいた理由は一つしかない。優也は、てっきり自分の後を追って来たのだとばかり思っていたが。どうやらその考えも改めるべきなのかもしれない。
「とりあえずは、まあ、近くまで行ってみるか」
「うん」
ここからでは研究所の場所は分かりにくい。優也は意を決し、もう少し研究所へ近づくことにした。
そうして、優也とひなこは路地の奥へと進んでゆく。
なんの変哲も無い、人一人が通れるほどの狭い路地を歩いて行き、そしてたどり着くは、行き止まりに一枚の扉。
「ここが研究所か?」
「うん、そうなんだけど……」
歯切れの悪い返事。ひなこの顔を見やれば、ドアを見つめたまま、何かを考えている様子だった。
「どうした? なんかあんのか?」
「ほんとは、ここに門番さんがいるはずなんだけど……」
「門番? 見張りってことか?」
「うん。『美少女』の一人でね。研究所に出入りする人を監視してるの。ここまで近づいたら、さすがに止められると思うんだけど」
ひなこは、門番とやらを探して、辺りをキョロキョロ。
「誰か見張ってんなら先に言ってくれよ。何にも考えずここまで来たじゃねぇか……っておい!」
突然、ひなこは、そこにあるドアに手をかけ始めた。慌てて呼び止めたため彼女の動作は止まったが、何も言わなければ開けて入っていた勢いだった。
「なにやってんだよ。まさか中に入るつもりじゃねぇだろうな?」
「だって、門番さんがいないなんて不自然だよ。中でなにかあったのかもしれない」
「かもしれねぇけどな」
「優也くんは、外で待ってて。わたしが見てくるから」
それだけ言って、ひなこは再びドアを開けようとする。
「わーった。わかったから。俺も行く」
「え? でも危ないかもしれないよ?」
「ひなこの危険は俺の危険と同じなんだ。行くって聞かねぇんなら、一人より二人の方が、まだマシだろ」
制約の第二番。
『自身より契約する美少女を先に死なせないこと』
やはり、彼女と契約した以上は、最も守りにくい決まりであった。
「ありがと、優也くん」
「別に礼を言われるようなことじゃねぇよ。もしなんかあっても、俺なんか役に立たねぇしな」
嫌味でもなんでもなく、純粋に、ただの人間が、あの人造人間や、ましてや『美少女』なんかに立ち向かえるわけがない。そういう事態に陥れば、優也は足手まといでしかないだろう。
「そんなことないよ。優也くんが契約してくれたおかげで、わたしは異能力を使えるからね。なにかあったら、わたしが優也くんを守るよ」
「なにもねぇことを、ただひたすらに祈るぜ」
本当に、何事も起こらずに、無事に家に帰れればいいのだが……。
研究所のドアを開いて中へ入れば、真っ直ぐに伸びた廊下が視界に入ってきた。廊下の両側にはガラス張りの部屋がいくつもあり、中には理科の実験で使う顕微鏡やら何やらの器具が置かれていた。
「ーーーーーー」
数歩後ろには、元いた路地が。そこから、ドアを境目に、まるで世界が変わったかのような感覚に優也は陥り、圧倒されていた。
「驚いた?」
「まあな」
「不思議だよね。研究所には、何個か入り口があるんだけど、みんな入ったらこんな感じらしいよ」
「そんなに広いのか、この研究所って」
「どれだけ大きいのかわかんないけど、『美少女』の居住区とかもあるから、小さくはないんだと思うよ」
それだけの施設が、ここの場所にあっただろうか。
そんな疑問が優也の頭をよぎるも、その答えが出る前に、前を立っていたひなこが歩き出した。その後を、優也が追う。
「…………やっぱりおかしいよ」
廊下を歩きながら、両サイドにある部屋を見て、ひなこがそう呟いた。
「なにがだ?」
「誰もいない……」
「普通は人がいるのか?」
「たぶん。わたしも居住区から出たのは一回しかないから、あまり知らないけど、誰もいないってことはないと思う」
「まあ、確かにな」
これだけの設備が整っておきながら、人一人いないというのは不自然だ。
まるで、世界から、自分たち以外の人だけが消えたような感覚。しかし、それを優也は知っていた。
「結界が張られてる……とかか?」
無関係の第三者を排除する空間である結界。
あの時は、優也が結界の中にいた理由はわからなかったが、ひなこと契約した今ならば、結界に入っていて当然だろう。
「かもしれない。でも、そうだとしたら、わたしたちに敵意をもってる『美少女』がいるってことになるけど……」
結界が展開される条件は、『美少女』が異能力を使わなければならなくなった状況に陥ることだ。その時点で、自動的に結界は展開されるとひなこは言っていた。
もちろん、現在ひなこは力を使う必要がない。ということは、優也の予想通り結界が張られているのだとすれば、どこかから誰かが優也たちのことを監視し、今にも襲おうと狙っているということになる。
「そういや、あん時も、俺らの居場所がすぐにバレたな」
それは、ひなこと契約する前。人造人間に追い込まれていたひなこを連れ、優也は街の廃ビルへと逃げ込んだ。周囲にはいくつものビルが建ち並んでいた。だというのに、人造人間は見ていたかのように、優也たちが隠れる廃ビルに、しかも優也たちが隠れる場所へやって来たのである。
あの時、そのことに対して、ひなこは、誰か『美少女』に見られているのかもしれないと言っていた。
「もしかして、今回も、ひなこがさっき言ってた門番ってやつか?」
「門番さんは、ここの見張りを任されてる『美少女』だから、ここにいるのは門番さんかもしれないけど、あそこに『美少女』がいたのなら、別の『美少女』だと思う」
自分らを狙う『美少女』が二人もいるという事態に、優也は絶望で現実から目をそらしたくなる。
そんな中、一つ疑問。
「その門番って『美少女』は強いのか?」
「強いと思うよ。戦ったことなんてないからわからないけど」
「ひなこより、か?」
「研究所の見張りを任されてるくらいだからね」
「………………」
本当に何事もなく帰れることを、ただただ祈るだけだ。
「まあ、まだ結界が張られてるって決まったわけじゃないからな」
「そうだね。結界が張られてるのかどうかは、居住区に行ってみたらわかるよ。あそこなら、結界が張ってたとしても、『美少女』がいるはずだからね」
「そんじゃ、とりあえず目的地は居住区だな。場所はわかるのか?」
「もちろん。任せてよ」
会話の最中も歩みを止めることなく、優也は、ひなこのあとをついて行く。
すると、二人は十字路へと到着した。右も左も直進も、どれも来た道と変わらず両側にガラス張りの部屋を設けた、真っ直ぐ伸びる廊下だ。しかし、相変わらず、優也たち二人以外、人は誰もいない。
正直言って、ここまで誰もいないと気持ちが悪くなる。
「結界が張ってるんだとして、ここまで何も仕掛けてこないってのも不自然だよな」
「たしかに」
何か目的があるのだろうか。
「それで、居住区とやらはどっちだ?」
「こっちだよ」
十字路を右に曲がり、またしても真っ直ぐの廊下を進んでゆく。
しばらく歩き続けて、二人は一枚の鉄でできたドアにたどり着いた。周りはガラスでできているだけに、ここだけとてつもない違和感を放っている。
「この先が、『美少女』が暮らす居住区だよ」
「えらく、頑丈そうなドアだな」
「『美少女』が異能力を使っても壊れないように作られてるからね」
「なるほどな」
それだけ、外に出られると困る存在ということか。研究所にとって、『美少女』はモルモットに近い存在なのかもしれない。
「てか、そんなドア、開くのか?」
そんな優也の疑問はさて置いて、気がつけば、ひなこは、すでにドアを開けていた。
「開いたよ?」
「開いてたよ、だろ」
しかし、それはおかしなこと。
特殊な力を持った『美少女』を出られなくするために、頑丈に作られたドア。だが、それが、ドアノブ一つで開いてしまっては意味がない。
ひなこの心配通り、中で何か起きたというのならば説明がつくが……。
「…………」
優也には、まるで先へ誘われているような気がしてならなかった。
「なあ、ひなこ。やっぱ引き返ーー」
「ん? なに?」
優也が意識を現実へ戻し、前を見やれば、そこにいたひなこの姿はなく、代わりに、ドアを入って向こう側に彼女の姿があった。
彼女は、なんのためらいもなく居住区へと足を踏み入れていたのである。
もう少し、ひなこは、警戒心というものを持った方がいい気がした。
「……なんでもねぇよ」
きっと考えすぎなのだろう、と。優也も、ドアをくぐって、ひなこの後を追った。