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鬼の眷属  作者: 上泉護
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ラメトク

その狼の双眸は、こちらを値踏みするかのように見ていた。


再び雷鳴が轟き、周囲が一瞬明るくなる。

「グルルルルルルル……」低い唸り声を出しながら、チプを背にするイカエラの周りを廻り始めた。

イカエラは手にしていた小刀を握り直す。

イカエラの顔面をつたう雨水が冷や汗を洗い流した。

後ろを取られないようにチプを背に回るイカエラからは、岩に飛び乗った巨大な狼が死角となる。

豪雨がイカエラの体に叩きつけ、小刀が滑らないように何度も握り直す。

その瞬間!

「ごぉぉおおぉあああっ!」

咆哮と共に岩陰から襲いかかって来た!

速い!

狼はその巨体とは思えない速さで動く。

イカエラが小刀を突き立てようとした時、大きく横に飛びチプの反対側で振り返った。

チプの中の焚火が、まるでそれその物が大きなトーチのように辺りを薄く照らし出し、じりじりと動く狼を浮き上がらせている。

それは……漆黒の毛に覆われ胸元がやや白く、目だけがギラギラと輝く巨大な黒狼だった。

最悪でも相討ちにする……。

覚悟を決めたイカエラは身を沈め落ちていた石を左手に握ると、両者の間合いの寸前で狼が吠えた。

「ごぉぉぉぁあぁぁぁあっ!!」

狼がイカエラ目掛けて飛び込んだ!

咄嗟に石を狼の巨大な口へ突っ込み、小刀を首筋に撃ち込む!

狼は意に返さずそのまま力任せにイカエラを押し倒し、加えた石ごと頭を嚙み砕こうとぐいぐい圧し込んでくる。

イカエラは両手で石を掴みそれに耐える。

しかし狼の力がイカエラの膂力を上回っていた。

徐々に狼の牙がイカエラの頭に近づいて来る。

狼が暴れると石が口から外れ飛んだ。

咄嗟にイカエラは狼の顎の下に肘を当てる。

口吻(こうふん)がめくり上がり「ガチガチ」と牙が鳴る!

喰いついてきた大口を、イカエラは首を横に振って避けた。

一回! 二回! その度に狼の巨大な(あぎと)がイカエラの頭に近づいて来る。

「くっ!」

イカエラの強靭な体力が尽きかけたその時!

手に何かを握りしめ、チプから飛び出したアトゥイが狼に体当たりした。

狼に払いのけられたアトゥイは二丈も吹っ飛ばされ、岩に叩きつけられて崩れ落ちる。

「アトゥイ!」

イカエラの説教が雨音にかき消された。

アトゥイが体当たりした狼の左脇腹に矢が突き立っている……。

すると意外な事が起こった。

首に刺された小刀は効かなかった狼が、、激しく痛がり藻掻いたのだ。

イカエラはその隙に身を起こすと小刀を拾って身構える。

狼は飛び跳ねるように脇腹を庇いながら距離を取った。

「グルルルルル……」

頭を低くし、唸り声を出す。

イカエラには数時間とも思えるその間は、実際にはほんの数秒でしかなかった。

狼は少しずつ間合いを取り、そして森の闇に消えた……。


イカエラは狼の気配が消えるのを確認するとアトゥイに駆け寄る。

「アトゥイ! アトゥイ!」

「う……うぅ……」

アトゥイを抱きかかえチプに入ると、体を暖めるためアミブ(服)を脱がせ柱にかけた。

大きな傷や骨折がなさそうなのを見て安心すると、自らのアミブも脱いで柱にかける。

するとアトゥイが目を開けた。

「ミチ……」

「大丈夫か? アトゥイ」

意識を取り戻したアトゥイは項垂れる。

「どうした? どこか痛むのか?」

「僕は……臆病で駄目な男だ……」

何を言っている?……とイカエラは最初理解出来なかった。

「怖くて怖くてどうしようもなかったんだ……何も出来なかった……」

「はっはっはっは、何を言う。あの狼を追い払ったのはお前だ。アトゥイ」

きょとんとしているアトゥイとイカエラの体からは湯気が上がっている。

「お前が奴の脇腹に突き刺したアイ(矢)が効いたのだ。うまく急所をついたのか……あるいは……なんにせよ、ミチはお前に助けられたのだ。ラメトク(勇気)ある息子よ」

「ラメトクなんて無い……今も震えが止まらない。大事な時に僕は震えてたんだ……」

「お前はラメトクの意味をはき違えている。よいか、恐れや不安を感じない者はただの愚か者だ。恐怖を克服し、なすべき事をなすのがラメトクというものだ。お前はその恐怖の中、見事このミチを救ったではないか」

少しずつ顔が上がっていきながら、

「そう……なのかな……」

「あぁそうだ。お前は決して弱い男ではない。胸を張れ、自信と誇りをもつのだ」

アトゥイの目に輝きが戻る。

「でもあの狼は何なのだろう?」

「分からん……神の御使いである事には違いなさそうだが……」

アイヌは神が獣に宿り、人間に肉や毛皮をもたらしてくれると考えている。

そのため、熊(山の神)を狩猟した際その魂を神の元に送り返すイヨマンテという熊送りの儀式があるほどだ。

「コタン(村)に知らせに戻る?」

「いや……あいつに獲物の場所を教えるだけだ。狼は執拗だ……このまま我らがあいつをポンコタンから引き離す」

「分かったよミチ、傷の手当をしなきゃ」

左手には狼が残した牙の跡がくっきり残っていて、イカエラは初めて自らの傷に気が付いたのだった。


翌朝……。

交代で眠りにつき、チプを撤収し北上を続けるイカエラとアトゥイが見上げる空は、昨夜の雨が嘘のように晴れ渡っていた。

「あいつはまた来るかな?」とアトゥイ

「必ず来る。狼とはそういうものだ」

少し開けた場所に出て、二人は周囲を見渡した。














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