荒脛巾の卜者
艶やかな美しい黒髪が乱れ、地に広がり泥にまみれている。
白い小袖に濃(赤紫色)の襠あり(襠高袴)を纏い俯せに倒れているのは、一目で神に仕える若い女の装束と知れる。
その綺麗な手が泥の中で動いた。
整った美しい顔を痛みに歪め、肘をついて面を上げる。
その形の良い頭頂から流れ出した血が目に入り、彼女の視界を赤く染めた。
その赤い世界を見て美しい卜者(巫女)は愕然とした。
寒風が吹き荒ぶ曇天の山頂に、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっている。
立っている身内は一人もいない。
生き残っていた数人の従者も、断末魔の雄叫びを上げている。
それらは生きながら喰われていた・・・・
彼女の従者の腹に顔を突っ込み、臓器を貪り喰っているのは、あきらかに人間だった。
「おのれ!」彼等を救わんと立ち上がろうとしたが、怪我の痛みと疲労でよろめいた。
その美しい卜者の前に立っている大きな男がいる。
身の丈は六尺を優に超え、肩も両腕もはち切れんばかりに筋肉がぱんぱんになっている。
ボロボロの水干を、その体へ引掛ける様に着ていた。
咄嗟に咒護の詠唱を始める。
その彼女の詠唱が終わる前に、男は突っ込んで来た。
彼女の三尺ほど手前で、九重の五芒の星光が浮かび上がり彼女を守る。
その男の体当たりで、弾けた五芒星に吹き飛ばされたのは、それが守った彼女の方だった。
二間も飛ばされ転がった彼女は、すぐに起き上がる。
「・・これが・・行鬼の力・・・」
季節外れの陽気のあと、寒風が吹き荒ぶ山頂に立っているのは、多くの恐ろしげな人間のなれの果てと、彼女一人だった。
着古し汚れ、あちらこちらに穴の空いた水干を着ている、頭の禿げあがった中年の男や、まだ若い同じ様な姿をした細身の男。
四角い顔に吊り上った目をした初老の女もいた。
どこぞの村人達と思われる彼等に共通しているのは、背を丸く屈め顎を突出し、大きく口を開け涎を垂らしながら、飢餓に渇望する見開かれた赤く光る目だった。
それらが一人の美しい卜者を取り囲んでいる。
普通の女性であれば卒倒していてもおかしくない状況で、気丈にも戦う姿勢を崩していない。
四方八方からその村人と思われる、目を赤く光らせた者どもが彼女に襲いかかる。
二本の指を立て咒を唱える彼女の周りの結界がそれらを跳ね返す。
しかし、彼女が行鬼と呼んだ者のその右腕だけが、その結界を突き破って来た。
霊力を込めた咒符を咄嗟にその右腕に貼り付ける。
行鬼はその腕を瞬時に引っ込めると、その咒符をむしり取った。
そのむしり取った跡からは、煙とも蒸気とも霊魂とも見て取れるものが立ち上がり、吹き荒ぶ寒風に消えていく。
行鬼と呼ばれた男が不気味にニタリと笑った。
卜者は殆どの霊力を使い果たし、怪我の痛みと疲労で弱々しく息をついている。
美しい彼女の瞳が活路を探すが、取り囲まれた山頂でそれは見つけられなかった。
彼女はそれでも最後の力を振り絞って、
”ならば・・・せめて・・この行鬼だけでも道連れに・・・”と覚悟を決めた。
壮絶な決意は、美しい彼女をより凄惨なまでの絶世の美と化した。
二本の指を額の前にかざし、ややふせた彼女の泥に汚れた髪が吹き荒ぶ寒風になびく。
しかし、それを察知したものか、行鬼は他の鬼共の後ろに下がっていく。
再び鬼共が四方から彼女ににじりよって来る。
残る僅かな霊力と体力を振り絞って咒を唱える!
が、結界は微かな残照で綻びに満ちていた。
その結界の残骸から多くの鬼共の腕が彼女に伸びてくる。
彼女が絶望したその時!
大きな黒い風が彼女の周りで吹き荒れ、鬼共が真っ二つになりはじけ飛んでいく。
なにが起こったのか?彼女はすぐに解らなかった。
彼女の周りの鬼共を討ち捨てた黒い風は、再び現れた行鬼と向き合い、彼女を守る様にその逞しい背を向けている。
一人の大男・・行鬼よりも大きい・・・これも鬼・・・鬼の眷属の裏切り者・・・
卜者の力が彼女にそう感じさせた。
行鬼が撃ち込んできた凄まじい一撃を、その男は受けた。
”あの行鬼の一撃を受け止めた?!この男ただ者ではない”
行鬼と互角に斬り結んでいるこの男は何者なのか?
その彼女の周りに再び鬼共が集まってきた。
行鬼と激しく戦っている男が気にかかったものの、それどころではなくなった。
じりじりとにじりよってくる鬼共に注意を払いながら、なけなしの霊力を高めていく。
とその時、その鬼らの背後から彼女の周りを、先ほどの黒い風より更に速い凄まじい疾風が吹き荒れる。
ばたばたと討ち倒れていく鬼達。
風が止んだかと思ったら、不意にふわりと頭上から一人の美しすぎる男が降り立った。
目を丸くして驚いている美しい卜者は呟いた。
「判官様?・・・なぜこの様な所に?・・・」
「おぉ、お許も我を存知いるか?」と言いながら、油断なく周囲を警戒している。
そして下に向って手を振った。
20人程度の見慣れぬ服をまとった一団が山を登ってくる。
子供もいれば老人もいる。
”彼等は?・・・”
その中でも一際大きな法師がいた。
”あれは・・・武蔵坊殿・・・・”
アトゥイと対峙していた行鬼が、ジリッ・・ジリッと下がっていき、尾根の向こうに消えた。
「大丈夫か?」義経が卜者に話しかけた。
「ありがとうございます。危うきところをお助け頂き、心よりお礼申し上げます・・・」
山頂には無残な躯が散乱している。
「お許の同朋か?・・・」
「はい・・皆よくやってくれました・・・」卜者は悲しげに目を細め見渡した。
アトゥイも二人の元にやってきた。
「名と仔細を聞かせてもらえぬか?」と義経は言った。
「瀬璃と申します。判官様」
「私とどこぞで巡りおうたか?」
「三年前、平氏を打ち破り京に凱旋なされた御姿を、辻より拝見いたしました」
アイヌの人々とそれを守る弁慶も山頂に現れた。
寒風吹き荒ぶ山頂で美しすぎる二人が話す姿は、まるで兄妹の様にも神話や伝説の様にも見える。
義経がアイヌの人々に振り返ると言った。
「手当を頼む」
ハエプトやヌマテ、ショルラやシイヒラが瀬璃の周りに集まった。
その時ショルラはこの女性の美しさに息をのんだ。
透き通る様な白い肌に、細面の美しい顔立ち。
小袖、襠ありの上からでも解るすらりと伸びた肉体の美しさは、神々(こうごう)しさまで感じる。
歳は二十歳に手が届かぬ位か・・・
「ありがとう・・・」手当を始めたショルラに、これまた透き通る様な美しい声で瀬璃は言った。
「そこのお人も礼を言います。本当に助かりました」とアトゥイに言った。
周囲を警戒していたアトゥイが瀬璃に振り返る。
そんな様子をショルラは見つめていた。
「いや・・」とアトゥイ。
その表情からは、なんの感情も窺い知る事は出来なかった。
そのアトゥイに瀬璃は、思いもかけぬ言葉をかけた。
「あなたは眷属を裏切ったのですか?」卜者である瀬璃はアトゥイの中の鬼に気が付いていた。
「裏切った覚えも、与した覚えもない」アトゥイはぶっきらぼうに答える。
顔だけ見ればまだ若い・・・少年と言っていいほど・・・どこか異国めいている・・・
瀬璃はアトゥイに興味を持った。
しばらくアトゥイの顔を黙って見つめている瀬璃に、ショルラは体が熱くなるのを覚えた。
そんな自分を隠そうと、手当に集中する。
「そう・・・」しばらくアトゥイを見つめていた瀬璃は短く答えた。
「して、お許らは何者なのだ?」と義経が聞いた。
「私は・・・・」悲しそうに周囲を見渡した瀬璃は言った。
「荒脛巾の卜者にて・・・」
「荒脛巾とな?」そう聞き返す義経の後ろでアトゥイは、はっとした。
夢の中で出て来た神の名だ・・・
「はい・・・そして従者の者達です・・・」
遺体を目にしながら沈痛な面持ちで卜者は言った。
「その荒脛巾の神職の方々がこの様な所で、鬼共と戦うはいかなる理由か?」と弁慶
「真言の座主様より依頼がありましたので、武蔵国よりこの地に参じました・・・」
義経と弁慶が目を交わした。
真言宗の座主、理賢・・・それは安房の坊海竣の仕える高野山、総本山の長である。
神仏習合。宗派や神仏の垣根を越え、鬼を封じようとする大きな力が動いている・・・
「動いていたは、真言の者達だけではなかったという事か・・・」と義経
「はい・・この国難に際し、あらゆる者達がその蟠りを捨て、垣根を越えて参集しています」
「知らぬは俗世にうつつを抜かしておる、我らの様な者達だけだという事か・・・・」
「いえ、僧籍、神籍にあるほとんどの者が知りません・・・力ある者がそれを認める者に、参集を募ったというにすぎぬからです」
瀬璃が弁慶を見た。
「武蔵坊殿は御自身で気付かれていない、とてつもなき大きな力をお持ちです」
義経と弁慶は目を見交わした。
「わしか?その様な物は持ち合わせておらんわぇ」
「いえ、ございます。ぜひご助力を願い奉ります」
腕を組んだ弁慶は、「ふぅむ・・・・」と唸った。
「わしには剛力と博識と麗しき容貌しかないと思っておったわぇ・・・」
「最後は違うな」ぽつりと義経。
「・・・・・・」皆が黙った。
「えっへん!殿!国の一大事と聞いては捨ててはおけますまい!不肖、武蔵坊弁慶、国の為、殿の為、力を尽くしたいと思いますわぇ!」
「よかろう・・・微力ながら私も力を尽くそう。なれどアトゥイ達を十三湊に送り届けるのが先だ」
「もとより承知」
「判官様まで御助力いただけますか?これは千人力です」
本当に嬉しそうに瀬璃が言った。
「世辞を申すか・・・まぁ良い。ならば急がねばならぬな」
「まずやらねばならぬ事があります。この地の鬼の産地を封じ、結界を張らなければなりません」
「鬼の産地とな?」
「はい、あれに・・・」と瀬璃は山頂からすぐ下に広がる円形の窪地の中を指差した。
そこには、不自然に二丈ほどの高さに岩石が積み上げられた場所があり、今は静かにたたずんでいる。
が、その奥底には不気味な胎動と漆黒の闇を感じる。
びょうびょうと吹き荒れる曇天の羽吹風山(現寒風山)山頂から、一行はそれを見下ろした。




