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鬼の眷属  作者: 上泉護
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羽吹風山

少しひんやりし始めた大気の中、一行は八郎潟の南岸を西に進み、湖岸に沿って北上していた。

日も暮れかかる頃、(よし)の草原の向こうに和人の集落らしき物が見えてきた。

どうやら八郎潟の漁村であるらしい、煙一つ立っていない村は閑散として人の気配がしない。

陽の傾きと共に、この季節に相応しい冷たい風が北より吹きつけて来て、風花が舞い始めた。

「様子を見て来る」と歩き出したアトゥイを弁慶が呼び止めた。

「待て、わしが行こう」

「いや、俺が行く」アトゥイは弁慶に手間をかけさせてはいけないと、遠慮して言った。

そんなアトゥイの肩を”ドシンッ”と叩いた弁慶が

「おぬしの役目は皆を守る事であろう。わしに任せぃ」

アトゥイは弁慶の心が嬉しかったが、弁慶が残ってくれた方が安心でもあった。

「すまない・・」

もう一度アトゥイの肩を軽く叩くとにやりと笑い、義経に振り返った。

「では殿、行ってまいります」

「あぁ、頼む」と義経。

駆け出した七尺の巨体は、あっという間に遠ざかっていく。

その背を見ながら義経が

「我らは林に入り、野営の準備を始めよう」と言った。


湿地の途切れた入江の浜には、舟が数隻陸揚げされている。

薄暗く風花が舞っている漁村は、物音一つせず人の気配とてしない。

しかし、廃村になった訳ではなさそうだった。

船も家屋も、人の手が入らなくなって時間が経った物ではないからだ。

人が居なくなった家屋の痛みは早い。

開け放たれる事の無くなった室内のよどんだ空気と、軒や屋根に生え出した草の根により拍車がかかるからだ。

しかし、そうは言っても風雪により痛みの激しい二十棟ほどの荒家あばらやが静かにたたずんでいる。

そんな中を弁慶は入って行った。

(あざら)けき(新鮮な)魚宍(ぎょにく)(魚肉、獣肉)とて、なさそうだが、もとより僧の食す物にあらずか・・・」にやりと弁慶は笑った。

そんな事はお構いなしに食する彼にとって、今更の事に笑ったのだ。

干からびた(なよし)(ボラ)が打ち捨てられていて腐臭を放ち、漁師の命ともいえる網が放り出されている。

「市の(ほとり(市場のひらかれているところ)で聞いた村人が忽然と姿を消したというは、山間の村だった筈だが・・」

巨大な弁慶が歩いていくと、漁師の荒家(あばらや)が小さく見える。

寒村・・・そんな表現がぴったりする様な、寂しい漁村には人っ子一人いない。

弁慶はそんな中で、微かな血の臭いを嗅いだ。

その臭いのする荒家の前に立つと

「御免!」と中に入った。

薄暗い室内で目を凝らしていると、土壁に血の手形が滑る様にいくつもついているのが見えてきた。

”賊にでも襲われたか?”

頭を屈めている弁慶は、荒家の中を見渡した。

しかし村民の遺体はどこにもない・・・

血なまぐさく不気味な板の間の中央に囲炉裏があり、火の絶えたそれは物寂しく見えた。

捻欇(ねんせふ)(粘土で作った仏像)が板の間の隅にチョコンと置いてある。

片手で拝み(つぶや)いた。

鬼啖(きたん)か・・・」(鬼が喰ってしまったか・・・)

その荒家を出た弁慶は、他の家々を見て回る。

どの家にも、血がしぶいた後や、血だまりを踏みしめた跡が残されており、人っ子一人いない。

夜の(とばり)が降りはじめ、かなり暗くなってきた。

「山間の村ではなく、ここの事だったのか?」

渋い顔をした弁慶は漁村全体を見渡した。

薄暮にたたずむ漁村の荒家の群れ、小雪が舞い闇に沈んでいくかの様だ。

すると・・・

荒家の暗い影で、なにかが(うごめいている。

それは(うずくま)り、人らしきものがなにかを咀嚼する音をたてている。

弁慶は声を掛けた。

「これ、おぬしらは無事であったのか?」

振り向いた二人の人影の両目は赤く光り、薄くなった白い髪がボサボサに逆立っている。

一見して老夫婦と見て取れた。

その耆嫗(おきなおうな)(爺と婆)の口元は血で汚れている。

「鬼に()られたな・・・」

そいつらがいきなり弁慶に飛びかかって来た。

弁慶の大長巻が一閃する。

そやつらは胴を真っ二つにされ、土壁に叩きつけられ、転がる様に地面に落ちた。

弁慶は慎重に周囲を見渡す。

鬼共が喰っていたのは、あわれな(わらべ)だった。

ぼろ雑巾の様な衣服ははぎ取られ、内臓がとびだし腹部は空になっている。

手を合わせた弁慶の横で、もぞもぞと動きだした上半身だけとなった耆嫗(おきなおうな)(爺と婆)が弁慶ににじり寄って来た。

その首を弁慶は刎ねる。

動かなくなった事を確かめると、不意に思い立った弁慶は荒家の一つに入った。

ひときわ立派な捻欇(ねんせふ)(粘土で作った仏像)が神棚の様な場所に置かれている。

弁慶は手に取って確かめてみた。

捻欇(ねんせふ)の裏に、たどたどしい文字で”はふかぜやま”と書かれている。

弁慶はその”はふかぜやま”に心当たりがあった。

”ほぼ全ての家屋で生々しい血痕があるところ見ると、寝込みを襲われたか?

深夜暗闇の中逃げ出す事も出来ず、家々に隠れておったところを襲われたのであろう・・・

しかし小なりとは言え、村人全員喰われるなど鬼一人二人の仕業ではあるまい・・・”

家の中を見渡した弁慶は、他に何も得られる物はないと判断し、暗くなった漁村を後にした。


松の林の中に設営されたチプに弁慶は帰って来た。

「只今、戻りそうろう」

と焚火の横に座った弁慶に

「どうであった?」と義経

「鬼に()られた耆嫗(おきなおうな)(爺と婆)と、それらに喰われていたわっぱのみおりましたわぇ、家々の中はそこらじゅう血だらけで、見るも無残な有様」

「村人全てがそいつらに喰われてしまったと?」

「さぁ、そこまでは解りもうさぬが、小さきとはいえあの集落の人間をあやつらだけでは不可能ではないかと」

「恐らく・・・鬼に()られた何人かが、村人を襲ったのであろう」

「ほとんどの家に捻欇(ねんせふ)があり、その裏に”はふかぜやま”と書かれていましたわぇ」

「はふかぜやま・・と?」

「これより北に向かった所に、さほど高くはない山があり、そこが”はふかぜやま”であると市のほとりで聞きました」

「それがなぜ捻欇(ねんせふ)の裏に山の名が書かれているのだ?」

捻欇(ねんせふ)からかんがみるに、山そのものを御神体とし崇める信仰かと」

「ふむ・・・」

義経はしばらく考え込んだ後、アトゥイに振り返ると

「おぬしはなにか解る様な気がする・・と言っておったな」

「そんな気がしただけだが・・・」

「その”はふかぜやま”とやらに向うてみるか?・・・わざわざ危ない事に首を突っ込む必要はない。と言う考えもあろうが、そもそもこちら側を選んだアトゥイの直感は”なにかが解る”・・・と言ったものだ。

ならば、なにも解らずただ鬼共に対し受け身でおるよりも、鬼を知り、鬼に対処できる知恵を持つ事が大事なのではないか?」

アトゥイは頷いた。

「ではいかにする?」とアトゥイ。

「高くもない山だと聞いておるゆえ、皆で向っても問題なかろう」と弁慶

「下手に手分けるより、皆が一つとなった方が今回は良かろうな・・」と義経

「わかった。皆には俺から言っておく」

「ならば明朝、その”はふかぜやま”に向うとしよう」


松の林のチプに小雪が舞い落ち、風もない静かな夜は深淵に包まれている。

シサムに対しても鬼に対しても、受け身で守り一辺倒であったものが攻勢に転じようとしている。

アトゥイはなにか・・・宿命の歯車が動き出しはしたが、己の意志で運命を選び取る様な、そんな気がした。


本来、捻欇(ねんせふで”欇”の漢字の偏は土偏ですが、その漢字がデータ上で存在しない為、この漢字とさせて頂きました。

参考文献 日本霊異記

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