安堵
陽が落ち暗くなった残雪の森に、トーチの様なチプが五棟並び、全ての入り口が向かい合う様に立っている。
一つのチプに弁慶とアトゥイの巨躯が並んで入ると、それだけで目いっぱいとなる。
そこにいた義経が、いかにも窮屈そうに言った。
「おぬしらは大きすぎるのだ。もう少し小さくなれぬのか?」
「殿は無体を仰せだわぇ。今更小さくはなりもうさぬわぃ。のぅアトゥイ」
アトゥイは苦笑いした。
「しかしよいものだな。チプか・・我らも行軍する際、参考にさせてもらおう」
義経は焚火に枝を焼べた。
「十三湊まであとどれくらいか?」とアトゥイが聞いた。
「そうよな・・我らも獣道で向った事はない故、はきとした事は解らぬが・・およそ二十日と言ったところであろう」
義経の切れ長の美しい目に、焚火の炎が揺らいでいる。
アトゥイはこうしていると、シサムだアイヌだなどと、まったくつまらぬ事である様な気がする。
巌鷲の山からミチと共に見下ろした時も、同じような感覚になった・・・
義経にしろ弁慶にしろ、アイヌと和人の価値観の違いを自然に受け止め、アイヌを尊重してくれている。
この様な人達ばかりなら、差別や迫害もなくポンコタンを捨てなければならなくなる事もなかったろうに・・・
シサムから皆を守らねばならない。そう肩肘張ってここまでやってきた。
切れそうなほど張りつめた緊張の糸が、この二人の男によって緩んだ。
この安心感は例えようもない。
ともすれば、うとうととしてきて眠りに落ちそうになる。
そんなアトゥイに弁慶が聞いた。
「傷の方はどうだ?座っていたのでは辛いのではないか?」
「問題ない。痛みは生きている証拠だ」
「こやつ、強がりを言いよるわぃ。はっはっはっははは」
笑いをおさめた弁慶がポツリと言った。
「酒が欲しいのぅ・・・」
とそこに、干し鮭とニセウ(どんぐり)の団子を炙った物と、ほんの僅かばかりのトノト(酒)をハエプト、シイヒラ、ショルラが運んできた。
トノトはエゾニワトコを主としたクワ・キイチゴの仲間、マタタビ・サルナシなどを乾燥させ、決まった配合で合わせ煮出して作る果実酒で、さらりとした甘さが特徴の酒だ。
「おぉ、すまぬのぅ・・貴重な物であろうに・・」と弁慶
言葉は通じずとも、言っている事の意味は解るのであろう。
ハエプトが首を振りながら下がって行った。
と、代わりにアチャポが顔を出した。
「我らをお助け頂いた事、幾重にもお礼申し上げる・・・」
アトゥイがシサムの言葉に訳す。
「いや、我らがアイヌにした事をお詫びいたす。申し訳なかった・・・」
義経は頭を下げ、暫く動かなかった。弁慶も頭を下げる。
その二人を見てアトゥイは感動していた。
「おやめ下され!シサムを十束ひとからげにするつもりは毛頭ありませぬ故、お顔をお上げ下され」とアチャポは慌てた。
「アイヌもあなた方も、いろいろなお人がおるという事でしょう・・・」
弁慶が気分を変えようと
「長老どうであろう、皆も一緒に飲まぬか?」と言った。
アトゥイは互いの言葉を訳している。
「申し訳ござらぬ。トノトはそれのみにて・・・」
「なれば一口づつでも、皆で呑もうではないか」
「なれば・・」と
皆がチプの入り口を大きく開け放ち、全員の顔が見える状態で木のかわらけ(酒杯)を一口づつ傾けていく。
オハイベーカが、
「これっぽっちでは、余計酒が欲しくなってしまうな」と言う。
「おぉ、ここにも三郎(伊勢三郎義盛)に似た奴がおる」と弁慶が言うと、皆が大笑いした。
意味は解らずとも雰囲気が楽しいのである。
それを契機に皆がわいわいと雑談を始めた。
「サブロウとヒタチボウは元気か?」とアトゥイ。
「相変わらずだ。三郎は酒ばかりくろうておるわ」
「カイシュンはどうしている?」
「なにやら、高野山から知らせが来たとかでのぅ。塩釜の湊に向ったわぇ」
「おそらく巌鷲に向け、高野山の準備が整ったのであろう」と義経。
「奥島と言うたか・・結界を張り直すらしい」
「海竣は今頃どこにいるのか・・」
そんな三人の様子をショルラは見ていた。
あんなくつろいでいるアトゥイは久し振りに見る。
アトゥイにとって、あの二人はそういう存在なのだと解ってショルラは嬉しかった。
アイヌの人々も久し振りにくつろいでいる。
それはアトゥイを始め、義経、弁慶という破格の人達が造り出す、その存在そのものの安心感からだった。
”彼等といる限り、なんの心配もいらない・・・”
そう思わせる何かを、義経と弁慶は持っていた。
雪積る平泉の街は寒々と凍り付いている。
夜間、屋内の空気に暖められた屋根の雪は、軒に大きなつららを作り、太陽の光に輝いている。
雪化粧された平泉の街並みは、絢爛豪華な邸宅群も社殿も伽藍も、軒にはつららが垂れ下がっていた。
平泉館と忠衡館との間にある藤原基成の館には、ここ数日、何度も泰衡からの使いが来ていた。
館に籠っていた基成は、うんざりとした気分でその報告を受けると、体調を崩したとして泰衡の招きを断っていたのだ。
”そう急かされても、よい思案が浮かばぬのだ・・・”
”いかに北の方様のお考えを改めさせるか・・・”
などと思い基成は憂鬱になった。
一刻後、泰衡が見舞いと称し基成の館を訪れた。
さすがにそれを断る訳にはいかなかった基成は、急ぎ寝床を用意させて横になり泰衡を迎えた。
「この様な恰好で申し訳もございませぬ・・・」
と寝床に現れた泰衡に言った。
「御爺様大丈夫ですか?御心労が祟ったのでは・・・」
「いや・・御館のお顔を拝見したら、少し良くなりもうした」
もとより体調は悪くは無い基成は、調子悪げに体を起こした。
泰衡はその横に座ると、早速切り出した。
「して、お婆様の方はいかがあいなりましたか?」と、ここ数日気が気でなかった事を聞いた。
「事が事故、もう暫くお待ちください」
「まだお婆様の元には?・・・」と意外そうな顔をした。
まだなにも話していない・・とはさすがに言えなかった基成は、
「一度お話いたしました・・・なれど・・・」
「なれど?」
「判官殿に対する信奉が並々ならぬもので・・・最初からいきなり・・と思いまして、みなまでは言うてはおりませぬ」
「さようですか・・・」あきらかにがっかりした様子の泰衡に、
「御館、焦られてはなりませぬぞ、こういう事はじっくりやらなければ・・」
その言葉を泰衡は強くさえぎり、言った。
「鎌倉は待ってはくれませぬぞ!時には大胆さも必要なのではありませぬか?」
「義経の首を差し出せと鎌倉からは矢の催促。時間はそうありませぬぞ」
「解っております。今しばらくお待ちを・・・」その言葉ではなく、自らの言葉に泰衡は
「そうは言っても・・確かにあのお婆様を説得するのは、並大抵の事ではありませぬからな・・・」と言った。
「わかりもうした。御爺様、鎌倉の方は我がなんとか抑えましょう。婆様の方はなにとぞ宜しく御頼み申す」
「解りました。引き続き結惟の方様の説得、尽力致しましょう・・・」
その後一人きりになり沈思していた基成は、泰衡に背中を押された形となったものの、なにかよい思案が浮かんだかの様で、観自在王院にいる結惟の方の元へ使いを走らせた。
数刻後・・・
黒檀の薔薇の香り漂う阿弥陀堂で、基成と結惟の方は向かい合っている。
「して、泰衡を説得する良い方法が思い浮かびましたか?」と結惟の方。
基成は一呼吸あけると、重々しく語りだした。
「北の方様・・・」基衡の生前から呼び慣れた呼び名ではあるが、二人の間ではごく自然に使われていた。
「泰衡殿とじっくり話し合いました・・・そして私は考えを改め様かと思います」
「なんと?」
「今、鎌倉との戦になれば、多くの民が戦に駆り出され、数え切れぬ者が犠牲となるでしょう・・家族を亡くす遺族も例外ではありませぬ」
「仮に勝ったと致しましても、甚大な被害は免れません。奥州の民は塗炭の苦しみを耐えねばならなくなるでしょう・・・」
「・・・」結惟の方は、怪訝そうな顔で黙っている。
「やはり戦を避ける道を模索しなければなりません」
とここで、基成が思いついた切り札ともいうべき事を持ち出した。
「判官殿の事ですが、ここは一時身を隠してもらい、鎌倉にはその身代わりの首を差し出す。首実検で判別つかない様に、館に火を放ち御自害した態を・・・」
結惟の方の大声が、基成の言葉を遮った。
「籠絡されおったか基成殿!」
驚いた基成と、怒りに顔を朱に染めた結惟の方が見つめ合っている。
「その様な戯言はもうやめよ!鎌倉の目的がまだ解らぬのか!」
女性特有の鋭い感覚は、隠居生活をしていても健在であった。
「どの様な形であれ、いずれ鎌倉はこの平泉を討ち滅ぼそうとするは明白!なれば、判官殿の武略で鎌倉を叩いてもらい、鎌倉を討ち滅ぼさんまでも、この平泉に有利な講和を結ばねばならぬ!」
阿弥陀堂の冷気に結惟の方の怒気をはらんだ大声が響き渡る。
「それが出来るのは唯一人、判官殿だけじゃ!判官殿はこの平泉の宝じゃ!」
「しかし!この奥州藤原氏は朝敵の汚名を着ねばならなくなります!先代、先先代、そして清衡様に対し、顔向け出来ませぬ!」
「朝廷など、その時々の権力者の顔色を窺いながら、それの都合のいい宣旨しか出さぬ!目を覚まされよ基成殿!」今やそれのみが正しい道と信じて疑わない結惟の方は、たたみ込む様に続ける。
「我らが鎌倉に打ち勝って後、朝廷に物申せば、必ずまかり通ろう。鎌倉は奥州藤原氏が目障りなのじゃ!」
「主上(天皇の事)は武家の傀儡などではありません!」
基成は己の存在意義をかけて、結惟の方と対峙していた。
「心は天上におわし、その意志を地にみつかわれます。決して人心の及ぶところではございません!」
帝は神の頂点にして、人の縁をした万物の王。
藤原基成はそう信じて疑わなかった。
しかし、朝廷権力に苦渋を舐めさせられ続けた安倍一族の末裔である結惟の方にとって、それこそが”世迷い事の戯言”にすぎぬ。
「なんと無知蒙昧な!朝廷など一権力者の末裔でしかあらぬ!」
「恐れ多い事を仰せになる!基衡殿の下、御上に準じた平安楽土を夢見たお方の言葉とも思えぬ!」
「帝など自らを神に祭り上げた傲慢な人間の一族でしかないわ!」
長い間、お互いが己の利己で覆い隠していた本音が吐露され、暫くの間二人は睨み合っていた・・・
うすうすは感じ取っていた価値観や信仰感の相違。
それはあえてお互い核心をつかなかっただけの事だが、今ここにいたって、明確に二人を分けたのだ。
静かに基成は最後の言葉を切り出した。
「致し方もございませぬな。これにて退散仕る」
そう言うと基成は肥えた老体を立ち上がらせ部屋を出て行く。
基成も結惟の方も、それきり目を合わす事はなかった。
長年手を携えて、奥州藤原氏の舵取りをしてきた両者は今、袂を分けたのだった。




