七高山
空が白々と明けていく。
風もなく鳥の鳴き声ひとつしない静寂の雪山を、アイヌの人々は登っている。
後方に迫る追捕の軍に追われ、眠い目をこすりながら必死に足を運んでいた。
山の森では馬の利は小さくなる。
頑張って逃げ続ければ、追捕の軍も諦めざるをえなくなる筈だ。
そこに一縷の望みを持って、寒さに震え疲れ果てた体を動かし続けていた。
しかし・・・追捕の軍は執拗だった。
少しづつではあったが、その距離を縮めてくる。
先の川で全身水浸しになっていたオロアシも、老齢の者達も限界が近づいてきている。
息は荒く足元はおぼつかず、ふらつき今にも倒れそうだ。
アトゥイは決断した。
”この地で奴らを撃退する”
狭い街道程ではないが、多勢を相手するにはまずまずの地だ。
アトゥイは隣を歩くオマンレに話しかけた。
「オマンレ、ここから皆を先導して欲しい」
「なんだと?」
「このまま西に向かい海に出て、海岸沿いに北へと向かうと大きな湊がある。そこでこれを・・・」と義経が書いてくれた紹介状を渡した。
「そこの領主の十三秀栄という人に渡せば、アイヌモシリまでの舟を調達してくれる筈だ」
「アトゥイはどうするつもりだ?」
「俺は戻って、あいつらと雌雄を決してくる」
それは、二度と皆の元に戻れないかもしれないという、決死の覚悟があった。
「無謀だ!危険すぎる!」
その声に気が付いたショルラが、心配そうに近寄ってきた。
「あいつらに追いつかれるのは時間の問題だ。取り囲まれる前になんとかしないと取り返しのつかぬ事になる。この地なら何とか戦える」
オマンレも重々承知している。暫くアトゥイを見つめていたが、
「・・・わかった!すまんアトゥイ、頼む」と絞り出すように言った。
頷き後方に駆け出そうとするアトゥイに、ショルラが悲痛な声で叫んだ。
「アトゥイ!死なないで・・・お願い」
アトゥイはニコッと笑うと
「大丈夫、必ず戻る」と言って足を引きずる様に駆け出した。
ホヤウカムイにやられた傷が、癒えきらないのだ。
ショルラはアトゥイを見送りながら、嫌な予感がしてならなかった。
森閑とした七高山の尾根を目指す一行を後に駆け出したアトゥイは、大木に飛び乗ると追捕の軍を確かめた。
松明を捨てた軍勢は、うねる黒い影の様に雪の山を登ってくる。
それは美しい白い山を浸食する、黒い蟻の大軍の様にも見える。
そのさまを見ながら、義経の言葉を思い出していた。
”戦において、意外な初手や奇襲がどれほど兵の士気を損じるものか考えた事があるか?”
義経はおそらく、この様な事を想定して言ってくれたのだろう
”人は緊張を維持するという、精神状態を保つだけでも消耗するものだ。故にここは大丈夫だ・・という柵なり砦なりで弛緩する必要がある。それはこちら側にも言える事で、長の対陣や長期にわたる追撃で注意が必要な事だ。だからこちらは十分に休憩をとり、こちらの都合で奇襲や夜襲をかけ、相手には緊張を解かせない。これを続ければ相手は疲れ果て、撤退せずにはいられなくなるだろう・・・戦いというは色々な段階もあれば、それに合わせたしようもある。目に見えぬ損害をだし、少しづつでも戦力をそぎ落とす事も時として大事なのだ。兵を疲弊させるというは、なにも体力だけの事ではない。心を削るのだ・・・”
よし・・・アトゥイは追捕の軍の横に周り込んだ。
雄勝平を進軍していた追捕の軍は、途中大勢の人間の足跡を見つけた。
その足跡をたどって行くと、遠くアイヌの者達が山を登っている。
馬に鞭をあて速度を上げた。
兵達は今、大きな沢木公康の背中を見ながら馬を降り徒歩で登っている。
深夜からの行軍で、皆も少々疲れてきていた。
どんどん平泉が遠のいていく・・・
そんなダレた空気が追捕の軍内に漂い始めた時、軍勢の横合いから奇襲を受けた。
”わぁっ”と鬨の声があがる。
斬りこんできた、たった一人の大男に百五十の軍勢が翻弄される。
剣撃の音と、武者達の歓声が森閑とした山の森に木霊している。
「またあの男か!?」兵達が一斉に騒然としている方へと駆け出す。
先頭を歩いていた沢木公康はゆっくり踵を返した。
武者達より頭一つ大きいアトゥイが、入れ替わり立ち代わり向ってくる武者達と斬り結んでいる。
既に十人近くの武者がその足元に倒れていた。
「取り囲め!矢を番えよ!」武者の怒号が飛ぶ。
木の影から飛び出したアトゥイが、一人の武者を斬り倒した。
足を引きずりながらも、武者達よりはるかに速い。
放たれた矢が、頭を下げ躱したアトゥイの後ろの木に突き刺さる。
太刀を突き入れてきた武者の横をすり抜けながら胴をはらうと、武者はその勢いのまま崩れ落ちる。
上段から振り下ろされた太刀を横に払い、返す刀で腕を跳ね飛ばしながら胸を斬り上げる。
弓を捨て太刀を抜こうとしている武者に突っ込み、斬り伏せた。
アトゥイが行く先々で死体の山が築かれていく。
アトゥイが馬の影から斬り懸ってきた武者と斬り結ぼうとした時、
沢木がアトゥイに斬り懸った。
その凄まじいまでの剣風に、受けた舞草刀ごとアトゥイは後ろに飛ばされる。
”くっ!”アトゥイは歯を食いしばり耐えた。
武者達から歓声が上がる。
対峙する大男、
” 鼻の者だ・・・”しかし以前と違っている。
” 鬼の熱・・・”帯電する様なぴりぴりとした感じ・・・
” この男、鬼に憑られたな・・・”
良く見れば、あきらかに体が大きくなっている。
” あの男から憑り代えられたのか?”
一瞬の思考の間にもアトゥイの周りには武者達が群がってくる。
一斉に斬り懸ってきた。
アトゥイは下がりながらそれらの太刀を受け、跳ね返す。
その合間に、沢木の剛剣が撃ち込まれる。
それはとても受け流せる剣圧ではない。
アトゥイは全力で受ける。
その隙を他の武者達が突いた。
腕と足を斬り割られ、血がしぶく。
よろめいたアトゥイに沢木が再度撃ち込むと、アトゥイは一間(1.8m)後ろの木まで弾かれる。
さらに沢木が飛び込み太刀を振り下ろした。
アトゥイはその太刀目がけて舞草刀を振り切った。
”ギンッ”沢木の太刀が二つに折れる。
沢木は後ろに飛び退った。
代わる代わる武者達が斬りこんでくる。
力一杯振り切った隙だらけのアトゥイは、体のあちこちを斬り割られながら、なんとか躱した。
が、背後から背中を突き刺された。
”ぐっ!”歯を食いしばり耐え、半身を開いて舞草刀で斬り払うと、武者の両腕が飛んだ。
「ぎゃぁああああああ!」悲鳴と怒号が入り乱れながら、執拗にアトゥイに斬り懸ってくる武者達。
沢木が死者の太刀を拾って、再びアトゥイに斬り懸って来た。
ぼろぼろになりよろめいたアトゥイへ、力任せに横振りしてくる。
アトゥイが大きく飛んだ。
沢木の頭上を飛び抜けながら、舞草刀を打ち下ろす。
沢木の頭をざっくりと割った!
着地したアトゥイ目がけて武者が殺到する。
斬り結ぶアトゥイや武者達の後ろで、沢木は”ドサッ”と雪に倒れ伏した。
アトゥイと別れた一行は、七高山の尾根を越えて下っている。
遠く剣撃と、戦の歓声が聞こえる。
” アトゥイ・・・”ショルラは心配そうに振り返った。
その時、前方から叫び声が上がった。
「追捕の軍だ!」
それは七高山を迂回して待ち伏せていた別働隊だった。
三十人程だろうか、馬を降り太刀を抜き、こちらに向ってくる。
太刀を持つ、オマンレ、オハイベーカ、エコキマが一行の前面に立つ。
斬り懸ってきた武者の目に、エバロの放った矢が突き刺さる。
たじろいだ武者を、オマンレが袈裟がけに斬った。
アヘトカリ、ニニテマリ、テキワセが矢を放つ。
アイヌの男達は皆、狩りの名人である。
その放つ矢の正確さは、武芸の鍛錬にいそしむ武者達にも引けを取らないものだった。
さらに山の上から迎え撃つ形になった彼等に有利に働いた。
何人かの武者達が傷をおい、攻めきれずにいる。
しばらくの間、膠着状態になり、弓矢の攻防がつづいたが・・・
やはりそのほとんどが老人や女性、子供達でしかない彼等は次第に押されていく。
周り込んだ武者が横合いから、突然斬り懸って来た。
木々の間からその様子を見ていたショルラは、
その時・・・全ての時間が遅くなったように感じられた。
横合いから突っ込んできた武者が、ケンラリに太刀を振りかぶる・・・
頭を庇う様に両手を上げたケンラリが、体を半身に逃げ出そうとした。
そこを袈裟がけに斬られた。
ケンラリは残雪を跳ね上げ倒れ伏す。
助けようと竹槍で突こうとしたオヤワインは、横合いから現れた武者に突き刺され、背中から太刀が突き出した。
わらわらと出てくる情け容赦のない武者達は、老婆のサンクマを斬り捨てニシバラレを蹴倒した。
悪夢の様な光景がそこに突如として出現したのだ。
前方の守りが崩れた。
斬り結ぶオマンレと武者の間を武者達が駆け上がってくる。
木の影に隠れようとしたソラノは背後から斬られた。
まだ若いソラノはゆっくりと崩れ落ちていく・・・
「ソラノ!」ハエプトの悲鳴が森に響いた。
アイヌの人々は、ひとつ所に集まり、それを武者達が取り囲む。
「終わりだ・・」武者の一人が笑って言った。
武者達が、一斉に太刀を振り上げる。
子供達を守ろうと、年かさの者達が盾となり覆い被さる。
その大人達越しに、太刀を振りかぶり迫りくる武者を見てショルラは絶望した。
” アトゥイ!”
その武者が吹っ飛んだ!
横の振りかぶった二人の武者は、胴から真っ二つになり上半身は回転しながら落ちた。
武者達の囲みが崩れ、アトゥイの姿が現れる。
「アトゥイ!」ショルラは叫んでいた。
武者達はアトゥイに集中して襲いかかる。
傷だらけで、ふらついていたアトゥイは、反撃を受けながらも、武者達を打倒していく。
オマンレもオハイベーカもエコキマも傷だらけになりながら、武者と斬り結んでいる。
その三人と斬り合っていた武者を、横からアトゥイが斬り伏せた。
武者達は残り三人となったところで逃げ出し、馬の元に戻り騎乗して駆け去っていく。
出血と疲労で朦朧としながら、それをアトゥイは見送った。
アイヌの人々に悲鳴と、悲しみの声が上がった。
ケンラリ、オヤワイン、サンクマ、ソラノが犠牲になっていた。
ソラノの死に顔は穏やかなもので、笑っている様にすら見える。
「ツフリ(ソラノの夫)と、エモレエの元に行けると・・・喜んでいるよう・・・」
悲しそうにシイヒラが言った。
同世代の彼女は、幼馴染でもあり、子育ての苦労を共にしきた彼女は特別な存在であったのだろう。
涙を止める事が出来ず、彼女の遺体に屈み込んだまま動かなかった。
皆が呆然としている。
体のあちこちに矢を突き立て、傷だらけで全身血まみれのアトゥイにアチャポが聞いた。
「大丈夫か?・・・後ろはどうなった?」
「・・・引き返して行った・・・暫くは大丈夫だろう・・・」
「そうか・・・」アチャポは目を瞑り、自らの気持ちを整えると
「皆、ケンラリ、オヤワイン、サンクマ、ソラノを弔ってやろう・・・」
見晴らしの良い場所を選んで、穴を掘り並ぶように埋葬していった。
皆が悲しみの涙を流している。
昨日まで元気だった人達が、今は物言わぬ躯となっている。
疲れと悲しみから、暫くの間彼等は呆然と立ち尽くし、冬晴れの残雪が痛々しい程に、彼等の心へ冷たい風を吹かせていた。
累々と並ぶ死者達の中から、むくりと起き上がった大きな男の姿がある。
沢木公康、血まみれの頭から脳味噌をはみ出させゆらりと立った。
虚ろな眼差しで周囲を見渡すと、手を前に出し、森の奥へと歩き出した。




