雄勝平
寝静まる深夜の金沢柵に、急を知らせる武者の声が響いた。
「アイヌの者共の行方が知れたぞ!出発の支度を致せ!」
こんな晩くにどのような知らせか?・・・と思う者もいれば、
これを最後に妻子待つ平泉に帰れると、跳ね起きる者もいた。
松明片手に走り回り、あちらこちらでごろ寝している武者達を叩き起こしていく。
武者達は鎧をつけ身支度をすませ館から出ると、外気の冷たさに眠気が吹っ飛び意識がはっきりした。
馬屋から馬を引きだし騎乗する。
”御館のお指図である”というのを名目に、点々とする柵で僅かな補給を受けながらの追跡である。
心許ない事このうえなかった。
多くの武者達は内心この追跡劇に嫌気がさしており、早く平泉に帰りたいと願い、ある者は知人や友人の復讐に燃え、またある者は僅かばかりの手柄を立て、少しでも立身出世の足しにしたいと思う者もいた。
そんな中、佐藤政任がいない事に気付く者はいなかった。
巨大な二重堀の柵から月明かりの雪原へ、それぞれの思いを胸に武者達が馬を歩ませて行く。
沢木に率いられた百五十余りの軍勢が、雪により抑えられた馬蹄の音を響かせ走り出した。
大きく開いた雲の隙間から、月光が雄勝平の雪原に射している。
風も無く静かな夜の雪原に、アイヌの人々の雪を踏む” ザクッ、ザクッ”という音と息遣いだけが聞こえる。
その吐き出される息は白くなり、月明かりに浮かび上がっては消えた。
誰もしゃべる者もなく、緊張して先を急いでいる。
ショルラは月光に浮かび上がる雪原を眺めながら
” 美しい・・・”と思っていた。
一本ぴんと緊張の糸が張った、静寂に満ち薄青く照らされる寒々とした白い世界。
自らの足を止めた事さえ意識しないまま眺めていた。
「どうしたの?」と最後尾を歩いていたソラノが聞いた。
「まるで別世界の様・・・」ショルラは虚に答えた。
ソラノもショルラの視線を追う様に、雪原の果てに目をやる。
「そうね・・・こんな時間に外出する事なんてないからかしら・・こんなにも美しいと感じるのは・・・」
するとショルラは
「私達は・・・どこへ行こうとしているの?」と思いもかけぬ事を言った。
それは大切な人達を失い、住み慣れた故郷を離れ、あてどない旅に出た自分達が向かう先・・という意味もあったろうが、それよりも自分達の未来・・という漠然とした意味合いの方が強かった。
それを察したソラノは、
「人生は時として大いなる苦痛と困難をもたらして人を苦しめる・・・その苦しさから立ち止まり、悲嘆に暮れ、しゃがみこんでしまう・・・私も・・でもね、それでも人は生きて・・・幸せを探す旅にでなきゃいけないと思うの・・・死んでしまった人達の分も生きなきゃならない・・・」
夫もエモレエという一人息子も亡くした、自分自身に言い聞かせる様だった。
ショルラは優しかったハポやミチの事を、美しい月光の雪原を眺めながら想っていた。
厳しくも慈愛に満ちたミチも、優しく思いやりに溢れたハポも、なにひとつ悪い事をした訳でもないのに無残に殺された。
あの直前まで・・空腹ではあったものの、笑いさんざめき楽しく過ごしていた日常が、突如として意味も解らず壊され、優しかった両親を殺された・・・
その理不尽をなにひとつ穿つ事のできないまま、逃げるように生きていくしかない・・・
私の肉親は誰もいなくなってしまった・・・
家族の様な人々はいたが、やはりそれは本当の意味での家族とは違う。
薄青い雪原の果ての、朧な白い山の稜線を眺めながら、例えようもない程の孤独と寒さにショルラは襲われ、立ちすくんだ。
人の情や想いを受け容れる隙がまるでない荘厳な雪原・・・
美しさを感じる反面、不安や緊張、恐怖すら感じる。
”人はただ、死んでいく・・・”
得体の知れない虚無感がショルラを襲い立ち尽くした・・・
そのショルラの肩を大きな手がやさしく叩いた。
「ショルラ?」
周囲を警戒する為、先導をオマンレに任せたアトゥイが追いつきしゃがみ込み顔を覗き込んだ。
ショルラははからずも涙を流してしまった。
「ごめんね・・なんでもないの・・・」急いで涙を拭く。
ソラノは気をきかせて先に行った。
雪原に取り残された二人は、しばらく口を開かなかったが
「わたし・・一人ぼっちになっちゃった・・・」と、今や肉親のない己を顧みて、ぽつりと言う。
アトゥイはそんなショルラを暫く見つめていた。
ショルラの中に広がる孤独の闇が見える。
両親を亡くし孤独に苛まれながら、過酷な逃避行を続けなければならなかったのだ・・・
さぞ辛かったのだろう・・
「人の人生は短く、人は必ず死なねばならない・・・」アトゥイは遠い雪原に目をやりながら言う。
ショルラはアトゥイを見上げた。
「俺もショルラもいずれ必ず、どの様な形であれ死ななければならない」
月光の雪原が寒々と二人を包んでいる。
「でも今じゃない。ショルラの人生はこれからなんだ。」
「ショルラはこれからいくらだって家族を作る事ができる。ハポとなって子供達を育て、その子供達がまた子をなし命をつないでいく。ショルラがフチ(お婆ちゃん)になる頃には大家族になってる」
「だから一人じゃない。みんなもいるし、俺もいる。人生は必ず素晴らしいものになる!」
めずらしく熱く語るアトゥイの言葉は、ショルラの心に染みた。
「そうだね・・・」ショルラは微笑みながら、
・・・その家庭はあなたと築いていきたい・・・と心の奥で思っていた。
深夜から早朝にかけて歩き続けた一行は、東雲(日本の古語で闇から光へと移行する夜明け前に、茜色にそまる空を意味する)に西の森へとたどり着いた。
しかしその森を前にして、幅三丈(約9m)程の川が眼前に流れている。
アトゥイは子供の膝下程度の深さしかない場所をあらかじめ探し出していた。
「ここを渡ろう」
皆が裾を巻き上げて、刺す様に冷たい川の中へ恐る恐る入っていく。
エコキマがソイエをおぶって、ざぶざぶと川を渡る。
アトゥイは川の中央で皆が足を滑らせない様に、フラつく人々の手を取っていた。
その時!
暗い川の水面を蛇行する巨大な何かが近づいてくる。
その長さは十丈(約30m)にもなろうか?
なんだあれは?」オハイベーカが叫んだ。
「早く向こう岸へ!」アトゥイも叫ぶ。
そいつは、躓いて倒れたオロアシにぬるっと狙いを定めた。
水を落としながら立ち上がっていく鎌首の両目が赤く光り、一丈(3m)の高さからアイヌの人々を見下ろす。
「ホヤウカムイ!翼がないぞ!」オマンレが叫んだ。
ホヤウカムイとはアイヌに伝わる怪物で、翼の生えた大蛇の姿とされ、ホヤウは蛇を意味しその語源は「異形」という。
湿地や湖に棲むとされる畏敬されたカムイである。
十二歳のオロアシを丸のみ出来る程開いた口で襲いかかった!
オロアシに喰いつく寸前、横からホヤウカムイの頭にアトゥイが体当たりをかました。
すんでのところでオロアシから外れ、横の川の浅い水面にその巨大な牙を立て水しぶきがあがる。
「オロアシ!逃げるんだ!」アトゥイが叫ぶ。
そのアトゥイの周りから、大木の様な胴が巻きついてきた。
アトゥイが飛び上がりかわした空間をホヤウカムイの胴が音をたてて巻きつく!
オハイベーカが対岸から
「なんてでかさだ!」と驚いた。
アトゥイは川面に着水すると腰まで沈み、それが枷となり動きが鈍くなる。
そこに馬の胴程もあるホヤウカムイの口が襲いかかった。
咄嗟にアトゥイは上顎と下顎を掴み、その剛力で受け止める。
ホヤウカムイは凄まじい力でアトゥイをグイグイと押し込み飲み込もうとする。
アトゥイはその力を肩を開いて横に躱した。
瞬時に背から舞草刀を引き抜き、水面に突っ込んだホヤウカムイの首に撃ち込む。
”ギィンッ”
しかし、舞草刀は硬い鱗に弾き返されてしまった。
水しぶきを上げながら大木の様な胴体がせまる。
水で動きの鈍くなったアトゥイの胸から下にからみつき、凄まじい力で締め上げてきた。
アトゥイは渾身の力で受け止める。
ギシギシと骨まで砕かれそうになるその圧力に、アトゥイの表情が苦悶にゆがんだ。
「アトゥイ!!」ショルラが悲鳴をあげる。
アトゥイは舞草刀を逆手に持つと、力の限り硬い鱗に覆われたホヤウカムイの胴に突き立てた。
それは鱗の隙間から突き刺さるが重い。
渾身の力で尚もズブズブと突き込んでいくが、ホヤウカムイは緩めることなく締め上げてくる。
アトゥイは突き込んだ舞草刀を今度は横に力一杯引いた。
鱗を押しのけながらグイグイと掻っ捌く。
さすがにこれは効いた様で、ホヤウカムイは締め付けを解いてアトゥイから離れた。
アトゥイも渾身の力を込めていたのでふらつきよろめく。
そこを、巨大な尾ではたかれた。
水面の上を弾き飛ばされるアトゥイは、三丈(9m)も飛ばされ、頭から着水する。
そこに鎌首をもたげてホヤウカムイが襲いかかった。
水中から水しぶきを上げて飛び出したアトゥイが、ホヤウカムイに飛び込み鱗の薄い喉元を一閃する!
血がしぶきアトゥイは返り血を浴びながら横をすり抜けた。
ホヤウカムイは水面に頭から突っ込み、大きく水しぶきを上げたかと思うと、水面に大きな蛇行の波紋を残しながら逃げて行った。
アトゥイは肩で息をしながらそれを見送る。
川のせせらぎの音だけが、静寂の世界に響いていた。
「大丈夫かアトゥイ!?」というオハイベーカの声で我に返り、皆が待つ岸にざぶざぶとフラつきながら歩いて行くと、心配そうに皆が集まって来る。
水から上がったアトゥイはよろめいて片膝をついた。
今の戦いで激しく体力を消耗してしまったアトゥイは、暫くそのままで息を整え、体力の回復につとめる。
集まってきた人々がアトゥイの肩に手を置き、心配そうに顔を覗き込んだ。
アトゥイは安心させようと、すぐに立ち上がったがよろめいた。
それを皆が支える。
「大丈夫、さぁ行こう」アトゥイは皆を見下ろしながら微笑んだ。
しかし、その顔がすぐに曇った。
遠い川向うの雪原に目をやっている。
「追捕の軍だ・・・」皆がぎょっとしてアトゥイの視線を追うと、遠い雪原に多くの松明の明りが見える。
「皆、森に逃げ込むんじゃ!」アチャポが叫ぶ。
アトゥイも足を引きずる様に、皆と共に山の森に駆け込んだ。
そこは、山岳修験の場として多くの修験者が籠ったと伝えられる山で、七高山という。
縄文時代から弥生時代の石器採取の母岩や、その他の遺物等が確認され、古くから生活や信仰の場であったと考えられている場所である。
21世紀の現在この地を訪れると、この三百年後の江戸時代に山岳修験の所産と思われる、「バン 行者大菩薩 奥院」と印刻された磨崖仏と役行者の石像を見る事ができる。
この山で、寒さに震え疲れ果てた彼等に、過酷な運命が待ち受けていた。




