雪の森
夜、天に敷き詰められた様な雲がまだらになり、頭上の雪を被った木々の隙間から月光が射していた。
チプの中では、皆が疲れ果てた体を焚火で温めながら、うとうとしている。
オマンレはアトゥイの帰りを待ちつつ、一人寝ずに警戒していた。
”パチッ”と火が爆ぜる度に、ハッとして引き込まれそうになる睡魔と戦っていた。
その時・・・
”ザクッ・・・ザクッ・・・”と雪を踏む音が聞こえてきた。
それはアトゥイの足音とはあきらかに違う。
オマンレはすぐ横で寝ているオハイベーカ、エコキマ、アチャポを揺り起こした。
「なんだ?」とオハイベーカ。
「しっ、静かに・・・アトゥイでない誰かが近づいてくる・・・」
皆に緊張がはしる。
オマンレ、オハイベーカ、エコキマはアトゥイにもらった太刀を引き抜き、チプを静かに出た。
月光がまだらに射す雪の森の十間(約18m)程先に、近づいてくる人影がある。
オマンレ達の握りしめる太刀が月光に光り、柄が汗で湿った。
それが滑らない様に何度も握り直す。
近づいてくる黒い人影・・・アトゥイの巨躯ではない・・・普通の人の大きさだが・・・
手に持った鉈らしきものが、振られる角度により月光でピカリと光る。
そして・・・影に沈んだ顔面で、目だけが赤く光っていた。
その者はおろか、オマンレ達も緊張から口を開かない・・・
なおも近づいて来たその者の姿が、朧に見えてきた。
白髪の髪がボサボサに伸び、ボロボロの服を寒そうにするでもなく纏っている不気味な老婆の姿・・・
ケナシコルウナルペ・・・四人が生唾を飲み込み、太刀を構え直した。
ケナシコルウナルペのしゃがれた低い不気味な声が雪の森に染みる。
「逃さぬぞ・・・皆残らず・・喰ろうてくれる・・・」
すごい勢いでケナシコルウナルペが襲いかかって来た。
三人の手には太刀がある。
その太刀から勇気をもらったエコキマが、力任せに太刀を撃ち込んだ。
”ギィンッ”
そのエコキマの渾身の一撃を、ケナシコルウナルペは右手の鉈で簡単に払う。
横に払われたエコキマは、つんのめる様に倒れ雪に埋まる。
剣撃の音で、寝ていた皆が目を覚ました。
「なに?」ハエプトやショルラ、ヌマテがチプから飛び出す。
彼女らが深夜の雪の森で目をこすりながら見たのは、鉈を振り上げたケナシコルウナルペが、オハイベーカにその鉈を振り下ろそうとしている姿だった。
オハイベーカがそれを太刀で受けたが、その力の凄まじさから後ろにひっくり返される。
横からオマンレが撃ち込もうとした時、間合いを詰めたケナシコルウナルペがオマンレの柄頭を抑えた。
オマンレは引き離そうとするが、あまりの怪力にびくともしない。
そのオマンレにケナシコルウナルペが鉈を横殴りにしてきた。
オマンレは太刀を手放し、なんとか後ろに避け雪に尻餅をつく。
チプから出て来たアイヌの人々を、鉈と太刀を持ったケナシコルウナルペがジロリと見渡した。
ニタリ・・と笑う。
そのあまりの不気味さから、アイヌの人々は戦慄し後ずさった。
「旨そうな・・・童がおる・・・」とソイエを見つけたケナシコルウナルペが、しゃがれた声で言った。
エコキマとオハイベーカがケナシコルウナルペを周り込み、ソイエを守る様に立ち塞がる。
その二人がまるで存在していないかの様に
”ザクッ、ザクッ”と雪を踏みしめソイエの方に向ってきた。
オハイベーカとエコキマが同時に討ちかかる。
”ギィンッ、ゥイキンッ”
それを鉈と太刀で払うと、二人を左右に弾き飛ばす。
そのままソイエに襲いかかった。
「逃げろソイエ!」オマンレが叫ぶ。
ソイエはあまりの恐怖に立ちすくんでいる。
ケナシコルウナルペが太刀を捨てた左手でソイエの首を掴み、そのまま持ち上げた。
苦しそうに足をばたつかせるソイエ。
「生き血を・・啜って・くれる・・・」
ハエプトがソイエを取り返そうと、ソイエを抱きかかえる様にケナシコルウナルペの腕にしがみつき、指を一本一本力を込めて外そうとするがびくともしない。
黄色く濁った瞬き一つしない目で、ジロリとハエプトを見たケナシコルウナルペは、そのハエプトに鉈を振り下ろした。
誰もがその惨劇を覚悟した時!
”ギィンッ”
その鉈を大きな太刀が受けた。
木の影から現れたアトゥイが、ソイエの首を絞めているケナシコルウナルペの左手首を掴む。
ギリギリとケナシコルウナルペの手首をひねり上げていく。
「ぐぅぁああああああ!」涎を撒き散らし、怒りに顔をゆがめたケナシコルウナルペがソイエを放した。
ハエプトがソイエを受け止め、かけ離れる。
アトゥイは鉈ごと舞草刀で弾き返した。
飛び退るケナシコルウナルペ。
ケナシコルウナルペから皆を守る様にアトゥイの逞しい背があった。
「アトゥイ!」人々は口々に叫ぶ。
皆の後ろから、屈強な大男となったアトゥイの後ろ姿をショルラは見ていた。
その安心感は絶大な物で、ケナシコルウナルペを覗き見ても、先ほどの様な恐怖は感じない。
怒りと憎しみにゆがんだケナシコルウナルペの顔面で、目が爛々と赤く光る。
不気味な静寂のあと、ケナシコルウナルペが揺らりと動いたかと思うと、猿の如くアトゥイに襲いかかった。
二人の体が交差する!
”ズドンッ”とケナシコルウナルペの胴を舞草刀が一閃し、ケナシコルウナルペの上半身が回転しながら飛ばされる。
杉の木にぶち当たった上半身は、内臓を幹にこすりつけながらズルズルと落ちていく・・
追捕の軍との死闘を繰り返してきたアトゥイと、ケナシコルウナルペではその力量が段違いだった。
勝負はあっけなくついたかと思われたが、アトゥイの背は警戒を解く事無くケナシコルウナルペを注視している。
すると、上半身だけとなったケナシコルウナルペが、ずるずると内臓を引きずりながら、まるでゴキブリの様にアトゥイに這い向って来た。
あまりのおぞましさに、アイヌの人々は吐き気を覚え後ずさる。
アトゥイは冷静に、ケナシコルウナルペの首へ舞草刀を振り下ろした。
首は五間(9m)も飛び、雪の中を転がって止まった。
アイヌの人々は戦慄し、誰も口をきく者もいない。
首も胴体も動かなくなった事を確認すると、アトゥイは振り返り
「ソイエ大丈夫?」と心配そうに聞いた。
ハエプトにしがみついていたソイエが頷く。
微笑んだアトゥイが、他の皆に目をやり
「さぁ、出発しよう」と言って、チプを撤収し始めた。
人々は暫くのあいだ凍りついていたが、一人二人と動きだし、時折動かなくなったケナシコルウナルペの首を恐る恐る覗き見しながら作業を進めた。
撤収を終えたアイヌの人々が、アトゥイの先導でその場を立ち去り暫く立った・・・
すると、ケナシコルウナルペの首から流れ出た血より、青い燐光が浮いて出て来た。
それはフラフラと浮遊しながら、雪の森の深淵に消えて行った。
深夜、金沢柵では鎧を外した武者達が、館のあちこちでごろ寝している。
寝息や鼾、歯ぎしりが響く室内で、壁際の男が一人むくりと起きだした。
最初から寝ていなかったのだろう、てきぱきと鎧を付け始める。
武者溜まりと化した室内には燭台が一本あるだけだった。
その薄暗い室内で用意を終えた男は、寝ている同僚を起こさない様に抜き足、差し足で館から抜け出した。
雲間から月光が寒々と柵を照らし出している。
”これならば行ける・・・”そう思った男の顔は佐藤政任だった。
この様な深夜どこへ行こうというのか、辺りを警戒しながら馬屋へと向かう。
雪積もる月光の深夜に妖しい行動を起こした、佐藤政任の生い立ちについてふれておきたい。
祖父は佐藤帥治と言い、義経の郎党として名をはせた佐藤継信・忠信の父、佐藤基治の父にあたる人だ。
この佐藤帥治は、奥州藤原氏二代当主基衡が家督を簒奪したあと、権力の強化と確立、家臣団の統制に尽力した人で、三代目当主秀衡家督継承時、繰り返されてきた親族間の内乱を起こす事がなかった円滑な家督継承にも力を尽くした。
信夫佐藤氏は奥州藤原氏の股肱として、一族縁者が藤原氏内で力をふるってきた。
そんな信夫佐藤氏の一族であった政任は、当たり前の様に四代目当主泰衡の郎党となり今にいたる。
そんな政任は、従兄弟である継信・忠信が義経の郎党として、歴史の表舞台で活躍する姿を、遠い奥州の地で羨ましく眺めていた。
”俺も後世に名を残す大きな事がしたい・・・”そんな事を常日頃から思っている男だった。
その功名心が今の行動に現れている。
五十人余りが討死し、雪に足止めをくらい、補給も戦死者の弔いもままならない現状に至ってなお、アイヌ追捕を強行し続ける指揮官沢木の異常さを、御館に知らせなければならない。
今すぐ疲れ果てた軍勢を平泉に戻してもらい、出来る事なら異常な指揮官を解任してもらう。
”もし聞き届けられなかったとしても、信夫佐藤の長老達に頼み、結惟の方に相談してもらえばよい”と思っていた。それは
基衡が新政権樹立に苦労している時、基衡の妻、結惟の方と共に佐藤帥治ら信夫佐藤氏一族が支えた縁で、信夫佐藤一族と結惟の方は懇意にしていたからだ。
”我らはただの郎党達とは訳が違う”という強い自負があり、いざともなれば結惟の方が
”いかようにも良い様に計らってくれるだろう”という打算も働いていたのだ。
”ブルルル”と馬の息は白い。
馬屋から馬を引き出した政任は、柵の門を開け馬に乗った。
その時、背後から声を掛けられた。
「どこ・・へ・・ゆく?」
馬上から振り返った政任は、月明かりに十一間(約20m)後ろに立つ人影を見た。
その人影は筋骨隆々の大男で、月影に沈んだ顔の両目は爛々と赤く光っている。
沢木公康だった。
政任は答える代わりに強く馬腹を蹴った。
「はぁっ!」
勢いよく馬が駆け出す。
”よし!・・・ぎりぎりだった・・・”脱出に成功したと確信した政任は、ほくそ笑み振り返った。
そして驚愕した。
沢木が追いかけてくる!
馬が全力で疾駆する速さを、なんと人の足で距離を詰めてくるではないか!
政任は背筋に悪寒が走りながらも、疾駆する馬上で太刀を無意識に抜いた。
沢木が跳躍し政任に斬り懸る。
それを太刀で受ける!
凄まじい剣撃に、馬から打ち落とされそうになった。
が、なんとか耐えた。
馬上で態勢をなんとか立て直し急いで振り返ると、沢木が立ち止まりその人影が遠ざかっていくのが見える。
今度こそ、”助かった・・・”と安堵の息を吐いた。
その息が瞬間白くなり、あっという間に後方へ消える。
川沿いの雪積る街道を、暫く馬を全力で走らせた後、速度を緩めながら再度後ろを確認し様と振り返った時、雪の街道に横たわる大木の様な物に馬がぶつかった。
馬も政任も三尺(90cm)程もあるそれに乗り上げる様に回転し、その勢いのまま前方に転げ落ちた。
政任は暫くなにが起こったのか理解できず放心していたが、馬が立ち上がり逃げていく姿を見て我に返った。
「まっ!待て!」
馬は漆黒の街道を逃げ去っていく。
呆然と立ち尽くす政任の前で
”ズルッ”と大木が動いた。
驚き後ずさる政任の尻に当る物があった。
振り返ると後方にも円を書く様に大木がある。
いつの間にか、周囲をぐるりと丸く湾曲した大木に囲まれている。
その大木の端が鎌首をもたげた。
それは馬の胴程もある、とてつもなく大きい蛇の頭だった。
「うわぁああああああああああ」政任は悲鳴を上げる。
大木の様な胴が雪を押し上げながら迫ってくる。
逃げ場を探して周囲を見渡すが、いつの間にか囲まれていて逃げ出す隙がない。
政任は、あっという間につま先から肩まで巻きつかれた。
そのまま凄まじい力で締め上げてくる。
抜け出そうにも、その圧力は凄まじく、わずかの隙間に指を動かせる程度だ。
”ボキンッ”と大きな音と共に、肩に激痛が走った。
「ぎゃぁああああああっ!」魂の叫びをあげる。
その後も体のあちこちから”バキッ、ボキッ”と音がする度に、もうその場所さえ解らない激痛に襲われる。
政任の体は、大蛇の締め上げる圧力に骨は砕かれ、関節は脱臼し、靭帯はブチ切れた。
痛みで虚ろになり、涎を垂らしながら息も絶え絶えの政任の顔の前に、チロチロと舌を出す大蛇の首が近づいてくる。
もう正気を保っていない、瀕死の政任の上半身を大蛇の口が飲み込んだ。
咥えられ高く持ち上げられていく政任の下半身は、ビクビクと痙攣している。
天を向いた大蛇は、政任の体を一気に飲み込んだ。




