齟齬
曇天の平泉は今日も残雪が残っていた。
ぐるりと堀に囲まれた伽羅の御所は、東西約二町(180m)、南北約一町(100m)程もあり、
その堀も、御所も、御厨(使用人が寝泊まりや食事をした)も、堀に捨てられた陶器やかわらけも、雪を被り寒々と白く化粧されている。
その隣には、それをやや小振りにした様な忠衡館があり、その伽羅の御所と忠衡の館に挟まれる様に建つ、忠衡館に引けを取らない程立派な邸宅があった。
藤原基成の館である。
その館の立派な門から出て来た八葉車(網代車の一種)には、牛を引く牛飼童や、牛車の両側につく車副と呼ばれる者達が、雪を踏みしだきつき従っていた。
巳の刻半ば(午前10時頃)、朝餉を済ませた基成は寒さに震える手に白い息を吹きかけながら、揺れる八葉車の中で物想いに耽っていた。
先日、一門の定例軍議の席において、なにも知らされていない義経から十三湊の秀栄公と直接、鎌倉との戦支度について話し合いたいと、急遽、かの地へ赴きたい旨を言われた。
泰衡、基成は藤原一門を説き伏せるのに、義経の慧眼が光っていてはやりづらく、願ってもないよい機であると一も二も無く同意した。
そんな二人の姿を見ても、他の面々はなにも疑問に思う事なく、十三湊まで戦略に組み込む義経に感心していた。
この日の朝には出立すると言っていたので、もう平泉にはいない筈だ。
基成は義経がいないであろう高舘館の方へ眼を向けた。
四十年前、その高舘館に住み、基衡と共にこの平泉を守っていた日々が思い出される。
あの頃・・・・
左大臣・藤原頼長が摂関家荘園十二荘のうち、頼長が相続した出羽遊佐荘、屋代荘、木曾根荘、陸奥本吉荘、高鞍荘の年貢増額を要求してきた事があった。この年貢増徴問題は五年以上揉める事になったが、基成はこれと粘り強く、時に強く、時になだめすかせるかの様に交渉し、仁平三年(1153年)任期ぎりぎりで要求量を大きく下回る年貢増徴で妥結させた。頼長はこれに懲り、二度と年貢増徴を言い出す事はなかった。
これに感謝した基衡の勧めもあって、任期後も二年間平泉に残り、政治顧問として基衡の相談役になり、時折発生する朝廷との問題事に仲介役として活躍し、基衡に必要とされてきた。
久寿二年(1155年)、信頼に帰洛する様に言われた基成は否応なく京に戻り、民部少輔に補任する。
その二年後に基衡は死去し、その死に目に会う事が叶わなかった。
そして更に三年の年月が流れ、平治の乱の折、信頼の縁座で流されるという形で、再びこの奥州に戻る事となった。
娘婿の秀衡は基成をあたたかく迎え、基衡同様、政治顧問として基成を頼った。
魑魅魍魎(公家達)が跋扈する京にうんざりしていた基成は、秀衡の歓待に喜び、娘も孫もいるこの地で安寧の時を得た。
そしてここ奥州平泉を第二の故郷として、骨を埋める覚悟を決めたものだ。
己が必要とされる場所で力を振るえる喜びは、何物にも代えられぬものである。
ここは我にとって最も大切な第二の故郷である・・なんとしても守り抜かねばならぬ・・・
基衡でさえ手を焼いた基衡の妻、結惟の方を、
”いかに説得すればよいのか・・・裏表の無いお人柄ゆえ、慎重に切り出さねばならぬ・・・判官殿に心酔しておられる・・・説得は極めて難しいだろうが、結惟の方さえ説得に成功すれば、あとの方々は問題なかろう・・・”
観自在王院に続く道には雪が積もり、牛車の轍、人や牛の足跡が通りを踏み固めている。
時折、八葉車が横滑りする度に、深い物想いから基成は覚め、そしてまた沈んだ。
「何事であろう?基成殿」
事前に使いを出し、面会を求めていた基成に対し、早朝から一族縁者の冥福を祈り読経していた結惟の方は、振り返り問いかけた。
二人がいる場所は観自在王院の阿弥陀堂で、堂内に立つ四本の巻柱の内陣には、金工や漆芸で飾られた須弥壇があり、ぐるりと囲む高欄から紫檀のバラの香りに近い甘い芳香が冷気に漂っていた。
「大切なお時間を割いて頂きまして、申し訳もございませぬ」と基成はきりだした。
「いや、なに・・・」
基成のただならぬ様子を感じ取った結惟の方は、言葉少なに答えた。
このお方は、持って回った言い方を嫌う人だ・・・
「単刀直入に申し上げる・・・判官殿の事です」
「言わずとも解っておる基成殿」基成はその意外すぎる言葉に驚いた。
「判官殿を泰衡の代わりに、奥州の御館にしようと言うのであろう」
「はっ?・・・」基成はあまりの予想外の言葉に二の句が継げない。
「このまま、あの情けない泰衡の元、鎌倉との戦に突入しては、いろいろな齟齬が生まれ、心許なく思ったのであろう・・我も同じ気持ちじゃ」
「いや・・・」基成は焦って言い正そうとしたが、結惟の方の矢継ぎ早な言葉にそれが叶わなかった。
「我が子、秀衡の言葉と思い我慢してきたが、今この国の重大事に、我が孫、泰衡が治めていたのでは、あまりにも不安。一時的であれ、恒久的であれ、とにかく判官殿にこの奥州の全てを任せるべきである」
結惟の方は厳然と言い放った。
あまりの展開に、基成は開いた口を閉じる事が出来なくなってしまった。
結惟の方は、基成も同じ考えであると信じて疑わない。
「御館の全権委譲を泰衡に求めても、泰衡は受け入れまい・・どうすれば良いと思う?」と結惟の方は基成に聞いた。
事ここに至って、基成はなにも言い返せなくなってしまったものだ。
「はぁ・・」溜息とも返事とも取れない言葉を発した基成は、
「私にも良い思案がうかびません・・」とだけ言った。
それは、今の自分の心境をそのまま口にした言葉であったが、結惟の方は己がそう思いたい様に解釈する。
「なるべく事を穏便に進めたい。なにか良い方法がないか思案してみて欲しい」と結惟の方は言った。
己が実務的でない事は承知しているのだ。
「考えてみまする・・・失礼いたしました」と席を立った。
基成は、思い込みの激しい結惟の方の考えを改める術が見つからず、かと言ってこのままこの場に留まると、抜き差しならぬ状態になりそうな気がして、早々に出直す事にした。
阿弥陀堂を出て暫く歩いた基成は、結氷した園池の畔で振り返り、白く深い溜息をついた。
深い森も峰々も雪を被り、風も無く世界の全てが凍りついた様な雪の森を、寒さに震えながら歩き続けたアイヌの人々の眼前に、突如平原が現れた。
鬱蒼としていた雪を被った木々が閑散としていき、開けた空に薄暗い雲と、なにもかも覆い尽くした雪原が遠い山々まで続いている。
これから先は人目に立つ・・・アイヌの人々の足を止めさせた。
まだ明るく、野営するにはまだ早い。
アトゥイ達は小休止し、今後の道を相談する事にした。
アチャポ達は、シサムの街道を行く事を選んだ時の、恐ろしい記憶がまだ残っている。
人が死を覚悟した時の記憶は、生涯残るものだ。
追捕の軍に見つかる不安から、皆が先に進む事を躊躇している。
「ここから先は、慎重に進まねばなるまい・・・」とアチャポ
「しかし、あまりのんびりしていては、逆にシサムの軍勢に追いつかれてしまう事にならないか?」とオハイベーカ
「我々の目指す方向は、どこまで平原が続いているのか見当もつかないな・・迂回する道を探すしかないか・・・」とオマンレ
無口なエコキマは相変わらず黙っている。
「アトゥイ、奴らの気配を感じるか?」とオマンレがアトゥイに聞いた。
「いや・・・なにも聞こえないし、感じない」
「さぁ、どうする?」オハイベーカが誰にともなく言うと、アトゥイは重い口を開いた。
「この前は、狭い街道で軍勢の利を無くす事が出来たけど、この平野で取り囲まれたらお終いだ・・・この先は初めてで、どうなっているのか解らない・・・」
男達はアトゥイの顔を見ている。
アトゥイは心を決めた。
「みんなはここで待っていて、俺はこの先どうなっているか探って来るから・・・もう少し森の奥に入った場所で、つらいかもしれないけど明るい内は火を焚かない様に、煙で奴らに場所がバレるから・・」
「わかった」とオマンレ
「すまん、頼む」とアチャポ
他の男達は頷いた。
アチャポが振り返り皆に説明し、森の奥へと引き返す。
アトゥイは背負っていた大きな荷を休憩場所近くに下すと、雪原に向け歩き出した。
そんなアトゥイにショルラが声を掛けた。
「アトゥイ、気を付けて・・・」
「大丈夫だよ、すぐ戻る」アトゥイは手を上げると、冷たい空気の森を走り去った。




