暗躍
雪が積もる伽羅の御所の相の間で、藤原基成と泰衡が深刻な表情で密談している。
眉間にしわを寄せ、厳しい顔で基成が言った。
「判官殿には気の毒だが、この奥州平泉の為に死んでもらうしかあるまい・・・」
「しかし、御館(秀衡の事)の遺言を無視する訳にはいきません」と泰衡。
「今この時、その様な事を言っている場合ではありませんぞ、大事なのはこの奥州藤原家が存続し続ける事、その重大事において、御館の言葉も、判官殿の命も二の次と言えましょう」
基成にとって泰衡は実孫にあたる。
それは泰衡にとって、血を分けた祖父の言葉としての重さがあった。
「しかし・・・」
「今の御館は泰衡殿でござるぞ!いまこの時の状況を鑑み判断するのがもっとも大事な事!それを忘れてはなりません!」
それは泰衡の琴線に触れる言葉であった。
”御館である我が、奥州平泉の舵取りをする・・”
「朝廷の宣旨をないがしろにしてはなりません。判官殿の身代わりを立てても、それが偽者の首なら御上に対する不敬となり、さらなる付け入られる隙ともなりましょう」
「やはり、宣旨は出されない様、死力を尽くすべきでした。その件に関しては我が身の不徳の致すところ。判官殿には申し訳なき事なれど、やはり諦めてもらうしかありませぬな・・・」
「されど・・婆様も弟達も納得いたしませぬでしょう・・・」
泰衡にとって最大の障害はやはり、結惟の方に違いなかった。
「北の方様(結惟の方)は私が説得いたしましょう。御館は御一門の方々の説得に尽力してくだされ」
もっとも苦手とする結惟の方を基成が説得してくれるのなら・・・と泰衡は少々気が楽になった。
「やはり義経殿を討つしかありませぬか?」
「ありませぬ。我が弟、信頼も、平家も、朝廷に睨まれた為、凋落し滅亡しました。その轍を踏んではなりません」基成は泰衡を我が身と似ている。と思っている。
出来すぎた目下の者に劣等感をもたされ振り回される。
それは泰衡における義経と、基成における信頼に相当した。
そんな出来すぎた年下の者に振り回される事無く、自分を守り抜こうとする。そんな事に執着した姿が重なるのだ。
「御館の御心痛はお察し申し上げる。なれど、もうご自身の安泰を願っても良い頃とお見受け致す」
その言葉は泰衡の心にしみた。
「先代のお考えはお考えとして、今を生きる御館のお考えこそ大事と思いまする」
泰衡の心はグラリと揺れた。
「しかし・・・弟達をなんと説得すればよろしいか?・・・」
「まずは、私が北の方様を説得いたしまする。御兄弟の方々はそれからでも遅くはありませぬでしょう・・・」
「では・・・御爺様にお任せいたしてもよろしいでしょうか?」
「お任せあれ、御館にはしばらく御待ち頂き、上手く行き次第、報告致しましょうほどに」
「よしなに、お願い申しまする」
雪に沈む平泉に、激しい嵐の風雲が曇天の空に忍び寄り、不気味な静けさが包んでいるかの様だ。
迫りくる、日の本全ての国を巻き込んだ争乱の嵐は、踝に感じる地を這う様な微風から始まった。
門前の楠に雪が寒々と積もっている。
高舘館から見下ろす下界は真っ白で、日高見川(北上川)の流れだけが動きを持っていた。
朝廷からの勅使が来ていた事も、その内容も義経主従は察知していた。
義経にとってそれほどの事は想定内だったからである。
雪の積もる高舘館の庭で、義経は弁慶に話しかけた。
「これから泰衡殿はどう出ると思う?」
「それは、基成殿しだいかと・・」とお見通しの二人だった。
「だろうな・・・そしてその答えは出ているだろう」
「やはり殿の首を鎌倉に差し出す事を考えていると・・」
「基成殿は弟御の末路も、木曾殿(源義仲)の顛末も、平家の滅亡も見てきた人だ、おのずと出る答えは一つであろう・・」
「で、殿はいかがなされる?まさかむざむざと、討たれてやるおつもりではありませぬでしょう」
「結局のところ、鎌倉はこの平泉をそのままにしてはおかぬという・・・そこの所が解っておられぬらしい・・・父の顔を知らぬ私にとって、御館(秀衡)は父の様なお人であった・・・そんなお人の頼み故、平泉に残り戦支度をしてきたが、それも徒労に終わるか・・・」
弁慶はそんな義経の背を見下ろしている。
「今少しあがいてみようかの?」悪戯っぽく義経は笑い、振り返った。
「お付き合いしましょうぞ」弁慶も笑う。
「とんだ我が人生に付き合わせてしまったな、弁慶。すまなかった・・・」
「なにを言われる!つまらなかった我が人生に、生き甲斐をお与えくださった殿になんの不満がありましょうや、殿に負けたあの時から、我が人生は殿と共にありますわぇ」
屋根から雪が”ドサッ”と落ちた。
「まずは、北の方様(郷御前)と百合姫の安全を確保する事からでしょうな」
「む・・・いかにすれば良いと思う?」
「されば、今にして思えば、アトゥイとの出会いは僥倖であったのやもしれませぬな」
「と言うと?」
「アトゥイ達は蝦夷(北海道)を目指していると言ってましたな、北の方様も百合姫も、アトゥイに頼んでみてはいかがかと」
「しかし・・アトゥイも今はそれどころではあるまい・・・」
「なれば、我が身をお使わし下さい。泰衡殿が行動に移すまでは、まだ時間があろうというもの」
「よかろう、郷と百合はそれとなく身を隠させよう、あてもある事だしな・・・」義経はなにを思うか、暫く考えた後・・・
「いや・・・私も同道して直に頼みたい。共に行こう」
「良いですな、昔を思い出すわぃ。わっはっはははは」
「鞍馬を出てこの地に旅立った日の事か?・・もう遠い昔の事の様だ・・・」
義経は昔を思い出す様に、遠い目をすると話し出した。
「おぬしと初めて逢うた時な・・・その体の大きさから、我が叔父、為朝公が姿を変え、私に会いに来てくれたのかと思うたのだ・・・」
「それは初耳」
「為朝公は七尺(2m10cm)の大男だったと聞く。弁慶と同じであろう。強弓の使い手で、左腕が右腕よりも四寸(12cm)も長く、勇猛で傍若無人。我が父、兄達にも遠慮しなかったという」
「背格好と後の方は似ておりますな」
「その大男の口をついて出た言葉が、「その太刀を置いて行け」だったのだ」義経は楽しそうに笑った。
「それがこの様な破戒坊主だったとは、はっはっははは。まことに相すまぬ事で」
「はっはっははは」義経も笑った。
「その叔父も伊豆大島で討ち取られたと聞く。最後は一矢で軍船を沈めたというが、真だったのか・・・享年は三十二と聞き及ぶ。今の私とほとんど変わらぬ歳だ」
義経の顔から笑顔が消え、続けた。
「我が父、義朝公は、祖父の為義公と、為朝公を初めとする兄弟達と敵対し、そして勝利した・・・その後、朝命によりその殆どの人が処刑され、為朝公は流刑にされたのだ・・・」
再び”ドサッ”と屋根から雪が落ちる。
「我ら源氏は平家と違い、兄弟同士で殺し合いをしてきた・・これは因果な事なのであろうか?・・・」
と自らと兄頼朝を思い呟いた。
「平家は一門の結束が固く、身内争いもありませなんだが、”平家にあらずんば人にあらず”などと驕り高ぶり、ついには滅び申した。どちらが良い事なのか、後の世にならねば解らぬ事」
「そうよな・・・」
「人々の執着が歴史を作り多くの血を流す。その人間の歴史など、大いなる時の中では矮小な物にすぎぬ」
「森羅万象に目を向け、悠久の時の流れを思えば、まことそう思えますな・・」
「人はなんの為に生まれ、死んでいくのであろうか・・・願いや思い、執着のない人生になんの意味があるのか?・・・そして、その執着が強すぎれば、争いが生まれ血が流れる・・・ただ、子をなし血を繋げるだけであれば、ただの獣となんら変わらぬ・・・」
「そもそも獣と人を分けようとするのが、間違いの始まりなのやもしれませぬぞ」
「人も獣も同じと言うか?なればなぜ人は言葉を持ち、知恵を持ち、文化を持つにいたった?」
「万物斉同、なにものも貴賤の差などなく、なにもかも同じであるのやもしれませぬな」
「万物斉同?」
「そこに転がる石も、この降り積もった雪も、殿も、この某も、等しく同じである。という意味です」
「坊主であるおぬしは、たまに変な事を言うな」
「ご容赦あれ、わしもよく解りもうさぬわぇ、はっはっははは」
弁慶は気分を変えようと
「とりあえず何食わぬ顔で、十三湊の秀栄殿に鎌倉との戦について打ち合わせに出かけた事にでもして、暫く留守にしましょうぞ」と明るく言った。
「よいな」義経は笑った。
「雪は大事ないか?」
「某が殿の馬の足固めを致しましょう程に、心配御無用!」
「頼むぞ弁慶!」
「お任せあれぃ!」
「なれど、そのアトゥイ達を見つけるのが一苦労と言えよう・・・今どこら辺を歩いているのか・・・」
義経は日高見川を見下ろしながら言った。




