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鬼の眷属  作者: 上泉護
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癒し

晴れ渡る青い空が、きつい底冷えの朝を連れてきた山間(やまあい)の小さな谷に、湯気が立ち昇っている。

湯けむりが、温泉を囲む天幕と傍らに立つチプの群れを包み暖めるかのようだ。

空気まで凍りついた様な寒さを湯けむりが和らげる中、温泉にはいり火照る体を心地良さげに、ショルラはアトゥイがいるチプへ嬉しそうに歩いていった。

チプの低い入口を頭を下げて入ると、チプの中には呼吸が苦しいのか、左肩を下に体をたててアトゥイが眠っていた。

寝息にはかすかだが空気が抜ける様な濁った呼吸音がし、肺にあいた穴がアトゥイの呼吸を苦しめているのが解った。

それを見たショルラは、嬉しげだった顔が曇りポロリと涙を流すと、その涙が止まらなくなってしまった。

・・・ただただ皆の為に戦い、傷つき疲れ果てて眠っている・・・

筋骨隆々の大男になっていたアトゥイだったが、寝顔はまだ幼さの残る14歳の少年にしかすぎない。

もともと心優しいアトゥイが、皆の為にシサムと戦い、人と斬り合いをしている。

それがアトゥイにとってどれだけ心の負担になっているのか・・・

しかしそれを(おくび)にも出さない。

みんなに心配かけまいとするアトゥイの心に、胸が締め付けられる思いになった。

ショルラはアトゥイの枕元に座ると、弱くなった焚火に枝をくべ、静かにアトゥイの肩に手を置いた。

温まった体がさらに火照る様な熱を感じる。

”パチッ”と火が()ぜ、ショルラは赤面し手を離した。

そこにオマンレが静かに入ってきた。

ショルラに目配(めくば)せすると、そのかたわらに座り小声で話しかけた。

「傷の具合はどうだ?」

ショルラは首をふった。

とてもいいと言える状態ではない。

普通の人間ならば死んでいてもおかしくないほどのものなのだ。

オマンレはアトゥイに目を移すと

「アトゥイにばかり大変な思いをさせてしまっている・・・アトゥイも湯に入らせ様かと思ったが・・今はそっとしておこう・・」

ショルラは頷いた。

「ショルラも少し寝た方がいいな。これからもあるんだから」

「はい・・」

そう言うと、オマンレはチプから出て行った。

他の皆は寝入ってしまって、湯を囲んだチプの群れは静かだった。

ショルラは焚火をはさみアトゥイと並んで横になった。

仰向けになり足を伸ばす。

焚火ごしにアトゥイの寝顔を見ていると、自分でも解らないほどの喜びに五体が震える。

そのうち・・包まれる様な安心感でショルラは眠りに落ちていった。

みなが眠りに落ち、川の流れ、湯の流れる音だけがしている。

アトゥイの呼吸音も少しずつよくなり、しばらくすると完全に治った。

みなが温泉で癒され気分よく寝入っている。

そんな中、アトゥイははっとして目が覚めた。

焚火をはさんでショルラが横になっている。

その少しアトゥイ側に傾けられた寝顔は幸せそうだった。

アトゥイはその寝顔を見て、なぜかほっとして長い息をはいた。

なにか夢を見ていた様な気がする。

いい夢だったのか、悪い夢だったのかすら思い出せない。

ただ釈然としない思いだけが残る・・そんな夢を見た様な気がした。

血の味と臭いがする・・・

たぶん、これのせいだ・・・と思い、痛む体を起こした。

胸の傷を見た・・・

すでに傷が塞がり癒えかかっている。

左足の傷を見た。

すでに癒えている。

この治癒の速さは鬼の力か・・・

物事にはいい面と悪い面があるのだな・・・などとアトゥイは思った。

”あの鼻の者・・・そしてそのそばにいた”鬼”に()られたシサム・・・これが意味するものはなにか?・・”

”俺に()る鬼は元々狼に憑っていたものだ・・それが狼の死と共に俺に鞍替えしたのだ・・いとも簡単に・・”

”あの皆を探しに行った池の(ほとり)で襲いかかってきたあの男・・・そして狼やあの巨大なカラス・・ベンケイが斬ったという、蜘蛛の様な蟹の様な生き物と、農夫・・と言っていたな・・・”

”カラスはカイシュンが杖に封印した・・ならば・・俺に憑る狼の他に最低でも五体いるというのか・・・憑代が死ぬと、他の生物に憑るというならば、ベンケイが斬ったという二体の鬼はどこへ行ったのか?

もしやその一体があの鼻の者の後ろにいた奴なのか?・・・”

いくら考えても今の時点で答えなど出る訳はなく、アトゥイは溜息をついて再び体を横にし、指を組んで頭の下に入れた。

”鬼が用のあるのは、どうやら俺の様だ・・・”

弁慶の言葉が再び甦る。

”おぬしは内なる鬼と、外なる鬼の両方と戦わなければならぬ。おぬしを鬼側へ引き込もうと躍起になっておるという事だ”

”あいつらは俺を鬼にしようとしている・・・そういう事か・・・”

絶対、鬼になどならぬ。幸せそうに眠っているショルラを見ながら

”激情や執着を捨てて皆の為に生きる・・・”アトゥイは改めて心に誓った。

遠く野鳥の鳴く声が聞こえた・・それは遥か遠くにいる野鳥だ・・・

あの戦いのあと、アトゥイは一つ感覚が研ぎ澄まされた様な気がする。

ギリギリの・・死の瀬戸際を体感する事で開かれた悟りとでもいうのか・・・知覚・・鬼にしてもそうだが、人の敵意や気配、殺気といったものを感じる事が出来る。

うなじにピリピリくるような殺気や、肌で感じる熱・・と言ったものだ。

今、静かに目を閉じ横たわり集中すると・・・雲の流れや鳥の飛ぶ位置、森に隠れる獣など感じるのだ。

そこにはアイヌ以外の人の気配も鬼の熱も感じられない。

少なくともこのチプの周りに危険が迫ってはいない事が解る。

だから安心して横になっていられる。

()が天に昇りつめ下りかけている。

眠りから覚めた幾人かが起きだし、チプの周りを散策している様だ。

川のせせらぎと温泉から流れ出すお湯の音・・・

みんな気持ちよさそうにしてたな・・・俺も入ってみるか・・・

そう思うと立ち上がり、ショルラに毛皮のアミブをかけてやりチプを出た。

湯を囲む天幕まで行くとアミブを脱ぎ静かに湯に入る。

傷のいくつかがしみたが、それに慣れるとなんとも言えないくつろぎを覚えた。

とそこにオマンレが入って来た。

「大丈夫かアトゥイ?」

「かなりよくなったよ・・」

アミブを脱ぎ、湯に入りアトゥイに近づいたオマンレが、アトゥイに突然頭を下げた。

「すまない、イカエラは俺を助けようとして殺されてしまった・・・」

ずっと気にかかっていたのだろう。

オマンレはアトゥイにいつか詫びねばならぬと思っていたのだ。

「誰のせいでもないよ・・気にしないで・・」

筋骨隆々のアトゥイの横に来た屈強の山男のオマンレが小さく見える。

「むざむざとイカエラ程の男を殺させてしまった・・・かわりに俺が死ねばよかったんだ」

「それは違うよ、オマンレが生き残った事、ミチが死んだ事には必ず意味がある。今はまだ解らないけど・・俺はそう思うんだ・・・」

「生きる事にも・・死ぬことにすら意味がある・・・と言うのか?」

「人はいずれ必ず死ぬ。それは誰もが等しく訪れるもの・・それが遅いか早いかの違いならば、懸命に生き、すがすがしく死ぬ。それで良いとミチが言っていたよ」

「なかなか・・そこまでの達観は出来ないな・・」

「俺もだよ。でもそうありたいと思う。そう生きたいと願うよ」

二人は青い空を見上げた。

「もうアトゥイは立派な男なんだな・・・」

「俺・・想うんだ・・シサム(和人)を一括(ひとくく)りに考えていたんだと・・」

「シサムの中にもちゃんとした人達はいっぱいいるし、俺達の事を想ってくれる人もいる。もしかしたら、ミチを殺したシサム達の中にも、やむを得ずそうした人もいたんじゃないかって・・・」

「そうした人をもしかしたら、ミチも俺も手にかけてしまったんじゃないかって・・」

「ミチが死んだのはもちろんオマンレのせいじゃないし、手をかけたシサムのせいでもないのかもしれない・・・ではそれを指示したシサムが悪いのか?というと解らなくなってしまった・・・」

「今は起きてしまった事を振り返り、あれこれ思ってもしょうがないと思ってるよ」

「・・・・・」オマンレは長い沈黙のあと

「そうだな、イカエラもそう言うだろう・・お前は本当に父親に良く似ている」

「親子だからね、ははははは」アトゥイはその言葉がとても嬉しかった。

オマンレも胸のつかえが取れた様で、笑って


「今を精一杯生きる。それでよいな・・・」と雪雲が出て来た空に目を向けたまま(つぶや)いた。


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