憑依
沢木率いる追捕の軍は、街道沿いの比較的拓けた沢まで退却し態勢を整えていた。
傷を負った者は手当を施し休憩を取らせ、深手を負った者には荷駄で平泉に戻す準備をする。
ここまで馬を駆け通しできたので、馬も休ませ飼葉と水を与える。
手渡された、湯で戻し塩をふっだけの干し飯を口にしながら、沢木は考えていた。
”あの男・・アトゥイと言ったか・・最初の遭遇を遥かに超える凄まじさであった・・”
”五十人近くがやられた・・恐ろしい奴だ・・・”
思い返すと戦慄が走る。
しかし、地理地形さえこちらの有利に働けば、討ち取れぬ事も無いだろうとも思っていた。
なにしろ数が違う。
干し飯の椀を口元に運ぼうとした時!
猟師がいきなり沢木に襲いかかって来た。
不意をつかれた沢木は、手を噛みつかれ激痛に顔を歪める。
「貴様!何をするか?!」
沢木は左手を噛まれながらも、抜刀してその猟師の胸を刺し貫いた。
猟師は口から血を吐きながら後ずさると、仰向けに倒れ痙攣していたが、じきに動かなくなった。
「なんだ?こやつは?!」
掌の端が一部食いちぎられている。
「大丈夫か?なにがあった?」他の武者が声を掛けた。
痛みに顔を歪め、血の滴る左手をおさえながら言った。
「こやつがいきなり襲いかかってきたのよ・・」と顎をしゃくり、倒れている猟師をさす。
沢木はこの時、”ドンッ”と自らの内から湧き上がってくる強い衝動を感じた。
渇望・・それは渇望と言えるほどの、何か解らぬ強い欲求。
体が疼く・・・我知らず歩き出した沢木に
「どうした?どこへ行く?」と横にいた武者が聞いた。
「ここで・・待っておれ・・様子を見て来る・・・」と、
先ほどの戦いの場所に、幽鬼の様に歩いて行った。
そんな沢木を怪訝そうに武者は見送っていたが、
”まぁどうでもよいわ・・”と投げやりの気持ちになって仲間の元へ戻った。
月光に照らし出された街道には、累々と死者が並び物言わず倒れている。
むせる様な血の臭いと糞尿の臭い・・・
普通の人間であれば、たじろぎ、近くづく事をためらう程の凄惨な光景の中、沢木は何事も無い様に歩いて行く。
そして、死者の一人に屈み込むと懐剣を取り出し、背を切り肝の臓を取り出した。
ニタリと笑い、喰らいつく。
”旨い・・・なんという旨さか・・・・”
それは得体の知れない欲求。知りもしない臓器の味に誘われてここまで来た沢木は、深く意識する事もなく、討ち倒れている数人から肝の臓を抜き取ると、全てたいらげてしまった。
沢木の体内から、熱いなにかが湧きあがってくる。
・・あの小娘・・なぶりつくしてやる・・・
しばらく忘れていた、アイヌの少女に対する情欲が強烈なまでに甦って来た。
・・あの小娘を思うがままになぶりつくし殺す・・そして殺しながらなぶりつくす・・・
沢木は己の欲望を抑えきれなくなった。
股間の物が熱く堅くなっていく。
「がぁあああっ!がっ!がっ!」
沢木の筋肉が膨張し、メリメリと音を立てて大きくなっていく。
ざわざわと木々が風になびき、月光に浮かぶ雲が早く流れる。
もとより大きかった沢木の体が、さらに大きく分厚くなっていく。
「かぁっ!こぁ!あああぁぁぁ」
沢木の雄叫びは少しづつ収まり、月光の薄明りの街道で、沢木は目を開いた。
身の丈は六尺六寸(198cm)ほどになり、衣の下の体は、はち切れんばかりに筋肉がパンパンとなっている。
沢木は”どしゃり・・どしゃり・・”と歩みだし、軍勢の待つ方へと帰っていった。
月光に照らし出された大杉の下にアイヌの人々は休んでいる。
身を切る様な寒さに皆が丸くなり耐えていた。
焚火をおこしては、追捕の軍に見つかってしまう恐れがある為、控えねばならない。
アトゥイの手当を終えた一行は、しばしの休息を取っていた。
アトゥイは少しでも体が楽になると、
「まだ・・あいつらが・・近くにいる・・出来るだけ・・早く・ここから・・立ち去ろう・・」と言った。
胸の矢傷が思いのほか深く、呼吸をすると血の味と臭いがした。
「解った・・しかし大丈夫なのか?その体で無理をしたら、また傷口が開いてしまうぞ」とオマンレ
「大丈夫・・それよりも・・今はあいつらから・・身を隠す・・方が・先決だ・・」
息が苦しく、会話が途切れ途切れになってしまう、苦しそうなアトゥイの様子を見ながらオマンレは言った。
「・・・そうだな・・すまない・・」
アトゥイはニコっと笑うと言った。
「大丈夫・・すぐ・良く・なるから・・」
ふらつきながら先頭に立つアトゥイを、皆が心配そうに見ている。
「さぁ、行こう、皆よいか?」とアチャポが苦しそうなアトゥイを引き継ぎ言った。
皆も重い腰を上げる。
アトゥイが全員の様子を確かめて歩き出した。
「しかしアトゥイ、よくこの暗がりで方向が解るな?」とオハイベーカが先日の失敗から聞いた。
「解る・・なぜか・・自分が・向いている・・方向が解る・・それと臭い・・」
「臭い?」
そんなオハイベーカの肩をオマンレが叩き、首を振った。
”呼吸が苦しいアトゥイにしゃべらすな”と
そこでオハイベーカは自らのいたらなさを痛感した。
「通り・過ぎた・・森や土・空気の・臭い・・」
「すまん、アトゥイ・・」
”なに?”とアトゥイは振り返る。
「いやいいんだ。しゃべらせてすまなかった」と詫びた。
「いや・・」とアトゥイはニコッと笑った。
夜を徹して歩き続け、山を越え低い峰を超えた。
厳しい寒さが容赦なく彼等を襲い、その寒さを感じなくなると、睡魔が襲って来る。
朦朧としながら一行は歩いて行く、アトゥイは脱落者がいない事を確認しながら歩いていた。
そんな長い夜も終わりを告げ、空が白々と明るくなり始めた頃、山間の比較的拓けた沢に出た。
沢の一角から湯気が立ち上っている。
”なんだろう?”アトゥイは皆を木の影に待たせると、用心しながら近づいて行った。
雪が積もる低くなだらかな谷間に、小さな川が流れている。
その川原に湯が湧きだし、二間半(2.7m)程の湯溜まりをつくり川に流れ込んでいた。
アトゥイは静かに手をいれると、調度良い湯加減で、冷たくなってしまった指先が心地良い。
それは自然の温泉だった。
後年、岩手・秋田両県の湯治場として賑わうこの温泉は、現:湯川温泉にあたる。
奥羽山脈に囲まれた山間に位置し、21世紀の現在は多くの旅館が点在し、自炊兼用で湯治場のひなびた風情が漂う。
出途の湯、中の湯、奥の湯、の湯量豊富な三つの温泉からなっていて、泉質はそれぞれ異なっている。
後に、各地から訪れる様になった湯治客達は、湯につかりながら交流を深め、情報を交換しあったというが、
この時代、まだ人里離れた山間の、無人の源泉でしかなかった。
アトゥイは手を振り、皆を呼び寄せる。
寒さにうち震えながら、興味津々と皆が集まってきた。
「地から湯が沸き出している・・・」湯気にけむりながら、皆が驚いている。
恐る恐るエバロが手を入れる。
「気持ちいい・・・」
それに習う様に皆が冷たく冷え切った手を入れると、心底ほっとした表情をした。
「温かい・・・」
なにを思ったか、アリクシが裾を巻き上げ足を湯に入れた。
「あったかい・・・」うっとりと気持ちの良さそうな顔をする。
皆がそれにならい足をいれた。
「本当に・・・これは温かい・・・・」
そんな皆を横目に、オハイベーカが服を脱ぎ始めた。
「おい、なにをするつもりだ?」とオマンレ
「全身つかってみるのさ」老婆以外の女達は目をそむける。
服を脱ぎ捨てると、寒さに震えながら、そろりそろりと足をつけ、くびまでとっぷりと土色に濁った温泉につかった。
「はぁ~」魂が抜け出る様な溜息をつくと、気持ちよさそうにトロンとした表情でオハイベーカが言った。
「なんとも、これは・・・いい気分だ・・・冷え切った体が生き返る様だ・・・」
そのあまりにも気持ちよさそうなオハイベーカを見て、アチャポや老人達が羨ましそうに
「わしらも入ってみるかのぅ・・」とそそくさと服を脱ぎだし、湯につかった。
皆がほっとした様な、幸せそうな顔で湯につかっている。
「これは・・なんとも・・いい気分じゃ・・」
アトゥイは周囲を見渡す。
ここは街道から外れた山中で、さすがにここまでは追捕の軍はこないと思われる。
”夜通し歩き続け、やつらとの距離をかせげた筈だ・・・”
「アチャポ・・ここに・チプを・・設営して・・休もう・・皆も湯に・つかれば・元気が出る・・はずだ」
「それはいい!大賛成だ!」と湯につかっているオハイベーカが喜んで同意した。
「なんか・・ここがアイヌモシリの様な気がしてきた・・」などと湯につかっているサンクマなどは言っている。
「そうと決まれば、早速チプを立てよう!」とオハイベーカが言いはしたが、あまりの気持ちよさになかなか湯から出ようとしない。
そんなオハイベーカにオマンレが
「おい、いつまで入っている。早く出てきて手伝え」と仏頂面で言った。
オハイベーカは名残惜しそうに湯から出ると、急いで体を拭きアミブを着る。
彼らは湯を囲むように、精霊に許しを請い穴を明けチプを設営し、焚火を熾す。
二間半(2.7m)ほどの湯の周りには風よけと目隠しの為、山に向けて開く様にチプの天幕が張られた。
準備が整うと年長者から順番に湯に入っていった。
体から湯気を立ち上がらせ、生き返った顔をしながら、ケンラリがハエプトに言った。
「気持ちよかったよ、あんた達も早く入ってきなさい」
冷え切った体をチプの中の焚火で温めていた若い女達が、待ってましたとばかりに立ち上がった。
天幕の蔭でアミブ(服)を脱いだシイヒラ・ソラノ・ハエプト・ヌマテ・ショルラ・ソイエが湯につかる。
皆が溜息をついた。
「はぁ・・・生き返る・・・・」
滾々(こんこん)とわき出す湯はかけながされ、川にそそがれている。
朝の晴れ渡った青空がすがすがしく、湯の温かさと吸い込んだ空気の冷たさが不思議な気分だった。
「あったかい・・・」
「幸せ・・・」
「本当に生き返るわね・・・」
あまりの気持ちよさから、うとうとと口までつかり、ぶくぶくとさせ慌てて顔を上げるソイエ。
「ふっふふふふ・・」と他の者達が笑ったが、眠気には勝てなかった。
冷たい朝の冷気の中に、枯葉と土の匂いが混ざり、立ち上がる湯気には、岩の臭いとでも言うべき香りが混ざっていた。
ハエプトは石に頭をのせ、空を見上げた。
見上げる青い空には雲が流れ、朝日がさしている。
彼女達は一時、なにもかも忘れて、至福の時間を満喫した。
参考文献: 湯田温泉峡・西和賀版 黄金の道「秀衡街道」




