金の道
二人の人間が手を広げれば、塞げてしまう程の幅しかない街道の真ん中に、月明かりに照らされアトゥイは立っていた。
その姿に気負いや焦り、恐怖の色はなく、二百の軍勢の前に断固とした意志を持ち立っている・・・
そんな風に見える背だった。
「アトゥイ!」アチャポが叫ぶ。
「早くみんなの元へ!」振り返らずアトゥイは言った。
アチャポ達は肩を貸しあいながら逃げていく。
急に立ち止まらされた馬達が、”ブルルル”とあちこちで鼻息をあげていた。
二百の軍勢とアトゥイの間には、震えがくる程の殺気と緊張感が漂っていたが、口を開く者はなく、不気味な静寂がその場を包んでいる。
その軍勢の中ほどで、沢木はアイヌの老人が「アトゥイ」と叫ぶ声を聞いた。
”あの男、アトゥイと申すか・・”
沢木の傍らには、違う武者の馬の背にまたがる猟師の姿がある。
軍勢の中央から沢木が馬を歩ませ、アトゥイの前に出て来た。
「神妙に縛につけアイヌの者よ、さすれば皆の命は助けよう」
「ならば、皆を呼び集めなくてはならぬ、ここで待っていてくれるか?」
「ふっ・・ふふふ・・それは無理な相談だな」
沢木は背に回した手で、矢を番えよ、と合図する。
「そのほう、名をアトゥイと申すか?」
「シサムに名乗る名は持たぬ。鼻の者よ」
「鼻の者?なんだそれは?」
沢木を初めとするアトゥイの前に立った者達が、手綱を引き馬を横に寄せる。
後ろから弓を番えた騎馬武者が矢を放った。
瞬時に飛び上がり矢を躱し、沢木に討ちかかったアトゥイの凄まじい一閃を沢木が受ける。
”ギィンッ!”
あまりの討ちこみに、十人力の沢木が耐えきれず落馬する。
アトゥイは弓を番え直す騎馬武者を斬り伏せると、馬上から斬り懸ってきた武者の太刀目がけて舞草刀を振りぬいた。
”キィンッ”太刀が折れ、武者の両腕を斬り飛ばす。
「ぎゃぁあああああっ!!」両腕を無くした武者が雄叫びをあげる。
狭い街道で拡がる事の出来ない軍勢は、その力を発揮する事がままならない。
密集し矢を放てず、獲物を取り囲む事も出来ない。
アトゥイの剛刀が一人二人と馬上の武者を斬り伏せていく。
「下馬せよ!」沢木が馬上の不利を捨てさせ様と指示を出す。
後ろを取られない様に、切り立った岩を背にアトゥイは斬り結ぶ。
下馬した武者が三人横一列となり、アトゥイに襲いかかる。
横に飛び、沢に鎮座する大きな岩の背を蹴ってアトゥイは武者達の右横から飛び込んだ。
一人は胴、返す刀で二人目の胸を斬り上げる。その太刀を上空で返すと、三人目の首を斬り飛ばした。
そのアトゥイの早業に、一瞬武者達は躊躇したが、目配せし多勢で襲いかかる。
上段から四人が一斉に討ちこんで来た。
それをアトゥイは右手の舞草刀で受けると、左腕を後ろから斬り懸ってきた武者へ振りぬいた。
顔面を横から殴られた武者は駒の様に回転しながら飛ばされる。
四人の武者を、受けた太刀でそのまま後ろに跳ね返す。
太刀を上方に跳ね上げられた四人の胴を、舞草刀で一閃した。
”スドンッ”三人が胴から斬り飛ばされ、四人目の胴で止まった。
倒れていく四人目の胴からすべるように舞草刀が抜けていく。
ゆらり・・と態勢を立て直すアトゥイを、武者達は唖然として見た。
「化物だ・・」
「矢を射かけよ!」沢木の下知がとぶ。
矢を太刀で払うアトゥイに武者達が一斉に取り囲み斬りかかる。
狭い街道で、アトゥイを中心にもみ合うような戦いになった。
乱戦・・・次から次へと斬り懸ってくる武者の太刀を受け、また躱す。
浅手を受けながらも、矢を放ち討ち込み斬り懸ってくる武者を斬り伏せていく。
上から討ちおろしてくる太刀には、躱せれば躱し、躱せなければ受ける。
横から振りぬかれる太刀には、下がって躱すか、間合いを詰めて、先に斬り倒す。
武者達の動きが緩慢に見える。
無尽蔵の力が滾々(こんこん)と体の中から湧き上がってくる。
いつしかアトゥイは無心になっていた。
自然に・・そう・・義経が言っていた無為自然の境地。
あるがまま、太刀筋のみ大事に太刀を振るっていた。
残雪の森閑とした森に、剣撃の音と武者達の叫び声が響いている。
ここまで数え切れぬ程の武者を斬ってきたアトゥイだったが、アトゥイも傷だらけになっていた。
背や腹には矢がささり、斬り割られた胸や腕からは血が噴き出していた。
激しく呼吸する胸は、足らなくなった酸素を補給しようと荒く、速く上下している。
満身創痍、傷の中には普通の人間では致命傷になりかねない程の深い傷もあった。
全身から血を滴らせ、太刀を構える彼の足元には五十人程の武者が討ち倒れている。
その討ち倒れた武者を飛び越え、騎馬武者が馬上から斬り懸った。
傷と疲労から動きの鈍くなったアトゥイは、舞草刀で受けた。
そこに立て続けに二本、アトゥイの胸に矢が突き刺さる。
よろめいたアトゥイ目がけて、五人張りの強弓に矢を番えた沢木が、矢を放った。
”ドスッ!”それはさしもの強靭なアトゥイの胸筋を貫き、肺にまで達した。
「がはっ!」血を吐き出すアトゥイ。
アトゥイの口から血泡が吹き出し。咳き込む。
「よし!今だ討ち取れ!」と沢木
一斉に駆け寄ってくる武者達。
絶望的な状況下でアトゥイは
”せめて・・あの鼻の者だけでも斬らねば・・みんなが難渋する・・・”
アトゥイの目がカッと開かれ、力を振り絞って、跳躍する。
武者達の頭の上を飛び越え、沢木に力の限りの一撃を叩き込む。
沢木はその一撃をなんとか受け止めた。
しかし、三間(5.4m)も吹き飛ばされた。
”まだこんな力が残っているのか!?”と沢木は驚愕する。
アトゥイは呼吸を止め、沢木に討ちこんだ勢いと太刀筋のまま、傍らの武者を斬り倒す。
最後の・・最後の力を振り絞り斬り結んだ。
渾身の一矢をものともせず、凄まじい一刀を撃ち込んできたアトゥイに、まだまだこの男の体力が続くと判断した沢木は、
”このまま取り囲めぬ不利な地での戦いでは、犠牲者を増やすだけだ・・”
「退け!退くのだ!」と下知した。
馬首を返し武者達が、一斉に元来た道を引き返す。
走り去る軍勢を見送ると、緊張が解けアトゥイは大きく息を吸い込む。
途端に咳き込み、血を吐きだしふらついた。
それでもなんとか呼吸を落ち着かせ、累々と並ぶ死者達を見渡す。
”これを俺がやったのか?・・・”信じられない気持ちと、その凄惨な光景に戦慄した。
しばらく呆然と見渡していたが・・
我に返ったアトゥイは、なにを思ったか、太刀を握りしめこと切れている武者の太刀と、その腰にある鞘を拾い、太刀を鞘に戻した。
三本ほど拾うと、約束の場所に向け歩き出した。
その戦いの少し前・・・
シイヒラ、ソラノ、ヌマテ、ショルラ、ソイエを抱きかかえたハエプト達が街道を西へと逃げていく。
シサムの追手に見つかり必死に逃げていた。
とそこに、森の中からアトゥイが現れた。
「みんな無事?」
シイヒラが息も絶え絶え、アトゥイに言う。
「シサムに見つかって・・アチャポ達を救う為に・オマンレやエコキマ達が残ったのよ!」
アトゥイは遠い街道の先を見ると
「この森に入り暫く上がると、ひときわ高い杉の木がある。皆に伝えそこで待っていて」
そう言うとアトゥイは駆け出した。その速さは到底人の物ではなかった。
そんなアトゥイをショルラが心配そうに見送っている。
「さぁとりあえず隠れましょう」とハエプトが皆を促した。
森の中に隠れ、追いついてきた他の者達を呼び止める。
オマンレやエコキマが、そしてアチャポ達が追いついてきた。
「アトゥイに加勢に戻る」と言うオマンレやエコキマをアチャポが説得し、
アトゥイが言う杉の大木を目指し山を登った。
遠く合戦さながらの剣撃の音や、地鳴りの様な歓声が聞こえてくる。
ショルラは気が気ではなかった。
”アトゥイは大丈夫だろうか?・・・”
何度も振りかえる。
そのうち静かになった。
「あった、あれだろう・・」
雲が多い月光の夜空にそびえ立つ、大きな杉の木を見つけた。
近くまで行くと、幹は二人がかりでようやく手が回る程の太さで、樹齢は計り知れぬ程長いと思われた。
アチャポは杉の大木を見上げると呟いた。
「この木には精霊が宿っておる・・・」
みなが祈りを奉げる。
そしてここで休む許しを請うた。
不思議な安心感を得られるその巨木の周りに、みなが思い思いの格好でくつろぐ。
暫くするとアトゥイが足を引きずり、胸を抑え上ってきた。
「みんな・・大丈夫?・・」木々の暗がりから出て来たアトゥイは、傷だらけでふらついていた。
背や胸、体のあちこちから血が滴っている。
「アトゥイ!」皆が心配そうに駆け寄る。
「大丈夫だよ・・大したことない・・」
”ゴフッ”と咳き込み、血泡を吹き出した。
「大丈夫な事ない!」ショルラが悲痛な声を上げた。
アトゥイはその声を聞いて、先日襲われた絶望的な目眩と恐怖の一瞬を思い出した。
”あの時・・ショルラのあの声がなかったら・・・今俺はどうなっていたのか・・・”
ショルラを見つめるアトゥイの目に、ショルラは頬を赤くしてたじろいだ。
「えっ?・・・」
「あり・がとう・・ショルラの・・おかげだ・・」
ショルラはてっきり、チプの中での介抱の事かと思った。
「さぁ、そこに座りなさい、手当しないと」とハエプトに無理やり座らされた。
女達がアトゥイを取り囲み手当を始める。
ハエプトはあまりの傷の深さに愕然とし、それでも生きている息子に驚いた。
”これがアトゥイの言っていた”鬼”とやらの力なの?”
しかし今は感謝しなければならない。
自分達とアトゥイが生きていられるのは、アトゥイとそのアトゥイに宿る”鬼”のおかげなのだ・・
とにかく傷を塞ぎ出血をおさえなければ・・とハエプトは手当を急いだ。
アトゥイはされるがままにまかせながら考えていた。
・・・あの鼻の者の後ろにいた奴・・あいつは・・鬼だ・・・鬼が憑っていた・・・
あいつらが俺を解る様に、俺もあいつらが解った・・・
それは精神波動とでも言うべき、皮膚にピリピリと感じる違和感。
そして”熱”である。その熱を皮膚で感じるのだ。
・・・鬼が憑っていた・・なぜシサムの軍勢の中に鬼が・・・
弁慶の言葉が思い出される。
”おぬしは内なる鬼と、外なる鬼の両方と戦わなければならぬ。おぬしを鬼側へ引き込もうと躍起になっておるという事だ”
・・鬼というのは、シサムの軍勢すら利用する知恵があるというのか?・・・
・・・容易ならぬ・・・
心配そうに、手当を受けているアトゥイを見守るオマンレ、オハイベーカ、エコキマに、
「これを・・」と先ほど拾った太刀を差し出した。
オマンレが受け取ると、
「これはシサムの・・マキリ(小刀)よりはるかに大きい・・」と太刀を引き抜き言った。
「タシロ(山刀)よりも大きいな、これでケナシコルウナルペともやりあえる!」とオハイベーカ
「ケナシ・・コルウナ・・ルペ?」とアトゥイ
「あぁ、昨日山中で襲われたのだ。白髪の老婆の姿であった・・」
”それも鬼だったのではないか?・・”とアトゥイは思う。
彼らに手渡した太刀は、シサムやケナシコルウナルペと戦う道具という事以上に、もし自分が鬼に堕ちかけた時、すみやかに我が身を討ち取れる様に・・という思いの方が強かった。
自分が彼等を襲う。
それだけはなんとしても阻止しなければならない。
手渡した太刀には、そんな悲痛な思いが込められていた。




