表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼の眷属  作者: 上泉護
38/64

北へ

早朝まだ明けきらぬうちにチプを撤収し、アイヌの人々は十三湊を目指して出発した。

ニセイヌプリの麓、針葉樹の森に冬の朝が訪れる。

霜が降り、霜柱がところどころ土を押し上げ、太陽の光が針葉樹の木々の隙間から射しこむ。

それが霜柱にあたり、キラキラと光り幻想的なまでに美しかった。

研ぎ澄まされた、美しく静かで、一本ピンと緊張感が張った朝。

多くの”ザク・・ザク・・”と霜柱を踏む音と、枯葉を踏む音を森に響かせ、息を白くさせながら人々は歩いて行く。

滑りやすい枯葉の斜面を登るのに、老婆のサンクマが苦戦している。

それに気が付いた数人が手をかしていた。

「さぁ、そこの出っ張ったニ(木)に足をかけて・・・」エコキマが、サンクマの背を押し上げ、一同がそんな様子を見守っている。

「悪いねぇ、本当歳は取りたくないよ」とサンクマ

アリクシとオロアシの二人の少年は、楽しくてしょうがないらしく、高い所から飛び降りたり、斜面を駆け上がったり、枝を振り回したりしていた。

体力を温存しておけばいいようなものだが、少年が少年らしくいる事を、とやかく言う者は誰一人いなかった。

しばらくして小さな沢に出た一行は、水面を浮き沈みしている小さな動物を見つけた。

「エサマン(かわうそ)だ・・」

餌を探しているだろうその姿は愛くるしく、人を見ても逃げようとはしない。

水に潜っては浮かび上がりを繰り返し、時折、短い脚で顔を拭いている。

この愛くるしい動物は、我々が暮らす21世紀の日本でその姿を見る事は出来ない。

2012年8月、ニホンカワウソは絶滅種指定された。

人が人を差別し虐げる世界・・・

悲しみと苦痛が繰り返し襲う人生・・・・

そんなものとは無縁の世界の住人を見て、人々は暫くその愛くるしく精神的苦痛とは無縁の彼等をうらやましく眺めていた。

小川の流れ、エサマンがたてる水音だけが、森閑とした森に響いている。

「さぁ、行こう」最初に我に返ったアチャポが声を掛けた。

昨日一日休息がとれた彼らの足取りは軽く、元気よく再び歩き出した。

獣道を切り開きながら先頭を行くアトゥイは、巌鷲近辺を避ける道を探していた。

なぜなら、”鬼”共に遭遇する可能性が大きくなるからだ。

シサムの集落は出来るだけ避け、人目につかない獣道・・・

そして出来るだけ最短で十三湊に行け、巌鷲を外れた道・・・

皆に待ってもらい、一人山に登り遠景を眺めながら行くべき道を考えようかとも思ったが、やめた。

いつまたあいつらが追いついてくるとも限らない。

そうなった時、離れてしまっている事に恐怖を感じたからだ。

ふと気が付くと、ショルラが楽しそうに後ろを歩いているのに気が付いた。

遠い山々に目をやりながら、嬉しそうに鼻歌をうたっている。

”なにがそんなに嬉しいのだろう?・・・”不思議に思いながらも、この苦痛に満ちた旅の最中(さなか)、嫌な事を忘れているショルラの邪魔をしない様、なにも言わなかった。

”ショルラもみんなも、必ずアイヌモシリへ連れて行く!それさえ叶えば俺はどうなってもかまわない・・・”

アトゥイは己に()る”鬼”をどうすればいいのか思い悩んでいる。

このまま無事アイヌモシリにたどり着き、平穏な日々をとりもどせたなら、みんなと一緒にアイヌモシリで暮らしたい・・・それが本音だった。

しかし、心の闇に引きずり込むあの力に抗しきれるのか?自信が持てない。

”カイシュンに頼んで自ら身を処した方がいいのかもしれない・・それが一番いい道なのかもしれない・・・”

死は恐ろしかったが、それ以上に自分の姿をした”者”が、みんなを襲いだす方が何倍も恐ろしかった。

”・・・しかし、俺にはまだやる事がある・・だからまだ死ねない・・・”

高い峰々が西へ行きたいアトゥイの眼前に立ちはだかっている。

アトゥイの煩悶は、そのうち落ち葉を踏む音と共に消えていった。

しばらく歩き続け、小高い山を登りきり視界が開けた。

紫波しわ郡の原野が広がり、点々とシサムの集落が見える。

その先に、山頂付近を覆う皿の様などす黒い雲がその頭を隠し、晴天の空に不釣り合いなほど異様に見える山。

巌鷲山が姿を現した。

その時!

アトゥイをすさまじい目眩が襲った。

暗い深淵に、抗じ難い程の力で引きずり込もうとする。

気持ち悪くなる目眩が、容赦なくアトゥイを闇に落としていく。

突然右手で頭を押さえ、左手で木に縁りかかりフラついたアトゥイを見たショルラが声を上げた。

「アトゥイ!」

みながアトゥイの元に駆けより彼を仰ぎ見る。

”流せ・・・流すんだ・・・”しかしその力は一方的で、アトゥイを闇へと引きずり込んで行く。

”くっ・・そ・・・駄・・目・・か・・・”深淵の中、逆さまにアトゥイは落ちていく。

絶望と恐怖・・そんなものさえ消えかかろうした。

朦朧と消えゆく意識の中で・・大勢の彼の名を呼ぶ声が聞こえる・・

”アトゥイ・・・アトゥイ・・・”真っ暗な闇の中、その声が木霊の様に響いている。

その中でひときわ悲痛な叫び声が聞こえる。

ショルラの声だ・・・ショルラが俺の名を叫ぶ声が聞こえる・・・・

”アトゥイ!”その声と同時に深淵の彼方に光りが見えた。

消えかかる意識を必死に繋ぎ止め、その光の方へ這って行く。

手も足も動かない・・が・・渾身の力で少しでも光へ、光へと這って行く。

その光に手がかかった。

凄まじく回転する様な感覚と、体が無くなってしまったかの様な浮遊感と共にアトゥイは我に返った。

倒れ込んだアトゥイの頭を抱える様に、ショルラが悲痛な顔で覗き込んでいるのがまず見えた。

その周りには彼を囲んで、ハポやヌマテ、フチやアチャポ、オマンレやオハイベーカ、みんなが心配そうに見ている。

顔が真っ青になっていたアトゥイは我に返ると

「ごめん・・もう大丈夫・・悪いんだけど・・ちょっと引き返そう・・・」と言った。

「アトゥイ・・・」そんなアトゥイを心配そうにショルラは見ている。

ふらふら歩くアトゥイを、皆が手をかした。

巌鷲山が見えない場所まで来ると、アトゥイは意を決した様に話始めた。

「みんな・・よく聞いて欲しい・・・」

「俺は一度死んだんだ・・」皆が驚愕しアトゥイを見ている。

「その死んだ俺に憑りついた者の力で、俺は生き返り、この様な姿になったんだ・・・」

「その者は決してカムイなどではなく・・俺の自我を乗っ取り、この体をわが物にしょうとしている」

「そいつは俺を乗っ取ったら、みんなを襲いだし食べようとするだろう・・・」

「だから、今度俺が今の様になったら、すぐに殺して欲しい・・・」

皆がアトゥイの独白に驚愕し、押し黙っている。

「でなければ、俺はもうここにはいられなくなる・・・だから・・・」

真剣な顔でオマンレが応えた。

「わかった・・引き受けた。俺が責任を持ってお前を殺してやる。だから安心して、お前はその者と戦う(すべ)を探せ」

アトゥイにとってこれほど心強い言葉はなかった。

オマンレの目を見つめると頷いた。

「そして、あのヌプリ(山)は、そいつら”鬼”の力を強める”鬼のカムイ(神)”がいるらしい・・だからあのヌプリが見える場所を通る事が俺にはできない」

「そいつら?それはまだ他にいるのか?」とアチャポ

「俺が知っているだけで、他に四体いた」

「むぅ・・・」とアチャポは黙り込んでしまったが、明るく言いついだ。

「まぁ、アトゥイはアトゥイじゃ、他の何者でもない。アトゥイがおらねば我らはとうに死んでおってもおかしくはなかったのじゃ。最悪アトゥイに襲われて死んでも、わしは悔いなどないわい」

みんなが笑って頷き、アトゥイの背を叩く。

「ただやる時は一思いにやってくれ、苦しむのだけは御免じゃ」とアチャポは冗談を言う。

皆が声を上げて笑った。

ショルラも笑っている。


もしそんな時が来て、アトゥイに食べられてしまうなら・・

アトゥイの中で、ずっと一緒にいられる・・などと他愛もない事をショルラは思っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ