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鬼の眷属  作者: 上泉護
32/64

火種

久し振りに見た太陽の明るさに、目が(くら)む様な感覚を覚えアイヌの人々はたじろいだ。

橘次信高(きちじのぶたか)の宝物庫から引き出された彼等は、何の説明もないまま再び手を縄で縛られ、数珠つなぎにされた。

先頭の武者がなにか叫ぶと、進発し馬に引っ張られていく。

宝物庫の中は寒く、硬い床で横になっていた体はこわばり節々が痛む。

ある者は足を引きずりながら、ある者はよろめきながら、引きずられる様に馬に引かれて行く。

陽光に暖められ、少しづつではあるが彼らの足取りは軽くなっていった。

天空にはノスリが舞い、比較的暖かい朝の平泉に鳴き声が響いている。

馬に引きずられ引いて行かれるアイヌの人々を、街の者等(ものら)はまるで罪人を見るかの様な目で見ていた。

水干姿の一人の男が言い放った。

「薄汚い土人共め、とっととこの平泉から出ていけ!」

それを機に、多くのヤジが飛ぶ。

「ここはお前らが来るような場所じゃないんだ!はやくうせろ!」

「こきったねぇ!二度とくるな!」

差別は分別のない幼い子供にこそ強く表れるものだ。

水干姿の大人達は口を押えて、汚い物を見るかの様にアイヌの人達を見下していたが、まだ幼い少年達は、石を投げつけたり、棒で叩きに来た。

その石がオマンレの額に当り血が流れた。

手を縛られている為、なす術も無く血を流し続けるしかない。

なぜこのように憎しみを向けられるのか?なぜこんな酷い事をされなければならないのか?彼らは戸惑うばかりだった。

暫くして、日高見川を渡る船に乗せられると、歩かずにすみ楽が出来たが

”これからどこに連れて行かれるのだろう?・・・”と暗澹(あんたん)たる思いになった。

皆が力を失い、絶望の中、うつろに日高見川の流れに目をやっている。

ソイエはぐったりとエコキマに背負われ、アチャポはエカシ唯一の生き残りとして、今後皆をどの様に導けばよいか、出ない答えを絞りだそうとしていたが、なんの打開策も浮かばなかった。

アトゥイのハポ(母)のハエプトは、エコキマに背負われたソイエをショルラと気遣っている。

「ソイエ、ペッチプ(川舟)に乗っているのよ。わかる?」とハエプト

「川面がキラキラして綺麗よ」とショルラ

彼らは舟という物に乗った事が無い。

こんな事でもなければ生涯乗る事はなかっただろう。

ならば、少しでも気晴らしにならないかと話しかけているのだ。

しかしソイエは無反応で、焦点の合わない目を川面に向けている。

ハエプトはショルラと目を合わせると首を振った。

あまりの衝撃に心を閉ざしてしまったソイエを、どう元気づければいいのか・・・よい思案が浮かばない。

ショルラは舟べりから手を伸ばし川に何気なく手を入れると、その冷たさに驚いてすぐに引っ込めた。

そんなショルラにヌマテが話しかけてきた。

「ショルラ大丈夫?」手首に食い込む縄で、血がにじんでいるのを見たからだ。

「うん、大丈夫、ヌマテは?」

「あたしは平気、血がにじんでるけど本当に大丈夫?」

「うん、体の傷はいずれ治るから・・でも心の傷は・・」とソイエを見た。

「そうね・・時が癒してくれる事を願うしかないわ」とヌマテ

そんな二人の会話を聞いていたハエプトが

「心の傷は生涯消えないものよ、これからいい事、楽しい事をその上に重ねて、傷痕を薄くしていくしかないの・・・

それでも時折、心の傷痕が破れていやな記憶が甦ってしまい人を苦しめるのよ・・

だから、それに負けない強い心を養っていく事が大事なのよ」

心の傷と違う価値観を身に付ける必要がある・・と言いかけて解りやすい言い方をした。

「でも、いい事も、楽しい事も、これからは期待できないでしょう?」とヌマテ

「神様は決してやさしいばかりじゃないの、時には厳しく私たちの成長を見守って下さるのよ」

「でもこれはシサム(和人)がする事よ、神様じゃないわ!」

「人に降りかかる様々な出来事は、特定の誰かがその裁量でおこなっているかの様で、違うものなの・・

色々な運命の組み合わせで、そう導かれている。そういうものよ」

「ハポ(母さん)の言う事は難しくてわからない」とヌマテ。ショルラは真剣に聞いている。

「シサム(和人)は皆でそうしている様で、また一人の人間が指示している様でいて、多くの人に動かされてそうしている。今生きている人でもあれば、もう死んでしまった人にも影響を受けているものよ」

ショルラは考えていた。

犠牲となった人々は、生き残った人々の試練となる為に死んだのか?と・・・

死とはなにか?生きるとはなにか?・・苦痛や屈辱を受けながら生きて行く事になんの意味があるのかと・・

死について考えていると、不思議とアトゥイが思い出される。

宝物庫の中で聞いたあの声は幻聴だったのか・・でも確かに感じたアトゥイの気配。

ショルラはアトゥイを思うだけで、死にたくない。今はなんとしても生き延びねばならないと思う。

その決意が力となり、疲れ切った体を動かす源となった。

グラリと舟が揺れ反対岸に着いた。太刀をはいた武者が声高に叫ぶ。

「立て!土人共!」

縄で引かれ、否が応にも立ち上がらざるをえない。

不安定な舟の上からショルラは船着き場に足をおろす。

その時、大きな揺れが襲った。

木々をざわつかせ、アイヌも武者達もよろめき気味悪そうにあたりに目をやっている。

しばらくすると・・揺れは収まり静けさが戻った。

ここ数日、小さな揺れも含めれば、両の手では足らない程の地震がおきている。

不気味な空気が平泉に・・いや、この奥六郡全体に漂っている。

しかし人々は何事も無かったかの様に振舞っていた。


この無意味で不毛な言い争いはいつまで続くものか・・・

平泉館ひらいずみのたち)の主殿で義経は溜息をついた。

異例である二日続きの藤原一門軍議は、泰衡の呼びかけによるものだった。

一門、特に結惟(ゆい)(かた)の承認を取って、すみやかに対処したいとの思いからだろうが、肝心要(かんじんかなめ)の結惟の方は体調不良とやらで欠席だった。

そして先程から言い争っているのは長兄の国衡と、今や奥州の御館(みたち)となった次男の泰衡だ。

国衡は泰衡の事を、戦事(いくさごとのなんたるかを知らぬ虚弱な弟と馬鹿にし、泰衡は泰衡で国衡の事を無教養で粗暴なだけの男と思っている。

いったんこの言い争いが始まってしまうと、誰も止める事が出来ないのだ。

結惟の方がいれば、

「時間の無駄であろう!もうやめよ!」と一喝したであろうが、あいにくの欠席となっている。

言い争いは延々と続いていた。

義経としては、どちらの肩を持つ訳にもまいらず、かと言って時間の無駄と言ってしまえば角が立ち、差し迫った危機が有る訳ではないので、静かに横で聞いている。

そんな形になってしまうのだ。

また、その言い争いの内容が稚拙で、その論議に加わる気が起きないというのも理由の一つだった。

だが、泰衡が緊急招集をかけた訳は理解出来た。

それは九州の筑前国(現福岡県)宗像郡(むなかたぐん)の領主、宗像氏が鎌倉方につく事を表明し、一方的に日朝・日宋貿易で重要な中継基地である藤原氏の拠点を破却し、国交を断絶すると通達してきたのだ。

「我らの中継基地として恩恵に(あずか)っておきながら、手のひらを返した様な裏切りは許せぬ!」と泰衡が息巻くと

「宗像が鎌倉につき、祖父の代から続いた国交が断絶となったは、そのおぬしの傲慢が招いた事ではないのか!?」と国衡が噛みつく。

「なぜそこにそれがしが出てくるのだ!関係ないではないか!」

義経と目があった忠衡も溜息をついたが、二人の言い争いを止めさせ様と口をはさんだ。

「宗貿易は縮小するか、別の中継基地を探すしかござらぬ」と忠衡

「いや、そんな暇はない、鎌倉への防備に力を集中させるべきだ」と国衡

手緩(てぬる)い!裏切った宗像を誅滅し、諸国への見せしめとするのだ!」と泰衡

(おろ)かな、この余裕のない時に、どの様にして誅滅しようと言うのか?」と国衡

「今愚かと申したな!愚かと!奥州の御館である我に!」

「愚かだから愚かだと申したのだ!」

この繰り返しなのだ。

宗貿易のなんたるかは義経も知っている。

交易で(もたら)される莫大な利益は、奥州藤原氏の生命線の一つである。

中継基地を失うという事は、補給の都合上、規模を小さくせねばならないという事で、おのずと上がりが小さくなるという事である。

鎌倉が平泉の経済力をひとつひとつそぎ落とし、長期戦に持ち込みじわじわと平泉の力をそいでくるなら、こちらから討って出るか、鎌倉に恭順するかを選ぶしかない。

しかし・・仮に恭順の道を選んだとしても

”奥州藤原氏をそのままにしておきはしまい・・”なのである。

義経にしてみれば、論ずるだけ無駄な事なのだ。

今この場で論議した所で、答えの出るものではない。

源氏の棟梁頼朝の政治力の高さは、嫌と言う程知っている。

奥州藤原氏の存続を思うなら、今のうちに鎌倉を叩くしかない。

というのが義経の考えだ。

宗貿易の中継基地をどうするか?という論点はズレ、双方の悪口を言い合うだけの、延々とした国衡、泰衡の言い争いは続いた。


縄で数珠つなぎにされ馬にひかれるアイヌの人々は、狭山(はざやま)の麓まで来ていた。

狭隘の土地で比較的開けた場所を見つけると、武者達は休憩を取り始めた。

アイヌの人々は縄で繋がれたまま、しかたなくそのまま冷たい地面に腰を下ろした。

武者達は竹の水筒から水を飲みながら、この損な役回りを毒づいている。

アイヌの人々は喉の渇きに耐えながらその様子を見ていた。

ショルラは縄で縛られ自由こそないものの、宝物庫に閉じ込められていた時に比べれば、見た事のない美しい景観を楽しめる今の状態の方が、はるかにましと思えた。

そんなショルラが山を見上げた時、異様な目で彼女を見ている武者に気が付いた。

脂ぎった顔に目が血走っている。

ショルラは思わず視線を外したものの、気持ちの悪さを隠せなかった。

大きな目の可愛らしいコナギの花の様なショルラに目をつけたのは、沢木公康という武者で、由利維平の郎党、出羽国沿岸中部の由利地方(現秋田県由利本荘市)出の百姓身分であったが、十人力を買われ維平と主従関係を結んだ者だ。

二十代後半、身の丈六尺一寸(183cm)の大男で、ぎらつく目と脂ぎった風貌が特徴的な男だ。

その沢木が突然、最後尾に繋がれたショルラの縄を解くと、手を引いて茂みの中に引きずり込んでいく。

ショルラはなにをされるのかと恐れ、大人達はこの男の目的を知り助けようともがくが、馬に繋がれた縄でびくともしない。

「やめなさい!恥を知りなさい!!」とハエプトが叫んだがどうしようもない。

悔しさとショルラの事を思うと涙が流れた。

武者達は「物好きな奴だ」とニヤニヤしている者、嫌な顔をして目をそむける者それぞれだった。

人の背ほどに伸びた(すすき)の茂みに連れ込まれたショルラは、手を振りほどこうともがいたが、万力に挟み込まれたかの様にびくともしない。

抵抗すればするほど、この武者の欲情の火に油を注いだ。

ショルラは押し倒されると、胸元を押し広げられ舐められた。

あまりの気持ち悪さに涙が流れた。

沢木公康が水干を脱ごうと体を上げた。その時!

”ドスッ”沢木は白目をむいてショルラの横に突っ伏し気を失った。

「ショルラ、大丈夫?」大きな男がショルラを引き起こしアミブ(服)を直す。

太陽の光で顔は見えないが・・アトゥイの声に聞こえる。

しかし大きすぎる・・別人?・・・ショルラは戸惑った。

アトゥイはしゃがみ込むと、ショルラの視線に合わせた。

「俺だよ、アトゥイだ」

「アトゥイ・・・?」

信じられない事に、顔は確かにアトゥイなのだが、体がイカエラよりも大きい大男になっている。

ショルラは呆然とアトゥイの顔を眺め続けた。

「怪我してない?」と心配そうにショルラのアミブについた土埃を叩いて落とす優しさに、うたがいなくアトゥイである。と確信したショルラはアトゥイの首にしがみつき、声を殺して泣いた。

今や子供と大人以上の体格差がある二人は、親子の様に見える。

「ショルラ、こうなってしまってはどうしようもない。皆を助け出して逃げるから、あいつらの注意を引いて集めてくれ」ショルラの肩を抱く様にしてアトゥイは小声で言った。

ショルラは涙をふくと大きく頷いた。


茂みから出て来たショルラはスタスタとアイヌの人達の元に戻っていく。

その様子が予想していた物とかけ離れていた事と、先に戻ると思い込んでいた沢木が出てこない事に訝しんだ武者達が、ショルラの元に集まってきた。

「沢木はいかがした?答えぬか?」この小さな少女にどうにか出来るとは誰も思っていない。

竹根鞭でショルラの可愛らしい小さな(あご)を上げさせた。その時!

疾風の様に駆けこんできた大きな男がその男をなぐり飛ばした。

ついでに隣の男の顔面にも拳をたたきこむ。

二人はそれだけで崩れ落ちた。

他の武者が驚きながらも抜刀しようとするが、遥かにアトゥイの方が早かった。

脾腹に拳を叩き込み倒れる者。首筋を打たれて気を失う者、蹴り飛ばされて岩に頭を打ち付けてのびる者。

あっという間にその場にいた五人の武者を叩きのめしてしまった。

「貴様!何奴!?」薙刀を振り上げながら残りの五人が駆け向ってくる。

そこで初めてアトゥイは背の舞草刀(もくさとうを引き抜いた。

人を斬るのは初めてだが、やらねばならない。意を決した。

”ギィン!”振り下ろされる薙刀を打ち返すと、返す刀で斬った。

足元を払う様に薙刀を振ってきた武者の頭の上に飛び上がりざま首筋を斬る。

着地を狙った武者の薙刀を右に躱すと、その武者の胴をはらう。

その勢いのまま横から走り込んできた奴の胸を、飛び込みざま斬り上げた。

最後の一人、こいつはかなりの使い手だ。

間合いを見計らいながら薙刀の有利を維持している。

”しかし・・・オンゾウシやベンケイに比べれば、赤子の様なものだ・・・”

アトゥイは凄まじい瞬発力で間合いをつめると、袈裟がけに斬った。

ほんの一刹那の間に五人、いや十人の武者を片付けると、アイヌの人々の元に行き縄を切っていく。

「みんな大丈夫?」

イカエラよりも大きく筋骨隆々の大男だが、その体に乗っている顔が良く見知っているアトゥイのものだったのだから、そこにいたアトゥイを昔から知る人達はあまりの変貌ぶりに言葉を失った。

ハポ(母)のハエプトや姉のヌマテ、フチ(祖母)などの驚きはひとしおで、縛られ続けた手首の痛みも忘れて、開けた口の顎が震えている。

「アトゥイなの?」それでも最初に口を開いたのはハエプトだった。

夢でも見ているのか?といった顔で聞いた。

「俺だよハポ(母さん)、説明している時間がないんだ。ごめん」

エカシのアチャポが手をぶるぶると震えさせながら前にかざし、よろよろと近づいてきながら言った。

「カムイ(神)だ・・アトゥイにカムイが宿って・・我らを助けに来てくだされたのだ・・」

「おぉ!・・・」そこにいた人々はアトゥイに向って膝まづいた。

アトゥイとアトゥイの家族だけが立っている。

アトゥイはうろたえて言った。

「違うんだ!そうじゃないんだ・・これには訳が有るんだ・・」

”これは、鬼なる物が自分に憑依し、俺を乗っ取ろうとしているんだ・・”などと言ったら皆を怖がらせてしまう。

言いよどんだアトゥイの視線の先に、ソイエの姿が目に入った。

アトゥイは逃げ出す様に、ソイエの元に行きしゃがみこむと

「ソイエ、大変だったね・・もう大丈夫だよ・・」優しく言うと、ソイエの後頭部を優しくなでた。

すると、今まで何の感情も表さなかったソイエが、アトゥイの顔を凝視した・・・

そして静かに泣きだした。

ぽろぽろと涙が溢れだし止まらない。

「怖かったね・・つらかったね・・でも・もう大丈夫だよ・・」

ハエプトもショルラもヌマテも、そこにいた全員がその様子を見て、心から安堵した。


ソイエの心が戻ったのだと・・・



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