艱難
寒さに凍えるかの様に、敷地内に植えられた木々が月光に照らし出されている。
宝物庫を見上げた二人の視線の先に、辛夷が赤い種子を垂れ下げていた。
高さ四間(7m)、幅三間(5.4m)、奥行き五間(9m)程の大きさの宝物庫がその辛夷の奥にある。
白い漆喰の壁が、闇夜に浮かび上がって見えた。
「ここだ・・」弁慶はおさえた声で言う。
宝物庫の中から、咳が止まらず苦しむ人の様子が窺える。
四人の兵が薙刀と松明を手に見回りをしているのをやり過ごすと、築地塀に手をかけ、心配そうに宝物庫を見上げているアトゥイに弁慶が言った。
「青瓢箪(泰衡の事)の沙汰待ちで当面ここに留め置かれるらしい」
「今なら警備の兵も少ない、助け出す!」一刻も早く皆を助け出したいアトゥイは急き込んで言った。
「無分別」
「なぜだ?」
「この宝物庫から助け出すのは可能であろう。してそれからいかがする?」
「皆を連れポンコタンに帰り、最低限の旅支度をしてアイヌモシリを目指す」
「村に戻ろうとするは誰の目からも明らか。しかも追捕の軍は馬を駆って追ってくるだろう。たどり着く前に追いつかれ、今度こそ皆殺しにされよう」
「ではどうすれば良い?!」声が次第に大きくなっていくアトゥイを弁慶は戒めた。
「静かにせんか、だから機を待てと殿も言うておられる」
「機がこなかったらどうする?」
「必ず来る、その前にすべき事がある筈だ」
「すべき事?」
「そうだ、機とは漫然と待てばいいという物ではない。然るべき時、速やかに行動に移せる様、準備しておく事を忘れてはならん」
「準備とは?」
「ある程度の食糧と、足弱の者には馬なり荷馬車なり、数名分は用意せねばなるまい」辛夷の種子が風に揺れている。
二人は風の冷たさをまったく感じないかの様だ。
「おぬし達の服装は目立つ故、小袖や袴、壺装束や市女笠など用意しておくもよかろう。また、追捕の軍を躱す為には敵の裏をかく事も必要であろう」
あたりを見回しながら弁慶はつづける。
「たとえば、まっすぐ村に戻るのではなく、迂回し敵の目を欺くもよし、逃亡したとみせかけて平泉に潜伏するもよし。その為にはおぬしのその頭に平泉の街並みや逃走経路をたたきこんでおくのも大事であろう。おぬしが居ても立っても居られぬのなら、夜な夜な平泉を歩いて回り、土地勘を養っておく事も無駄ではあるまい」
その時、兵がこちらに歩いてくる音が聞こえた。
二人は路地の影に身を隠す。
弁慶は小声で
「もうよかろう、場所が解りおぬしも安堵したであろう。彼らを救い出そうとしている者がいると解ると、あとあと面倒だ。ここはそうそうに退散するが上策」
弁慶の後につづき、アトゥイは後ろ髪を引かれる想いで、その場をあとにした。
なぜ泣いているの?・・なぜ苦しんでいるの?・・
ポッカリと空いてしまった心の隙間から、とめどなく悲しみが溢れかえってくる。
誰か教えて・・お願いだから助けて・・
泣き疲れて大きな目を赤く腫らした少女のショルラは、混濁し朦朧とした意識の中で助けを求めていた。
ハポ(お母さん)が・・ミチ(お父さん)が殺されてしまった・・アトゥイもおそらく・・・
口の中に苦い味が広がる。
辛い・・こんな苦しいばかりの人生なら・・もう死んでしまいたい・・
囲炉裏のアペ(火)で暖かく幸せだったチセの団欒。
ハポのやさしいなにげない言葉が思い出される。
”寒いからアミブ(服)を着込んでいきなさい、日が暮れる前には戻るのよ・・”
アトゥイの最後の言葉も・・
”大丈夫だよ、ショルラも達者で”耳から離れない。
あれがこの世でかわした最後の言葉だったの?・・・
あぁ・・もう、生きていてもしょうがない・・・ハポやミチ・・アトゥイの元に行きたい・・
ショルラは暗い宝物庫の中で、一人己が世界に沈んでいた。
涙が溢れて止まらない。
そんなショルラの視線の先に、感情をまるでなくしてしまったかの様なソイエが目に入った。
ショルラは現実に引き戻された。
自分と同様に両親を目の前で殺されたソイエの元へ、暗い宝物庫の中を歩いて行った。
「大丈夫?」そんな言葉しか出てこなかった・・
ソイエの反応は無いがただ震えている。
不憫すぎる少女をショルラは抱きしめた。
「大丈夫・・大丈夫よ・・必ずなんとかなるから・・」自分に言い聞かせる様に言ったショルラだったが、言葉のむなしさに涙が溢れて止まらなかった。
初老のアヘトカリが咳き込んでいる。咳が止まらず苦しそうだ。
そんなアヘトカリの背をハエプトがさすっている。
”これから私達はどうなるんだろう?・・・”得体の知れない不安から、ショルラはソイエ同様震えが止まらなくなった。
すると・・・アトゥイの声が聞こえた様な気がした。
目を見開き立ち上がる。
宝物庫の漆黒の闇の向こうにアトゥイがいる様な気がする・・
それだけでショルラの震えは止まった。
高舘館へ帰る二人の頭上には月が輝いている。
うつむき歩くアトゥイを振り返り弁慶が言った。
「先ほど言った装束や荷駄車はわしが整えよう、おぬしは一度平泉を離れて十三湊までの道中を確認して来てみてはどうだ?」
このままでは、アトゥイが後先考えず先走りはせぬかと心配し言った。
アトゥイは巌鷲山より先の様子を知らない。
それも必要な事か・・とは思いもしたが、やはり皆が心配で平泉を離れる気にはなれなかった。
「・・・」
そんなアトゥイの心情を察した弁慶は
「そうは言っても無理であろうのぅ・・・」弁慶は顎を撫でながら思案すると
「よかろう、これから高舘館を出る際はわしに声をかけよ。逃避行のなんたるか指南してやるわぇ、わっはっはっはっはっ」弁慶は豪快に笑った。
義経にも感じた事だが、この弁慶という男にも感じるもの・・・
それは、安堵感・信頼感・人を引き付けて放さぬ、人としての魅力がずば抜けている。
今や立って人を見上げる事などなくなったアトゥイが、唯一見上げる男だ。
アトゥイは意識していなかったが、すでに弁慶に対し全幅の信頼を置いていた。
久し振りにアトゥイも笑った。
「よしなに頼みもうす」頭を下げた。
「なんだ、ちゃんと受け答え出来るではないか!はっはっはっは」弁慶も笑っている。
「真似ておるだけの事」
初冬の平泉にクンネチュプ(月)が光々と輝いている。
肩を並べて歩く弁慶とアトゥイの姿は高舘館の中に消えた。




