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鬼の眷属  作者: 上泉護
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帰路

満天の星空の下、深い森にチプがトーチの様に浮いて見える。

時折強く吹く風は木々を揺るがし、チプの天幕をはためかせた。

狭いチプの中で、うずくまる様に横になっているアトゥイの横で、イカエラと海竣が食事の支度をしている。

”パチッ”と()ぜて火の子が舞い上がっていった。

海竣はアトゥイの為に、少しゆるめの玄米粥を焚火で作りながらアトゥイに話かけた。

「アトゥイ・・心して聞いて欲しい」

「・・・?」

「今、お前の中に”鬼”がいる。それを感じるか?」

「わからない・・ただたまに狼の声は聞こえてくる」

イカエラは黙って二人の会話を聞いている。

「それはお前の中の”鬼”がお前を取り込もうとして、あの手この手で仕掛けているのだ・・それに負けてしまうと、お前の自我はなくなってしまう」

「いつ”鬼”に()かれた?」

「お前が狼の心臓に錫杖を突き立てた時、お前の腹にも穴が空いたのだ、おそらく狼の血とお前の血が合わさった時だろう」

目を(つむ)りアトゥイは己の中の”鬼”を探した。

しかし今は何も感じる事が出来ない。

「お前の様なためし(前例)がなく、これ以後お前が辿る運命を我々は知る術がない」

「あの狼やカラスは、”鬼”に少しづつ取り込まれて心を乗っ取られたと言っていたな・・」

「そうだ・・」海竣はアトゥイを見た。

アトゥイは目を瞑りながら続ける。

「今自分が元の自分であるのか・・そうでないのか・・わからない・・考えれば考える程、解らなくなってくる・・」

「自問できる間は大丈夫だ。それが唯一正しい道だ。などと思う方が怪しい」

「そういうものなのか・・」

「なにかに執着は感じるか?」

「シュウチャクとは?」

「人や物に対してでも、食に対してでもなんでもいい、強くなにかに心を囚われる事だ」

「腹は減った・・」

「はっはっはっ、さもあらん、何日もなにも口にしていなかったのだからな」

食欲が出て来た事に安堵した海竣は、出来上がった玄米粥を椀に入れアトゥイに手渡した。

アトゥイはのろのろと起き上がると、まだよくは動かない手で少しずつ口に持っていった。

「あの”鬼”は不動明王の加護ある錫杖を伝い、おぬしの中に入ったのだ」海竣は話を戻した。

「もしやすると、不動明王におぬしは守られているのかもしれん。だが、心するのだ。なにかに執着する事で鬼に心の隙をつかれる。 そして”怒り”だ。怒りに身をまかすとひとたまりもない。あっという間に鬼に心を乗っ取られてしまう。耐えるのだ。激しい怒りに。怒りとは執着のあらわれに他ならぬからな」

「心しよう・・」

「特定の個人や、集団に対する怒りや怨み、悲しみや嫉妬、これら全て執着となるはもちろん。なぜ自分ばかりが不運なのか?なぜ自分ばかり不当な扱いを受けるのか?と思い続ける事も執着にあたる。それは神や仏に対する怨みつらみとも言えよう。不運と不遇は、己の受け取り方一つで、まったく違ったものになる。人生はこれらをさらりとかわした時、開けてくるものだ」

「それはカイシュンの考えか?」

「はっはっは、恐れ入った!受け売りだ、人の受け売りよ、我とて執着を消しかねる、これはとても難しいものだ!はっはっはっ」

海竣は、運命をしなやかに受け止めるアイヌの教えは、”鬼”に耐えうるのではないか、とふと思った。

今まで黙っていたイカエラがアトゥイに話しかけた。

「人の間を生きる事は、多くの理不尽や不条理がその身を襲うだろう。その中で執着を持たず生きる事の難しさは、俺も痛感している。しかし、人間(じんかん)を生きてこその人間(にんげん)だ。まずは良く寝て、日々の生活に感謝し、こだわりなく生きる。それにつきる」

そんなミチの話を聞きながら、アトゥイはまどろみ始めた。


その微睡(まどろみ)の中で・・・


確かに”鬼”の存在を感じた。

それは心のささくれの様にかすかに痛むものであったが、時折心をザクリと切り裂かれる様な痛みをともなう事もある。

その傷口から心の内が吹き出してくる様な気がした。

今までの自分は、自らの貧弱さを(なげ)いていた。

ミチの様に体の大きなたくましい男になりたかった。

これも執着だというのか?・・・

かなわぬ願いも、こうありたいと思い努力する事も執着だというのか?

なりたい自分になる為に努力する事が悪い事だとはどうしても思えない・・・

またそうせずにはおれぬだろう。

それが”鬼”となるという事なのか?

「お前が”鬼”にとりこまれたくない。自分のままでいたい。と思う心も執着であると言えよう」カイシュンの声だ。

では執着を捨て、流れにまかせて”鬼”に身を委ねろと言うのか?

「人の間を生き、理不尽や不条理をものともしない、不動の心を持て」ミチの声だ。

”パチッ”と火の子が爆ぜ、浅い微睡(まどろみ)から覚めた。

ミチとカイシュンが座ったまま寝ている。

しばらくの間、夢と現実が混同しながらもいろいろ考えてみたが、いくら考えても答えは出てこなかった。


翌日、昨夜の強い風が雲を吹き飛ばしたかの様な、青空がどこまでも続く快晴となった。

食欲も出てきて、随分と回復はしたものの、まだ歩みの遅いアトゥイはイカエラの背に負われていた。

枯葉の絨毯となった森をアトゥイを背負ったイカエラと、錫杖を突き海竣が歩いて行く。

歩きながら海竣がアトゥイに話しかけた。

「我は修験者になる前は、武士の子であった・・我の生まれた年は天変・怪異・疫病が重なってな、家の安泰を願って寺に出されたのだ」

海竣越しに雄大な山々が、頂きに雪を冠して木々の間から垣間見える。

「寺の厳しい生活が嫌で嫌でな、なぜ兄弟の中で我だけがこの様なめに遭わなければならないのか?と随分我が身の不幸を呪ったものだ」

冷たく心地良い微風が三人に吹いた。

「その後、跡取りの長男が死んで、無理やり還俗させられたのだが、後妻に子が生まれると継母にうとまれてな・・我慢ならなくなって家を飛び出し、僧兵となり荒れに荒れた生活(たつき)をしていたのだ」

「・・・」アトゥイは黙って聞いている。

「もがき、あがき、悩み、苦しみ・・自分の居場所を探していた・・

 だが・・そんな生活(たつき)に疑問を持つ様になって、寺で知り合った讃岐坊空覚という人に誘われて修験道の道に入ったのだ・・」

「そこにはわが身を救う出会いがあったのだ・・讃岐坊は自らあみだしたという瞑想方法を教えてくれた」

「我はそれにより自らの心を知る事が出来、そして救われた・・救われたのだ・・」

「アトゥイ、それをそなたに教えよう。己が苦しんだ時、試してみるがよい」

そう前置きして海竣は話始めた。

「まずは呼吸法だ。目を(つむ)り、鼻から少しずつ空気を吸い込む。少しずつだ。それを丹田という衝脈と帯脈の交差する場所に落とし込むのだ」

「丹田と言うは、へその下指三本ぐらいの所ある」

「十数えつつ、鼻で吸い込みながら丹田に空気を落とす。そこで止めて五つ数えてから、口から少しずつ吐き出す。丹田にためた空気を全て吐き出すまでゆっくりとだ」

実際に海竣はやって見せた。

「気を失う事もあるから、横になってやるとよい」

「これを四回ほど繰り返す」

「続きがあるのだが、まぁ今夜にでもやってみせよう」

彼らの帰路は順調で、どこまでも続く青空が気持ちよかった。




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