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鬼の眷属  作者: 上泉護
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兆し

翌朝、早くからコタンコロクル(村長)を始めエカシ(長老)達が、ポンコタンのはずれにあるオンカミ(礼拝する場所)のカマ(岩盤)の上に集まっていた。

オンカミは祭祀にリムセ(踊りや舞踏の儀式)やカムイノミ(神に祈る)などをする場所である。

暫く話し合っていたが、若者を呼び出し使いにたてた。

焚き火の前でイカエラは、(やじり)を交換する為に尖端を火で(あぷ)っていた。

アイ(矢)は矢竹の先に切込みを入れ、そこにルリ(アスファルト)を塗り込み鏃をはさみ接着する。

冷めるとしっかりくっ付き、熱すると再び柔らかくなり取る事が出来る。

このルリは出羽(秋田県)の油田で採取された物が、交易でこの地まで運ばれた物だ。

その他にも鏃に使用する黒曜石は信濃国(長野県)から持ち込まれたものだし、煮て乾燥させた貝などは東の海で獲れたものだ。

このようにこの時代は既に豊かな交易がなされていて、物や文化が行き交っていた。

交換した鏃を冷ましている時、エカシの使いとしてアトゥイより二つ下のオロアシが顔を出した。

「イカエラ、エカシ達が呼んでいます」

「分かった。すぐ行く」

イカエラは体も大きく、このポンコタンで最もラメトク(勇気)ある男として尊敬を集めていた。

イカエラがオンカミに行くと、エカシの一人アチャポが声をかけた。

「イカエラ、我々は今後どうすればいいのか、決めなければならない時が来たようだ」

「シサム(和人)の傍若ぼうじゃくはひどくなる一方で、我々の暮らし向きなどは一向に構ってはくれない」


シサムはこの地を「奥州」と呼んでいるらしい。

多くのシサムはアイヌを土人とあなどり差別していたが、交易を通じて双方の文化がある程度知られていた。

藤原清衡(ふじわらのきよひら)がこの地を治めるようになってからも、アイヌの自治は認められシサムとアイヌとの交易は盛んに行われた。

シサムはアイヌから毛皮や干鮭を、アイヌはシサムから穀物や漆器、鉄器を物々交換していた。

つい最近まで両者の関係は良好で、この奥州の地で和人とアイヌは良い共存関係を築いていたが、

曾孫の代、藤原泰衡(ふじわらのやすひら)の治世になると、物々交換の比率を一方的に変えられ、干鮭百本に対し米一俵(30kg)だったものが、米7升(10.5kg)に減らされてしまった。

アイヌにとって極めて不利なものにされてしまったのだ。

武力を背景にした「押売り」ならぬ「押買い」が横行し、ポンコタンは厳しい生活を余儀なくされた。

幸い彼らの山はコナラやクヌギ、アラカシなどのドングリが採れたので、地面をくりぬいて作った貯蔵庫には、ニセウ(ドングリ)を納めたチュンポ(壺)が並んでいた。

コタンコロクルやエカシ達は、多くのアイヌが北方へ移住していった事を引き合いに出し、

「我らも北方のアイヌモシリ(アイヌ民族の地)へと旅立つ時が来たのかもしれない」と言った。

アチャポや他のエカシ達は全員豊かな(ひげ)をたくわえている。

イカエラも例外ではなかったが、彼らほどの長さはなかった。

「多くの神々がおわすこの地を離れなければならないのは辛いが、やむを得んかもしれん」とコタンコロクルのワシリ

「ケムラムカムイ(飢饉の神)がなかなかお帰りになられなかったのも痛かった」

「今このコタン(村)は飢えている。なんとかメトトゥシカムイの御恵みで生き延びさせて頂いているが、このままではいずれこのコタンは滅びてしまう」

「マタ(冬)が去りし時、北方のアイヌモシリに移り住むべきではないか?」

「大海を渡った先に豊かな大地があると伝え聞く、そこにもまた多くの神々がおわし、アイヌ(同朋)も多くいるという」

「イカエラ、お前の考えを聞きたい」アチャポが聞いた。

それまで黙って一言も口を差し挟まなかったイカエラが、

「シサムはウェンペ(悪い人)だ。このままこの地に執着しては彼らが我らにウェン(害)をなすだろう。この地を離れアイヌモシリを目指すべきだと思う」

我が意を得たりとアチャポは膝を叩いた。

「まずは先人(さきびと)を出し、粗方(あらかた)の道を探るべし、サク(夏)前には旅立てるようにするのだ」

このポンコタンには子供から老人まで51人いる。

足弱の者もいるので無理はできない。

「イカエラ、そなたに足掛かりを築いて来て欲しい」

安全な道を探し、海を渡った先にあるアイヌモシリまで、村人全員が辿りつけるよう準備をして来て欲しいとイカエラ本人にアチャポが言った。

これは相当な覚悟を持って当らなければならない……。イカエラは気を引き締め頷いた。


その同じ頃、ある男が母屋(おもや)の自室で目覚めた。

ここは奥州平泉郊外にある荘園の一画である。

築地塀(つきじべい)に囲まれた館内には住居である母屋、そして武具などをしまう倉庫、馬屋や馬場などが並び門の上には櫓が設けられていた。

一町歩(いっちょうぶ)(約1ヘクタール)ほどの敷地の周囲には空堀(からぼり)が巡らされ、その外に先祖を祀った神社があり少し離れて郎党や下人の家があった。

この荘園の開発領主である荘官は、土地や民衆の私的支配を推し進めていた野心的な男で、名を舘平盛春と言った。

えらの張った四角い顔に細い目がつり上がっていて、がっしりした体は武芸の鍛錬によるものだ。

盛春は今年初め、自ら開墾した田地を奥州藤原家に寄進した。

寄進を受けた荘園領主は領家と称す。

しかし領家である藤原家から摂関家である九条兼実へ、それは更に寄進されてしまった。

最上位の荘園領主は本家と言う。

本家は九条家、領家は藤原家、荘園を実効支配する領主、本所(ほんじょ)は藤原家、という事になった。

このように寄進により重層的な所有関係を伴う荘園を寄進系荘園といい、この時代領域的な広がりを持っていた。

舘平盛春はいわゆる荘官として、この荘園を切り盛りしているのだ。

鎌倉時代は幕府の要職に就き鎌倉に屋敷を構えた一部の有力御家人を除いて、武士の多くは領地である農村に住んでいる。

居館は領地の中で農業に適しており防御しやすい、背後に山をもち住居前に耕地が広がる小高い場所に構え、自ら農業を営み農地や農民を管理し館門前の直営地である門田、門畑を郎党や下人に耕作させていた。

そのかたわら馬場や流鏑馬(やぶさめ)や犬追物など弓矢の訓練をし、武芸の鍛錬に励み、矢や鎧の手入れに余念がない。

起き出してきた盛春は下人に朝食の用意をさせた。

鎌倉時代の食事は朝夕の二回で、玄米の強飯(こわめし)、焼き魚、うめぼし、汁物、焼き塩といった簡素なものだ。

硬めのご飯は口中に汁物を流し込み、柔らかくしながら咀嚼するのが盛春のくせだった。

咀嚼しながら彼は、今朝見た嫌な夢を思い起こしていた。

それはいずこかの軍勢になす術もなく田畑をあらされ、呆然自若で立ち尽くすというものだ。

暗に鎌倉軍が、この奥州の地に攻め入って来る事を危惧する思いから見た夢なのだろう

現に源頼朝(みなもとのよりとも)の弟、源義経(みなもとのよしつね)が今も高舘館に起居している。

しかし彼にとって遠い先の日の事であるという感しかなく、今すぐ鎌倉軍が攻め入って来るという実感は無かった。

それよりも、何をしても上手くいかない自身の不遇の方が大事(おおごと)なのである。

彼は不服だった。

野心が強い分、事がうまく運ばない苛立ちも強かった。


なぜ俺が汗水垂らして働いて貴族どもに田租(たそ)(いわゆる年貢の事)を納めなければならないのか……。


荘園とはいわゆる私有地であり、地方で土地を私有する武士団の起源は、天平十五年、朝廷が効果的に収税を行うべく発布した墾田永年私財法の施行により土地私有が公認された事に由来する。

そして国司による厳しい徴税が行われた際、その減税対策として重層的な寄進構造が生まれた訳だが、鎌倉は荘園公領制を前提とした政権であり、荘官から守護や地頭に置き換えているという。


もし鎌倉が攻め寄せて来て奥州藤原家が滅亡してしまったら、先祖代々守って来たこの地はどうなってしまうのか……。

生まれが違うだけで力の無い者が役職を得て、わしはこのように齷齪(あくせく)働かなければならない。


長年踏襲されて来た政治システムが変わってしまうという不安と恐怖、納得のいかない境遇、そんなものが盛春にして、


面白くもない……いっその事全てを捨てて山賊にでもなろうか……とさえ思わせる。


しかし彼には一族郎党があり、口を開けば文句しか言わない妻と、可愛い子供達がいた。




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