泰衡
早朝の風花は陽光の傾きと共に消え、暖かみが増してきた大地に靄が立った。
伽羅の御所を徒歩で出て来た藤原泰衡を、光沢のある厚い葉の藪椿が迎えた。
季節外れのこの時期に、赤い花を咲かすこの樹木を泰衡は気に入っていた。
「今年も見事に咲きましたな」と、数人の郎党がその身を守っている中、ひときわ大きい男が言った。
由利維平、その祖は由利地方(現秋田県由利本荘市)の豪族であったが、大中臣良平が源義家に従い由利半郡を賜ったのが始まりとされる。
六尺二寸(186cm)の巨体に丸い顔が乗っており、優しげな風貌であったが奥羽きっての強力者として名をはせていた。
「あぁ、この寒空に霜にも負けず花をつける、雄々しさと美しさを兼ね備えているとは思わぬか?」と甲高い声の泰衡が答えた。
「はっ」内心なにが雄々しいのか解らなかったがもっともらしく頷いた。
そんな泰衡の後方を歩く由利維平の頭が泰衡よりひとつ高く、他の郎党達よりも抜きんでて大きかった。
後世、評判の良くない泰衡だが、配下の者にはきめ細やかな気を使い人望が厚かった。
郎党が病に倒れれば、薬を持って見舞いに訪れ、親族がなくなれば葬式に顔を出す。
当時、権力者が配下の親族の葬儀に列席する事などありえなかった時代に、まこときめ細やかな神経であると言えよう。
だがその反面自己保身が強く、己の立場や考えを頑なに守ろうとする一面があった。
それは幼き頃から兄国衡と引き比べられ、どう頑張ってみても体力ではたちうち出来なかった為、知識や見識、教養を磨き対抗する事でなんとか自身の尊厳を守れるかと思った矢先、とんでもない男が現れた事による。
源義経である。
その美しい容姿と破格の軍才、見識と教養は泰衡の自尊心を完膚なきまでに破壊した。
そんな思春期の苦い経験が泰衡をそういう男にさせたのかもしれない。
”不運”それが泰衡について回る因果であったのだろう。
そんな泰衡を守る様に周りをかためるのは、由利維平をはじめ下膨れ顔に垂れ下がった目の田河行文、中肉中背で鷲鼻の秋田致文、頤(あご)の張った長い顔に意志の強そうな奥二重の目と厚い唇をもった大河兼任達である。
ちなみに由利維平と大河兼任はこの後、運命のいたずらにより袂を分かち戦う事になるが今は泰衡の郎党として力を合わせ難局に立ち向かっている。
目と鼻の先にある平泉館に着くと、家人達の挨拶を受けながら主殿へと向かう。
そんな泰衡は正午予定されている白拍子の舞を楽しみにしていた。
猿楽や芸能に強い興味と関心を持っていた泰衡は、秀衡の生前から座を呼び寄せ”立会い”と称される一座同士のコンテストを行い、その勝者には多額の報酬を与えた。
猿楽は奈良時代中国大陸から伝わった散楽が始まりとされ、散楽の雑芸で物真似などの滑稽芸を中心に発展していったのが猿楽と言われる。
軽業や手品、物真似、曲芸、歌舞音曲など様々な芸能の複合体であった。
泰衡が猿楽とならんで強い興味を抱いていたのが白拍子である。
白拍子は古くは巫女による巫女舞であったものが、時代と共に男装の遊女や子供が、今様や朗詠を歌いながら舞うという芸能になったものであり、白い直垂・水干に立烏帽子、白鞘巻の刀をさした男装で、伴奏に鼓や笛なども用いて歌や舞を披露するものである。
白拍子の舞を見ている時、泰衡は日々の嫌な事を忘れられ恍惚とした気分にひたれるのである。
泰衡はその他にも、常滑や渥美に代表される窯業地にも負けぬ陶芸を、この奥州で華開かそうと熱心にあちこちの土地を回り、焼き物に適した”土”を探したり陶工を呼び寄せて窯元を造るなどして、文化面で力を発揮できる人物であった。
歴史の転換点である激動の時代に生まれてこなければ、もしやすると藤原中興の祖としてなにかしらの文化を残せたかもしれない。
しかし時代がそれを許さなかった。
泰衡という男は、自分の居場所を求めてあがいていたのかもしれない。
主殿から声が聞こえた。
「婆様!おはようございます、ご機嫌麗しゅう嬉しく存じます」末の弟、頼衡の声だ。
「頼衡も達者そうじゃの」結惟の方の声は楽しげだ。
この末の弟はこの時16歳、泰衡にとっては異母兄弟であり、結惟の方が一番気に入っている孫である。
実はこの若く思い込みの激しい弟を泰衡は苦手にしていた。
泰衡が由利維平、大河兼任のみを連れて入っていくと、藤原一門の定例会議ともいうべき週一回の軍議に集まった面々が頭を下げた。
これは結惟の方の発案で、藤原一門の存亡の危機であるこの難局に、一族が力を合わせて乗り切ろうという呼びかけで始まっている。
裏を返せば、「お前では心許ないから、親族一丸となって事に当ろう」と言っているのも同然で、御舘の権威も威厳もあったものではなかったのだ。
「遅い泰衡、待ちくたびれたぞ」早速結惟の方が泰衡に噛みついた。
偉大な前御館の母であり、二代基衡と共にこの奥州藤原氏を支えてきたこの老婆には、誰も頭が上がらない。
「申し訳ありませぬ・・・」
「猿楽だ白拍子だなどと、うつつをぬかしておるから腑抜けるのだ、気を引き締められよ!」
頭からやりくるめられて二の句が継げず泰衡は押し黙った。
そこには、結惟の方をはじめとする藤原一門と、源義経、そして藤原基成がいた。
一門の人間は、泰衡の兄国衡、三男忠衡、五男通衡、そして末弟の頼衡である。
四男高衡は在地が遠いので欠席となっていた。
「まぁまぁ北の方様(結惟の方の事)そう目くじらを御立てなさらず、早速軍議に入ろうではありませぬか」
藤原基成は前陸奥守であり、退任後平泉に残り政治顧問として基衡を共に支えた仲で、結惟の方も一目置いている。
着座すると、せっかちな性格の為早速切り出した。
「判官殿追討宣旨を泰衡と基成殿に下すよう朝廷に奏上しよう動きはまことだったのか?」
「はっ、その様であります」と大河兼任が泰衡に変わって答えた。
「なぜそのようなまどろっこしい真似をする?なぜ頼朝が自分で討とうとせぬ?」
「はっ、なんでも頼朝は「亡母のため五重の塔を造営する事」「重厄のため殺生を禁断する事」を理由に、年内の軍事行動はしない事を表明したそうであります」
「これは?」と結惟の方は義経を見た。
そんな義経を見る結惟の方の目には、孫の泰衡に引き比べてなんと王者の風格が有る事か、凛とした立居姿がこの世の者とは思えぬほど美しく、それでいて男らしさは失わない。
覇気のある受け答えに、あふれ出る教養。
どれをとっても泰衡など足元にも及ばない。と見えるのである。
奥州平泉の全権はこの男に任せるべきである。とまで考えていた。
ところが、彼女の息子である秀衡は、あくまでも御館は泰衡であり、その泰衡が義経に仕えよ。とした。
彼女から言わせれば、そんなまどろっこしい事はせず、全権を義経に預ければいい。
奥州藤原氏を束ねる義経の姿を思い浮かべるだけで恍惚となるのだ。
政治感覚に乏しい彼女の発想は幼稚であったと言わざるを得ない。
また、この様な祖母を持った泰衡は不幸であったといえよう。
「これは恐らく、私と御館(泰衡)を引き裂く策でありましょう、私と御館が力を合わせて鎌倉軍と対峙する事を避ける狙いだと思います」
「では、自らの手は汚さず力も使わず、事をなそうとしていると」
「間違いありません」
義経には兄頼朝の考えは解っていた。
自分がいようがいまいが、奥州藤原氏を滅亡させ、奥州をわが物にしよう考えだ。
それは私利私欲からのものではなく、武家政権を確立する為に必要な事だと考えている事も解っていた。
「では、どうすれば良いと思われますか?」と忠衡
「捨て置かれるのが一番かと」
忠衡・通衡・頼衡の源平合戦の英雄、義経に対する憧れは崇拝に近い物で、義経の意に従っていれば問題ない、仮に戦になっても負ける訳がないと思い込んでいるふしがある。
おのずと異を唱える泰衡の言は軽く扱われるのである。
そんな泰衡の事を誰よりも気遣っていたのが、なにしおう義経自身であったのだ。
「義経殿にしろ婿殿(国衡)にしろ、その様に宣旨をないがしろにする事を簡単に言われる、宣旨とはそんな風に軽んじて良い物ではありませんぞ!」と今度は基成が反発した。
朝廷権力をないがしろにされては、政治顧問としての自身の存在意義がなくなってしまうからだ。
ここに新興勢力である鎌倉と、百年の歴史を持つ平泉の差があったのかもしれぬ。
朝廷権力の中を泳ぎ渡り生き延びてきた平泉と、平氏を滅ぼし朝廷権力の及ばぬ武士の世を新しく作ろうとしている頼朝の鎌倉では、その独立独歩の精神に差があったとしても不思議ではない。
現に頼朝自身、追討の宣旨を出された事もある。
しかしまったく動じる事無く打ち捨てておき、そののち撤回させたのだ。
基成という人物をその懐深くかかえる奥州藤原氏は、その時点ですでに負けていたと言えよう。
結惟の方と藤原基成という二人のキーパーソンが奥州藤原氏を滅亡に導いていく。
「決して・・」決して軽んじてなどいない、朝廷とはそういうものだという意味で短く義経は答えた。
今や義経の信奉者となっている結惟の方が基成に言った。
「基成殿そうお固く考えなさるな、これも方便である。宣旨は撤回してもらえばよい」
「しかし・・・」
「もうよかろう、とりあえず宣旨については様子を見るという事で、判官殿の言う通りにしていれば問題なかろう」結惟の方は決めつける様に言った。
「まことその通りでござる」と国衡、忠衡、通衡、頼衡が頷く。
一同はその後、泰衡がいない者の如く密議をめぐらし、最後に
「泰衡殿はいかが考えじゃ?」付け足すように結惟の方が聞いた。
「はい、それでよろしいかと・・」煮え切らない泰衡の言葉に結惟の方が
「まったく、自分の考えというものを持っておらぬのか、情けない」
泰衡を奥州藤原氏の御館にふさわしい男にしようと、厳しい言葉を投げかけたつもりであろうが、独りよがりの独善的で非情な言葉でしかなかった。
「では皆々、またの席に」結惟の方はさっさと主殿を出て行った。
皆の最後に出て行きかけた義経が、振り返り泰衡に声をかけようとしたが、今自分が声を掛けても余計泰衡を傷つけるだけだ・・と思い直して黙って出て行った。
泰衡とその郎党以外の人間が全て出て行くと、由利維平が口を開いた。
「なにもあの様なおおせをしなくともよいではないか・・」
「よいのだ維平、婆様は我を鍛えて下さろうとしているのだ・・」
そうは言ったものの、顔を上げずにうつむいている主に遠慮して、二人の郎党もしばらく動かずにいた。
差し込む陽光が返ってもの悲しく感じられ、ときおり吹き込んでくる風がより冷たく感じた。




