高舘館
大きな楠の木が門前にそびえ、強い風が揺れる枝葉の月影を落としている。
高舘館、それは以前藤原基成が別宅として使用していたものを、幼少期の義経がその頃から間借りしている館である。
母常盤御前の夫である一条長成の口利きで、当時から平泉で政治顧問をしていた長成の従兄弟にあたる基成の紹介により、秀衡の加護を受ける事が出来たという経緯があった。
その為、十数年前、平家の手から奥州に落ち延びたその頃からの慣れ親しんだ館である。
義経の馬の轡をとり歩いて来た海竣は、門の前に立つ巨大な人影にギョッとして立ち止まった。
身の丈七尺(210cm)は超えているだろう巨体に、丸太の様な腕が大長巻を持っている。
その巨体からあふれ出る気力・胆力が、はかり知れぬ程凄まじかった。
「今帰った、弁慶」馬上の義経と弁慶の目線が同じだ。
「お帰りそうらえ、御帰りが遅いので迎えにあがろうかと出て来たところ、行き違いにならず、まずは重畳」
野太い心地の良い声だ。
「して、この御坊は?」と弁慶が聞いた。
「我は安房の坊海竣と申すものでござる。危うきところを御曹司に助けていただいた」
「武蔵坊弁慶でござる」
「御身が武蔵坊でござるか、御噂はかねがね・・」
「どの様な噂かの?」悪戯っぽく弁慶が聞いた。
「まぁ・・いろいろ・・」言いよどんだ海竣を見て
「わぁっはっはっは、正直な御仁だわぇ、はっはっはっは」豪快に弁慶は笑った。
そんな二人を見て義経も笑っている。
書写山円教寺炎上の張本人、悪僧武蔵坊弁慶の名は天下に鳴り響いていたのである。
高舘館の居間で、宿直の伊勢三郎義盛、常陸坊海尊、片岡常春も加わり晩い酒宴が始まった。
野生児を思わせ、ひげ面で額に大きな刀傷のある伊勢三郎義盛。
物静かでまだ四十を出たばかりの学識豊かな常陸坊。
鹿島(茨城県)で舵取をしていた四角い顔に大きな目の片岡常春。
そして座っていても尚、皆より頭一つ高い、いかつい顔にどこか愛嬌を感じさせる武蔵坊弁慶。
皆、主従の垣根を超え、和気あいあいとした酒盛りとなった。
この主従らの経てきた艱難辛苦は筆舌に尽くし難いもので、その塗炭の苦しみがより一層主従の絆を強めていた。
”ここは居心地がいい・・・”海竣は気に入った。
「安房の坊と申したか、こちらへはいつ来たのだ?」と伊勢三郎義盛
「一月ほど前だ、その後岩手郡(盛岡市)へ行き、巌鷲山に登った」
「先ほどの奴は巌鷲の”氣”となにやら関連がありそうだが・・」義経が海竣に聞いた。
「まことその通りで・・ただ我らはそれを”精”と呼んでおり、”精”の濁流より生まれ出る”自我”と考えております」
皆なにを話しているのか解らなかったが、黙って聞いている。
「そして巌鷲に現れた巨大な”精”は”鬼”共にとって神の様なもの、その復活に力を尽くしているらしいのです」
「鬼の神か・・やっかいそうだな・・」かわらけ(酒杯)を傾けながら義経がつぶやいた。
「太古の昔、一度復活した事があるそうです。出雲の国の大山(鳥取県)から生まれ出たそれは、八つの頭と八つの尾を持つ巨大な龍の姿をしていたと言います」
「八岐大蛇か?素戔男尊により退治されたと聞くが」と常陸坊海尊
「真は大勢の呪術者が多くの犠牲を払い、すんでのところで草薙の剣に封印したというのが真実らしい」と海竣
義経の目が光り、弁慶を見た。
弁慶が頷く。
「草薙の剣とな・・」
それは壇ノ浦の合戦の折、平家一門と海に消えた宝剣である。
朝廷から平家との戦の許しをもらう際、三種の神器を取り戻す事を条件とされたのだが、回収出来なかった一つである。
「三年程前から日本各地に散らばる”鬼”共を封印している結界が、次々と破られております」
「三年前といえば、壇ノ浦で草薙の剣が海に消えた時と一致しておるではないか・・」と常陸坊
「解らない事ばかりなのです。今は高野山の人をくりだし、再度封印を試みている状態なのです」
「巌鷲山の・・”精”といったか、それも結界であったというのか」と義経
「はい、しかしただの結界ではありませぬ、それは鬼の神を封じる強力な結界、奥島と我らは呼んでおります。その奥島の結界が壊され、胎堕と呼ばれる鬼の神の復活が進んでおるのです」
「まことか?こんなのんびりしておって大丈夫なのか?」と片岡常春
「封印が破られたとはいえ、まだ完全なる復活には時間があり申す」
「高野山より力のある者が多数くりだせば、再度の封印は可能です」
「仮に鬼の神とやらが復活したらどうなる?」と弁慶
「鬼の世となりましょう」
「鬼の、世か・・」と義経
「我らは奴らの食物として生かされ、苦役を無理強いされる事になるかもしれません」
その時、
小さな童が居間に駆け込んで来た。
「父上!」
「おぉ、まだ起きておったのか?」と義経
千人の美女から選ばれたという義経の母常盤御前に瓜二つの美しい幼女で、この時まだ四歳。
義経の膝にチョコンと座り、足をパタパタさせている。
名を百合という。
続いて入って来た、料理の盆を持ち雑仕女を連れた女性は、義経の妻、鎌倉の御家人川越太郎の娘、郷御前である。
頼朝の意向で無理やり娶わせられた女性であり、義経の本意ではなかったものの、義経を愛しぬき逃避行の果てに、この平泉までついてきたこの女性に義経も心許したのだ。
「言う事を聞かないのです」いかにも幸せそうにやさしく言った。
娘の頭をなでてやりながら義経が言った。
「安房の坊、今宵はゆっくりされ明朝たつが良かろう」
「かたじけなく、お言葉にあまえさせて頂きます」
「さぁもう一献」弁慶が海竣に巨大な丸太の様な太い腕を差出し酒を進める。
我もこの主従の末席に連なりたい。そんな気持ちさえ湧くほどここは居心地が良かった。
そんな時、、どこかに行っていた伊勢三郎義盛と片岡常春が、大きな大甕を二人がかりで持ってきた。
「見てみよ安房の坊、この立派な酒甕を!」
「常滑の逸品よ!見事であろう!」
「おぉこの様に美しい朱色の甕は初めて見る」
「そうであろう、そうであろう」
平泉では常滑焼と渥美焼が大量に消費されていた。
それはこの時代、常滑焼(現愛知県知多半島)と渥美焼(現愛知県渥美半島)は大甕や壺をつくる技術が他の窯業地より抜きんでていた為である。
それはかの地の土の、粘土が高く低温で焼き締められるという特質が、大きく堅牢な甕を常時作る事が出来たという事と、革新的な技術、焼き締めの甕を赤色に焼き上げる事に成功した事による。
工人達は窯内の空気の流れをコントロールし、表面を酸化さる事で”赤く”焼き上げる事に成功し、実用的でデザイン性に優れた常滑焼が全国に流通するにいたった。
しかし重くて壊れやすい陶器を900kmも離れた東海から東北まで、大量に陸上輸送する事は当時不可能だった為、海と太古の昔より流れる大河、日高見川(北上川)の水運を活かして、平泉に持ち込まれたのだ。
藤原氏はその交易路を利用し、海外を含む遠隔地と交易して、その繁栄を築いていた。
伊勢三郎義盛お気に入りのこれらの大甕は、舟で太平洋を渡り、更に北上川を遡って平泉にもたらされたという事だ。
海竣が赤い甕を初めて見たと言ったのも道理で、それまでの甕は、灰色や黒っぽい物ばかりだったのだ。
百合も伊勢義盛の足元へ来て、”きゃっきゃ”と笑っている。
「おぉ百合姫もお気に入りだわい!」
「三郎(伊勢義盛の事)は、この酒甕がいたくお気に入りだのう」と常陸坊
「この優雅で美しい色と形を見て、なんとも思わんのか常陸坊は?」と義盛
そんなたわいもない会話を横で聞きながら、義経は海竣に話しかけた。
「これからどうされるつもりか?」
「はっ、摂津の坊が高野山から人数を引き連れ、こちらに戻るまでまだ時間が掛かりましょう、その間に我は巌鷲山で大層世話になったアイヌの者達の助力をしたいと思っております」
「ほう・・」義経は泰衡の異常な言動を思い出した。
「彼等にはこれから忍ばねばならぬ時が来るやもしれぬ・・・」
「はい?」
「いや、実はな・・」義経は平泉舘の泰衡の尋常ならざる様子を語って聞かせた。
「そんな事がありましたか・・」イカエラとアトゥイに肩入れしている海竣は、暗澹たる気分になった。
「泰衡殿はアイヌが鎌倉との戦を避ける為、北に逃れる様な事を言っていたが・・」
「それがしがアトゥイ・・アイヌの少年に聞きましたところによれば、あくまでも泰衡様の圧政により彼らの村が困窮している為であると・・」
「さもあらん、あの御仁の目は曇っておられる。
では、北に逃れるというところまでは合うておるのだな」
「はい、なんでも蝦夷(北海道)に渡る様な事を言っておりました」
「海峡はいかにして渡るつもりだ?」
「それがしが十三氏に紹介状を書いてやりましたが、心許ありません」
「さようか・・よかろう私からも一筆書こう、これもなにかの縁だ」
「まことで?彼等もなんと喜ぶ事か・・彼等に成り代わり御礼申し上げます」
「十三秀栄殿は御舘(秀衡の事)の弟御でな、何度かお会いした事がある。
豪気なお人柄でな、海の様なお方よ」
そう義経が評した藤原秀栄は、藤原秀衡の弟で、分家して十三湊に住み、十三氏(十三藤原氏)を名乗った。
今は十三湊の領主として安東船と安東水軍を率い、国際貿易を手掛け奥州藤原氏の繁栄を裏で支えている。
どこの馬の骨か解らない山伏の紹介状などより、源九郎判官義経の紹介状の方がはるかに効力があるだろう。
海竣は一刻も早く、二人にそれを届けたくなった。その時
「殿も海竣殿もなにを難しい話をされておる!けしからん!」と少々酔っぱらってきた伊勢三郎義盛がからんできた。
その義盛の首根っこをつまんだ弁慶が片手でヒョイと持ち上げ押さえつけた。
「なにをする武蔵坊!離せ!放さぬか!」
「やれやれ困ったものよ、これ三郎、酒もたいがいにせい!」
そんな二人を義経と海竣は笑って見ている。
尋常ならざる怪異が続き、疲労と緊張でくたくたになっていた海竣は久々の安らぎを得、一時、切羽詰まった今の状況を忘れられた。
彼等は夜遅くまで語り合い楽しく過ごしたのだった。
翌早朝、朝食を馳走になり、屯食(握り飯)をもらった海竣は、わざわざ見送りに出てくれた義経と弁慶に恐縮しつつ頭を下げた。
「大変ご厄介になりもうした・・」海竣にはここを離れがたい気持ちが湧いて出ている。
「なんの、お気を付けなされ、御身の歩む道は茨であろうからの」と弁慶
「では立ち申す。数々の御恩情忘れませぬ」再び深々と頭を下げた。
「うむ、気を付けられよ」と義経
「達者での」と弁慶
海竣は二人に背を向け歩き出した。
東雲に息白くなる細道を、早足なるや山伏の旅
以前、義経主従も山伏に身をやつし、鎌倉からの逃避行をした苦い思いがある。
目的こそ違えど、早朝に立ち心の焦りを抑え、平常心を保とう思いは同じであろう。
そんな己と重ね合わせて弁慶は歌を詠んだ。
参考文献:ミツカン水の文化センター 陶器がつなぐ奥州と東海




