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その四

橋の堀、相変わらず昨日の女はただただ俯いていた。さすがに泣きやみはしたようだったが。

『えぇ天気やねぇ』

空を見上げながら紅い着物の女が近付いて行く。ま、私等には天気なんてあんま関係ないけどぉ、と続けながら。

『せやけど、お日さんが出てた方がえぇ気分やんなぁ』

―そう思わへん?と微笑む。

『あ、私、私・・・』

俯いていた女はまた泣き出しそうになる。

『あぁ、泣かんといてぇな。別に怖がらせよ思てるんやないんよ。ただ、何があったんかは判らんけどな、恨み言があるんなら言うてみ。誰にも言わんと一人で居るより、誰かに聞いてもろた方が幾分か体が軽なるで』

そう言った女の顔はとても優しかった。だから話そうと思った。とは言え、実際には何故自分がそうなってしまったのかは自身でも良く判っていないらしかった。

『まぁ初めは皆そうやでぇ。何で自分がそうなったんか、自分に何が起きたんか。大概、よう判らんもんや。誰にも気付かれんと、ただただ、呆けてるだけのお人も居はる。気付いて欲しいて、結果的に他人に悪さしはる奴も居る。でもなぁ、そないしてる間に自分が何処の誰だったんか本当に忘れてまう。私等は他人に気付かれん。鏡にも水にも映らへん。せやから、時が経つにつれて自分の姿を忘れてまう。せやから、自分が朧げになってまう』

言った女の顔は変わらず微笑んではいたものの、どこか寂しそうだった。

―せやから。女が続ける。

『あんたは運がえぇんよ』

眼を細めて私に気付かれたんやから、とさらに微笑んだ。

その眩しいくらいに優しい笑顔に惹かれるように女は語りだした。

『私は―・・・』

女は於駒と名乗りぽつりぽつりと自分のことを話しはじめた。

―自分が何処に住んでいたのか。

―自分が何処で働いていたのか。

―自分の歳は。

―家族は。

―そして。

『そぉかぁ。妹さんと二人でなぁ。何てぇ名前なん?』

於駒の言葉の一言一言に丁寧に相槌を打つ。

―そして。

『それから、私は・・・』

於駒の様子が変わる。

―震えている。

『私は』

―於駒は。

『殺されたのよぉぉ!』

―殺された。

何かが切れたように泣きじゃくる。錯乱している。がちがちと歯を鳴らし、その眼は何処を見ているのかまるで判らない。

―焦りすぎたか。

『少し落ち着きぃ』

言うが声は、恐らく届いてはいない。

『見てよ!この手を!足を!』

言うと同時に着物を捲り上げる。その、お世辞にも上質とは言えない布の、その下には、本来そこにあるべきはずのものが――無い。

『私は、あの男に、橋の上で斬られて、手と、足を、切られて――』

――片手片足を切り落されて。

――投げ捨てられた。

――捨てれた時はまだ生きていた。

――だから堀に居た。

――堀の、葦の葉の中に。

――あああああぁぁァ!

於駒は叫ぶ。叫び続ける。全部思い出したから。他にどうにもできないから。もう、死んでしまったのだから。

『葦が――』

気付いた時にはもう、於駒の周りの葦の葉は片側だけになっていた。まるで於

駒の手のように。足のように。

――このままではこの娘は。


――痛い。

――憎い。

――悔しい。

――恨めしい。

――怨めしい。

――・・・?

――あたたかい・・・?


気が付けは抱きしめられていた。優しく。強く。

抱きしめられて頭を撫でられていた。

『えぇから、もう、えぇから、な』

ごめんなぁ、辛いこと思い出させてしもたなぁと何度も何度も頭を撫でる。

その眼には泪が浮かんでいた。

とても良い匂いがした気がした。

とても心地良い。

とても懐かしい。

とても、とても。

この感覚は何だったろうか。どこかで感じたことのある気がする。

嗚呼そうか。これは――。

――かあさん。それに。

はっ、と我に返る。自分は今まで如何していたのだろう。如何して忘れていたのだろう。自分は殺された。悔しい。憎い。怨めしい。でも――本当に自分が考えなければいけなかったのは――。

眼を、自分を抱きしめていたその(ひと)に向ける。

『落ち着いたかえ』

そう言った女の眼にはすでに泪はなかった。ただ、先程と変わらない優しい微笑みがあるだけだった。

『お願い・・・あの子を』

そう、自分が本当に考えなければいけなかったのは唯一人の妹のこと。あの日、あの晩、この場所で、私が殺されるのを見ていた妹。無事だろうか。殺されてはいないだろうか。でも自分にはもう、それを知ることも、仮令無事だったとしても何も出来ない。

――口惜しい。

『誰でもいい、あの子を、助けて』

泣き声に混じったその声は、もうそれが出来る人には届かない。もう遅いのかもしれない。けれど――。

けれど、その願いは意外な人物によって聞き入れられた。

『まかせとき』

――え?

言ったのは他の誰でもない目の前の女だった。

『でも、あなたは私と同じ――』

その言葉は女の人差し指によって優しく止められた。女は矢張り、微笑んでいた。

風が吹いた。

そして於駒は思った。

――嗚呼、今でこそ判る。この(ひと)はなんて綺麗なのだろう。


操作ミスにより、その一にその三が入っていました。訂正しましたので、混乱された方にお詫び致します。

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