第9話 「入学式は波乱の予感」
「くそ! あのエセ教師が!」
俺は受講しようとした講義の教室に入ったその後、黒板に書いてあった文を読んですぐ悪態を吐いた。
原因は、この授業の教師だ。
黒板には、『入学式の手伝いがあるので休講』とのみ書かれてある。当然、それを書いた人間はいない。
もともと受講者が俺しかいない授業ではあるが、気軽に休まれては何だかムカつく。
いや、別に、純粋に入学式の手伝いならば俺もここまで怒りはしないのだ。せいぜい、事前連絡がなかったことに対して苦言を呈し、黒板にこのバカ教師の悪口を書くだけである。
だが、実際はそうではないだろう。
アホ教師が意中の女性教師に入学式の手伝いを持ちかけられ――あるいは、自分から持ち掛けて――俺が受ける筈だった授業をガン無視した上で、締まりのない気持ちの悪い童貞中年顔を晒しながら意気揚々と女性教師のケツを追っかける姿が容易に想像できる。
その女性教師はルサルカ先生なのだが。
ルサルカ先生も自分に向けられる行為には気づかないのか……と思いながら、俺は黒板にクソ教師が女子寮である処女寮に忍び込もうとして失敗した話を面白おかしく書いていた。
その時、何かが接続されたような高い音が響く。
「あー、あー、ただいまマイクのテスト中、マイクのテスト中。あいうえおあおかきくけこかこ。隣のエルフは年を誤魔化しているエルフだ、隣のエルフは胸を誤魔化しているエルフだ。教頭はヅラー、教頭はヅラー」
そんな頭のおかしいセリフが聞こえた。
しかし、俺はそんな頭のおかしい人を知っている。
いや、頭のおかしい人は学園中にたくさんいるが、この『魔導放送』を通してノリノリで喋る頭のおかしい人は一人しか知らない。
「はい、魔導通信は良好のようですね。――おはようございます。朝のいい天気に響くこの可愛らしい声を聞いた皆さんはとっても幸せだと思います。私は、放送委員長、技術科4年の、ミューズ・フェイスフルです。では、授業中の方もいると思いますが、興味のある方、お暇な方は、ぜひ外に出て通信塔をご覧ください。――各体育館や主要講義室、各寮の娯楽室にいる方はそのままで構いません」
それを聞いた俺は、教室の窓から身を乗り出して、外へ出る。
遠く、別の校舎では5階から飛び降りている奴がいるが気にしない。
「……そろそろ、入学式の時間か」
俺は、学園中に存在する、『通信塔』と呼ばれる小さめの塔に目を向けた。
そこにあるのは、四角い枠組みと、それに映し出されるミューズ先輩の映像だ。
眼鏡をかけた童顔の先輩が喋り出す様を見ると、去年の入学式を思い出す。
去年も、こうやって入学式の様子を学園中に放送されたのだったか。
この学園都市国家『ソフィア』は、学園としては規格外の広さを持っており、当然、その学生数も多い。なので、在校生全員は元より、一学年全員が集まれるような建物は存在しないのだ。
まぁ、そんな大人数が一堂に会する機会もまずないのだが、入学式は例外の1つだ。
なので、大講堂と呼ばれる建物をメインの式場として、その他、各地に存在する中、小規模の体育館や講堂に入学生を分散している。
しかし、そこには当然、学生と場所は分割できても、入学式自体を分割できないという問題が生じるが――それを解消するのが、この『魔導放送』だ。
中世のような生活様式を持つこの世界の中で、異常ともいえる技術力を持つのがこの学園都市国家『ソフィア』だ。
確かに、この世界には“魔力”が存在する。
けれど、それにしても、時代を数世紀ほどぶっ飛ばしたような技術が出来る筈がない。
この魔導放送は、まんまテレビであるし、『魔導通信』と呼ばれる情報魔力の伝送は、それこそ通信網と呼んでも差し支えない完成度だ。前世の知識を持つ俺が見て、そう思った。
しかし、さすがにインターネットのようなものは存在しないし、使用できるのも限られた状況、人間だけである。だから、この奇跡の技術は、魔力というものが存在する故のイレギュラーと、『ソフィア』にいる優秀な教員・学生による、一種の化学反応だと捉えることもできる。
けれど――、俺は、この技術は異常だと、そう思う。
さて、話は逸れたが、この放送が起きるということは、もうすぐ入学式が始まるということだ。
映像の向こうでルサルカ先生に怒られているミューズ先輩が何を言うかと待っていると、しかし、横から声が聞こえてきた。
「はっはっは。ミューズは相変わらずじゃのう。――そう思わんか、レイド?」
「そういえば、同じ学年で仲良かったのか――ユエ」
俺の隣にひょっこり現れたのは、全身を黒に染めた格闘科の4年――リュウ・ユエインだ。
ちなみに、さっき5階から飛び降りたのもこの人である。
「寮も同じじゃぞ? エヴァと3人よく遊んでいるのじゃ」
その面子の遊びはなんか怖い。
それはともかく、ルサルカ先生をひげ面のうさん臭そうな男が宥めて画面外に連れ出した後、マイクを握りなおした放送委員長が目に嘘の涙を浮かべながら話し始めた。
「名残惜しいですが、私の出番はここまでです。皆さんも悲しいでしょうが、私も悲しいです。それはさておき、魔導通信網の伝達は良好、魔導放送に乱れはなし。それでは、隣のヅラ――ではなく、クレイブ教頭にマイクを渡します。ではでは、アデュー」
「いっつもあんな感じなのか?」
「いっつもあんな感じじゃな」
イリアスと同じくらいウザそうだ。
しかし、我らがヅラ教頭にマイクが渡ったということは、だ。
「えー、ごほん! ――私がいるのは大講堂ですが、ここには、見渡す限りの新入生がいます。恐らく、他の講堂、体育館でも同様でしょう。毎年この光景を見ていますが、やはり新入生の期待に満ちた顔は何度見てもいいものです」
去年の俺は頭のおかしい上級生のテンションに切望に満ちた顔をしていたけどな、入学式。
――今年の新入生は、どんな顔をしているのか、ここからは見えないが。
……そういえば、と1人知っている新入生の顔を思い浮かべた。
「では、これより、学園都市国家『ソフィア』――入学式を、開始いたします。司会進行は、僭越ながら私、センチネル・クレイブが務めさせていただきます」
そうして、入学式は幕を開けた。
そこで、いろいろ挨拶やらなんやらがあって、次は我らが生徒会長の挨拶だ。
生徒会長、新入生総代、学園長と続く、挨拶ラッシュの締め。その三人の初めの一人だ。
「さて、私が、この学園の生徒会長である、普通科5年、リーシャ・エルスティンだ」
紫のロングストレートを揺らし。凛々しい顔つきでリーシャ会長が名乗る。
映像の向こうからは、その美人さを称えるような声が、男女問わず聞こえてくる。
しかし、それ以上に大きな騒めきが、俺の周囲――『魔導放送』で入学式を見ている暇な2年生以上の学生――から聞こえてきた。
それは、なんで、だとか、まさか、という驚愕の意味合いのものがほとんどだ。
「やっぱり、知らない人は驚くよなぁ」
「そりゃ、卒業したと思っていた人物が未だに生徒会長をやっているのじゃからなー」
ユエの言う通り、リーシャ会長は、去年も5年生だった。
それが今年も変わらずに学生をやっているということは――何を隠そう、留年したのである。
「それでもまぁ、聞いている限り、驚いているけど同時に嬉しいって思ってもらっているのは、会長の人望かね」
「ま、アイツがいると飽きないのじゃ」
会長の留年を当の本人から聞いたときは、俺も驚いたものだ。
生徒会長でもあるし、『最強』の名を得るほど優秀な学生であるところの彼女が、まさか留年するとは夢にも思っていなかった。
――まぁ、その理由は心底下らないものだったのだが。
さて、少し話はずれるが、ユエに卒業後の進路を聞いてみよう。
「なぁユエ。お前、卒業したらどうするんだ?」
「まだ決まってはないのじゃが――とりあえず、2年ほどここで講師でもするのじゃよ」
恐らく、レヴィナさんやエヴァ先輩等に訊いても同じ答えが返ってくるだろう。
つまり、俺の先輩たちは、この学園を卒業しても、俺が卒業するまでは講師としてこの学園に残る気満々なのだ。
去年、卒業まで残り少なくなったリーシャ会長に対して、もうそろそろ会わなくなるんだヒャッハ―とか思っていた後に本人からこの事実を聞いて正気に戻って落ち込んだのはなつかしい話。
というわけで、リーシャ会長は俺目当てで留年を自分から選んだわけではない。
ならばどうしたかというと、リーシャ会長は去年、卒業研究で失敗したのだ。
――卒業研究とは、学園都市国家『ソフィア』を卒業するうえで欠かせないものとなっている。
“研究”と名が着いてはいるが、要するに5年間――もっと長い人もいるが――で、自分が何を学び、どう成長したかというものを発表しろということだ。
聞いた話によると、去年は、『ソフィア』周辺の歴史について、学校の資料よりも正確にまとめ上げた歴史科の卒業生や、戦闘系教師全員と模擬戦をしてその過程・結果を記したという近距離戦闘科の卒業生がいたようである。
では――“失敗した”というリーシャ会長の卒業研究はどうだったかというと――研究テーマは『愛の力における戦闘能力の向上』というものだ。あほらしい。
タイトルだけでも没にしたいレベルのものだが、一応、中身を精査して落第と判断したらしい。
だがまぁ、その中身が大いに問題だ。
『レイド君を愛している。そして私は強い。つまり愛は世界を救う』
以上である。
いきなり俺の名前を出すなとも言いたいし、“つまり”の後がもはや意味が解らなかった。
当然俺は彼女をアホだと言ったのだが、リーンベルら数人がこの理論を擁護しやがっていた。隣にいるユエもその一人だ。
ただし、レヴィナさんは元から仲の悪かった会長を大笑いして、また地形が変わるレベルの喧嘩が起きたが、それは別の話か。
「――と、最後に、新入生諸君に言っておきたいことがある」
いつの間にか、会長の話が終わりに近づいていたようだ。ごめんなさい聞いていませんでした。
「この学園にいる間に――誰かを愛そう。別に、両想いじゃなくていいんだ。たとえ、一方通行でも、誰かを愛せば強くなれる。それは、私の実体験なのだけれどね。事実、愛する人が出来て強くなった。――まぁ、私の場合は両想いで幸せだが」
誰が両思いだぶち転がすぞ。
「……何を言っているのじゃ、あのバカイチョウは。レイドは妾と両想いじゃというのに――これだから夢見る処女はいかんのじゃ」
お前も何を言っているんだ。言葉がそのままブーメランで突き刺さるぞ。
「――幸せで強くなれるなんて、いいことだろう? だから皆。誰かを愛そう――恋をしよう」
鈍い痛みが胸に走った。
――恋という言葉が、俺の心の傷を抉る。
それは、俺がこの学園に来る前に思い描いていたものだ。
恋して、愛して――恋愛をして、幸せになる。
けれど、それは夢現で――俺自身の手で、崩壊した。
俺自身が望んでやまなかった幻想。それを、リーシャ会長が別の形で謳い、学園中に広めるとは。
――ああ、いいことだと思う。今でも俺は、そんな夢の世界を思い浮かべる。いや、そうであったらいいとやはり思う。
だから、俺は心の中で、今の言葉を聞いた人たちに忠告をする。
――やり方を間違えるなよ、と。
万雷の拍手を受けたリーシャ会長は降壇し、次に出てくるのは新入生総代だ。
壇の上に立った少女は、一言で表すとすると――金髪縦ロール。金髪縦ロールですよお母さん!
金髪縦ロールに、まだ幼さが残るものの綺麗な顔。大きめの胸が目立つスタイルは、しかし太っているようには見えない。そして金髪縦ロール。
誰が見ても美少女か金髪縦ロールという印象を持つだろう少女は、穏やかそうな笑みを顔に浮かべて話し始めた。
「わたくしは、ガリア王国第二王女、シャルロット・ヴァロワ=ポワソンですわ」
シャルロットこと金髪縦ロールは、そんな口上を述べる。
――だが、微かにざわつく会場の様子を聞くと、どうやら何か問題があったようだ。
「――生徒会長に言いたいことがありますの」
いや、これは明らかに入学式の進行から外れているものだ。
去年の新入生総代は、こんなことはしなかった。ただ、普通の挨拶を述べるだけ――、よく思い出すと、名乗りの肩書も、新入生総代と言うだけだった気がする。
そして、そのイレギュラーに対してどうするかというと。
「なんだい、シャルロット君? 私に用があるのなら、何でも言うといいよ」
リーシャ会長は、正面から言葉を受ける気だ。
本来なら、後で聞くと言って流した方が良いのだろうが――こうするのがこの人の流儀だ。
「ふふん。いい心がけですわね」
対して、シャルロットと名乗る金髪縦ロールは、腰に手を当て、ふんぞり返り、服の上からでも豊満だとわかる胸を張り、会長を指さす。
そして言った。
「生徒会長、リーシャ・エルスティン。――貴女に、勝負を申し込みますわ!」
恐らく、この光景を見ている誰もがその言葉を予想しなかっただろう。
それもそのはず、入学式の最中にいきなり生徒会長に戦闘を申し込む新入生が居てたまるか。ストレスで教頭の髪がさらに薄くなるわ。
それを言われたリーシャ会長、初めは驚いたようだ。
しかし、すぐに笑みを浮かべて、ドヤ顔をしているシャルロット・金髪縦ロールに指を突き返す。
「受けてたとう――と言いたいところなのだがね。一応立場上の問題がある。理由を聞かせてもらってもいいかな?」
そう言われた本人は、自分の金髪縦ロールを、ふぁさっ、とかき上げる。
金髪縦ロールが一瞬宙を舞った。
「――? わたくしが生徒会長になるのは、当然のことでしょう?」
さも当然のようにそう言った
今度のこの発言には、疑いようもなく全員が驚いただろう。
生徒会長に成りたいから――ではなく、生徒会長であるのが当然だから。
それは、自身こそが学園都市国家『ソフィア』学生全員の長に相応しいと言っていることだ。
頭のおかしい姫様だ――と決めつけることは簡単だ。だが、本当にそうだろうか。
絶対なる自信。ともすれば愚かと言えるだろう。それは確かに傲慢だ。
大国の第2王女という点も鑑みれば、世界は自分中心に回っているとでも思っていそうな感じだ。
しかし、俺はなぜか、そんな傲慢な彼女に対し、悪い印象を抱かない。
そして、それはリーシャ会長も同じようで。
「――なるほどね。生徒会長が交代する場合は3つある。1つ目は、任期を全うして、正当に選挙を行ったうえで生徒会長が選ばれる場合。2つ目は、リコールによって生徒会長が降ろされ、臨時選挙によって選ばれる場合。――そして3つ目が、生徒会長に勝利した者がその座に就く場合」
どこか納得した風で、楽しそうに言った。
「確かに、生徒会長になるためには最も早い方法だ」
けれど。
「――それが一番楽な方法とは思わないでほしいな」
映像越しでも届く威圧感が放たれた。
映像の向こうでは、少しの悲鳴が聞こえた。それもそうだ、もちろん手加減しているだろうが、慣れていない人では会長レベルの威圧はきつい。俺は食らいすぎて麻痺しているけど、そこらへん。
そして、その威圧を真正面から受けたシャルロット姫様は、しかし影響はないようだ。
どうやら、口だけではなく実力も十分あると思われる。
「そう来なくては面白くありませんわ。私が勝つまでの過程……十分に楽しませてくださいませんと」
それに対抗して、第2王女が魔力を放出し始めた。
一触即発の雰囲気。
しかし、その中で会長がいきなり威圧を解いた。
「そうだ。私と戦う前に、1つ条件を付けていいかい?」
「いいですわよ」
「……随分とあっさり承諾するね」
「その方が、面白いかもしれませんもの」
「……なるほど、ぶれないね、君は。――それで、条件だけれど……ある学生と戦って勝つこと、っていうのはどうだろうか?」
「わかりましたわ。前哨戦ですのね」
リーシャ会長が提案したシャルロット姫殿下が一方的に不利になる条件を、彼女はあっさりと飲む。
その顔から穏やかな笑みは一切消えない。
自信満々な彼女は、どこまでもポジティブに笑う。
その傲慢な自負は、どこから来るのか。脳みそいじくって調べてみたくなるほどだ。
「前哨戦、ね」
リーシャ会長も笑みを止めない。
1年にも満たない付き合いだが確かにわかる。
あれは、機嫌がいい時の彼女だ。
それはつまり、ものすごく厄介だということだ。
もしその笑みが俺に向けられていたら速攻逃げるレベル。
「一筋縄じゃいかないと思うけれど?」
「それならそれで、さらに楽しめるだけですわ。――で、どなたですの、そのお相手は? そこの金髪のエルフの方ですの?」
その言葉に、リーシャ会長は苦笑する。ルサルカ先生はいきなり自分が指定されたことで、え、とか可愛らしく言っている。あざといぞこのアラサー。
「確かにその人が相手でも面白いとは思うけれど……残念ながら、彼女は教師なんだ」
「そうでしたの。胸がないので大人ではないと勘違いしていましたわ」
憤る絶壁。
胸が小さい人は器も小さい。
そもそも、胸の大小にこだわっているから結婚できないんだ。おっぱいに貴賎なし!
「さて、彼女はともかく、私が指名する学生は――」
リーシャ会長が指定する学生というのは誰だろうか。
恐らくハーレムメンバー(絶壁教師除く)の8人だろう。
その中から選ぶとしたら――無難にユエか、イズミか。王女つながりということでリーンベルか。大穴でルーン。嫌がらせとしてレヴィナさんを指名するのもありそうだ。
「普通科2年――」
やっぱり。現実逃避してみたけど、意味がなかった。
そもそも、会長が楽しそうに笑った時点でこうなることはわかっていた。
もう、諦めよう。ショギョムッジョ。
「レイド・アリエスくん。私が最も認める男の子だ」
隠れ場所を探すためにとりあえず逃げた。ユエ置いて。