第8話 「イズミのためのガリア王国講座」
かちゃり、と陶器同士がぶつかったような音で目を覚ました。
目を開けると視界に入り込む朝の陽光に思わず眉をしかめ、数度瞬きをして、起き上がる。
「ん」
ベッドの上で軽く体を伸ばす。
昨日の疲れが少し残っているが、許容範囲だ。
……日々成長していく俺の回復力の、その原因を考えると悲しくなるが。
「あ。おはよう、レイド。いい朝だね。入学式の日にこんな気持ちのいい気候だと、何だか良いことがありそうだよ」
ティーカップを片手にさわやかな挨拶をしてくるこの男の名は、ジュリウス。俺の寮の同居相手だ。
一年前から同室者として一緒の部屋に住んでいるコイツは、俺の親友と言ってもいい相手かも知れない。
「……そうだといいんだけどな。昨日の様子を見る限りじゃ、どうも怪しい気がする」
「まぁ、そうかもね。レイドが春休みで実家に帰っていたから、彼女たちにして見たら久しぶりのレイドだもんね」
「ああ。実家じゃ家族や幼馴染たちと平穏無事に過ごしたからな。こっちに来てからのアタックが凄いのなんのって――やべえ、新学期早々ホームシックになってきたぞ」
「また、そう言って……実は、少し寂しかったでしょ?」
「………………まぁ、もう少しうるさくても構わないとは思ったけどさ」
「ふふっ」
その笑みは、俺の背筋をゾクッとさせた。
ジュリウスはたまに、こんなふうに笑う。
男に使うのは変かもしれないが、妖艶、とかミステリアス、なんて言葉が似合いそうだ。
見た目も性格も王子様然としたコイツは、やはり女子に人気があり、もしコイツに気がある女子がこの笑みを見たら卒倒間違いなしだろう。
なんて思いながら着替えを終えた俺は朝食の席に着き、ジュリウスが焼いてくれていたパンに噛り付いた。
「……おはよう、レイド。それにジュリウス」
俺とジュリウスが天秤寮から出ると、正門前で待っていたイズミが声をかけてきた。
俺らは挨拶を返し、並んで学校までの道のりを歩く。
「今日は、イズミさんの番なんだね」
「……ああ。休み明けでややこしくなっていたが、ルーン先輩がそのあたりをきちんと整備しなおしてくれてな。色々幸運も重なって、私が来たというわけだ」
「そうなんだ。……嬉しそうだね」
「……ああっ。やはり、レイドと登校するのは楽しいからな――あ、ジュリウスが邪魔というわけではないからな?」
「大丈夫。気にしてないよ」
わりかし仲良さげに話す二人を見て、いっそくっ付いてくれないかなー、とか思うものの、イズミのこちらへ向けてくる視線を感じると無理っぽいと思える。ジュリウスの王子様パワーで何とかならないかなー、ならない気がするなー。
と、下らないように見えてとても重要なことを考えつつ、イズミの相手もしながら歩く道程はわりかし平穏だ。
去年も4分の3が過ぎたあたり、ルーンが提案したハーレム条例(仮)の中に、俺と一緒に登校するのは1人ずつ順番性、というルールが出来たので、朝から襲撃されることはなくなったのだ。
その朝の襲撃のせいで俺含む10人超の遅刻が増大したため、制定されて当然なルールではあったが、実のところありがたさとしては微妙だったりする。
……そのせいで放課後が余計にきつくなったんだよなー。
朝、俺と登校するのは順番性になった。
では昼――校内ではどうかというと、それもまた、積極的に迫ってくることはほとんどない。
当然といえば当然の話。学生であるのだから、授業は大切だ。俺に感けて留年してしまっては阿保の極みということもない。いや、まぁ、本当に。
まぁ、彼女たちも自分のやりたいことのためにこの学園に入学してきたのだから、それを疎かにする様な真似はしない。
そんなわけで、俺と無理やりイチャコラするためには放課後しかない。必然としてそこに騒動が集中する。
会う時間が減っても密度は濃くなっているのだから、結局のところ全体的な質量は変わっていないのだ。
「……む」
そんな、10日に1回の楽しみを満喫することによって今日の放課後はそんなに脅威ではなくなるイズミは、あるものを見て眉を顰めさせた。
「どうしたイズミ……って、すごい混雑だな。なんだこれ?」
「……どうやらあれが原因みたいだよ、レイド」
ジュリウスが指差した方をよく見てみると、人ごみの向こうに豪奢な装飾をした馬車が見える。どうやら、その馬車を見ようとした人が集まり、それによって混雑が起こっているようだ。
……しかし、馬車にはいい思い出がないんだけどなぁ。
イズミもそう思ったようで、少し不機嫌さを声に含ませながら、
「……この光景は、去年を思い出させる」
「そうだね。リーンベルもこんな感じで入学式に向かって、それで騒動も起きたんだよね。――レイド?」
「そうなんだけどさぁ……お前も他人事のように言うなよ」
「うん、ごめんごめん」
目を細めて爽やかに笑う王子様スマイル。
俺は親友のこれに弱いらしく、この笑みを見ると心に浮かんだ怒りがどうでもいいと思えてしまう。隣でイズミも不機嫌面をやめたし、万人にそういう効果があるのかもしれない。後ろで倒れた数人はジュリウスのファンかな?
「んで、あれがどこの国のやんごとなき御方かわかるか?」
その俺の問いに、イズミは首を傾げるが、ジュリウスはその蒼眼で馬車を数瞬見つめた後、答えてくれる。
「あの紋章は、ガリア王国だね。第二王女がたしか15歳だったはずだから、多分その子が乗っている馬車だと思う」
「……レイド、知ってる?」
「ガリア王国ってのは。まぁ大国だし、知ってるけど……その王女様は知らん」
「……私はその国もよく知らなかった……。どことなく悔しいな。やはりそういう知識も身につけるべきか……」
イズミは、東方出身であり、15歳――つまり、『ソフィア』入学前――まで、父親と二人で旅をしていてほとんど学校に通ったことがなかったそうだから、あまりこちらの国について詳しくない。俺の故郷であるグリエル王国は知らなくても不思議ではないけれど、大国であるアルビニア王国を知らなかったというのは、確かに問題だといえるだろう。
知識は、持っておくに越したことはない。
多少でも、知っているのと知らないのでは全然違う。
だから、イズミにもそこらへんの知識を教えておくべきだろう。
……まぁ、面倒なので教えるのはジュリウスに丸投げですが―。
「ジュリウス、説明よろしくー」
「了解、レイド。……イズミさんも、僕でいい?」
「……ああ、構わない。少し残念ではあるが、ジュリウスの方が詳しいだろうことは私も理解しているからな」
2人の了承は取れた。
だがその前に、1つ言うことがある。
人の海の向こう、豪華絢爛な馬車に乗っているであろうガリア王国の第二王女とやら。どう考えても騒動の現況たる人物だろう。
もし関わりを持ったら面倒なことになるのは目に見えている。
だから俺は逃げることにする。
「じゃ、この人ごみを迂回して学校に行きながら話してくれよ」
「――ガリアという国は、この大陸の西方に位置する大国だよ。隣接している国は――、イズミさんが知っている範囲で言えばいいかな。エルザさんの故郷、ニーベルン帝国。エヴァさんの故郷で三葉教会の総本山があるアルテリア聖皇国。この2つは陸続きで、海を挟んだ東側にリーンベルの故郷であるアルビニア王国があるよ」
「……う、うん? ――いや、なんとなくわかったぞ。なんとなく……」
歯切れの悪い言葉を吐くイズミ。これは絶対解ってないな。
「そうだね……じゃあ、図で説明しようか」
そう言って、ジュリウスが取り出したるは紙とペン。それを使ってジュリウスはさらさらと図を書いていく。
中央より左側に海岸線を書き、一部その線に沿って、六角形を描く。そしてその右上に同じくらいの大きさの領域を描き、右下には細長い領域を描く。開いた部分には適当に線を引き、小さな領域がいくつも出来る。これで内陸部は出来上がった。最後に、海を挟んだ左上、上下に長い領域とそれに付随する小さな領域を描いて完成だ。
六角形に“ガリア”、右上に“ニーベルン”、右下に“アルテリア”、左上に“アルビニア”と書かれたそれが、ガリア王国周りの主要国を描いた地図だ。
もう一つ、ニーベルンとアルテリアの間に中程度の大きさの国が描かれている。けれど、国名は書いていない。それはイズミにあまり関係のある国でもないから除外しても問題ないだろう。
ジュリウスは完成したそれをイズミに見せる。彼女は、数度唸りながら、やがて得心がいったとばかりに頷いた。
「なるほど……これならわかりやすいな。流石はジュリウスだ」
その言葉には、全面的に同意する。
顔もよくて頭もよくて絵も上手いとか、チートにも程がある。
俺が言えた義理じゃないような気もするが気にしない。
当の本人は、持ち前の王子様スマイルでイズミの言葉を受け止めている。
「どういたしまして。でも、これくらいならレイドも十分わかるからね……そっちの方が良かったかな?」
「……う、うむ……」
言い淀んだイズミは黒の眼を俺に数度向ける。いつもなら強い意志を見せるその瞳が、今は迷いの色を見せている。
「……レイドは、あれだ……絵が下手くそだからな。ジュリウスのような綺麗な絵はもとより、まともな図をかけるとは思えない」
「あー……レイドの絵は、むしろその絵の説明が必要なくらい訳が分からないものを書くからねぇ……」
それは、俺に対する誹謗中傷。黙っているわけにはいかない。
「はん! 我が心の師、ピカソ大先生から見様見真似で教わった前衛芸術を馬鹿にするなよ、ジュリウス!」
「……ピ、ピカ……チュウ?」
惜しくない。それは電気を放出するネズミ型の魔物の名前だ。悔しいけど可愛いなオイ。
けれど、それを顔に出してはいけない。出したら戦争が起きる。あんたなんか、全然可愛くないんだからね!
それはともかく、ジュリウスは一瞬表情を消し、その後、俺に話しかける。
「あのねぇ、レイド……そういうのは、普通の絵を描けるようになってからいうべきだと思うよ」
「はい、まったくもって仰る通りですジュリウス大先生」
その顔は、相変わらずの王子様スマイル――のはずなのに、どこか寒気がしてくる。底冷えするようなオーラがジュリウスから出ている気がする。
その顔に、俺は大人しく平謝りするほかなかったのだった。
何やら、余計な話を挟んで無駄な時間を過ごした気がするが、話はガリア王国講座forイズミに戻る。
地理的な位置関係を終えた次は、ガリア王国の特徴についてだった。
「ガリア王国を一言でいうならば――魔術王国だね」
「……魔術王国? それは文字通り、魔術が盛んな国だと受け取っていいのか?」
「その通りだよ、イズミさん。ガリアという国では、国民の9割以上が魔術を使えるんだ。――もちろん、その実力の幅は広いけどね」
「……なるほどな。魔術を使えない私としては少々羨ましくもある話だ」
「ちなみにだが、俺の出身国では魔術を使えるのは貴族や一部の人だけだから……1割に満たない程度か? 9割っていう数字は、魔術の適性が全くない人か一部の例外を除いたすべての国民が使えるということになるな」
「……そういえば、レイドも魔術が使えたのだったな。どうやって身に着けたのだ?」
なんとなく口を出したらイズミがこっちに飛びついて来た。
「いや、俺も一応貴族だから……」
「……そうだったか?」
本気でそう思っていなかった表情で見られる俺。可哀想。
確かに自分でも貴族っぽくはないと思ってはいるが……。
「レイドは貴族っぽくないもんね」
「お前は凄く王子様っぽいな今畜生!」
俺の心に刻まれている日本人ソウルが謙虚なオーラを出して貴族のマインドを表に出さないだけなんだ。一応、実家では上品な立ち居振る舞いを教わったんだぞ。もう忘れたけど。
「閑話休題、閑話休題! ……辺境貴族の四男だけど、俺の兄貴が魔術師だったから魔術の基礎程度は教わっていたんだよ。本格的なのはこの学園に来てから習っているけどな……まぁ、それでも魔術師というには程遠いけど」
魔術というものは、精神的な適性が大きく影響し、才能がなければ大成しない分野なのだ。そうでなくても、魔術の使用は抽象的な部分が大きく、初歩の初歩でも初めて魔術を使うとなると面倒くさい。
「レイドの言う通り、魔術の習得というものは本来、面倒で時間がかかるものなんだ。だけど、ガリア王国の凄いところはね――、初等学校で魔術の授業があるんだよ」
ジュリウスの言った言葉、それはつまり“魔術の学習が義務である”ということだ。
俺の故郷では、初歩の術が使えるだけで一目置かれる魔術というもの。それを使うことが普通である国が、ガリア王国なのだ。
「……ああ、なるほど……わか、わかったぞ……なんとなく」
しかし、初等学校に通っていない可能性があるイズミには理解できなかったようだ。
この知識が足りない娘を助けてくれるのは、我らがジュリウス大先生だ。
「そうだね……もし『ソフィア』がガリア王国内にあって、そこにイズミさんが入学したとすると、周りが全員魔術師みたいな感じかな」
「……それは凄いな! 全員リーンベルやレヴィナのような感じなのか」
知っている魔術師を挙げただけなんだろうが、それはそれで怖すぎる。毎日俺の命が消費されていく空間ですか、そこは?
それはともかく、今、ジュリウスの言葉に違和感を覚えた。全員というのがどこか引っかかるが……。
「わかってもらえたようで何よりだよ。そして、それだけじゃなくてね……ガリア王国は、魔術の使い方が上手いんだよ」
「……強い魔術師が多いのか?」
「いや、そうじゃないんだ。上手いというのは……器用ってことかな。火の魔術を使って料理をしたり、風の魔術で掃除をしたり、土の魔術で畑を耕したり……生活の中に魔術を組み込んでいるんだよ」
「……器用……レイドみたいな感じだろうか?」
「ん、ああ、そうかもね。確かに、レイドは魔術だけじゃなくて、いろいろなことに関して面白い発想をするからね」
ジュリウスとイズミは俺を見てそう言うが、実は違う。
別に、俺の発想力が優れているというわけではなく、ただ単に前世の知識を流用しているだけだ。
むしろ、そのアドバンテージをもってしても追いつけないこいつらの方が凄いと、俺は思う。
そうして、イズミが納得したのを見届け、ジュリウスは続きを話す。
「さっきの地図の通り、ガリア王国は国土も広いし、海にも面している。それにもともと肥沃な土地が多いんだ。それに加えて、魔術の効率的な利用による生産能力の向上があるから……今では、世界でもトップクラスに豊かな国となっているんだよ」
一拍置き、イズミに理解を促した後、ジュリウスは言う。
「魔術が盛んな国であり、魔術で栄えた国である。これが、魔術大国、ガリアの簡単な説明だよ。――なんとなくわかったかな?」
講師たるジュリウスの話が終わり、生徒であるイズミは感想を言う。
「……ありがとう、ジュリウス。こちらの国について不勉強な私でもわかりやすい説明だったと思う。なんとなくだが、ガリアという国に対してイメージを持つことが出来たようだ」
ジュリウスの説明は、歴史科や通商科、政治家で教わるような国家情勢の内容には程遠く、それこそ初等学校で習うような内容だ。けれど、それすらも知らないイズミに、一から教えるというのは難しかっただろう。数字を知らない人間に足し算を教えるのは難しいように、ある程度の下地があってこその知識だからだ。
これに関して、ジュリウスは流石だと思う。
「どういたしまして、イズミさんも、ちゃんと理解してくれたようで良かったよ」
対して、イズミ。
初歩の初歩だが、知らないイズミにとっては難しい内容だっただろう。なんとなくでも、イメージを持つことが出来たことは良いことだと思う。
頭の中ですっと思う浮かべられるイメージというのは大事なものだ。
この大陸西方のそれを、東方の異人であるイズミが持ってくれたことは、彼女が俺たちに馴染んでくれている確固たる証拠だと思うと、俺もどことなく嬉しい。
「……もう、校舎に着いたみたいだね」
ジュリウスが言った先、そこには、大きく整然としたいくつもの建物がある。そして、そこには幾人もの学生がいる。
ここが、学園都市国家『ソフィア』の中央、学園区画だ。
そして、俺たち三人は別々の場所へと足を進める。
イズミは近接戦闘科。
ジュリウスは政治科。
俺は普通科だ。
それぞれに行く先は違うが、その道は必ず交わっている。
俺は、どことなくそう思いながら、足を進めた。