第5話 「1対10の鬼ごっこ 中篇」
商業区画を抜けた俺は、自然が多く、学園都市の中では比較的建物の少ない庭園区画を慎重に走っていた。
日々の講義に疲れ、安らぎを求めるために散歩や昼寝をしている人が多い中で、しかし俺の心中は穏やかではない。
何故なら、
「レイド君はどこに行ったのかな? ここら辺にいる筈なんだけどね……?」
ロングストレートの紫色が俺を見つけようと躍起になっているからだ。
ここは先程までの商業区画よりもずっと人は少なく、遮蔽物も多くない。故に、向こうの動きを観察しながら、こそこそと動くしかない。
もちろんそんなんだから移動速度は決して早くないが――絶対に、この生徒会長に見つかるわけにはいかないのだ。
彼女は『最強』リーシャ・エルスティン。
得物は双剣、属性は火と氷。剣術と魔術を併用する魔剣士だ。
純粋な1対1での戦闘能力は『全滅教師』たるルサルカ先生をも凌ぎ、『ソフィア』の生徒はもちろん、教師でも敵う者はまずいない。
見つかれば確実に追い詰められる。逃げられる確率は1割以下。
だからこそ俺は、遠回りになるとわかっていても、彼女の索敵範囲内から大きく外れた道を進んでいた。
「くっそ、不味ったかなー」
会長の気配を避けながら、それとともにほかの少女たちを警戒しつつ逃げていた俺は、今現在、庭園区画の端に佇む巨大樹に上っていた。
「北方――良し。西方――良し。東方――危険。南方――超危険、と」
手持ちの単眼教から見た現在の状況は、あまり芳しくない。
安全だと判断できる北方は寮と逆方向で、商業区画のある東方からはユエとエヴァ先輩が走ってきている。寮へと近い南方では会長がうろついているので、絶対近づけない。西方は、寮へ行くとすると少々遠回りとなるが……そこに行くが一番安全だろうか。
そして、一番恐ろしいのは行動を把握できているのが3人のみということだろう。
ルサルカ先生とルーンは裏方だろうから見えないのは不思議じゃないとして、リーンベル、エルザ、イズミ、それにあの天使。そしてもう1人――。
「いや、発見。……それとも、されたって方が正しいのかね」
「うふふ~、レイド君、みーつけた」
桃色の髪に、白い肌。暗色のローブに包まれた肉体はボンキュッボンのダイナマイトバディ。
妖艶な笑みを口もとに浮かべる彼女は、『最凶の魔女』レヴィナ・ヂェーヴァ。
「さて、どうしようかしらね?」
箒に腰を掛け、そう問いかける彼女は、俺と同じ高さまで飛んでいた。
その姿はまさに魔女。
学園都市国家『ソフィア』始まって以来の、天才魔術師だ。
この学園には、4人の“サイキョウ”がいる。
『最強』リーシャ・エルスティン
『最恐』ルーン・アストルム
『最狂』レイド・アリエス
そして、
『最凶』レヴィナ・ヂェーヴァ
『最強』とは、最も強いもの。リーシャ会長の戦闘能力は何物にも引けを取らない。
『最恐』とは、最も恐ろしいもの。ルーンの神算鬼謀は、いかなる策をも踏み潰す。
『最狂』とは、最も狂ったもの。俺の思考は、あらゆる常識から外れている……らしい。いや、美少女から逃げているだけで、そう言われるのは心外だが。
それはともかく、最後。『最凶』とは何か。
『最凶』とは、最も凶いもの。レヴィナさんの魔術は、全人に不幸を振り施す。
魔術――特に研究分野――に関して、彼女は天才だ。
天才だからこそ、常人はその害を被ることになる。
彼女の個人研究所が、新型魔術の暴発で爆発し、周囲の建物や人が損壊、怪我をした。
魔術で作りだしたという『人造悪魔』が脱走して、都市を騒がせる大捕り物にまで発展した。
よく学生を浚って魔術実験のモルモットにする――例えば俺とか。
これでもほんの一部だし、俺の知っている限りでも彼女の起こした事件の数は、10や20じゃ下らない。小さな騒動を加えると3桁に届くだろうか。
故に、不吉。故に、最凶。
そんな、リーシャ会長とは別の意味で出会いたくないその人が、まさに魔術の力で俺の前に浮かんでいる。
「もう鬼ごっこは終わりよ、レイド君? 大丈夫、怖くないわ。むしろちょっと気持ちいいわよ?」
「鬼はみんなそう言います!」
俺は樹から飛び降りる。
しかし、そのまま地面に激突すると痛いので、ちょいと小細工。
「《舞い上がる風。それは落ちてくるものを優しく受け止める。広がる空気の層はまるで花のよう》『風花』」
俺は、風系統の魔術を使って衝撃を殺し、無事に地面に着地する。
すぐさま大地を踏みしめ、加速の一歩を踏み込む瞬間、上を見た。
「つれないわね~。でも、それでこそレイド君かしら?」
相変わらず、見るものを引き寄せる妖艶な笑み。それは彼女が楽しんでいる証拠だ。
彼女いわく、それを見せるのは研究している時と、俺と一緒にいると時だけというが、それは光栄なのか否か。とりあえず迷惑なのは間違いないが。
さて、確かにそれは魅力的な笑みではあるが、今時点に至ってはそれより重要な事がある。
彼女がローブの内から出した、七色の液体が入っている試験管。それは、直下――俺のいる位置に落とされる。
迷わず踏み出される左足。その後には土煙もたたず、無駄なエネルギーが生じていない完璧な一歩。
綺麗なスタートを切ったその地点に起きたのは、しかし魔力の蹂躙だ。
地面に落ちた試験管が割れ、七色の液体が空気に触れた瞬間、そこを中心として、水が放射される。水によって散らされる光の雨は綺麗だが、もちろんそれだけでは終わらない。
その水が当たった大地が抉れ、木の枝が落ちる。高圧の水は、鉄をも切断する威力を持っているのだ。
ギリギリで範囲外に逃げた俺。しかし、水しぶきが俺の服の一部をはぎ取っており、少しぼろぼろの状態だ。
「あぶなっ! あぶなっ! 逃げ遅れていたら間違いなくお陀仏ですよレヴィナさん!」
「レイド君なら大丈夫よ~」
そう言ってポイポイ試験管を投げる悪魔のような彼女。いや、魔女は悪魔を使役するから、さらに上の存在か。魔王かなんかかこの女。
「熱い! 冷たい! 痛い! なんですかこれぇえ!!」
全速全開の俺。その後ろから感じる、焼けるような暑さ、凍るような冷たさ、突き刺さるような痛さ。レヴィナさんが投げた試験管が割れるごとに、火炎、氷雪、雷撃の爆発が起こる。
「試作中の魔導合液よ。7属性の魔力が練り込んであって、衝撃を与えるとランダムでどれかの属性の爆発が起きるの。名前は――『7色爆撃薬』ってところかしらね」
レヴィナさんは、箒で悠々と空を飛びながら解説を始める。
「本来、攻撃においてはランダム性は排除されるべきよ。けれど、そのランダム性を考慮しても余りあるメリットが、7属性の混合魔力にはあるのよ。さて、7属性――火、水、風、土、氷、雷、木――の中から1つの属性の爆撃が生まれるわけなのだけれど、生じなかった6属性の魔力はどこに行ったのかしら? 消えてなくなった? いいえ、違うわ。火は木によって燃え盛り、風は火の熱によって吹きすさぶ。このように連鎖的に強化されていって、最後に強化された属性が通常よりも高威力で放出されるの。この試験管程度の魔導合液で十分な爆撃を行えるのはそのおかげね。別属性の魔術によって別属性の魔術が強化されるのは“相生”と呼ばれて有名だけれど、それの応用といったところかしら。魔術という完成形を組み合わせるのではなく、その一歩手前の魔力を組み合わせるというのはまだまだ研究途上の分野だけれど、これを発展させていけば魔術師の課題の一つである燃費も解消できる可能性もあるわね。ただし、7色合成は手間がかかるし、偶然性も高いから、まずは2色、次に3色と、簡単化できる理論を組み上げる必要があるのだけれど、そのためにも色々と実験を重ねていく必要があるかしらね、レイド君……って、あら?」
レヴィナさんが講釈を垂れながら試験管爆撃をしている間、俺は南方に進路を取って逃走していた。
喋りながらも攻撃するのはさすがだと思いながらも、しかし俺は手加減付きで捕捉できるほど甘くはないつもりだ。彼女が本気を出さないうちにできるだけ距離を稼いでいた。
しかし、それもここまでのようだ。
既に、『7色爆撃薬』での射程範囲外まで来ている俺を見て、レヴィナさんは詠った。
「《大気に散らばる風素。形を持たない元素は、しかし力によって花を形作られる。それは風の花。幾層にも重なる風は、渦を巻き、中心に無風、外周に暴風を生む――》」
唱えられる呪文。精霊魔術師や法術師と違い、声による呪文詠唱を省略できない魔術師相手には、今この瞬間攻めるのがセオリーだ。
けれど、彼女をよく知っている俺は、額に冷や汗が伝うのを感じた
それを振り払い、一歩でも前に進もうと足を踏み出した瞬間、背中から攻撃を食らった。
「……がっ!」
レヴィナさんの詠唱はまだ終わっておらず、試験管が投げられた形跡もない。
しかし俺の体は、不可視の暴力によって傷を負う。
裂傷、火傷、凍傷……手加減してくれているのか、大きな怪我ではないが、俺の体の動きは確かに鈍る。
そして、頭上の魔女は、呪文詠唱を口にしながら、またあの笑みを浮かべる。
絶体絶命のその時、地面に1つの影が差す。
直後、着地音。
とすっ、という、きわめて軽い音。
流れる紫色のロングストレート。
燃える紅と、凍える蒼。
「私のレイド君を、よくも虐めてくれたね。――レヴィナ!」
『最強』が来た。
「大丈夫かい、レイド君? まったく、この魔女は本当に遠慮というものを知らないからね。この破壊痕も誰が直すと思っているのやら」
彼女が指差した先にあるのは、地面が抉れ、木々が倒壊した、とても安らぎの空間とは言えない元庭園だった。それこそは『7色爆撃薬』の破壊の痕だ。
これら、学園における物損などを直すのは、生徒会執行部直下の修復部隊であり、俺もよくお世話になっている。いや、関係者がほんとにご迷惑をかけて申し訳ない。
さて、リーシャ会長が文句を言う先である、レヴィナさんはというと。
「《――幾重にも咲く花。その風撃にて、ただ一つの対象を切り刻め》『風花大乱』」
魔術の詠唱を完成させていた。
圧縮された空気でできたいくつもの風の花が集まり、それ自体で大きな花を形作る。
その中心は、リーシャ会長。
回転し始め、荒れ狂う竜巻のようになり始める風の花の中で、唯一無風のその場所に彼女がいる。
しかし、その場所は安全というわけではない。
だんだんと、中心に向かって範囲を狭めていく風の花。
今でさえ、俺の体が吹き飛ぶかと思うほどの風が、さらに密度を濃くし、その威力を高めていく。
最後の最後は、どれほどの威力になるのか想像もつかない。
対して、リーシャ会長。
彼女は、紫の髪を揺らし、悠然と立っていた。
その顔に焦りや恐怖はない。
ただ、両の手に持つ双剣の紅と蒼の輝きが増していた。
「私が現れて、焦ったんだね。本来、レイド君捕獲用として組んであった術式を無理やり攻撃に転用したからか、綻びが結構あるよ」
「……まったくね。もう少しでレイド君を捕まえられたのに。空気を読んでほしいわ、この駄目会長様?」
「悪辣な魔女を討伐する生徒会長。これ以上ない最高の舞台だと思うけどね」
「そんなアホな頭でよく生徒会長が名乗れたわね」
「そりゃ、君より強いからね」
その言葉とともに、刀身を合わせ、十字に構えられる双剣。
紅と蒼の輝きが合わさり、混ざり合い、紫色へと変化する。
そして、今まさに彼女を食らわんとする暴風の大花に向けて、紫の双剣を振りぬいた。
「『対魔圏』」
一瞬、眩いばかりの紫光に包まれ、次に見えた景色に、あの強大な魔術の姿は跡形もなかった。
きらきらと紫の燐光が散る中、傷一つないリーシャ会長を見て、レヴィナさんは苦い顔をしていた。
「相変わらず、嫌な技を使うわね」
「それはお互い様だろう」
リーシャ会長が双剣を振り、炎と氷の衝撃波を飛ばすも、レヴィナさんの手前で突然掻き消えてしまう。
それは、レヴィナさんの魔力結界だ。
高密度の魔力で練られているらしいそれは、常時発動かつ、魔力による攻撃の一切を通さないらしい。
ならば、先程魔術を消滅させた技を使えばいいと思うかもしれないが――、
「いい加減降りてきなよ。そこにいてもつまらないだろう?」
「いやよ~。攻撃が届かないヘタレ会長を見ているのは楽しいもの」
単純に射程が足りない。
空中に行く術を持たない会長にとって、今の衝撃波が唯一の対空攻撃らしい。
「まったく、やはり君とは相性が悪い」
「本当ね。貴女との相性は悪いわ」
一拍置いて。
「「だからこんなに倒したいのか!」」
『最強』と『最凶』の喧嘩が始まった。
魔術と剣戟の雨あられ。
互いが互いの攻撃を通さない術を持つという、決着のつかない喧嘩だ。
こうなった彼女たちを止める術はない。
ただ、その場を離れ、害を被らないようにするほかない。
だから――。
「じゃ、失礼しましたー」
俺は小声でそう言うと、寮の方向へと走り去った。
舗装された道路に、飲食店や娯楽施設などの店。商業区画ほどではないにしても、多くの人が行きかうそこは、天秤寮を中心として、この寮に住まう人が利用する極小規模な街――天秤街だ。
飲食店や娯楽施設、格闘場まであるその運営はもちろん学生によるものであり、主に通商科の学生が中心になりながら、多くの学科から希望者を募って一つの街として機能させている。
もちろん、先程通ってきた商業区画の方が様々な面で上回っているが、如何せん距離が遠い。
ちょっとしたものが欲しい場合や、軽く遊びたい場合などは、天秤寮の目と鼻の先にあるこの街に来た方が都合がいいのだ。
これらの街は12の寮それぞれにあり、さらにすべてが同じというわけでもなく各寮ごとに特色が見られる。
つまりは、寮に住んでいる人たちの性格が表れるということだが。
この天秤街の特徴は、バランスがとれているということだろうか。何かに偏っているということもなく、主要な施設が全般的に揃っている。
和風チックな雰囲気漂う双魚街や、格闘技場と教会施設が多数乱立する巨蟹街に比べれば、まったくもって普通というものだろう。
ある一点を除けば、だが。
街を歩く人々――つまりは天秤寮の住人を避け、跳び、踏み潰しながら爆走していると、ある建物が目に入る。
何の変哲もない白い建屋。しかし、その入り口には見たことのある修道服を着た美少女の写真が飾ってある。
『エヴァ・ハリストス・ファンクラブ本部~純真無垢なる聖女の神秘~』というその怪しい店は、文字通りエヴァ先輩を慕う人々が集う魔の巣窟だ。
これと似たようなものが、あと9つほどあり、そのメンバーはもちろん俺のよく知る美少女達だ。
天秤寮の最大の特徴とは、俺がいることだ。
つまりそれは、俺を追ってくる美少女達を近くで見ることが出来るということに他ならない。
去年、そのことに目を付けたとある通商科の馬鹿がファンクラブ施設の設立を宣言し、今現在、順調に機能しているという状況だ。聞いた話だと、天秤寮生の9割以上がいずれかのファンクラブに所属しているという。立案した馬鹿は儲けがウハウハらしい。
しかし、それだけならばまだ良かった。ダシにされているのは癪だが、俺に直接の被害はないからだ。
逆に、俺がいるおかげで美少女とお近づきになれるという得をしている天秤寮生は、俺に感謝している人も多い。
だが、そうじゃない奴らもいる。
「死ね! アリエス!!」
「地獄に落ちて生き返ってもう一遍地獄に落ちろ!」
「彼女欲しい彼女欲しい彼女欲しい彼女欲しい」
前と左右から攻撃が加えられる。
奴らは、手に持った剣を、俺の進行方向と逆側に向けて振り下ろす。言動の汚さとは裏腹にその剣戟は一切の曇りもなく、純粋な嫉妬に塗り固められたそれは単純に脅威だ。
しかし、
「その程度か!」
学園上位クラスの美少女と毎日追いかけっこをしている俺にとって、その程度の攻撃を避けることは容易い。
剣線を潜り抜け、一瞬で前面の敵の後ろに回って蹴りを放つ。そうして残りの2人を巻き込みつつ転がっていく馬鹿を無視して、俺は先に進む。
自らを『レイド・アリエス抹殺委員会』と名乗るその馬鹿どもも、この天秤寮の学生だ。ファンクラブに入っていない残りの1割弱がこのはた迷惑な組織に加入しており、その存在は秘匿されているが、この天秤街にその本部があるという。
生活圏内モロにそんな組織があるため、俺は割としょっちゅう襲われていたりする。
一度天秤街の運営幹部である俺の友人に文句を言ったところ、それはそれで面白いという理由で放置されたままだ。当然ボコボコにしたが、あの馬鹿は自分の体よりも面白さを選んだ。
そんなわけで、男からも女からも襲われるという日常を送っている俺であるが、本当に泣けてくる。
途中で襲撃者数人を躱しながら走ってきた俺は、あることを考えていた。
どうにも今日は勝手が違う。
いつもと変わらない美少女達からの逃亡であるはずなのに、違和感が拭えない。
最初にそれを感じたのは、ルサルカ先生が俺を見つけた時だ。
確かにこういったゲリラ戦のようなものでは優秀な人だが、流石に俺を発見するのが早すぎた。俺も馬鹿ではないから、遮蔽物の多い場所を通っており、そう簡単には見つからないはずだった。
なのに、あっさりと見つかった。あの時は彼女が優秀だからと思ったが、それを考慮してもおかしい気がする。
2回目が、リーシャ会長を発見した時。彼女は、俺の行き先を先回りしていた。それはつまり、商業区画をとばして来たということだ。
特に問題ないと思うかもしれないが、実はあまり考えられない行動だ。
彼女たち10人は、チームではない。2,3人で組むことはあるが、それ以外は基本的に敵同士だ。他の人に先に俺を捕まえられたらそこでアウト。他人が俺を連行するのを指をくわえてみているしかないわけだから、危険度の高い待ち伏せということはあまりないのだ。
しかし、彼女はそれをした。しかも、俺がそこにいると確信して、その範囲内を探すような感じであった。
最後、レヴィナさんに発見された時だ。
あの時は非常事態で余計な思考をしている暇はなかったが、今思うと普通におかしい。
木に登って身を隠すと同時に周囲を警戒していた俺に対し、傍にいきなり現れるというのは、どう考えても俺がそこにいると確信しているから出来たことだと思う。
結論。俺の居場所がばれていて、それが彼女らに伝えられていた。
しかし、当然であるが俺も全方位を警戒しながら走っていた。しかも、複雑かつ狭い道や人ごみの中を縫って走っていたから、尾行されていたとしても付いてくるだけで大変なはずだ。
それら一切が問題なかったとすると、考えられるのは――。
「上か!」
見上げた直上。そこには、長い金髪の美少女がいた。一見普通の弓矢を持った美少女だが、その背中には一対の白い羽がある。
羽ばたきもなく空に浮かびながら、彼女はこちらを見て笑っているように見えた。
次に、頭の中に声が響いてくる。
(いやははは。ついに見つかってしまいましたかー。さっすが、レイドさんですね。残念無念ですよ!)
(そう言っている割には、全然残念そうじゃない口調だな、イリアス)
透き通るような声に軽薄な口調の彼女の名は、イリアス・ヴェール。
昨年の暮れ、突如『ソフィア』に転入してきた自称天使の阿保だ。ちなみに3年ではあるが、まったく敬意を払う気にはなれないので普通に呼び捨てである。
(ほかの方々とイチャイチャくんずほぐれつしているのを見ているだけっていうのは、確かに楽しいですが、それ以上にもやもやしますからねー。わたし、もうそろそろ我慢の限界だったりしちゃったわけですのです)
(なら、降りてきても構わないんだぞ)
(いえいえ、空と地上で仲良く事を致すっていうのもなかなか乙じゃないですか!)
(ごめん、何を言っているのかわからない)
と、阿保な会話をしているが、その距離はそこそこ離れており、普通に会話が成立するはずはない。
ならばというと、これがイリアスの能力である『精神感応』だ。
彼女と他者の間に魔力のラインを構築し、その間で意思の疎通が出来る能力だと聞いている。これで、ほかの女の子たちに俺の位置情報を送っていたのだろう。
さらに応用として、受信のみのラインを構築して対象者の思考を表面的にだが読むことが出来るらしい。それで俺が上空を警戒するタイミングを察知して視界に隠れていたのだろうから、随分と厄介な話である。
しかし、俺自身、空からの偵察の可能性は捨てずに、屋根のある場所も通っていたりしたのだが、それでもイリアスを撒けなかったということは――。
(ルーンと手を組みやがったか)
(そのとぉーり! ルーンさんから送られてくるレイドさんの位置予測情報をもとに追跡したので、レイドさんを見失うことはなかったというわけなんですよん。さっすがですよねー、彼彼女?)
俺ら2人の話に出てくるのは、策謀科3年、ルーン・アストルム。
イリアスが“彼彼女”と呼称するのも納得なほど可愛い容姿をしている男の娘である。
『最恐』と呼ばれるその頭脳によって、イリアスは俺を追ってきたというわけだが……実際問題、それだけではない気がする。
そもそも、戦闘能力がない人だから、俺の行動予測は出来ても捕獲することは出来ない。だから、基本的には誰かと手を組むか、大掛かりな作戦で俺の退路を潰すかを選ぶ。
今回は、割と仲の良いらしいイリアスと手を組んだ……というだけでなく、恐らく追手の美少女全員と手を組んでいる。少なくとも情報提供はしているはずだ。
つまるところ、大規模作戦。
イリアスに俺の位置予測を提供して、そのイリアスが実際に俺を追跡し、『精神感応』でほかの少女たちに確定位置情報を送付。その上で、リーシャ会長など、数人の動きを調整して俺を誘導。さらに、リーンベル他幾人かの姿が見えないこの状況。そして、俺の思考を読んで隠れていたイリアスがあっさり発見されたという事実。これらが意味するものはつまり……。
(私の前で考え事に耽るたぁ、随分と余裕綽々ですね、レイドさん!)
その言葉に、思考の海に入りかけていた意識を目の前に戻す。
そこには、一対の白翼を広げたイリアスがいた。
俺はそれを見て、足を数度動かし、地面の感触を確かめる。
――戦闘開始だ。