第4話 「1対10の鬼ごっこ 前篇」
「くそったれえええぇぇぇ――――――!!」
俺は、全速力で逃げていた。もちろん、10人の美少女から。
たくさんの女の子に言い寄られる俺は、傍から見れば羨ましくて仕方がないのかもしれないが、冗談じゃない。ハーレムなんて、くそくらえだ。
追いかけられて羨ましい? ――毎日死ぬような目にあっているのに?
一遍変わってみるか? ――間違いなく五体満足じゃいられないぞ?
ただでさえ1対10であるのに、その女の子全てがこの学園内で有数の実力者たちだ。俺が全速力で走ってるのに、全然撒ける気がしないどころか、どんどん追いつめられているような気さえする。
狭い校舎内から広い校庭に出て、数の利を十分に発揮できるようになった向こう陣営。
先手として、緋色の髪に勝気なつり目、スレンダーな体形で、男だけではなく女性からの人気も高い少女が出てきた。
「いい加減に大人しく捕まりなさいよレイド!」
彼女が手を振るたびに、俺の手前の地面や地面や地面が破壊されていく。校庭の端っこで運動部員が涙を流している気がするが、気にしている余裕はないので強く生きろ。
その環境破壊な能力を使う少女は、軍事国家であるニーベルン帝国の将軍の娘であり、名を、エルザ・ファーフナーという。『衝撃』という固有能力を持った彼女は、触れることなく物体を破壊することが出来る。
人体に使わないというか使えないのは、俺にとっての幸運で、物体たちには不幸であろうか。
「大人しくしてほしいならまず『衝撃』を使うんじゃない! そんなもん使われたら誰だって逃げんだろ!」
「うるさいわね! レイドはどうやったって逃げるんだから、力尽くぐらいがちょうどいいのよ!」
「よくわかってんじゃないか」
「だ、誰がアンタのことを隅々まで知っているのよ、この変態!」
その言葉とともに、俺の足元の地面が大きく弾ける。
範囲は俺の一歩よりも広く、タイミングは足を地に着けようとした瞬間。
「あっぶねえ!」
接地の瞬間に体を縮め、隆起した地面に足をのせて跳躍し、何とか地割れを回避する。けれど、体勢は崩れ、足が一瞬止まってしまう。
そして、その一瞬が命取りだ。
「ベル!」
エルザの声の先にいるのは、火をちらつかせた精霊魔術師、リーンベル=エリシア・ロビングッドフェロウ=アルビオン。
彼女が、言葉を紡ぐ。
「《火の精霊は遊び相手を離さない》 ……これで逃げられないのですよ、レイド様」
“精霊魔術師”は、通常の魔術師とは違い、精霊を使役することによって魔術を行使する。『言霊』と呼ばれる魔力を込めた言葉で精霊に語り掛けることによって魔術を発動するのだが、リーンベル程の実力があれば『言霊』なしに精霊に働きかけることが可能だ。
ならば何故、今『言霊』を発したのだろうか? ――答えは簡単。そちらの方が威力が高いからだ。
その魔術の効力は、炎の檻をつくること。
俺の周りには帯状になった炎が幾重にも重なり、渦巻いており、俺の動きを封じる。無理に出ようとしても大火傷間違いなしで、その状態で逃げ切れるほど美少女は甘くない。
そして、その状況から止めを撃とうと、黒髪の少女が動いた。
彼女は十数メートルほどの距離を一瞬で移動し、峰を向けた刀を構えなおす。
東方伝来の剣士、トウジョウ・イズミ。光りに反射して煌めく黒髪を結ってポニーテールにしている彼女は、俺に死刑宣告をする。
「……これで終わりだ、レイド。……なに、少し痛いだけだからな。あとで優しく看病してやろう」
腰を低くして横一文字。炎の檻の隙間を通り抜け、狙うは俺の脚。移動力をつぶして拘束する気だろう。峰打ちのため斬られることはないが、その剣速から察するに、骨は逝くかもしれない。
そんなのは御免だ、だから――、
「あとでじゃなくて今優しくしてくれよ?」
上方に跳躍し、足を縮めて刀を躱そうとする。刀を跳ね上げ、向こうも剣戟を当てようとしてくるが、甘い。
「……!」
上を向いて打ち上げられた峰に足をのせ、イズミの膂力と俺の跳躍力を合わせて、大きく弧を描いて、遠くまで跳ぶ。
「あっちちちち!!」
脱出成功だ。
少しばかり火傷したが、猛スピードで通り抜けたためそこまで傷は深くない。
彼女ら3人はほんの少し固まっているが、その後ろから第2陣、第3陣が追いかけてきているのだ。さっさとこの場を離れる。
「逃げる! 脱兎のごとく!!」
そして、校庭を抜けた俺は、人で混雑する、学園都市国家『ソフィア』商業区画へと入ったのだった。
……俺は今、商業区画の中でも人目に付き難い裏路地を走っている。
人が多い商業区画では流石にむやみやたらと攻撃は出来ないようで、また、行きかう人の流れに遮られるということもあり、俺は何とかハーレムを撒くことに成功した。
けれど、再度発見されないに越したことはないので、見つかりにくい道を選んで逃走しているわけだ。
目的地は俺の住む天秤寮。男子寮であるそこは女人禁制。いかなる理由であろうとも女性は侵入できないので、そこまでたどり着けば一安心だ。
「けれどそこまでにいくつもの障害がある、と」
10人全員厄介なのだが、特に気を付けなければならないのが4人。
『最凶の魔女』、『最恐の戦略家』、『最強の生徒会長』、そして――、
「『全滅教師』ルサルカ・アルヴィズ!」
「先生を呼び捨てだなんて、感心しないわね、アリエス君」
次の瞬間、俺の脚は大地から離れ、天地が逆転する。
逆さまに見上げる先に見えるのは、すらっとした細い脚、一切の無駄がない細身の体、そして、編み込まれた金髪によって空気に晒されている――尖った耳。
透き通るように綺麗な顔を含め、まさに物語に出てくるエルフそのものといった容貌の彼女が、学園都市国家『ソフィア』でいくつかの授業を担当する教師。『全滅教師』ルサルカ・アルヴィズだ。
「さすが先生。俺の進む道を先回りしてトラップを仕掛けるとは。元Sランク冒険者は伊達じゃないですね」
「ええ、まあ、そうね。アリエス君すばしっこいから、なかなか罠にかけるの難しかったのよ? それ、11個目でようやくだしね」
苦笑いしながらそう言う彼女だが、ずっと前から監視されていただろうことに気付けなかったことが十分怖い。流石超一流の斥候といったところだろうか。というか、忍者かなんかじゃないのか?
「で、俺を捕まえてどうするつもりなんですか? 煮ます? 焼きます?」
「そうね、とりあえず私の部屋に連れていくけど……食べる前の準備という意味じゃあ、似たようなことね」
「なるほど、調理器具はそのまな板ですかね」
瞬間、俺の頬をナイフが掠める。
体と首をひねって後ろを見てみると、何やら床に穴が開いている。どうやら、投げナイフが貫通した痕のようだ。どんな威力だ。
「何か言いました、アリエス君?」
「イイエ、ナンデモアリマセン」
顔面にピアス穴は要らないので、素直に謝る。
けれどこの教師、からかい甲斐があるのだ。
今もよくよく見てみると、エルフ耳がほんのりピンク色になっている。さっき少しエロいことを言ったせいで、照れているのだ。
それに、胸が絶壁なことも気にしているようで、俺の視線と自分の胸を交互に見て、眉を顰めたり胸を凝視したり巨乳に恨み言を呟いていたり俺に見られていることを意識してまた耳を赤らめたりしている。処女か、この結婚適齢期過ぎた女。
と、いろいろ問題のある教師だが、その実力は本物だ。
さっきからぶらぶらと揺らしながら足の結び目を見ているが、頑丈かつ複雑な結び方をしてあって、どうにも解ける気がしない。
今も服の中から何やら道具を取り出しているようで、にやにやと笑うその姿は恐ろしキモイ。
本当に何をされるんだ、俺?
独身女の狂気を身に染みて感じながら、どうにかこの状況から脱せないかを考える。
「……よっし」
覚悟は決めた。賭けに出る。
耳を染めて一人の世界に入っているルサルカ先生に目を向けて――識別眼。
ルサルカ・アルヴィズ
29歳
162cm 72・55・78
ノルド王国のはずれにある『アルヴの森』というエルフの集落の出身。元Sランク冒険者であり、有能な斥候であったが、事情により冒険者を引退し、現在は『ソフィア』の教師をしている。担当は“冒険学”、“短剣術”、“罠技術”など。
非常に綺麗な容姿をしているのだが、冒険者業にかまけて結婚はおろか恋人すらいたことがなく、学園でも人気があるのだが、どう異性と接していいのかわからず、いまだ独り身で、この先結婚できるかも怪しい。希望はレイド。
なお、性的な知識は豊富だが、実戦経験は皆無であったが、先日とある筋からバイブのようなものを購入したようで、どう使うべきか迷っているらしい。
実はこの識別眼、使うたびに情報が更新されていっており、特に最後の行にはどうでもいいことが書かれていたりする。……で、たまに面白い情報があるのだが、これはまさにそれだ。
さて、行動に移る。
「ルサルカ先生」
「何、アリエス君? とうとう婚姻届けに判を押してくれる気になったのね?」
「いいえ、先生。俺にその気は全く一切微塵も先生の胸ほどもありません」
はらりと、俺の髪の毛が数本落ちるのがわかる。
目で追えないほどの速さでナイフを投げられたようだ。
「……教育的指導が必要のようですね」
「それは、先生秘蔵の振動する玩具でですか?」
「な――!?」
にを、と言葉を続けさせる間もないうちに、追い打ちをかける。
ここが、正念場だ。
「知っていますよ。先生が大人のおもちゃを購入したことを。……いえ、先生は十分な――十分すぎるほどに大人なのですから、別に悪いことではないのですが」
「ア、リエスく……」
「ですが――それで夜な夜な、何をしているのでしょうね? 俺、気になりますよ」
「う、あ」
頭の中で渦巻く怒りと照れ。それが何に対して、どういったものなのかは知らないが、渦巻き、押し上げられ、増幅し――そして、暴発する。
「いやぁあああああ―――――――――!!」
投げられる、ナイフの嵐。
四方八方、見境なく飛びゆく銀の刃は、壁に突き刺さり、地面を抉り、飛ぶ鳥をも落とす。
それはもちろん俺にも襲い掛かり、体を揺らしてできる限り避けてはいるが、かすり傷は多く、1本は俺の脇腹を抉るほどまでだ。
しかし――俺は賭けに勝った。
「よっし、足首の縄が切れた!」
自由落下する身体を捻って、足から着地した俺は、足の調子を確かめるために数度跳躍し、それほど問題がないことを確かめる。
「それじゃ、ルサルカ先生」
「あう?」
「次は授業で会いましょう!」
ナイフを投げ切り、放心状態の彼女を放置し、俺は路地裏を先に進むのだった。
路地裏を抜け、商業区画の大通りを進む俺。できれば人目に付くところは避けたかったが、ここを通らなければ大きく遠回りになってしまう場所のため、十分周囲を警戒しながら、人の間を縫って高速で走り抜ける。
けれど、ようやく出口が見えてきたか、というところで、発見された。
「レイド、発見じゃ!」
「ようやく見つけましたよぅー!」
そこには、猛スピードで走る少女とその背中におぶさっている少女の2人がいた。
俺はそれを視界に入れると同時に、足の回転速度を上げ、逃亡を図る。
「はっはっは、逃がさんぞ、レイド!」
向こうもスピードを上げたのが感覚でわかる。けれど、この人ごみの中、人一人を背負って俺と同じくらいの速さなど、信じられない。
隙だとわかっていながら後ろを振り向く。
「はっはっは、どけどけどけーい!」
「とおりますよーぅ。危ないですよーぅ」
通行人を蹴散らしながら突っ走っていた。確かに、彼女ならば人との衝突を意に介さないだけの防御力と突破力があるし、いくらスムーズに避けているとはいえ多少なりとも曲がりながら走っている俺と同じくらいの速さなのも頷ける。
それにしても酷いが。
「よし、そろそろ射程圏内じゃろ。やってしまえ、エヴァ!」
「了解ですぅ。《断罪の壁と向き合う時、人は立ち止まり己を見つめ返す》。『断壁』!」
青みがかった銀髪に前髪ぱっつんの少女は、祈りをささげるように手を合わる。他人の背中におぶさっている状態で、しかも高速で動いているにもかかわらず、空気抵抗ではためく修道服の彼女は、見る者の目を釘付けにしてしまう程に綺麗だ。
しかし、その見た目とは裏腹に、俺としては大変ピンチだ。
彼女――エヴァ・ハリストスは、法術と呼ばれる術を使う。
では、法術とは何か。
一般的に僧侶と言えばヒールとかの回復呪文を思い浮かべるだろうが、この世界にそんな便利なものはない。エヴァ先輩の治癒能力が特異にして特別だ。
その代わりに、この世界の僧侶と呼べる人たちは、法術を使う。
その主な能力は、結界と退魔、それに付与だ。
それぞれ、文字通り、結界をつくること、悪霊を退治すること、能力を上げることを意味する。この3つと細かいその他を総称して法術といい、たいていの法術師はこの3つのどれかの使い手だ。
そして、エヴァ先輩は結界術師。今の術の効果は――、
「でっかい壁が現れるってか!」
大通りのど真ん中。俺の進行方向、目の前に半透明な壁が現れた。
この場から逃げようとしていた人が何人か、壁に真正面から激突する。
「どうじゃレイド。そのまま壁に激突するのじゃ!」
「それ、私のセリフですよぅ」
しかし、俺も伊達に何度も何度も逃げまくってきたわけではない。
壁に激突する直前、その進行方向を直角に切り替える。
「レイド君ならそうくると思ってましたぁー。『断壁・重』」
さらに、その正面方向にも壁が現れる。しかも、祈り破棄したのにもかかわらず、先程と変わらない大きさだ。
「くっそ!」
身体を捻り、関節という関節が悲鳴を上げながら、何とかさらに直角に曲がる。
しかし、その方向の先にいるのは――、息を大きく吸っている漆黒の美少女だ。
黒髪をまとめ上げシニョンとし、黒いチャイナ服で褐色肌の肉体を包み、金色の瞳だけが夜の色を照らす少女。その身を武器とする武闘家、リュウ・ユエイン。
彼女の正体は龍であり、人ならざる力を使うものだ。
そして、その一つが今まさに俺に向けられている。
「逃げ場はないじゃろ、レイド。少しばかり脳みそが揺れるだけじゃから、まぁ大人しく食らっとくのじゃ!」
『龍の咆哮』。
平たく言えば、大声を出すということだが――、
「GYAAaaaaaah―――――――」
龍人の口から出るその声は、空気を揺らし、三半規管を狂わせ、直撃すれば脳が揺れて気絶するだろう。
後ろには壁、横にも壁。逃げ場はない。なら、前に行くしかないだろう。
急な方向転換でいくらかスピードは落ちてしまったが、ユエを真正面に迎え、前へと突っ走る。
「……ぐっ」
しかし、ある程度近づいたところで咆哮が俺に掠ったようで、バランスを崩してよろめいてしまった。
けれど、不味いかと思ったが、揺れる視界の端にいいものを見つけた。
「おりゃあ!」
「うわあああーーー!?」
それは、逃げることを諦めて蹲っていた男子学生だ。
空気の振動ならば、俺の手前に物体を置けばある程度は軽減できるはずだと踏んで、その男子生徒を投げた。
「あううあ、―――」
結果は成功。少しばかりくらくらするが、咆哮を終えたユエの許に肉薄することが出来た。そして、俺は彼女を狙って手を伸ばすが、ユエは楽しそうに口もとを歪める。
「甘いの、レイド! Ghaah―――――」
1発目とほとんど間を置かずに、2発目の咆哮。その範囲は1発目と比べ、非常に短いが、だからこそノータイムで撃つことが出来たのだろう。
そして、この距離まで近づいた俺にそれを避ける術はない。
――なら、避けなければいい。
「それを待ってたぜ、ユエ!」
「な!?」
「ふえぇええ!?」
俺の伸ばした手の先は、ユエではなく、エヴァ先輩だ。
その胸倉をがっちりと掴み、その場所をユエの背中から、俺とユエの間へと移動させる。
その場所はつまり――『龍の咆哮』の射程範囲内だ。
そして範囲を絞った咆哮は少なからず威力も落ちているようだから、先輩ですべての咆哮が受け止められ、俺にダメージは来ない。
「あいた!? うう、ぅ、――」
けれど、至近距離から撃たれた彼女の意識は吹っ飛ぶだろう。
ということは、だ。
「な、しまったのじゃ!」
エヴァ先輩の構築した結界はその効果を無くし、消える。
そして、その光景を計画していたものと、想定外だったものの反応は僅かながら決定的に差が出来る。
「じゃ、ユエ。先輩に謝っといてくれー」
力強く大地を蹴った俺は、ユエが追いかけるよりも早く、何の騒ぎかと集まってきていた野次馬の中を通り抜け、商業区画を後にした。
ゴールである天秤寮までの道程は、あと半分だ。
余談ですが、リュウ・ユエインは漢字で書くと、流・月影となります。