第11話 「戦場を変えて戦術は奇襲」
木造建築の独特な匂いに包まれる。
所々老朽化の色が見えているものの、綺麗に掃除がされているのかあまり汚いという印象は抱かない第3旧校舎内。
音を聞く限り、いくつかの授業が行われているのだが、その数は少なく、空き教室が多い。
その中の1つ。3階南側の空き教室に、俺と、黒髪の執事然とした少年はいた。
格好としては、俺が椅子を並べた即席ベッドに横たわり、少年がその傍に立っているような感じだ。これは体力を回復するためであって俺がだらしないというわけではないのであしからず。
「さて、何から聞けばいいもんかな」
先程、シャルロット嬢の魔術にやられそうになっていた俺を助けてくれたのが彼だ。
その後、何やら彼女と親しげに会話をしている彼に対して、どういうことかと説明を求めたら、とりあえず態勢を立て直してからと言われ、俺たちはこの第3旧校舎まで逃げてきた。
致命傷は受けていなかったとはいえ、それなりに負傷をしていた俺の体力を回復させるのに少しの時間を要した。しかし、十分とは言えないが大丈夫な程度には体力が回復したので、俺と彼で、状況の整理を始めた。
俺と彼、両方が知っている事実として、一つ目、シャルロット嬢がリーシャ会長に告って、しかし会長が俺にブン投げてきたこと。二つ目、シャルロット嬢と俺が『ソフィア』を舞台として戦闘を行っていること。三つめ、シャルロット嬢が厄介であること。四つ目、金髪縦ロール。
以上が、共通の事実だ。
そして、これからそれらの事実をもとにしたシャルロット嬢への対策会議に入る。
簡単に言えば、あのお姫様をどうやって落ち着かせるか、ということだ。
共通の事実を元に、互いしか知らない情報をすり合わせ、意見を出し合い、骨組みを作り、対策を肉付けしていく――と、その前に。
「自己紹介をしよう」
「俺の名前は、レイド・アリエス。普通科二年だ。趣味は逃走で特技は逃亡。いたって普通の常識人だが、周りの変人のせいで厄介ごとに巻き込まれている。その点で、この学園内じゃそこそこ有名だな。よろしく」
人に名を尋ねるときはまず自分から。
俺は簡単にそう言って、最後、親近感を出すためにスマイル0円。反応を見る限り不評だ。
「俺は今年格闘科に入学した、ジル・R・デュランダルです。あの姫様の執事やってます。主な仕事は姫様の子守なんですが、アリエス様に迷惑をかけて本当に申し訳ないです」
そう言って頭を下げる、黒髪執事ことデュランダル。
俺は、まぁ気にすんな、慣れているから……、と言いながら『識別眼』を発動する。
ジル・楼蘭・デュランダル
16歳
ガリア王国第二王女の専属執事。
幼い頃からシャルロットに仕え、普段は軽く扱っているものの、その忠義は本物。両腕に残る傷の痕は、かつて自らの主を守るために負ったもの。その後遺症で両腕の感覚が鈍くなっているが、本人はそれを誇りに思っている。
『ソフィア』では格闘科に所属。脚技しか使えないが、本気のシャルロットと戦闘できる程度の実力はある。
嘘をついていないかどうか確かめるための『識別眼』だったが、思いのほか、面白い情報も見られた。
“楼蘭”ということは、イズミやユエと同じように東方系なのだろう。黒髪でもあるし、改めてみると少し童顔っぽいのでなんか納得。
過去に何があったかっていうのは、気にならなくもないけど、それ以上に、両腕が使えない状態でシャルロット嬢と戦えるという方が目を引く。
むしろ、蹴り技に特化しているからこそという考えも浮かぶが、どちらにしろ俺より強いだろう。……逃げることなら負けないぞ、俺も。言ってて悲しくなった。
「あ、そうだ。アリエス“様”ってのさ、なんとなくこそばゆいから、やめてくれる?」
割とどうでもいいことだが、“様”付けで呼ばれるのは、違和感がある。というか、可愛いメイドとか、女の子に呼ばれるのならまだしも、男に呼ばれて喜ぶ趣味はない。
そういう意味では、リーンベルに呼ばれるのは、こそばゆいと同時にくすぐったいとでも言えるだろうか。まぁ、あれはやめてくれと言っても聞き入れないからすでに諦めているんだけど。
一部例外は除いて、様付けされたくないっていうのは、多分、昔からだな。実家にいた使用人たちからそう呼ばれるのもなんか嫌だったし。……一人、呼ばれても違和感がなかった人もいたけど。
「そうですか? ……まぁ、俺も敬語使うのは疲れるんで、そっちの方がありがたいですわ。――アリエス。これでいいですかね?」
とたん、適当な敬語で話し始めるデュランダル。どうも、こちらの方が素のようだ。
俺は彼に、オーケー、と返し、真面目っぽい顔に切り替えて、質問をする。
「俺を助けてくれたのは、そのシャルロット嬢のお守りに関することか?」
「あ、その通りです。姫様が誰かに重傷を負わせると、後で色々面倒なんで。それに加えて、アリエスが使えそうだからって理由もありますが」
「面倒って、そうじゃなければ彼女が誰かを襲ってもいいのかよ……」
「俺としては別にどうでもいいんですが、まぁ、姫様の教育的にはよくないんで、やっぱ止めますかね」
「お前は彼女のお母さんか何かか?」
「やめてください。半分自覚してるんで」
デュランダルが諦め半分、達観半分でそう言う。もう駄目じゃないですかね。
ともあれ、本題に戻る。
「使えるって、なんに使えるんだ? 俺を拉致った時も、似たようなこと言ってたけど」
打算がある、だったか。忘れた。
共通の目標を“シャルロットを落ち着かせること”とした時点で、なんとなく想像はつくが。
「はっきり言えば、アリエスが犠牲になってそれで終わり、姫様も落ち着く――ってなるんだったら、アリエスは見殺しにしてたんですよ。あとで姫様を思いっきり叱るだけなんで」
「さらっとヒデエ。ていうか叱るって何、おしりぺんぺんでもすんの?」
「耐久正座4時間のちにケツにタイキックぶち込みます。ですが今回は、アリエスの死亡は生徒会長との戦闘の前提条件なんで、放置すると余計めんど……厄介なことになるんですよね」
俺もそれには同意する。
リーシャ会長は、なんだかんだで派手好きの祭り好きだから、会長の座をかけての勝負なんてものは、絶対大事になるに決まっている。
彼がそのことを知っているかどうかはわからないが、そうでなくとも、一国の王女が入学式でやらかしたうえで、生徒会長と戦闘となるのは不味いのだろう。そこを、前哨戦である俺で止められたならば、ただの頭の痛い娘で終わるということか。それも酷いが。
「姫様相手の立ち回りを見て、アリエスがそこそこ強いってことがわかったんで、それなら俺が助勢して、姫様を大人しくさせられればいいかと思った次第です」
「なるほどね。打算っていうのはそういうことか。……デュランダルだけじゃ、シャルロット嬢には勝てないのか?」
「勝てないんですよね、それが。あの姫様、無駄に強いんで。……と、次はこっちが質問します。アリエスが、姫様と戦って得た印象を教えてください。姫様の手の内をどの程度分かっているのか知りたいんで」
それを聞いて、脳裏に思い浮かべるものがある。
シャルロット・ヴァロワ=ポワソン
15歳
162cm 88・58・86g
ガリア王国第二王女。
学園都市国家『ソフィア』の魔術科1年生。華麗な容姿と豊満なスタイルで、入学式の前から男子学生の注目を浴びている期待の美少女。金髪縦ロール。
戦闘スタイルは“機動魔術師”と呼ばれるもので、一般的な魔術師とは一線を書く戦闘をする。主に使用するのは土系統の魔術。機動魔術師の特徴として、詠唱が短いのだが、独自の『連繋魔術』により、さらに短い魔術詠唱を可能とする。
大国の姫、魔術師、豊満なスタイルと、リーンベルとキャラが被っているのを気にしている。差別化の金髪縦ロール。
表面的なことしかわからないのが『識別眼』の欠点だよな、と思いながら、先程闘った印象とこの情報を交え、俺なりの解釈をデュランダルに話す。
「機動魔術師と呼ばれるスタイルで、軽快な立ち回りと、短詠唱魔術や補助魔術を組み合わせて相手を追い詰めていく感じの戦い方。土系統の魔術を使い、追尾や螺旋回転、地形変動も使用することから、魔術そのものの錬度も高いことがわかる。また、魔術師の癖に身体能力も高く、格闘の心得もあると思われる。そして、これはかなり推測が入るのだが、すでに発動した魔術を媒介にして、極短詠唱の魔術を発動できるのだろう。総合的に見て、この学園の上位陣と普通に渡り合えるほどの実力を持っていると思う」
割と勢いでの説明であったため、あまり整理されていない内容であるが、大体こんなものだと思う。
さて、自分の分析を確かめながら話した先、デュランダルはと言うと、呆けたように口を開けている。どことなく勝った気分。
数度瞬きした後、先程までの気だるげな表情に戻った彼は、俺の言葉を自分の中で噛み砕くためか、僅かな空白を挟み、そして口を開く。
「なるほど、これが『最狂』レイド・アリエスっつーことですか。……一回の戦闘で姫様の手の内の半分以上がばれるとは。執事の俺としても驚きですね」
「よせやい。褒めても何も出ないぜ。飴食べる?」
「いただきます。……って、甘! めちゃくちゃ甘っ!!」
レヴィナさん特製。『よくわからない飴』。魔力を回復させる飴をつくろうとしたものの、配合を間違えて失敗。成分不明のよくわからない飴が出来たので、俺に押し付けられ――貰い受けた次第だ。臨床実験のデータが集まって助かる。ちなみに、俺が食べさせられたときはバオバブの味がした。
「そう言えば、1つ聞きたいことがあるんだけどさ」
「スルーしますか、俺を!」
「シャルロット嬢の魔術で爆発四散しそうだった俺を助けてくれたの、あれ、どういう仕組みだったんだ?」
「ああ、あれはですね……」
表情をすっと変え、話し始めるデュランダル。コイツも大概切り替えが早いようだ。あのお姫様の執事ということならば、なんとなく納得だが。
「アリエスも使っている、歩法の一種ですよ。『幽闇無形』という業です」
魔力を用いた技術を“業”といい、歩法とは、その内、移動に関するものを言う。
俺の使う『疾風』は風属性の歩法で、イズミなんかも、水の歩法『水月』を使う。
デュランダルの『幽闇無形』も、何らかの属性の魔力を使った業だろう。字面から、多分闇だろうか。
「その能力は、まぁ、詳細は省きますけど、物体をすり抜けて移動できるってところで憶えておいてください」
「なるほどね。それで石柱群をすり抜けて俺のとこまで来てくれた、ってことか」
「ちなみに、アリエスを連れてここまで来たのは『闇行』という歩法で、こっちは、体を闇に包んで視認できなくするものですね」
闇、というものは光を通さない。それはつまり、視界に入る光情報を遮断するということなのだろう。デュランダルの言い方だと、どうやら視覚以外の情報は遮断できないようだが、それでも結構応用とかも効きそうだ。ていうかめっちゃ欲しいです、逃げるために。
「今度はこっちが質問、いいですか?」
お互いに、知らない情報、知りたい情報がたくさんある。
シャルロット嬢という、いろんな意味で強大な敵を打倒するためには、生半可な連携では太刀打ちできないだろう。けれど、お互いに模擬戦なんかをして確かめ合っている余裕なんてものはない。
だから、言葉を交わしあう。
今できる限り、お互いの力を発揮させるために。
確実に、平常運転で暴走をするお姫様を倒すために。
俺たちは、窓の向こうにシャルロット嬢の姿が見えるまで、彼女への対策を話し合っていた。
俺がこの第三旧校舎を戦場に選んだ理由の一つは、通信塔が設置されていないということだ。
以前にミューズ先輩から聞いたところによると、第三旧校舎周辺に魔力の乱れがあるそうで、魔導通信がうまく機能しないようだ。それでも、通信塔を強化すれば魔導通信網を通せるらしいが、それなりのコストがかかるらしく、利用の少ない第三旧校舎ではコストに対する効果があまりないということで、通信塔の設置は見送られている。
つまり、ミューズ先輩らによるちょっかいは来ない。
シャルロット嬢も、外での魔導放送でここの位置はわかっただろうが、この建物に入ったならば、もう外からのアドバイスはない。俺らの位置がばれるということはないのだ。
しかし、こちらも魔導放送によるシャルロット嬢の情報がわからないということでもあるのだが、それに関しても特に問題はない。
彼女自体の情報はデュランダルからあらかた聞いているし、位置に関しても、校舎内という限られた範囲内では、いろいろ派手な彼女の場所はわかりやすいことだろう。それに、相手の位置がわからないことよりも、こちらの位置がわかってしまうことの方が不味い。
俺たちがやろうとしている戦い方に関しては、位置バレというのは致命傷だからだ。
唯一、不安な要素があるとすれば、俺たちがこの校舎に来てから彼女が来るまでの間に、魔導放送でどんなことが話されたかというのがわからないことだ。リーシャ会長のことだから、俺に対する情報をいくつか出している気がするけれど、まぁ、そこらへんは追々気にするか。
さて、シャルロット嬢に対しての戦い方だが、まず、真正面から立ち向かっても勝ち目はないだろう。火力が違いすぎる。
ならば、俺たちが彼女に勝っている部分は何だろうか。
それは速さだ。脚力だ。
だから、俺たちは、脚を使った戦いをする。
決してまともに戦闘をせず、入り組んだ構造の第三旧校舎を有効に使った戦術――ゲリラ戦だ。
だからこそ、目標であるシャルロット嬢を視界に捉えていても攻撃をしたりはしない。
目の前で、薄い砂塵を纏いながら悠然を歩く彼女は、一見隙があるように見えて、その実、周囲を警戒もしていない。
これは、商業区画で俺自身が逃げながら調べたことだ。彼女は基本的に猪突猛進で、わき道にそれたりはしない。というか、あまり動き回れない狭い場所は苦手なのか、大通りから離れることは少なかった。それに加えて、彼女が商業区画から庭園区画に出る際、何の躊躇もなかったことに関しても、言えることがある。障害物が多く狭い場所から、一気に開けた土地に出る場合、俺なら、周囲の確認をしてから出る。それがないということは、警戒をしていないということだ。
シャルロット嬢には隙が多い。しかし、それを裏返すと、たとえ不意打ちを食らったとしても、それに耐えきり、反撃をする地震があるということなのだろう。
事実そうだ。
生半可な攻撃はあの砂塵の防壁で防がれ、そうではないにしても勢いを殺される。彼女自身が身体強化をかけていることもあり、防御力は高いのだ。
だから、隙だらけに見えるにしても、むやみな攻撃はしない。
俺は、ひっそりと、別の場所から同じように彼女を見ているであろうデュランダルからの合図を待つ。
目の前のシャルロット嬢が十字路に差し掛かった。
右には階段、左には講義室、前を行けばそのまま廊下が続く。
ここで、右か左が選ばれたならば、今回の奇襲作戦は失敗、また新たな作戦を練らねばならない。だが、あまり時間は使いたくない。彼女がこの第三旧校舎に慣れるほど勝機は逃げていくのだ。
しかし、デュランダルによれば、それはあり得ないらしい。
姫様は、前を選ぶ。
それが彼女なのだと。
そして、事実――そうなった。
「きゃっ!? 足が……ジルですの!?」
シャルロット嬢が十字路を進んで数歩先、廊下の板が沈み込む。
俺が組んだ罠だ。ルサルカ先生直伝、簡易落とし穴。
シャルロット嬢の足がそれに嵌り、体勢を崩したところで、すぐ傍の空き教室で待機していたデュランダルが飛び出した。
それを合図として、俺も天井裏から出て廊下に立ち、シャルロット嬢を見据える。
ここからだと少し距離があるが、問題ないだろう。
俺は足に力を込め、走る。
――歩法『迅雷』。
雷の魔力を脚に纏い、雷鳴の如き速度で動く業だ。
途中で方向転換が出来ないのが難点だが、一瞬で最高速度に達し、道を一直線に走りぬく。
向こう、デュランダルの突撃に対し、シャルロット嬢が体勢を立て直して迎撃しようとするまでの間に、俺は傍までたどり着いた。
「今ですよ、アリエス!」
デュランダルの合図。それによって、シャルロット嬢は俺の存在に気付いた。
「そちらにもいましたのね! けれど、ジルへのお仕置きの邪魔はさせませんわよ!」
視線はデュランダルに向けられたまま、片手を俺に向ける彼女。
そして、その指にはめられている指輪のうち、1つが光り出す。
「果てなさい。『石槌』!」
今度は、呪文詠唱など一切なく、魔術が放たれる。本来ならあり得ない現象だ。
けれど、俺はその石の塊を、ギリギリ体に掠めながらも、何とか避けた。
これは、『待機魔術』と言われるものだ。
デュランダルから、シャルロット嬢がこれを使えると聞いたのだ。
それは、簡単に言えばすでに詠唱を完了させた魔術を待機状態にさせておき、後で魔術名を言えば即座に発動できるというもの。そのためには、魔導結晶と呼ばれる特殊な鉱物が必要であるし、基本的に低位の魔術しか出来ない。
けれど、そのデメリットを差っ引いても、ノータイムで魔術を放てるメリットというのは大きいと俺は思う。
というか、これに関して言えば、俺は以前から知識を持っていた。
ギルドに所属し、様々な依頼を受ける冒険者の中でも、高ランクの魔術師はこの『待機魔術』を習得しているとルサルカ先生から聞いた。確かに高火力の魔術をぶっ放すのが魔術師の仕事ではあるが、冒険者という職業の特性上、不意打ちを食らうことは多く、その対処のために必須のスキルなのだという。
なお、魔術結晶は、身に着けても邪魔ではないように指輪などの装飾品として加工することが多いようだが、それをつくるのにも結構な金額がかかるらしい。金銭的な面でも高位の冒険者しか身に着けられないようだ。
と、そんなわけで、結構レベルの高い技術である待機魔術を避けた俺に、流石のシャルロット嬢も意識を向け、驚いた。
「これを避けますの? あなた、ちょっとおかしくありませんの?」
バイオレンスなお姫様には言われたくない言葉だ。
さておき、攻撃も避けたことだし、ここから反撃に映りたいのだが、如何せん、武器も火力もないので、あの砂塵の防壁が破れない。
だから、俺の仕事――陽動は、ここまでだ。
「観念してください、姫様。――『剣脚』!」
シャルロット嬢の意識から外れた向こう。デュランダルが業を放つ。
斜めに打ち抜く蹴り。鋭く、研ぎ澄まされたそれは、打撃ではなく斬撃というにふさわしい。
彼は、戦闘において腕が使えない。
怪我によるものらしいが、それはともかく、腕が使えないということは、武器のほとんどが扱えないということだ。
発せる技は、蹴り技のみ。そんなデュランダルが生み出したのが、『剣脚』という、斬撃の威力を持った蹴り技だ。
彼曰く、“今の”シャルロット嬢の砂防壁ならば、この業で貫けるとのこと。
今の、というのがポイントで、それこそがこの旧校舎を戦場に選んだ理由の2つ目である。
この第3旧校舎は木造建築だ。
つまり、土やレンガなどは極力使っていない。
それは、土属性魔術師であるシャルロット嬢にとって、全力を出せない場所ということだ。
魔術師は、周囲の環境によって、多少なりとも左右される。
水属性魔術師は、水場での戦闘において、水を生成するために魔力を割かなくて良い。
火属性魔術師は、例えば霧なんかの中だと、空気が湿っているので火の勢いが弱くなる。
そして、土属性魔術師は、地面が傍にない状態では、地面に作用する魔術――例えば地割れとか――は使えないし、そのほかの魔術の威力も低くなる。
土属性魔術師にとって力の源となる“地面”というものがどこにでもある一方で、それがなくなってしまう状況では、他の魔術師以上に能力が下がってしまうのだ。
それは、戦闘中、彼女が常に纏っている砂嵐の防壁とて例外ではない。
デュランダル曰く、結構破るのが面倒というその防壁も、今の状況ならば容易くとはいかなくとも、一撃で破ることが出来るとのこと。
だから、デュランダルは撃った。
俺の作った隙で、彼女の壁を壊すための一撃を。
一線を描く蹴りは、流動する砂塵に吸い込まれるように当たり、かきん、という音がした。
まるで金属同士を打ち合わせたような音。脚と砂とでは、本来出る筈のない音だ。
その音が、俺の心に不安の影を落とす。
計画では、砂塵の防壁が破れた後、俺が『迅雷』を使って接敵し、シャルロット嬢の動きを拘束した後、デュランダルに止めを刺してもらうというものだった。
その通りに行けるかどうか、結果を見る。
デュランダルは蹴り抜いた足を戻しつつ構え直し、シャルロット嬢は口の端を歪めて言葉を紡ぐ。
砂塵は、相変わらずその場にあった。
デュランダルの蹴りによって歪められた一部は、弛まぬ流れにのみ込まれ、その形を戻していく。
「デュランダル!」
「わかってる!」
理由はわからない。だが、奇襲は失敗だ。
俺はデュランダルに声をかけ、撤退を促す。
だが、それを阻むものが当然いる。
「《――乱れ行く礫は弾け舞い散る》『石乱跳弾』!」
石の散弾が放たれた。
それは、ただの石弾ではない。
ばら撒かれた礫は、壁に当たるたびにその向きを変え、勢いを増して跳ねまわる。
どう見ても弾性係数が1を超えている気がするのだが、魔術に対して物理法則が息をしていないの。
ともあれ、この狭い廊下でこの魔術は危険極まりない。
不利なはずの状況を有効利用するとは、この姫様、戦術もそこそこやれるのか。何だか、野生のカンの様な気もするが。
「どうですの、ジル? 庶民? わたくしの華麗なる戦術に恐れ慄くがいいですわ!」
「調子乗るんじゃないですよ、姫様! つーか今畜生! 俺の蹴りを跳ね返すとか、あんな隠し玉があるなんて俺聞いてませんぜ!?」
「言ってませんもの。ジルをびっくりさせようと黙っていたのですが、見事に決まって最っ高ですわ!」
「ええい、この性悪が!」
俺がひょいひょいスーパーロックボールを避けている中、楽しそうに言い合いをする2人。つーか俺の名前憶えてなくない、シャルロット嬢?
まあいいけど、キレたジルが円弧の軌跡を描きながら蹴りを放った。
その足に触れた石弾は砕け散り、いくつもの小さな欠片となり、それが壁に当たってあちこちに跳ねる。不均一な形状故の乱反射だ。
その弾幕は、先程以上の脅威となってこちらにも襲い掛かる。
「おいデュランダル馬鹿ナニやってんだ挑発に乗ってどうする!」
「悪いアリエス! でもあの姫様は狙って挑発したんじゃなくてアレが素です。策に引っかかったワケじゃないからセーフ!」
「逃げんのが更にきつくなっている時点でアウトだよ!」
上下左右前後左右上上下下左右左右LRと、四方八方十六方から襲い掛かる石の雨霰を、何とかどうにか避ける俺。
けれど、それも限界が来つつある。デュランダルはまだ余裕があるようだが、避けきれない弾丸を蹴り壊すたびに弾幕が濃くなっているので、無理が来るのも時間の問題だろう。
弾幕の向こうではシャルロット嬢が次の詠唱を始めているのが、その絶望を加速させる。
「デュランダル、本気で逃げるぞ!」
「ああくそ、了解! 今回は勝ちを譲りますよ姫様。――『幽闇無形』」
闇色の霧に包まれ、そのまま霧散するデュランダル。不確かな気配を撒きながら、俺の後方に回ったのを感じる。
そして俺も。
「じゃあな、シャルロット嬢、俺らは逃げる。つーか、名前憶えろよ。俺の名前は、レイド・アリエスだ!」
脚に風を纏い、疾風の如く、石の弾幕を通り抜ける。
肌にちりちりと礫が当たる感触から結構ギリではあるが、避けられているということにしておこう。
後ろから石槍が発射させられているのは気にしない。
俺はすぐ後ろの十字路から左、階段を使って校舎4階へと上がる。
後ろのシャルロット嬢が上がってくる前に近くの教室へと入る。そこからすぐ窓を出て、壁のヘリを伝ってデュランダルとあらかじめ決めていた場所へとむかう。
勇気ある撤退である。全くダメージ与えずに逃げたけど気にしない。奇襲することに意味があるのだと思って、俺は必死に足を動かし、逃げたのだった。