第17話「第一階層」
-2527年10月03日-AGF極東支部第4階層-中央指令室-
夏が終わりを告げ、地上では秋の涼しげな風が走っていた。
廃墟となっている旧人間の都市には虫の声が響き、退廃した人間都市をどこか風情のあるもののように演出している。
極東の地から戦闘の音が消えてから3ヶ月。
アンダーフォートも気温操作プラグラムによって秋の気温となり、近年まれに見る平穏な時間が流れていた。
「本当に最近何も起きませんね…。」
指令室で紬がモニターを見ながら呟く。
そこに映っているのは全く敵影を移していないレーダー画像。
「まーまー、何もないのはいいことですよ、紬さん!」
フェリスティナが後ろから紬の肩に手を置き、顔を覗き込んで笑顔を浮かべる。
「近いぞ!」と言いつつ彼女の顔をガシッと掴み、力いっぱい押し退ける。
「ふぇっ!ふぇっ!!止めてくださいよぉ紬さん!!」
手をじたばたさせながら抵抗するフェリスティナを放置し、会話が続いて行く。
「最近オペレーターの仕事がなくてお茶汲みしかしてませんよ、私……。はい、紬さん。」
「ありがとうございます、咲さん。」
少し困った顔をしつつ咲が持ってきたお茶を受け取り、紬は少しそれをすすり、秋の空気とよく合う暖かいお茶にほっと息を吐く。
「みんな~っ!覇気がないよ~?ここは私の歌で、元気を――」
「間に合ってます!」
アレスとの戦い以来極東に止まっているリリのありがた迷惑な申し出に、咲がすぐさま断りをいれる。
何の対策もない部屋で彼女に歌われたら指令室が機能しなくなりかねない。
のんびりとした空気の流れる中、じたばたするのをやめたフェリスティナが紬に恐る恐る話しかける。
「紬さん紬さん!第一階層に行きませんか??」
「はぁ?」
フぇリスティナの脈略のない提案に、紬は怪訝な顔を彼女に向ける。
「なんでまた第一階層に…。脱走でもする気か?」
「ふぇぇ!?違いますよぉ!!」
「じゃあなんでそんなこと言うんだよ…。」
「呼ばれてるんです!!」
フェリスティナの回答によりいっそう渋い顔となり、その後も呼ばれている旨をしゃべり続ける彼女を見てひとつ大きくため息をつくのであった。
-同日-AGF極東支部-階層エレベーター内-
「第一階層に向かってるわけだけど…。もう少し詳しく説明頼む。呼ばれた…んだよな?」
「はい!正確にいうと話しかけられていたですけど…。紬さんは各階層に私の端末がおいてあるのをご存じですか?」
「ああ。俺も子供のころはよく使った。」
アンダーフォートの居住階層である1~3階層には、極東支部を管理しているコンピュータであるフェリスティナにアクセスすることができる端末がある。その機能すべてにアクセスできるものではないが、その日の天気や食料配給の情報、インターネットの検索などさまざまなことができる。
「その第一階層の端末にいつも来ては話しかけてくれる女の子がいるんですよ。」
かつての人類が持っていたスマートフォンなどについていた音声認識能力と簡単な会話プログラムも、彼女の端末は持ち合わせている。
曰く、いつも第一階層の端末にアクセスしてくる女の子がいるということであった。
「そこまでの話はわかった。でも端末って各階層にいくつかあるだろ?どうやってその子を探すんだ?」
紬がそう言うと、フェリスティナは大きく首を傾げて紬に言う。
「ふぇ?第一階層にある私の端末はひとつだけですよ??」
彼女がそう言うと、階層エレベーターが到着を示す音を鳴らし、その扉を開いた。
-同日-AGF極東支部第一階層-
「端末がひとつって…。広い階層にひとつ……?」
「紬さんはこの階層がどんな階層はご存知ですか?」
「どんなって…。居住区だろ?」
「はい。確かに居住区です。ですが、ただの居住区ではありません。神に襲われた際に隔壁を突破されると最初に攻撃が届く場所。普通の人間なら嫌うであろうこの場所に住む人間は、俗に『貧困層』と呼ばれる階級の人間です。」
「貧困層…。」
そんなこと意識したこともなかったと紬は思った。
幼いころは第二階層から出たことがなく、上にも普通に居住区があるとばかり思っていたと。
確かに、第一階層に貧困層がいるということを知らないものは多い。アンダーフォートに住む人間は相当な用事がない限り自分の階層から出ることなどはないのだ。
そのために第一階層の人々はその存在を下層の中の一部の者にしか知られず、苦しい生活を強いられている。
人間社会は格差なしではいられない。それはこのアンダーフォートの中でも体現されていた。
「この階層には下層の孤児院などに入れなかった孤児や、遅れてこのアンダーフォートにたどり着いた人が住んでいます。配給も少なく、相当苦しい生活と、いつ襲われるかわからないという恐怖と戦っています。」
フェリスティナが珍しく真面目な口調で語る事実ひとつひとつに紬は大きな衝撃を受ける。
孤児であった自分も少し歯車がずれればこの第一階層の住民であったという事実。そして、今までにあまり意識したことのなかった自分たちの戦いの直下で生活している人たちのこと。
もし自分たちがミスして負けたとしたら…。それを考えると紬は少し怖くなった。
「さあ、紬さん!女の子を探しましょう!!」
フェリスティナのその言葉でハッと顔を上げ、紬は彼女に手を引かれていくのであった。
-同日-AGF極東支部第1階層-住宅地-
ぐいぐいと何かに導かれるように進んでゆくフェリスティナについてゆく紬は、第一階層の第一階層を進んでいたところであることに気がつく。
第一階層の住人が、遠巻きに戸惑ったような目で彼を見ているのだ。
「なんなんだろう…。」
紬がひとりで呟くもそれに応える者はいない。
そんな視線に晒されながら進んでいると、彼女がピタリと動きを止める。
彼女はある一点に視線を向けると、可憐に笑う。
「こんにちは!」
フェリスティナのその声に反応して、ひとりの少女が振り向く。
「誰…?」
フェリスティナの端末の前にいた少女が恐る恐るといった様子で問いかけてきた。
そんな彼女の前に歩いて行ってしゃがみ、少女に目線を合わせると再び笑顔になって語りかける。
「私、フェリスティナですよ?いつもお話ししてくれてありがとう!」
フェリスティナがそう言うと、少女の顔がパッと輝く。
「すごい!人間みたい!!」
「えっへん、フェーはスーパーコンピューターなのでこのくらいお安い御用なのです!」
「ねえねえ!遊ぼう!!」
「もちろんですっ!」
少女とフェーの様子を見て、紬は少し微笑むと手持ち無沙汰にあたりを見回す。
「さて、俺はどうしようかなっと…。」
そう呟いた紬に、ひとりの老人が声をかけてくる。
「もしや…貴方は守護隊の神楽紬殿か…?」
やつれた老人は恐る恐るといった風に紬の顔を窺っている。
「は、はい。神楽、紬です。」
どうして自分の名前が知られているのかと首を傾げる。
「おお…おおっ!神殺しの紬殿だ!!皆、やはり紬殿だ!!」
老人は体中の力を振り絞るようにそう叫び、地面に膝をついて祈るような姿勢をとった。遠巻きに紬のことを見ていた第一階層の住人達も、老人の叫びにパッと顔を輝かせ、彼に倣うように祈るように紬に向けて跪く。
「いつも我々を守っていただき感謝しております…。あなた方がおらねば我々はとっくの昔にやつらの餌食となっていたでしょう。そしてあなたの活躍はいつも拝見しております。あなたが守護隊にいらっしゃってから、我々は強い希望をこの胸に抱くことができるようになりました。嗚呼…紬殿、我々の希望…。今後ともどうか…どうかよろしくお願いいたします…。」
老人は縋るような口調でそう言うと、さらに深く頭を下げる。他の住人達も口々に「お願いいたします紬様…。」「ありがとうございます紬様…。」と言い、跪き続け、中には拝む者すらいる。
「えっ…。皆さん、頭を上げてください!!」
その光景に、紬は困惑する。
この瞬間に彼は理解したのだ。人々の守護隊に対する感情を。神無き世で守護隊を心のよりどころにするということの本当の意味を…。
もしも、自分たちが負けたら…?
第一階層の話を聞いたときに浮かんだ感情が、再度彼の心に現れた。