第10話『ロベルトの過去2』
「いったい…。何があったんですか?」
紬の問いに、少し顔を曇らせながら、ロベルトは再び話し始めた。
***
神の荒ぶる、地獄のような浜松市からなんとか抜け出し、ロベルトたちは愛知県の豊橋市へと差し掛かっていた。
「あと一時間も走れば名古屋か…。」
いまだに状況がつかめたわけではないが、人知を超えた何かが起きているということは確かだった。
ロベルトは険しい顔で周囲をくまなく警戒し、妻は憔悴しきった顔で助手席で怯えている。
この空間で唯一穏やかな顔をしているのは、寝ている子供たちのみであった。
豊橋市の中心部に入る頃に、子供たちが目を覚ます。
「パパー、どこ行くのー?」
「おでかけー?」
子供たちの無邪気な問いがロベルトの心に刺さる。
―ありのままを伝えるべきか…。
そんな葛藤が彼の中を渦巻く。そんなとき、
「あなたっ!」
妻の鋭い声が車内に響く。
その尋常ではない声音に、ロベルト跳ねるように妻の方へ顔を向ける。
「どうした!」
問いかけると、妻が震える指を左に向ける。
見たくはないが目が離せない…。
そんな表情だ。
ロベルトもつられてそちらを向くと、
―何なんだあれはっ!
そこにあったのは死体の山。
あるものは切り刻まれ、あるものは燃やされ、あるものは食いちぎられたような跡がある。
肉や血の匂いに思わず顔をしかめつつ、一刻も早くここから離れようとアクセルを踏み込む。
「お前たちはしゃがんでろ!」
―こんなものは子供に見せるわけにはいかない…。
その一心で子供に指示をする。
『はーい』
子供たちは素直に従い、車のシートの隙間にしゃがみ込む。
―日本はどうなってしまったんだ…。
辺りを見渡してみたものの、動くものはなし。
まるで、街そのものが死んでしまったようだ。
そんな街を走り抜けて岡崎市に迫ったころ、不意に車の進みが悪くなる。
「なんだ…?」
不思議に思って車外へ出たロベルトは、ガックリと膝をつく。
「パンク…。」
瓦礫か何かが刺さったか、悪い道を走ったせいかはわからないが、タイヤがパンクしていた。
ロベルトは、助手席の妻に向けて首をゆっくりと横に振り、もう走れないことを伝える。
妻の表情が青くなるのを苦い思いで見ながら、ロベルトは頭を回す。
―どうする…。
残りは30から40km…。
だが、どれだけ考えても迷う余地などなかった。
「歩こう。」
そう言うと、ロベルトは家族を車の外に出す。
―自転車とかはないか…。
周囲を探してみるものの、ほぼすべてのものが破損しているように見える。
そんな中、農家のような家の横に、破損していないリヤカ―を見つけた。
「おーい、これに乗れ!」
子供たちをリヤカーに乗せ、ロベルトはそれを引きながら歩く。
「中でで横になってろ。顔は出すなよ?」
『はーい!』
状況は呑み込めていないだろうが、素直に言うことを聞いてくれる子供たちは、ロベルトにとって本当にありがたかった。
しばらく道沿いを進んでいると、少し離れたところに何か動くものが見える。
「あれは…?」
人ではない。
二足歩行はしているものの、骨格がどこか歪んでいる。
その醸し出す雰囲気に嫌なものを感じ取ったがしたロベルトは、家族と供に近くの雑木林の中へと隠れる。
しばらく様子を見ていると、その人ではないなにかは探し物をしているようにフラフラと歩いていた。
―あれはいったいなんなんだ…。
これは後々AGFに入った彼が知ることであるが、それは獣人型と呼ばれるヒトであった。
――獣人型
天罰の日から数年にわたって地上を哨戒していた、ヒトの中でも古いタイプである。
その強靭な四肢で地を駆け、偵察活動などを行っていた。
近年は確認されていない。
そんなヒト隠れるために息を潜めて茂みのなかにいると、どこかから聞き慣れた車のエンジン音が聞こえてきた。
―生き残りがいたのか…。
避難しようとしているのが自分達だけではないと、ロベルトは安堵する。
その車のエンジン音は、先程自分達が歩いてきた方から響いてきた。
と、ヒトはその音にピクリと反応して背筋を伸ばし、キョロキョロと辺りを見回す。
ロベルトの視界に車が入った時、ヒトも同様に視界に捉えたようで、ダンッと地面を蹴り飛ばした。
そして、ヒトがその車を勢いのままに蹴り上げると、車は宙に浮き上がった。
車の中から悲鳴が聞こえる。
妻も今にも叫び出しそうだったため、ロベルトは慌てて妻の口を手で押さえる。
ちらっと後ろを見ると、子供たちは寝ているようだ。
―起きないでくれよ…。
そう思った時、妻の体がビクンッと揺れた。
がくがくと震える指で正面を指差している。
その示す先を見たロベルトは絶句する。
ヒトが、人を食べていた。
あまりに凄惨な光景に、妻は気絶し倒れ込む。
だが、そちらに意識を向けることはできず、ロベルトはただただ貪り食われる人を見続けることしかできなかった。
そして、何度目かわからない問いを自分に投げかける。
―いったい何が起きている…。俺たち人類はどうなるというんだ…。
***
「そのあとは、さまざまなところにいるヒトから隠れながらゆっくり、ゆっくり進むしかなかった。食料や毛布などを確保
しつつな。」
「ヒトはそんなに早くからいたんですね…。」
「ああ。俺たちは我ながらうまく進めたと今でも思っている。だが、娘たちと妻は死んだ。」
「どうして…。」
「ああ…。アンダーフォートの入り口まであと少し…。20日くらいかけて旧日進市まで辿りついたときだ…。奴が現れた…。」
「奴…?」
***
「パパ―、お腹すいたー。」
「お腹すいたー。」
林の中の開けたところで身を隠していると、子供たちが空腹を訴える。
「そうか…。なにか探してくる。少し待っててくれ。」
そう言ったロベルトに、心配そうな顔をしたものの、妻はすぐに笑顔を見せ、送りだす。
「行ってらっしゃい、あなた。」
『いってらっしゃーい!!』
これが、彼の聞いた家族の最後の声であった。
なにか探してくるとは言ったものの、街に行ってもまともな食べ物はほとんどない。
―生米でもなんでもいいから探そう…。
そう思いながら街へと入り、辺りを警戒しながら進む。
だが、ヒトの気配はない。
「珍しいな…。」
彼は、この時違和感を感じておくべきだったのかもしれない。
だが、感じていたとしても打つ手があったかは定かではないが…。
スーパーマーケットだったところで、携帯できるガスコンロやカップラーメン、栄養補助食品などを袋につめ、意気揚々と持ち帰る。
―思いのほかいろいろ集まった…。
潜んでいる林に近づき、遠目に家族の姿が見えた。
心なしか歩く足も早まる。
三人は、寄り添ってなにか話しているようだ。
と、次女が何かを指差す。
その方を長女も見る。母も見る。
そして、ロベルトも。
その指の先で、道化師のような面をつけたヒトが、シルクハットを手に持ち、優雅に一礼していた。
ヒトの面は、こびりつくような笑みを浮かべている。
ロベルトは慌てて走り出す。
ヒトは、自分の前でシルクハットを振り、顔の前に持っていく。
そこからブンッと横に振ったシルクハットの軌道上に、みっつの火球が浮いていた。
それを見て、母は悲鳴を上げつつも、娘二人の上に覆いかぶさる。
ヒトがシルクハットをかぶり直し、もう一方の手に持っていたステッキを振ると、火球が三人めがけて射出される。
ロベルトは絶叫しながら走る。
だが…間に合わない。間に合ってもどうしようもない。
ヒトが放つのは人では抗いようのない暴力。
火球は、娘と妻に向かって飛翔し、そして…。
轟音と共に爆発し、ロベルトの家族を粉々にした。
全力で走ったロベルトは、その光景を見てガクンと膝をつく。
辺りに立ち込めるのは人の肉が焼けたような匂い。
そして、地にあるのはかつて自分の家族だったもの。
涙よりも先にわいてくるのは怒り。
「てめええええええっ!!」
思いきりヒトをにらみつける。
ヒトは、再び火球を出し、ロベルトに狙いを定めたようだ。
そんなことはお構いなしに、ロベルトは全力でヒトに向けて走る。
ただ一発殴りたい。
だが、ヒトはステッキを振り、火球を放つ。
「くそおおおおおおおおっ!!!」
どんどん近づいてくる火球に、絶望を感じる。
だが、止まることはない。
自分の死も覚悟しつつ、ヒトを見据えてただ前へ。
その拳を叩き込むため、前へ…。
あと数秒で、ロベルトのもとへ火球が届く。
その時、鋭い音と共に数本のビームが上から火球に突き刺さり、火球は轟音と共に爆散する。
そして、ヒトの付近の地面にも次々とレーザーが突き刺さる。
ヒトは、なにかを感じたのか、少し考え込むような仕草をしてシルクハットを放り投げる。
すると、それは巨大化して空中に静止し、ヒトは一礼しながらその中に入っていった。
そして、シルクハットは急激に縮み、その姿を消した。
怒涛の展開に、ロベルトは地面に座り込んだ。
「チッ…。逃がしたか…。」
そんなロベルトの上に、人がひとり浮いていた。
ヴィトレイヤーを装備して悔しそうな顔をしている。
「おーい、そこの人!大丈夫か?」
その人は、ロベルトに声をかけると、ゆっくりと地面へと降り立った。
「あんたは…?」
「AGF、避難した人間の組織の戦闘員ってとこだ。とりあえずお前をアンダーフォートまで送ろう。立てるか?」
「あ、ああ…。」
立ち上がろうとするが、力が出ない。
じわじわと押し寄せてくるのは悲しみ。
大切な家族が目の前で殺されたのだ。その悲しみはどれほどのものだろう。
「すまない…。すまないっ…。」
とめどなくあふれ出る涙をふくこともなく、拳を地面に打ち付ける。
「そうか…。家族をやられたんだな…。」
そうつぶやくと、AGFの男は頭を下げる。
「すまない。俺がもう少し早く着いていれば…。本当にすまないっ!」
だが、その言葉に応えることはできず、ロベルトはただただ泣き続けた。
***
「こうして、俺はその男にここまで送り届けられ、一年は何かをする気力がなく死んだように過ごしていた。だが、次の年にAGFに志願した。俺のこの手であのヒトを…。道化師型と呼ばれるあいつを…。屠るために。」
「道化師型…。」
「しばらく目撃されていない。だが、いつかは必ず現れるはずだ。あるいは、今すぐにでも…。」
ロベルトがそう言った瞬間、フェリスティナの目がパチッと開き、ガバっと飛び起きる。
「敵襲です!ヒトの編隊をレーダーが検知!剣士型、番人型、魔術師型の編隊…」
彼女の言う内容は、逐次緊急放送としてAGF内に発信されている。
「そして、正体不明のヒトが一体!希少で危険なタイプだと思うので注意してくださいっ!!」
そう言い切ると、フェリスティナは満面の笑みを浮かべて紬に抱き付く。
「どうですか紬さんっ!!寝ててもちゃんと仕事してますよっ!!」
「あ、ああ…。」
だが、それよりも報告を聞いた瞬間の、ロベルトの鋭い目つきの方が紬は気になっていた。