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Desperado Wizards  作者: バナナオサル
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第一章 ロンドンからの帰還(5)

「……ここは……一体」

沙那は瞠目した。

灰色の大空の下に広がる白銀の大地は、草木すら生えていない。

「……」

異様な光景に佐那は戸惑いを隠せない。

今朝、妙見菩薩像を襲撃した妖魔との一戦後の記憶が無い。沙那は重い足取りで周囲を漫ろ歩いた。

一歩踏み込むと、じゃりじゃりと小石がぶつかる感触が足に伝わる。

大して体重を乗せていないのに小石が鈍い音をたてて砕けると、煌びやかな石粉が舞い上がった。

不覚にも沙那はそれを吸ってしまったのである。腐臭が鼻腔を燻ると、思わず咳き込んでしまった。

「なに、この饐えた臭いは?」

白衣の袖で鼻を覆った彼女の頬を生温かい風が撫でる。

「ここは日本ではないわ、はやく脱出しないと」

恐怖心と焦燥感が宿った沙那は、荒廃した大地を闇雲に走った。緋袴が足の動きを邪魔している。

無我夢中で走っても様変わりしない景色に、沙那は悄然とした。

「お父様、お母様、助けて!」

すると、彼女の悲鳴に反応したのか、何処からか声が聞こえた。

「……な」

「?」

沙那は声の出所を探した。

ハッキリと聞こえない。それは、彼女の心が揉みくちゃになっているからだ。

「誰なの?」

沙那の心を支配している危機感がより一層大きくなった。

「さな」

声が再び聞こえた。

さなと聞こえた。自分の名前を呼ぶ声なのか定かではないが、どこか懐かしく温もりのある声だった。

沙那は周囲に向かって叫声を発した。

「私を呼んでいるの? 隠れていないで姿を見せて!」

暫くすると、青白い浮遊物が彼女の前に現れた。

「沙那」

自分の名前を呼んだ物体が金色の光を発した後、ゆっくりと人型に変形した。

浮遊物の正体に沙那は目を見張った。

小柄で後ろ髪を束ねた白装束の女だ。円らな瞳にふっくらとした顔立ちは見覚えがある。

沙那の亡き母だ。

「お母様!」

沙那は度肝を抜かれた。

四年前に病死した由菜は中年者だが、いつまでも若々しい姿に驚くばかりだ。

「沙那、大きくなったわね」

由菜は優しく微笑むと、娘の成長ぶりを感嘆した。

「肉体が滅んだとはいえ、魂は生きているのよ。あなたの成長ぶりを見させてもらったわ」

「お母様」

「お転婆だったあなたが、今は新時代の支え役に成長したなんて、お父さん吃驚するわよ」

沙那は少し照れた。すると、胸の内に湧いてきた『喜』と『哀』という感情が一気に爆発した。

抑えきれない衝動に駆られた沙那は母の胸の内に飛び込んだ。

優しく迎えた母に感極まった沙那の頬を大粒の涙が伝った。

娘の頭を撫でる由菜がしんみりとした口調で言った。

「今の世の中に苦労しているのね」

その言葉を耳にした沙那が母の顔を見る。涙でぼやけているので顔の輪郭がハッキリしない。

沙那は童女みたいに手で涙を拭った。

由菜が娘の心の内を見透かすように、話し始めた。

「新政府が徳川魔方陣を破壊する行為に憤りを感じているのね」

「私は明治政府を許せません。新時代を迎えたとはいえ、徳川家の遺産を何もかも取り壊す計画に私は納得できません」

「沙那、だからといって憎しみを抱いては本当の世直しにはならないわ」

「お母様」

「私が此処に来たのは、何もかも失って荒れ果てたあなたの心に希望の光を照らすのが目的なの」

「希望の光?」

「そう、この荒廃した大地があなたの精神よ。表面上では、穏やかで気高い陰陽師として民衆を助けるけど、心の奥底に眠る憎悪は簡単には消えないわ。これから先、ひとりの人間として成長したあなたの背中を追いかける人は、沢山現れるでしょう。だけど、あなたはその人たちを復讐の道具としか考えていないわ」

「そんな……、確かに私は政府を誅伐しようと考えていました。しかし、それは私個人の行いであって、他者を巻き込もうとは思っていません!」

沙那は糾弾した。

しかし、悲壮感に満ちた表情を浮かべた由菜が目を伏せると、ゆっくりと頭を左右に振った。

母の態度に沙那は憤激した。

「酷い、お母様! そんな事を言うためにやってきたの、もう出て行って!」

沙那は両手で母の体を突き飛ばした。

情緒不安定な娘の気持ちを受け容れた由菜は呆れ顔を浮かべるも、優しく宥めた。

「落ち着いて、今のあなたに欠けているのは慈悲の心です。政府は桜宮家に非情な仕打ちをしました。でも苦しいのはあなただけではありません。時流に取り残された民衆は、あなた以上に苦しみを味わっています。その人たちにどうやって手を差し伸べるのですか?」

「そ、それは……」

沙那は狼狽えた。

「今のあなたではこの世を救うはおろか、自分自身も救えないわ。あのようなことがあった後で、心を静めなさいと言っても難しいけど、今こうして冷静に自分の事を見直す時が来たわ」

「お母様……」

突然、沙那の胸の内が高鳴り始めた。

「今から話す二つの約束を守って」

神妙な顔でそう告げた母を前に、沙那は緊張した面持ちで小さく頷いた。

「ひとつは、国に抗う逆賊組織を作らないこと。いくら大人の女に成長したとはいえ、あなたは陰陽師の血が流れています。術を使って多くの政界人の暗殺はおろか、政府そのものを転覆させる力があります」

「私の体にそれほど強い力が隠されているのですか?」

沙那は驚愕した。

危険な思想を掲げていたのは、あくまでも表面的であって、潜在能力までは把握していなかった。

由菜は優しく諭した。

「近いうちに力が覚醒するでしょう。それでも、あなたを慕う民衆の心を煽って軍事活動を行わないで。お父さんから受け継いだ技術を駆使して妖魔に危害を被った人々を助け、歩むべき道へ導いてあげて」

渾然一体な心の隅々を打つ鼓動が、時間の経過と共に勢いが増す。やがて、心に幾つもの亀裂が生じた感覚が沙那の胸を苦しめた。

「ハア、ハア」

沙那は前屈みになると、衿を掴んで荒い息をあげる。

娘の異変に構うことなく由菜は話を続けた。

「もうひとつは、何も抵抗できないまま弱い人間にならないこと。温柔敦厚な姿勢で弱者に力を貸してあげて」

沙那の心を蝕んでいた灰色の膜が、小さな破片になってボロボロと零れ落ちる。暫くすると胸の内がじんわりと火照り始めた。

「……はい」

感極まった沙那が涙声で答えた。

止めどなく溢れた涙が頬を伝う。それは、精神を巣喰っていた混沌が外へ流れ落ちていくようだ。

沙那は精神世界で嗚咽した。すると、母がそっと自分の両肩に手を添えてくれたのである。

両掌が温い。本当に死者とは思えない体温だ。

肉体は滅んでも魂は生きている。

沙那はその言葉を改めて思い知った。

「あなたが患っていた険難な心は今、崩れ、新しい心が再生しようとします。しかし、甦生して間もない心は脆いです。それを支えてくれるのが今朝、あなたの元に現れた二人の妖術士です」

「……総介様とロバートさん」

「有馬総介様はあなたが心を許している方です。彼もあなたの力になりたいと率先的に動くでしょう。もうひとりの方は異国の妖術士です。私はあの人と面識はございませんが、桜宮家と根深い縁があります」

「根深い縁?」

沙那は怪訝な顔をした。

「理由は分かりません。お父様も異国の妖術士と会ったことはないはずです。しかし、桜宮一族の行く末を左右する人に間違いありません」

「……お母様」

沙那は不安に満ちた顔を浮かべる。

そんな愛娘の心持ちを知った由菜が背中を押す。

「沙那、あなたひとりではありません。二人の妖術士の力、お父さんから継承した陰陽道の技、そして私もいます。あなたの首にかかっている装身具に私の魂が宿っています。困ったときはそれに祈りを込めなさい。必ずあなたの窮地に駆けつけます」

沙那はペンダントの頭を手にした。

琥珀色に輝く鉱物に母の魂が宿っていることを改めて認識すると、心に宿っていた灰色の靄が晴れていく。

それは沙那の気持ちに応えたのか、鉱物が眩い光を放った。

周囲が黄褐色の光に包まれると、沙那は思わず目を瞑ってしまった。

暖かい。心の奥底から湧いて出た活力が体の隅々に行き届いた。

沙那はゆっくりと目を開ける。そしてゆっくりと上体を起こした後、周囲を見回した。

カーテン越しに光が射していた。

自分が病院に運ばれた記憶が無い。当然、寝台(ベッド)を見たのも初めてだ。

自分が見た母親が夢であることを知った沙那は微笑んだ。

夢でもいい。母と再会できた喜びに満ちていた。


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