第四章 陽魂寺の死闘(3)
陽魂寺の山門から東へ五百m程離れた地点に、ロバートと吸血人狼がいる。
「やれやれ」
吸血人狼が深い溜め息をついた。
その態度にロバートは怪訝な表情をした。
吸血人狼は愚痴をこぼした。
「バロム様も人が悪い、こんな格下の相手に俺をぶつけるなんて。随分、見くびられたものだ」
「一戦も交えず相手が格下なのか、おまえは分かるのカ」
「和泉邸での一戦を憶えているか? 俺の妖気に気付かなかった落ちこぼれ妖術士よ。俺と一戦交えることを誇りに思うがいい!」
「フハハハ」
失笑するロバートに、吸血人狼は激怒した。
「何が可笑しい!」
「可笑しいさ、いつまでも過去を引きずっている総介と一緒にするナ。俺の狙いは、小娘を我が物にするだけダ。この戦いが終われば、総介を殺るまでヨ。目障りな害虫は潰さなければナ」
「すると、貴様は有馬と同じ討伐隊の一員ではないのか?」
「この任務を遂行するまではな、あとは自由だ。まずは手始めにおまえを殺ス!」
「――フッ、面白い。闇乃翼の召喚士ロバート、相手にとって不足無し!」
短い間合いで両者は構えた。
まずはロバートが呪言を唱えた。
「古の赤き炎から生まれた火蜥蜴よ、妖魔を灰燼にするがいい!」
吻端が幅広く、丸々とした胴体に四股がある召喚獣が現れた。
緋色の肌から放たれた炎の飛沫が吸血人狼を襲った。
だが、吸血人狼は持ち前の瞬発力で、炎の飛沫を巧くかわした。
「俺を甘く見たようだな、火蜥蜴ごときの炎に屈すると思うか!」
跳躍した吸血人狼の全身が黄金色に発光すると、体が五体に分裂した。
狼――、いや俊敏性の高い肉食獣以上の豪脚でロバートを多方向から襲撃した。
妖魔が両腕を前方に突き出すと、爪から発した十本の妖気が鋭利な刃と化す。刃が火蜥蜴と召喚士を切り刻んだ。
「グッ」
ロバートは地に片膝をついた。祭服が赤く染まっていく。
「どうだ、全身を膾切りにされた感想は?」
召喚士を貶した吸血人狼が返り血を美味そうに舐めている。
召喚獣が消滅したのを確認したロバートは、吸血人狼の周囲に目を遣る。
「まずは、おまえの周りにいる邪魔者を仕留めるしかないナ」
「ご名答と言いたいが、自分の身の程を考えて喋るんだな」
「フン!」
ロバートが鼻を鳴らす、そして胸部に持ってきた両手で輪を作った。
召喚士が呪言を唱えた。
「水魔神よ、地上にある全ての水を使い、敵を凍らせ、闇に葬るがいい。氷葬吹雪!」
魔神が抱えている巨大瓶の口が白銀に輝いた刹那、五体の妖魔に向かって猛吹雪を放った。
「ヌゥ……」
吹雪の猛威に吸血人狼が怯む。
動きが緩慢になったことで残像が消滅した妖魔は両腕を使って正面を防護するも、勢いが増した雪飛礫が全身を打ちつけた。
煌びやかに輝く氷柱が完成した。
しかし、ロバートは戦闘姿勢を崩していない。バロムの右腕であるこの怪物が吹雪で斃せる相手とは思っていない。
氷柱の中にいる妖魔の力が昂ぶっているのが分かった。
案の定、氷柱から発した鈍い音を耳にした。
氷壁全てに亀裂が生じた次の瞬間、妖魔を覆っていた氷が音を立てて崩れ落ちた。
吸血人狼が嘲笑する。
「ククク、なかなかの術だが、俺を斃すまでには到らなかったな。闇乃翼の召喚士ともあろう者がこれしきの術しか使えぬか、片腹痛いわ!」
ロバートは自分を蔑む妖魔に睨みを利かす。そして呆れ気味に溜め息をつくと、尖り声で威嚇した。
「よく口が回るナ、まだ勝負を決していないのに勝ったつもりカ?」
「負け惜しみを、ならば現世に彷徨えぬよう地獄の底に落としてやる!」
妖魔は再度、豪脚を使って地面を駆ると召喚士の周囲を旋回した。
「フッ――」
自分の周囲を旋回する敵の動きを見たロバートが嘲笑した。
残像の数が三体に減ったのである。先程とは違い動きにキレのなさが浮き彫りになっている。
「どうした、さっきとは打って変わって動きが鈍いナ。楽に目で追うことができるゾ」
「なっ、なに!」
吸血人狼が狼狽した。
簡単に術を見切られたことに怒りが心頭した妖魔は、移動速度を加速しようと試みるも、苦痛に満ちた顔を見せた。
「な、何故だ、これしきの動きで体力が尽きることはなかったぞ?」
「体力が尽きたのではナイ。火炎攻撃による火傷と吹雪による凍傷で皮下組織が痛み、寒暖差によって体温調整ができず、身体機能の衰えが生じたのダ」
「ヌッ、ヌググ、あっ、足が……」
数分前まで太々しい態度を見せていた妖魔に余裕がなくなっている。足を一歩前に出すことができなくなった。
召喚士の実力に心臆した妖魔が発狂した。
「何故、一思いに殺さなかった。情けを掛けるつもりか!」
「情け? 愚かナ。本来ならば火蜥蜴だけで十分だったが、都合が変わったのだヨ」
「都合だと?」
「ああ、おまえは三つの大罪を犯しタ。ひとつは使用人として潜り込み和泉家の崩壊に荷担した。家族の絆を壊わすことがどれだけ罪深いことか、おまえに分かるカ?」
「我らは魔界を創るのが目的だ。目障りな人間どもを駆逐して何が悪い。千年王国の建国のために人間が血を流すのは当然であろう。おまえら闇乃翼もそうだろう、母国を捨てた妖術士が欧米諸国に傅き、要人暗殺に手を染めるのは己の欲望を満たすためだ。我らと同じではないか」
「違う。おまえの言うように闇乃翼の中には私利私欲で国家に荷担している者もいるのは認めヨウ。しかし俺たちを動かしているのは真の正義だ。万人が平和に暮らせるよう民を食い物にする魔物を排除するのが討伐隊の務めダ!」
「ウッ……」
吸血人狼が言葉を失った。正義感に満ちた真摯な姿勢に圧倒された妖魔は、痛めた足を一歩引いてしまった。
妖魔の隙を見逃さなかったロバートは胸部に持ってきた両手を重ねると呪言を唱えた。
「万物を破壊する巨人兵よ、妖魔の体を粉砕せよ」
吸血人狼の前に出現したのは全長四m、胴回りが二mを超えた土泥巨人兵だ。
規格外の迫力に妖魔は目を見張った。
全身を赤煉瓦に覆われた巨人兵が臆面もなく妖魔に突進した。力強い脚力のおかげで地面が微動する。
妖魔は身動きがとれない。負傷の影響よりも巨体に相応しくない俊敏な脚力に愕然した。
巨人兵の重い鉄拳が妖魔の左頬を殴打すると、間髪を容れずに右頬、さらに鳩尾に向けて拳を振るった。
上半身が前のめりになった妖魔に慈悲のない膝蹴りが鳩尾を直撃した。
「グエェェェ!」
吸血人狼が吐血した。
腹部を押さえて苦しむ妖魔にロバートが歩み寄った。
暗赤色の液体を吐く妖魔に向けて、召喚士は無情に告げた。
「休んでいる暇はないゾ。二つ目の大罪は、桜宮沙那を拉致したことダ。彼女を攫うということは俺の親父の魂を攫うことと同じダ」
土泥巨人兵の口から赤茶色の霧雨が降り注いだ。
液体が妖魔の体に付着すると所々で赤茶色に変色していく。
「こっ……、これは?」
「紅霧雨、この霧雨を受けた者の体が土泥に変化する。おまえが犯した最後の大罪は栄えある闇乃翼を卑下したことダ。死んで詫びロ」
「そっ、そんな……」
吸血人狼が狼狽えた。
土泥効果が全身を覆うまで時間の問題だ。
吸血人狼が命乞いをしてきた。
「たっ、助けてくれ。そ、そうだ、俺と一緒に組まないか、バロムと有馬を斃して魔界の隧道を空けようじゃないか!」
「おまえはバロムと組んでいるのではないのカ?」
「お、俺だって好きで奴の右腕になったわけではない。あんたのような実力者を探していたんだ」
「実力者ねェ」
ロバートは微笑んだ。
土泥液が首の付け根に達すると、妖魔が慌て始めた。
「おっ、おい! 何をしているんだ。早く解いてくれ!」
巨人兵が右腕を振りかざす。下僕を一瞥した召喚士は妖魔にこう告げた。
「残念だが、不甲斐ない相棒が俺を待ってくれている。土泥巨人兵よ、仕上げダ」
ロバートは慈悲のない言葉を返した。
巨人兵が土泥人形へと変貌する妖魔を目掛けて巨拳を振り下ろした。
迫り来る巨拳に吸血人狼が絶叫した。
「いやだあぁぁぁ!」
鉄拳が胸部を穿った。妖魔は身も凍えるような断末魔と上げると、体が木っ端微塵に砕け散った。