第三章 一族の誇り(1)
バロムの占いが的中した。
妖術士たちが警視庁を訪れる前、無様な結果に動揺を隠しながら本郷区にある徳川慶喜の別邸へ寄っていた。
最愛の家族を亡くした鶴子嬢は、床に伏せていた。
慶喜を先頭に三人が弔慰を述べるも、彼女は父兄の死を激しく追及することはなかった。寧ろ、無気力な表情で沙那の身を気に掛けている心配りが瞼に焼き付いた。
会議が始まると、バロムは川路を一瞥した。そして皮肉交じりの口調で、事件の真相解明に乗り出した。
「悲しいことですけど、占いが当たりましたね。有馬さんが敵の妖気に気付けなかったのは、己の感情を冷静に巧くコントロールができなかったからです。人質の身代わりが沙那さんということで、動揺していたこともあるでしょう。残念です。あなたが、こうも精神的な脆さがあるとは……」
占術士は、憮然とした表情を浮かべ溜め息交じりに呟くと、ロバートに視線を移した。
「もうひとりの方は、何やら野心を抱いていそうな感じです。現を抜かしていたことが原因かもしれません。とにかく、お互いに息が合っていないのです」
バロムの辛辣な意見によって、総介の体を蝕んでいた強い後悔と自責の念が膨張した。
憔悴する総介に、川路が捲し立てる。
「妖術士が執事の素性も暴けんとは、呆れて物も言えぬ。金子の件は、慶喜様と勝様の顔に免じて考慮したものを、とんだペテン師だった!」
川路は息を巻いた。
総介に代わって、慶喜が弁明した。
「まあ、その、今回は彼らの初仕事だ。呼吸が合わないのも無理もない。この結果で分かったことは、徳川魔方陣を取り壊してから新たな魔方陣を創るまでに強力な妖魔が出入りする。取り壊し案も考えものだ」
海舟が投げ槍の口調で慶喜の言葉を繋ぐ。
「それはそれとして、また近いうちに、果たし状がきますよ。なんせ、桜宮家の当主を拉致したのですからねぇ」
「そこだ、そこが分からんのだ」
今まで頑なまでに口を閉ざしていた大久保が、口を挟んだ。
「今までの事件は、新魔方陣反対派の差し金で賛成派を襲撃していたと思っていたが、沙那殿を現場におびき寄せるために撒いた餌だったとは……」
大久保がそう嘆いたあと、総介に疑問をぶつけた。
「有馬君、沙那殿には何か秘密があるようだが、一体何だね? 何故、彼女が生贄にならなければいけないのかね?」
「……分かりません。おそらく先代より妖気が格段に高いからです」
総介の答えに周囲は肩を落とした。
言えるわけがない。
人の心を狂わす魔石の存在を明かすわけにはいかない。
明治政府に仕える高官が皆、善人とは思えず、悪の心を持つ者がいるならば、必ず妖魔と結託して我々を襲い、魔石を強奪する。
それを人間が身に着ければ、妖魔に匹敵する程の妖気を手にすることができ、魔方陣の破壊に努めることになるだろう。
二時間に及ぶ臨時会議は『曖昧な情報に振り回されて動くのは愚行そのもの、ならば敵の誘いにあえて応じて塒を突き止める』という結論が出た。
会議終了後、総介はロバートを上野公園へ誘った。それは任務の失態を詫びることと胸の蟠りを吐露するつもりだ。
通称、上野の山と呼ばれる上野公園は、武蔵野台地の丘陵部に造られた。この場所は、三十万坪以上を有する上野寛永寺の敷地だった。
しかし、一八六八年(慶応四年)の七月に勃発した上野戦争で寺の大部分が焼失したのである。戦災地は、一八七三年(明治六年)に政府によって東京府の公園に指定され、三年後に開園したのである。
政府の方針で、将来的には文教地域とすることを視野に入れている大広場は、不忍池と社寺仏閣へ向かう見物客のメインストリートとして利用している。
しかし、最近起きている『資産家連続殺人事件』の余波で見物客の足が減少すると、昨日起きた和泉家殺人事件の影響で、とうとう人の足音すら耳にしない。
妖術士たちが大広場で顔を合わせた。
総介が緊張した面持ちで言葉を発した。
「ロバート、すまなかった。俺の心が強ければ、沙那が鶴子嬢の身代わりになると知ったとき、動揺することはなかった」
「もういいデスヨ。金子の件も破綻して、あとは沙那サンを奪い返すダケ。それに黒幕がまだ出ていナイ」
「黒幕?」
「いい加減に頭を冷やセ。以前、言っていただろ? 獣臭が漂う翼の生えた悪魔だって。吸血人狼は死体に狼の毛皮をまとって甦る怪物であって、翼の生えた悪魔ではナイ。必ず黒幕がイル」
ロバートは淡々と答えた。
二人の間に沈黙が続いた。
総介はロバートに蟠りを抱いていた。その気持ちを相棒にぶつけた。
「おまえに訊きたいことがある」
「訊きたいコト?」
ロバートは金色の眉根を寄せながら憤るように言った。
「なんだ、改まって訊きたいこととワ?」
「い、いや……」
一瞬、憎悪の表情がよぎったが、すぐにあっけらかんとした態度をとるロバートに、総介は躊躇った。
この男にどう告げたらいいんだ。
総介が頭を悩ますと、ロバートが悲愴に満ちた声で名前を呼んだ。
ロバートは禍々しい表情を浮かべている。
そして静かに語りはじめた。
「今から十五年前、横浜に勤務していた英国商人たち一行が、観光目的で川崎大師に向かってイタ。そのうちのひとり、闇乃翼のマーガス・エリックは、かねてより親交の深かい彼らの護衛を務めてイタ」
「?」
総介は眉を顰めた。
ロバートの話が続いた。
「一行が生麦村に着いた時、事件は起きタ。江戸から京都に帰る薩摩藩士の行列に遭遇すると、商人たちが行列に乱入したという理由で彼らを斬殺したノダ。その後、マーガスも妖力を発揮することなく絶命した。彼の死を知った息子は、たったひとりで日本へ向かっタ。半年という長い航海をしてまで、日本に向かった理由は分かるカ?」
「ロバート……何故、そんなことを言い出すんだ?」
「過去に戦争で身内を亡くしたおまえは、妖魔と戦う彼女の姿と重なり、葛藤してイタ。だから吸血人狼の妖気も気付かなかっタ」
「そっ……、それは」
心の内を見透かされた総介の体が震え上がった。
ロバートが感情を抑えて話を続けた。
「……俺が一度、来日した目的は、親父が持っていた魔術師乃血統石を我が物にするタメ。遺体が海を渡って帰ってきたときには、すでにブツは無かったからナ。親父の終焉の地だった生麦村付近を探索しても見つからなかった。まさかあの小娘の母親が手にしていたとは、このとき誰が思ったカ」
握り拳に力を込めたロバートが体を震わせた。
総介は真っ青な顔して相棒を睨んだ。
「するとおまえは、俺の手助けをするのではなく、初めから魔石を手にするために付いてきたということか?」
「ご名答デス。俺は魔石さえ手にすれば、この国に用はナイ。小娘を殺してブツを手にするか、もしくは彼女を闇乃翼に入れて、俺の右腕として日本の破壊を行うか。楽しみが増えるばかりダ」
「おまえは魔石のことばかりしか頭になく、死んだ父親のことは考えないのか?」
「親父のコト?」
ロバートは再び険しい表情を浮かべた。
「犬死にした奴の何を思うのカ。闇乃翼の看板に泥を塗った愚か者にかける言葉などないワ!」
「ふざけるな!」
総介は激昂した。
「自分の親を犬死に呼ばわりするだけでなく、沙那を手中にして日本の崩壊を企てるだと、許さん!」
総介は魔刃丸を手にした。
「ククク――」
魔刃丸に目を向けたロバートが冷笑した。
「何が可笑しい?」
総介はドスの利いた声で聞き返した。
「父親の形見か、女々しい奴ダ。国に尽くす侍は、どんな理由であろうと命を張るのが当然、未だに父親の面影を引きずっている者に、国の治安など守れるカ」
「ほざけ!」
炎の刃がロバートの胸元を掠めた。
炎熱によって祭服が焼け爛れる音と、繊維の焦臭が鼻をつく。ロバートが左手で傷口を押さえると、手の隙間から鮮血が噴き出た。
「この傷の代償は高いゾ、総介!」
ロバートは両腕を前に出すと、呪言を唱え始めた。
「水魔神よ、地上にある全ての水を使い、敵を凍らせ、闇に葬るがいい。氷葬吹雪!」
水魔神が巨大な瓶を左肩に抱えて、その姿を現した。なんと、大瓶の口から出る猛吹雪が容赦なく総介を襲った。
身動きがとれない!
白銀に輝く雪が下半身を固め始めると、まるで重量の重い足枷をはめられたようだ。
氷雪が地層のように重なっていく。
皮膚が凍る――、そんな優しいものではない。血液さらに五臓六腑が凍結した重苦しい感覚だ。
総介は完全な氷の彫刻になってしまった。
巧く呼吸がとれない、……苦しい。
総介の呼吸が段々荒くなってきた。
ロバートが不敵な笑みを浮かべてこっちを見ている。
「どうだ総介、永久氷壁の棺に入った感想ハ。炎の属性を持つ妖術士は、水の属性に弱いという話ぐらいは知っているダロ、氷の棺はおまえの生易しい妖気では破壊できナイ。もっと非情にナレ、妖気を高めるのダ!」
「オォォォォォ!」
総介は短時間の中で妖気を極限に高めた。同時に、肺が潰れて血管が割れそうな感覚に襲われる。
暫くすると、妖気の源である三丹田(上丹田・中丹田・下丹田)が熱く燃え上がった。
もっと妖気を高めるんだ!
総介は心の中で叫んだ。すると体から発する妖気によって、氷に亀裂が入る鈍い音が聞こえた。